第17話 キマイラ

 合成怪物キマイラ。

 ギリシャ神話では火山地帯リュキアに生息していたと伝えられている。

 父は主神ゼウスを追い詰めた蛇の怪物テュポン、母は下半身蛇の女の怪物エキドナ。

 テュポンは怪物であると同時に大地母神ガイアの子でもある。

 この事からキマイラには神性が宿っている。

 その力は今まで相手にした幻想種を遥かに上回る。


「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 天まで届きそうな咆哮が空気を震わす。

 微動だにしない勇人の後ろで菜月が生まれたての子鹿のように足を震わせている。

 獲物を見つけたキマイラはギョロリと顔をこちらに向ける。

 勇人も菜月を庇いつつキマイラから視線を切らないようにしながらゆっくりと後退する。

 ジリジリとした時間が流れる。

 まだ、結界は残っている以上このグラウンドから菜月を出すことはできない。

 それでも今は少しでも距離が欲しい。

 距離があれば初撃を回避できる。

 そう思っている時だった。

 キマイラは猛然と突っ込んできた。


「チィ」


 それに合わせて勇人も前に出る。

 このまま戦えば菜月を巻き込みかねないからだ。

 互いに手の届くクロスレンジに入る。

 まずは勇人が挨拶代わりに数発の拳を獅子の頭に叩き込む。

 固い。

 分厚い毛皮に覆われたその巨体は勇人の攻撃などモノともしない。

 お返しにと今度はキマイラが前足を振り上げる。

 その力は電柱の二本や三本など簡単にへし折ることができる。

 それを紙一重で回避し今度はヤギの頭にさっきの倍殴りつける。

 しかしこれも通りがイマイチ。

 流石は神話に登場する幻想種。

 その耐久は並みのものではない。

 今の俺の攻撃力がマシンガンだとすれば奴の防御力は戦車といったところか。

 しかしそれは攻守だけの関係だ。

 戦いはそんな単純なものではない。

 速さや技術と言ったものも重要なものだ。

 キマイラは獣故に技術はそこまでない。

 だが、速さと力は獣特有の高さがある。

 その恵まれた身体能力をフルに生かし攻めてくる。

 能力の差から徐々に勇人は追い込まれていく。

 こいつ、予想以上に速い!

 警戒すべきはその前足だけではない。

 獅子の牙、ヤギの角に尻尾の蛇。

 対処すべきとこは多い。

 それにしてもこいつの動きはなんだ?

