第18話 トリックスター・ロキ

 まるで特撮映画で使われる火薬のように怪物が弾ける。

 音のない遠巻きの映像だったから見ていられた。

 しかし、これが真近で見ていたら?

 音や匂いや映像を至近距離で見ていたら?

 そう考えると震えが止まらない。

 こんな光景を勇人はいつも見て実行していたのか。

 戦争でもケンカでも駆除でもない。

 こんな光景は菜月の人生において一度も見たことないものだった。

 いつの間にか消えていた結界など気にもとめず少女はグラウンドに足を踏み入れる。

 なんて声をかければ良いんだろう?

 今まであったものは崩れ彼との関係も揺らいで行く。

 化け物、いないもの……それらの言葉はこうなることを予見していた勇人からの優しさだったと気付いた時にはもう後の祭りだ。

 彼女の中に芽生えた恐怖や嫌悪は好感が大きかっただけにその反動も然りだ。

 しかし、だからといって無条件で彼を責めることはできない。

 過程はどうあれ勇人の目的は菜月を守ること。

 その為に危害を加える者を排除したまでに過ぎない。

 そのことを否定することは菜月にはできない。

 でも、疑問は残る。

 あそこまでする必要が果たしてあったのか?

 少なくとも化け物と戦っている彼は―――――。

 知らなければならない。

 自分が何に狙われているのか?

 勇人は何者なのか?

 未だに残る恐怖を押し殺し菜月は勇人に近づく。

 声のかけ方とか何も考えてないけど、なんとかなるだろう。

 一見ポジティブな思考だが、今回の場合は不安や恐怖の裏返しである。

 その証拠に目の前にいる勇人に向けて伸ばした手はぎこちなく唇は震えている。

 それでも意を決して声を出そうとした時だった。


「やあ、久しぶりだね」


 今の空気とは真逆の明るく爽やかな声がした。

 振り返るとそこには菜月と同じくらいか少し上くらいの長身痩躯の美少年が立っていた。


「久し……ぶり?」


 以前どこかで会ったのだろうか?

 少年との面識は少なくとも菜月の覚えている記憶の中にはない。

 ないはずだが、見覚えがある気がする。

 それは勇人といる時のような懐かしさがある。

 しかし、同時に菜月は少年に近づけない。

 そこには両者の決定的な違いがあった。

 それは目だ。

 目は口ほどに物を言うということわざの通り、目には人間の本質を現す手掛かりの一つになりやすい。

 この少年は見た目こそ柔和で優しそうな表情を浮かべているが、その瞳孔は黒く濁り切っている。

 詐術的で胡散臭く、同時に何をするかわからない猟奇性を感じさせる。

 その点で言えばぶっきらぼうで冷たい印象はあるが、その目は誠実な勇人とは真逆だ。

 警戒心を露わにする菜月に少年は意外そうな表情を浮かべる。


「ん?あぁ、そうか。まだ何も思い出していないようだね。その辺はどうかな、勇人」


 勇人と呼んだ。

 と言うことはあの少年は彼の知り合いということなのだろうか?

 そう思って勇人の方を見て菜月はゾッとする。

 そこには今まで見たことない形相をしている勇人がいた。




 その声を聞いた時冷えてきた血が一気に沸騰した。

 ただし、今度は高揚感ではなく憤怒である。

 その少年を知っている。

 始まりにして終わりをもたらした。


「どうしたんだい勇人?ボクのこと忘れたの??」


 忘れるものか!

 あの日からお前を殺すために戦い続けてきた。

 すぐにでも飛び出したい衝動を抑えつける。


「おいおい、二人とも何黙っているんだい?」

「――――黙れ」


 相手は勇人の怒りを知っていながらいけしゃあしゃあと言葉を続ける。

 そのへらへらした態度が余計に勇人の勘に触る。


「せっかく、会えたんだ。をしよう?」


 ブチンと勇人の中の何かが切れた。


「ロキぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!」


 激情のままに少年に掴み掛りフェンスまで押し込む。


「はは、相変わらず君は猛々しいな」

「黙れ!俺はテメエを殺すために生きてきた!!」

「それは困る」


 顔面に向けて放たれた拳が空を切る。

 得意の変身魔法でネズミになり移動したロキは勇人の背後に立つ。


「舞台はまだ整っていないんだ」


 勇人が反射で回し蹴りもロキはバックステップで軽やかに躱す。

 追撃を仕掛ける勇人にロキは指をパチンと鳴らす。

 すると、地面に魔法陣が浮かび上がる。

 そこから身長5メートル程の巨人が飛び出してくる。


「何だと!?」


 不意を突かれた勇人は胴体を鷲掴みにされる。


「少しだけ、そいつと遊んでもらうよ」

「待ちやがれ!」


 このまま奴を菜月に近づかせる訳にはいかない。

 速攻でこいつを殺す。

 しかし、巨人の手を解くことができない。

 まさか、コイツ狂化されている!?

