第16話 神話の獣

 その光景に菜月は一歩も動けなかった。

 もう何度目か知らない現実逃避を目の前で起きた惨劇がかき消していく。

 飛び散る肉片に破片、舞い上がる砂に羽。

 3D映画のようにこちらに飛んでくる頭と血。

 何がどうしてこうなったのかわからないことが次々と起きる。

 幸い菜月の被害は勇人が渡してくれたお守りのおかげでなかった。

 それでも怖いことには変わりない。

 今にも腰を下ろしそうな状況をよくわからない根性で耐えていた。

 その光景を起こした青年に目を向ける。

 彼に付き従う龍は既にいなくっている。

 その横顔から見える冷たい眼光からは感情は読み取れない。

 ポケットに両手を突っ込み悠然と一人のサタニストに近づいていく。


「少しは話す気になったか?」


 勇人は片手で首を絞め上げる。

 サタニストは宙に浮いた足をバタつかせ必至に拘束を解こうとする。

 しかし、持っている膂力の差がそれを許さない。

 暴れても効果がないことを悟ったサタニストは精一杯の火の玉を作る。

 サッカーボールより大きな火の玉が勇人の顔に直撃する。

 その熱量は火傷で済むレベルではない。

 焼け爛れるか黒こげになるか、どちらにしても人間では原型を留めることはできないだろう。


「そうか、ならお前に用はない」


 勇人は手を離すどころか全く握力が落ちていない。

 やせ我慢や感覚がないとかではなくそもそも効いていないのだ。

 サタニストの首にゆっくりと指が食い込んでくる。

 真綿なんて生易しい。

 万力と呼んでもまだ足りない。

 言葉にならない力が肉を骨を血管を喉を確実に握りつぶす。


「やめてぇ!」


 殺してしまう。

 そんな予感が頭をよぎり菜月は叫ぶ。

 それを聞いた勇人は少しだけ力を緩める。

 サタニストは四肢をだらりと垂れ流し荒い息で精一杯呼吸する。


「なぜ、止める?」

「だってその人死んじゃうよ!?」


 勇人の疑問が理解できない。

 どんなに悪い人でも簡単に殺していい理由にはならない。

 そこは法律によりれっきとした決められたルールである。

 しかし、勇人にとってそれは関係ないのだ。

 ここにいる菜月以外の人間を殺すことになんの躊躇いもない。


「見たくなければ目を閉じてろ。音は消しといてやる」

「そういうことじゃないッ!」


 そういう問題ではない。

 菜月が見たくないのは勇人が人殺しをする姿だ。

 きっと彼はこういうことを何度もしてきたのであろう。

 そうして感情を捨て、人として大事なものを捨てていく彼の姿を見るのはとても耐えられない。

 なぜだか涙が出そうになり菜月は堪えるために口元を押さえる。

 いくら仲良くなったとしても彼とは赤の他人。

 どうなろうと自分には関係ないはずだ。

 それでも気になるものは気になってしまう。

 きっとこれが恋なのだと自覚してしまう。

 感傷に浸る菜月の背後を何者かに取られる。


「動くなァッ!」


 サタニストは菜月の首筋にナイフを突きつける。


「動くんじゃねぇ化け物ぉ!動けばコイツの命はねぇぞぉ!!」


 狂乱するサタニストに対して勇人はひどく冷めた様子で見つめている。


「そうだ、そのまま仲間を離してもらおうかぁ……!」


 勇人は言われた通り掴んでいるサタニストを解放する。

 自由になったサタニストは這いずり回りながら勇人から離れる。

 十分に距離を取ったのを確認すると、菜月を人質に取っているサタニストはニヤリと笑う。


「今だ!」


 その声にあわせて勇人を取り囲むサタニスト達が一斉に魔法を唱える。

 先ほどの魔法より数段上のエネルギーを感じ取る。

 いくら勇人でもまともに食らってしまえば……。

 ゾッとしない想像が菜月の頭をよぎる。


「逃げて勇人!」


 菜月の悲鳴にも勇人は棒立ちのままだ。

 どうしよう、アタシのせいだ!

 菜月は自身の油断が招いたこの結果に心が痛む。

 無情にも時間は菜月に思考する時間をくれない。

 最大の力を持って放たれる魔法が勇人に一直線に向かう。

 絶望的な状況に菜月が目をつぶった次の瞬間、誰かの胸の中にいた。





 大きな攻撃が当たると確信した時、人は気を抜く。

 勝負が決まった時に脱力するのと同じだ。

 その気の緩みは人間の世界では通じても幻想種と戦う神威には命とりだ。

 巨大なものは勇人の体をすっぽりと覆い隠す。

 それは魔法も変わらない。

 故に勇人はそのタイミングに合わせて姿勢を低くする。

 体を屈めることで更に自分の姿を隠す。

 正面から来るのは直径二メートル程の炎弾だ。

 これなら強引に突っ切れるレベルのものだが足元に僅かな隙間を見つける。

 ここだ!