 勇人のことを敵として認識していない。

 まるで邪魔者みたいな……。

 そう思っているとふと足元を取られる。


「しまった!」


 前にだけ集中していたせいで蛇の存在に気づかなかった。

 体勢を崩した勇人に前脚が迫る。

 これは避けられない。

 ズドンと防御した勇人の左腕に衝撃が走る。

 メキメキと骨が壊れていく音と共にフェンスまで吹き飛ばされる。

 全身を強かに打ち付ける。

 しかし、この絶好のチャンスにキマイラは追撃してこない。

 そこで勇人はキマイラの狙いが自分ではなく菜月であることに気づいた。


「次元龍!」


 勇人の影から飛び出してきた黒き龍はキマイラを側面から吹き飛ばす。

 その勢いのまま反対側のフェンスまで到達する。

 龍と獅子による激しい乱闘が繰り広げられているのを横目に勇人は菜月の腕を取る。


「こっちだ」


 引っ張った先はグラウンドの出口だった。

 しかし、ここも結界で閉ざされている。

 術者と思われていた人間は既に死んでいることから、どうやらこの結界はバッテリーや電池のようにしばらくの間維持できるタイプのようだ。

 だが、それも長くは持たない。

 二匹の化け物荒れ狂う嵐のように暴れ回る余波で壊れかけている。

 このまま結界がなくなれば周辺地域だけでなくこの東京に大きな被害が出る。

 一応は組織の一員である以上これは避けなくてはならない。


「菜月。今からこの壁をぶっ壊すから外に出ろ」

「え?勇人は!?」

「俺は奴を殺す」


 菜月の表情が凍りつく。

 言っている意味がわかっているがその結論が理解できないようだ。


「何言ってんの!?勝てるわけないじゃない!今からでも逃げよう!」

「それはできない」


 キマイラの狙いは菜月だ。

 その証拠に次元龍との戦いでもキマイラは自分の目の前にいる存在のことを鬱陶しい存在程度にしか見ていない。

 菜月の何がそんなに惹きつけるかわからないがそれだけ奴が彼女に執着しているということだ。

 勇人としてはそこを見過ごすことはできない。

 それでも納得できない菜月は食い下がる。


「だったらせめて助けを呼ぼう!」

「誰にだ?」

「エッと……警察とか」

「この状況を信じると思うか?」


 二匹の化け物がケンカしているから来てくれと言われて果たして来てくれるだろうか?

 いいとこ近くの交番から二人ぐらいの警官が、酔っ払いなどの困ったちゃんを相手にする感覚で来るだろう。

 その結果増えるのは無用な被害者だけだ。

 それでも納得できない菜月の頭に勇人はそっと手を置く。


「菜月、俺を信じろ」


 菜月がハッと顔を上げると勇人が真っ直ぐとこちらを見つめていた。

 信じろと彼は言った。

 彼は隠していることは多いが嘘はつかない。

 信じろという言葉にどれほどの意味が込められているかわからないが、少なくともこの状況を解決できるという確信が彼にはあるのだろう。


「…………わかった。無事に帰ってきて」

「当然だ」


すれ違う彼の言葉は自信に満ち溢れていた。



 蹴破った結界から菜月が出て行くのを確認してから勇人は改めて結界を張る。

 視線の先では自らの幻想種がキマイラを何とか押さえ込んでくれている。

 しかし、次元龍の力ではキマイラを倒すことはできない。

 故に勇人は一段ギアを上げる。

 体内にあるが動き出す。

 体を駆け巡る龍の力が彼の体を作り変える。

 血管が千切れる、骨が壊れる、細胞が死滅する。

 体の内側が悲鳴を上げる。

 人が持ってはいけない力が魂を精神を侵食していく。

 しかし、勇人は眉一つ動かさず続ける。

 このキマイラを人間が倒すには十分な人数の専門家が入念な準備をして初めて戦える相手だ。

 具体的な数で言えば専門家百人とそれを護衛する十倍以上の自衛隊員がいて初めて戦えるレベルになる。

 つまり、確実に勝てるわけではない。

 勝率で言えば五分五分だ。

 キマイラクラスになればその存在は天災となんら変わらない。

 だからこそ勇人は確実に勝てるレベルまで力を高める。

 そうして作り変えられる過程で生まれる細胞はもはや人間とは呼べない。

 見た目こそ変わらないがその目は爬虫類はちゅうるいに見られる有鱗目ゆうりんもくのようになっていた。

 勇人の準備が整ったところでキマイラが起き上がる。

 既に次元龍の姿はなくこの場にいる勇人とキマイラのみ。


「さて、始めようか――――」


 ――――神話のデスマッチを!