 巨人は龍や鬼に匹敵する強力な種族だ。

 本来、弱い人間を強くするための狂化を自分から使わない。

 それは巨人族の多くは神々と対立しておりプライドから神々の作り出した魔法を嫌うからだ。

 それをかけたということはロキの仕業と見て間違いない。

 ロキとは北欧神話に登場する神だ。

 元は巨人にして主神オーディンの義兄弟にして火の神とされている。

 容姿は美しいが性格は気まぐれで邪悪、その上狡猾。

 その狡猾さや悪戯好きなことから神話内で様々な問題を引き起こす。

 だが、時にその悪知恵や得意の変身魔法から様々な恩恵をもたらすことからトリックスターの異名も持っている。

 また、北欧神話の終焉『ラグナロク』を起こすのもこの神である。

 ロキという名も古ノルド語で『閉ざす者』ということからもこの神の役割が見て取れる。

 そんな奴が菜月に近づいたら何をするかわからない。


「舐めるなぁ!」


 勇人は一気に力を開放し手をこじ開けると猛スピードで腕から顔面に迫る。

 巨人は反対の手を振るが、勇人は自らの権能を使う。

 自らが作ったゲートを駆け抜けるとそこには狂った巨人の顔があった。


「くたばれ」


 トップスピードに乗った勇人は拳を振りぬく。

 渾身の力を込めた一撃は巨人の顔を容赦なく消し飛ばす。

 断末魔もなく消えていく巨人を無視し菜月の元に向かう。

 しかし、このわずか数十秒が命取りだった。




 時は数十秒遡る。


「さて、あちらも長くは持たないしこっちも手早く済まそうか」


 ロキと呼ばれた男が近づいてくる。


「く、来るな!」


 菜月は大きな声で精一杯威嚇してみるがロキは止まらない。

 当たり前の話だ。

 勇人の攻撃をいとも容易く回避できるのだ。

 力の差など比べるのもおこがましい。

 後退りするなど意に介さず距離を詰める。


「さて、君は思い出さねばならない。自分が何者であるか」


 悪神は少女の頭上に手をかざす。

 それにどのようなことがわからないが、確実にこちらが不利益を被ると言うことは察した。


「や、やめ…………」


 手を払いのけようとする菜月はふっと体の力が抜ける。

 何が起こったかわからなかった彼女は自分の意識も抜けていくのを感じる。


「君は思い出さないといけない。自分の全てを」


 薄れゆく意識の中で妙にロキの言葉が頭に響いた。





 勇人が次に見たのは倒れ伏そうとしている菜月の姿だった。


「菜月!」


 倒れる直前で少女を抱きとめる。


「テメエ、こいつに何をした?」

「何って少し彼女にかけてあるものを弄っただけだよ」


 ロキは手をひらひらと振りながら背を向ける。


「逃げる気か!?」

「まあね。今日は挨拶に来ただけだからね」


 ロキは羽衣を取り出す。

 それは纏うと鷹に変身できる北欧神話の神器だ。


「あ、そうそう勇人。一つ言い忘れていたけど――――」


 鷹になる直前ロキはわざとらしく言う。


「――――彼女には気をつけなよ」

「何?」


 一瞬理解ができず、菜月の方を見る。

 すると、少女の目はかっと開くと糸で吊られたようにふらりと立ち上がる。


「おい、菜月。大丈夫か?」


 声をかけた勇人だが彼女の異変に気づいていた。

 瞳孔に光がない。

 感情が抜け落ち生気のない顔は人形と変わらない。

 正気を取り戻させようと手を伸ばした時だった。

 黒き烈風が彼女から放出された。




 沈む沈む沈む。

 深き闇の底に沈んでいく。

 動かす体はなく意識だけははっきりしている。

 これからどこに向かうか全くわからない。

 ロキは言った。

 自分が何者であるかと。

 意味がわからず闇の先を見つめているとかすかな光が見える。

 意識は吸い寄せられるように光に向かって真っ直ぐ沈んでいく。

 そうして、次第に大きくなる光は視界を飲み込んでいく。

 何も見えない世界の中でカキーンと甲高い金属音が響く。

 どこかの球場の応援席。

 その中心であるマウンドでチームを鼓舞する少年がいた。

 その顔を見た瞬間に理解する。

 何度も夢に現れた少年だ。

 その名は――――。

 思い出すことを遮る様に視界の先に砂嵐ができる。

 映像を早回しするように断片的なシーンがいくつも見える。

 夢で見たことあるものないもの。

 そこから湧き上がる喜怒哀楽の感情。

 その一つ一つが今は懐かしい。

 そうか、これがアタシが今まで歩んできた人生か。

 笑って泣いて怒って……。

 そうやって人並みの人生を送ってきた。

 それがわかって嬉しいと思う反面、一抹の不安を覚える。

 家族がいて、友達がいて、好きな人がいる。

 そんな自分がなぜここにいる?

 どうして忘れている?

 もしかして自分が忘れているのはではないか?