 勇人は自らの感覚を信じスライディングを試みる。

 体を反らし背中が地面に着くギリギリを滑る。

 その鼻先一センチを炎弾とすれ違う。

 炎の通過を確認し、スライディングの勢いを利用し体を飛び起こす。

 突然すり抜けてきた勇人に魔法を放ったサタニスト達は反応できない。

 とりあえず勇人は正面にいる二人のサタニストの側頭部を掴む。

 そのまま手を合わせるように勢いよくぶつける。

 互いの頭蓋骨を砕ける音と共にサタニストは倒れ伏す。

 その姿を見るまでもなく勇人は前に出る。

 菜月を人質に取っているサタニストまで一気に距離を詰める。

 ナイフを握っている方の手首を掴み勇人の体の方に無理矢理向ける。

 掴んだ手に少しだけ力を込めるとグシャリと飴細工のように砕け散る。


「ギッ………!」


 苦悶の表情を浮かべサタニストはナイフを手放す。

 それを奪い取った勇人は持ち主の額に投げつける。

 脳天に刺さったナイフは相手を絶命させるのには十分だった。

 さて、残りは……。

 菜月を抱きとめながらチラリと背後を見る。

 ようやく状況に気づいたサタニスト達が再び魔法を唱える。

 おいおい、この状況で撃つか?

 奴らの狙いである菜月も近くにいる。

 そんな中で魔法を放てば彼女が巻き込まれる可能性を考慮できないのか?

 何らかの供物である菜月を無傷で手に入れるのは連中にとって絶対条件であるがどうやら動転して勇人を倒すことしか考えられないようだ。


「やれやれだ」


 思慮の浅い行動に辟易しながら勇人は菜月を抱き寄せる。

 無防備な勇人の背中に魔法が飛んでくる。

 しかし、それを遮るように次元龍が再び飛び出してくる。

 次元龍は魔法を食うだけでは飽き足らず撃ったサタニストまで食らう。


「う、うわああああああああああああああああああ」


 弱者の悲鳴が木霊する。

 逃げ惑う者、反撃する者、恐怖で動けなくなる者……。

 それぞれプロセスは違えど結果は変わらない。

 喰われる。

 ただそれだけ。

 そんなわかり切ったことに意識を割くことはしない。

 せいぜい、やることは菜月にこの惨劇を見聞きさせないことだ。

 狩りはあっという間に終わる。

 残されたのは人間だったものだけ。

 この世の地獄とはまさにこのことだった。




 勇人は菜月を離し振り返リ際に忠告する。


「菜月、目を閉じていることを勧める」

「え?」


 意味がわからず開けた視界で見たものに彼女は絶句する。

 鼻につく濃厚な血肉の匂い、赤く染まった大地、散乱する骨と肉。

 へたり込む彼女の足元に変わり果てた姿のサタニストの姿があった。

 自然に溢れる涙とこみ上げる吐き気にうずくまってしまう。


「だから、言っただろう」


 勇人は自分がどれだけ酷なことを言っているかわかっている。

 だが、言わずにはいられない。

 菜月は勇人の事を正義の味方かスーパーマンと勘違いしている。

 それを否定も肯定もしなかった勇人に責がある。

 故に身をもって教えたのだ。

 自分が狙われている存在であること。

 それを護る男が人ではないこと。

 これで俺はもうアイツに近づけないな。

 苦笑いが自然と漏れる。

 護衛の交代か解雇か。

 こんな状況を見せればその可能性は高いだろう。

 だが、その前にやるべきことをする。

 未だに昏倒するリーダー格のサタニストに触れる。

 今度こそこいつから得られる情報を全て引き出す。

 目の前のコイツが死のうが廃人になろうと関係ない。

 その直後に異変が起きる。


「がふ……」


 赤い槍のようなものが地面からサタニストの心臓を貫く。


「何ッ!?」


 槍は次々と地面から飛び出しサタニストの遺体を次々と貫いていく。


「クソ」


 勇人は急いで菜月の元に戻り彼女を抱えて更に距離を取る。

 まさか、この場所に召喚魔法準備していたとは……。

 召喚魔法はさっきもハーピーなどで見たが、個人個人で発動させていた先ほどまでとは規模が違う。

 この土地に魔方陣を敷きサタニストの命と血肉を糧に発動させている。

 質も量も桁違いのエネルギーが注ぎ込まれている。

 無理矢理解除してしまえば周囲に爆発か魑魅魍魎ちみもうりょうが溢れることになりかねない。

 発動した魔方陣はサタニストの全てをその中心に吸い込んでいく。

 それは風呂の栓を抜いたかのように貪欲に取り込んでいく。

 そうして何もかもを吸い込んだ魔方陣から前足が出てくる。

 そこからゆっくり獣が這い出てくる。

 体長5メートルはあり、アジアゾウに近い大きさを誇る。

 その四肢はライオン、胴体はヤギ、尻尾は蛇になっている。

 その頭にはライオンとヤギが両方付いている。

 それはかつてギリシャ神話において英雄べレロポンに討たれた怪物。

 キマイラが顕現した。

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