 天に向かって吼えたキマイラが突っ込んでくる。

 勇人は動かない。

 構えも取らずでくの坊のように突っ立ったままだ。

 キマイラが迫る。

 今度は腕の骨ではなく勇人の息の根を止めようと。

 見る見る縮まる距離にも勇人は何もしない。

 あっという間に目と鼻の先まで距離を詰められた。

 キマイラは迷うことなく勇人の喉元を狙う。

 その牙が突き刺されば彼の首は簡単に食い千切られるだろう。

 そして、この至近距離で相当なスピードだ。

 これを完璧に回避するのは不可能だ。

 しかし、世の中にはいつだって例外が存在する。

 勇人は一歩踏み込むと左拳を突き出す。

 タイミング、角度共に完璧なカウンターが獅子の鼻を捉える。

 キマイラは激痛に悲鳴を上げ数歩後退する。


「どうした、一撃でグロッキーか?」


 勇人は追撃せず挑発をかます。

 キマイラの目の色が変わる。

 どうやら標的を完全にこちらに向けたようだ。

 その目には怒りの炎が宿っている。

 低い唸り声を上げ円を描くように歩く。

 勇人もそれに合わせるように警戒する。

 緊張感とプレッシャーで肌がひりつく。

 そうだ、この感じだ。

 生と死をかけた戦い。

 自分の力に絶対の自信がある本物の化け物を、それを上回る力でもってねじ伏せる。

 それこそが空木勇人がプレデターと呼ばれる所以。


「来いよ、キマイラ。お前の力の全てをもって俺を潰してみろ!」


 勇人の言葉に応えキマイラが咆哮する。

 ここに神威と神話の化け物との闘争の火蓋が切って落とされた。




 月と街頭がグラウンドを照らす。

 砂煙が舞う戦いが今も行われている。

 それを見下ろす一匹の鷹がいる。

 ゆっくりと降下しフェンスの上部に留まると体が変化する。

 人型の大きなシルエットは白い羽衣に隠れていた。

 それを脱ぐと青年が姿を現す。

 かつて、天津邸を襲撃し今回の事件の首謀者ロキであった。


「楽しいか空木勇人?」


 己の力の全てをぶつけてなお向かってくる相手に。

 戦における高揚感に酔いしれているか?

 飛び交う力と速さはもはや個の領域を遥かに凌駕している。

 あの場所は天災や戦争と変わりない。

 それこそが神話の戦い。

 かつて人々の口伝により伝え抜かれた神代の本質である。


「だが、まだだ」


 足りない。

 圧倒的に足りない。

 規模が。

 スケールが。

 これではいいとこよくある英雄伝説の一つで終わってしまう。


「それではダメだ」


 そんなありふれた与太話など必要ない。

 求めるは力。

 かつてこの星を支配した圧倒的な存在の復活。

 それは人など塵芥の時代だ。


「その為には……まず彼女の覚醒が必要不可欠」


 優雅に高みの見物をするロキは視線を菜月の方に移す。

 ロキが視ているは彼女の表情ではない魂と精神に眠るもの。

 その目覚めは近い。




 風圧と風圧がぶつかる度に鼓動が大きくなる。

 想像以上だ。

 力や速さは当然だが何より圧倒的な存在感。

 我こそはこの世界の頂点に存在する者なり!