 そこに気付いた矢先、今までにない感情に襲われる。

 どす黒く熱い負の感情。

 それは精神を焼き魂を焦がす。

 何……何なのこれ?

 答えは映像から流れてきた。


「え?」


 掌についた真っ赤な血。

 目の前で動かなくなっているのは自分が恋した少年。

 その腹部には深々とナイフが刺さっていた。




 暴風がグラウンドに吹き荒れる。

 舞い上がる砂塵はフェンスを越えようか。

 風圧も腕で顔をガードする程強く容易には動けない。

 しかし、その渦の中心にいる少女は全くの無風だ。

 それはつまり彼女がこの現象を引き起こしていることに他ならない。

 そして、この風は勇人達が使う権能に近い。

 ロキが何をしたかの詳しいことはわからない。

 だが、この異常現象は奴が原因であることは間違いない。

 本当はとっちめて何をしたいか吐かせたい所だが今はそうも言ってられない。

 今から探しても逃げ足の速い奴のことだ。

 こちらが追跡できない所にいるだろう。

 それに逃げる前にご丁寧に新しく結界を張っている。

 用心深い奴だ。

 この状況を一般人に見られたくないのだろう。

 まあ、それは俺も同じだが。

 とにかく、菜月を止めねば何も始まらない。

 まずは近づいて彼女の身に何が起きたか調べる。

 幸いにも風は勢いを失って来ている。

 これなら十分に飛び込める。

 勇人は四肢を踏ん張り地面を蹴る。

 これで手の届く距離に入れるはずだった。

 しかし、そこで異変が起こる。

 さっきまで吹いていた黒い風がピタリと止んだのだ。

 どういうことかわからまいが今の内に。

 勇人は菜月に近づき健康状態を確認する。

 呼吸、心拍は正常。

 何かの術にかけられた形跡はない。

 じゃあ、一体何が?

 悩む勇人の頭上に何かが降ってくる。

 見上げる暇もなくとっさに腕で受け止める。

 なんだ、この異常な重い一撃は!?

 見上げると菜月の背後に黒い影が拳を振り下ろしていた。


「こ……こい……つは……?」


 見たことない幻想種だ。

 いや、そもそもこいつ幻想種か?

 幻想種には元になった何かがある。

 しかし、こいつにはそれを感じさせない。


「お、おおおおおおおおおおおおおおおお」


 雄叫びを上げながら巨腕を押しのける。

 その力に影は菜月と一緒に後退する。

 こいつ、菜月とシンクロしてんのか?

 つまりあの影は菜月の中にある力であり菜月そのものでもあるようだ。


「つーことは迂闊うかつに殴れねえな」


 攻撃すればどんな反動があるかわからない。

 どうする?

 悩む勇人に影の拳が迫る。

 間一髪でジャンプした勇人は思案する。

 ロキに何かされたことは間違いない。

 だが、術をかけられた様子はない。

 少なくとも洗脳や幻術の類はない。

 じゃあ、あの力はなんだ?

 まるで、が外れたかのように暴れまわっている。


「――――そういうことか」


 ロキが関わった時点でそのことを真っ先に考えるべきだった。

 奴は何もしていない。

 寧ろ、彼女の持つ力を解き放っただけだ。

 しかし、そんなことをすれば彼女の肉体に莫大な負荷がかかる。

 ならば勇人がやるべき手は一つしかない。

 あの力を封印する。


「苦手だがやるしかないか」


 このままでは回避を続けてもじり貧である。

 打開策がある以上速やかに実行しなければ被害は勇人だけでは済まない。

 勇人は着地し制止する。

 五感を一時的に断ち集中力を高める。

 外界から来るあらゆるものを無視し勇人はこの空間に流れる時間にのみ専心する。


「――神格解放」


 瞬間この空間で起こっている全ての物理法則がフリーズした。

 舞い上がる砂も、吹き起こる風も、目の前まで来た影の手も全てだ。

 勇人はその確認もせず菜月の元に急ぐ。

 この権能は長くは持たないのだ。

 菜月の目の前に着くと懐から一枚のお札を取り出す。

 すぐにこの権能は解除される。

 しかし、勇人の中に迷いがあった。

 彼女の背後にいる影は彼女とシンクロしている。

 それを封印してしまえば彼女はどうなる?

 何らかの悪影響は十分に考えられる。

 無情にも全てが動き始める。

 影は勇人の姿を確認し攻撃態勢に入る。

 二度目はない。

 このチャンスを逃せば彼女を傷つけるかもしれない。


「すまない、菜月」


 少女の腹部に札を貼る。

 すると、彼女の背中から鎖が飛び出す。

 鎖は菜月の影を捕らえ背中に引きずり込んでいく。

 影は暴れることなく彼女の背中に消えていった。

 糸が切れたかのように倒れ込む菜月を勇人はそっと受け止める。

 物的が被害はいくつかあれど人的被害は全くない。

 しかし、これが何かの引き金になったと勇人は確かに確信した。

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