 あふれ出る覇気は体を、魂を、精神を震わす。

 いくつもの幻想種とほふってきた勇人だがこれ程の強さの幻想種とは中々ない。

 だが、それも長くは続かない。

 地力が違うのだ。

 幻想種とはこの世界に存在するだけで消耗する。

 魚類が地上で生きれないのと同じ。

 体の構造が根本的にこの世界に適していない。

 勇人と契約している次元龍は彼という器があるから存在を保てる。

 しかし、キマイラを召喚したサタニストは既にない。

 召喚者からの補給方法がないキマイラにとってこの場にいるだけで辛いのだ。

 そんな奴が周囲の人間を捕食しようとするのは自然なことだ。

 しかし、それを許せば際限なく人間を喰らっていく。

 それを許せる状況ではない。

 名残惜しいがここで決着を着けねばならない。

 さて状況を確認しよう。

 いくら体力が低下してもその耐久力は並大抵のものではない。

 先ほどから何発か打撃を当てても有効打にはなっていない。

 それに野生の勘からかこちらの強打は悉く避けられている。

 ならばやることは一つカウンターだ。

 それもさっきのようなタイミングを合わせただけのカウンターではない。

 最大限の力を込めた状態でのカウンターだ。

 その為にはそうなるような状況を作る。

 勇人はキマイラの攻撃を掻い潜り、背後に回り込む。

 後ろを取ることは戦いにおいて非常に有効な手段である。

 しかし、相手は幻想種だ。

 それが正しいとは限らない。

 特にキマイラには尻尾が蛇になっている。

 首を絞めつけ骨を砕き猛毒の牙がある。

 これだけで厄介だ。

 しかも、キマイラの頭はそれぞれに意志を持っている。

 当然背後に表れた勇人にも反応して蛇が襲い掛かってくる。

 首に絡みつこうとする蛇を勇人は屈んで回避する一歩踏み込み手を伸ばす。

 その先にある皮を裂き、肉を貫く。

 激痛の苦悶の叫びの中で掴むは蛇の尻尾。

 勢いよく引き抜くと血が間欠泉如く噴き出す。

 引き抜いた蛇の胴体を引っ張るとブチブチと繊維が千切れる音がする。

 完全に二つに分かれるのを確認すると尻尾の部分を投げ捨て、頭部をまるでタバコの火を消すかのように踏みつぶす。

 未だに激痛にのたうち回る化け物に勇人は追撃の手を緩めない。

 ヤギの角を握ると反対側に叩きつけた。

 仰向けになったところをすかさず二つの角を踏み砕く。

 起き上がったキマイラの目は怒りに燃えている。

 角には神経は繋がってないがプライドを傷つけるには十分だ。

 そろそろだな。

 蛇の頭、ヤギの角とキマイラの攻撃手段は破壊した。

 こうなったことでキマイラの次の動きが自ずと絞られてくる。

 怒りに身を任せた獅子が勇人目掛けて飛び掛ってくる。

 一般的にライオンの狩りはは群れで行う。

 その際、最初に捕まえたライオンは前肢による強力なパンチで首の骨か背骨を折る。

 それ以外では鼻面はなづらや喉に噛み付き窒息させることで獲物を仕留める。

 つまり、一瞬かつ確実に致命傷を与えようとするのがライオンの狩りなのだ。

 いくら幻想種と言えどキマイラにはライオンの性質を確実に備えている。

 故に動きもライオンのものと似てくる。

 そのことを知っているならば対処は容易い。

 そのことに気づいていないキマイラは勇人の頚椎に牙を突き立てようとする。

 当たればいくら神威である勇人でも相当なダメージになる。

 しかし、このことを予想していた勇人にとって何ら脅威ではない。

 体を沈み込ませながら一歩踏み込むことでキマイラの前肢と顔の間に入る。

 そこから下半身をバネに上半身、そして右拳を一直線に伸ばす。

 素人から見ても惚れ惚れするほどのロングアッパーがヤギの顎を直撃する。

 その一撃は顎を破壊するだけではおさまらず顔の骨を、脳みそをぐちゃぐちゃにする。

 ヤギの顔中から血を撒き散らしつつキマイラは二度三度ひっくり返る。

 その様を見ながら勇人はゆっくりと追いかける。

 徐々に近づいてくるその姿は死刑執行人かはたまた死神か。

 どちらにしてもキマイラの中にあるものを打ち砕くには十分だった。

 その証拠にその目には怒りも強者の風格もなく恐怖しか残ってない。

 それでもキマイラは逃げることはできない。

 この男は地の果てまで追って自分を殺しに来ることが本能でわかってしまう。


「どうした、神話に名高きお前の実力はその程度か?」


 目の前で見下ろしてくる勇人にキマイラは最後の手段に打って出る。

 大口を開け放たれる火炎放射。

 山火事を起こすほどの熱量と範囲があるキマイラの切り札である。

 なぜ、ここまで温存していたか。

 それは体力を大幅に消費してしまうからだ。

 補給方法がほぼないキマイラにとってここぞという場面まで取っておきたいのは自然なことだ。

 そんな渾身の力をこめた炎が勇人に迫る。

 必中、防御不能と思われた炎は勇人のかざした手の前で止まる。

 まるで防火扉でも遮られているかのように炎は彼には届かない。

 変化はそれだけではない。

 防がれた炎はもう一度勇人の手の中に集まっていく。

 それは磁石に吸い付く砂鉄のような奇妙な光景だ。

 そうして炎は野球のボールぐらいに収束する。

 大きさこそ小さくなったがそこには凝縮されたキマイラの炎に勇人の力も混ざっている。

 もはやキマイラが手に負えるものではなくなっていた。


「ほら、返すぞ」


 絶望するキマイラの口に火球が突っ込まれる。

 体内を駆け回る炎は体の内側を燃やし、体の外まで飛び出してくる。

 抑えきれない炎は内側ではじける。

 それが最高潮に達したとき、キマイラの悲鳴と共に爆散した。

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