第2話 朝食

「空木様、篠原様。よろしいでしょうか?」


 ノックの音と共に侍女が声をかけてきた。

 構わないと言うと侍女は静かにドアを開閉した。


「何かあったのか?」

「お食事の準備が整いましたのでお呼びに参りました」

「食事?」


 勇人は舞の方を見やると知らないとばかりに首を勢いよく横に振る。

 勇人は訝しむ。

 自分達が命じられているのはあくまでこの屋敷に住み込んで天津陽菜を護衛せよとしか聞いていない。

 その為に寝る場所だけ確保してもらい後は自力でなんとかしろ。

 局長善治からはそう聞いていたし契約書にはその辺のところは記載されていなかった。


「俺達は自力で何とかする。そう伝えたはずだが」


 舞もうんうんと頷く。


「いえ、これはお嬢様のたっての希望でして……」

「陽菜様の?」


 困った顔をする侍女に舞は尋ねる。


「はい、なんでもお二人のお話に興味があるとのことで……」


 何を考えているんだ、アイツは?

 おめでたい発想に勇人は頭を抱える。

 俺らのことは無視すれば良いのに、どうしてこう余計なことをするのか。

 断るべきだ。

 彼女はあくまで護衛対象であり仕事の相手だ。

 それは一線を引くべきところだ。


「悪いが、その話は聞けない。俺らはあくまでボディーガードだ。のんびり飯を食うなんてできない」


 それは職務放棄に他ならない。


「いえ、それが旦那様も許可為されており、ぜひ来て欲しいとのことです」

「依頼主もかよ……」


 二人はげんなりする。

 どいつこいつも緊張感がなさ過ぎる。

 確かに現状はまだ危機は訪れていない。

 しかし、今は何も解決していない所か始まってすらいない。

 初っ端からこれかよ。


「どうします?」

「どうするって言われてもなぁ」


 このまま断固拒否するのは容易い。

 しかし、このまま実行すればクライアントの心証を悪くしかねない。


「とりあえず、食堂に顔を出す」


 とりあえず、顔を出しそれからきちんと断りを入れよう。

 まあ、やるのは俺じゃねえけど。

 勇人はそっと舞にアイコンタクトを送ると深いため息をつく。

 口下手な勇人はこういった交渉事はしない。

 余計なことを言って抉らせる可能性は十分にある。

 舞もそれは十二分に理解している。


「本当に貴方は荒事担当ですね」

「それしか能がなくてな」


 舞の皮肉に勇人は卑屈や自嘲はなくただ淡々と事実を述べる。

 わかっていた返事に舞は再びため息をついた。


           ******


「あ、空木さん、舞さん」


 食堂に入ると陽菜と総一郎が行儀よく座って待っていた。

 案内した侍女は失礼しますと言い残し部屋を出て行く。

 テーブルにはご飯と味噌汁、焼き魚にほうれん草のおひたしと純和食がきっちり四人分並べてある。

 部屋にいるのは勇人、菜月、舞、総一郎ときっちり四人。

 マジで用意していたのかよ。

 冗談だと淡い期待を抱いていたがそれも崩れ去った。


「さあ、席に着いてください。冷めてしまいますよ」

「えっと、天津様。お心遣いは大変うれしいです。しかし、私どもはあくまで護衛です。このように共に食事を取るというのは任務に支障をきたしかねません」


 舞の考えを聞いて陽菜はハッとなり申し訳なさそうな顔をする。

 自分の立場を理解したのか軽率さを理解したのか。

 しかし、総一郎は引かない。


「空木さんは歴戦の戦士と伺っております。食事程度で遅れを取るとは思えないのですが」

「リスクは下げるに越したことはない」

「でしたらなぜ貴方はラーメン屋で食事を為されたのですか?」


 言葉に詰まる。

 舞からの突き刺さる視線など全く気にならない。

 ただ、いつそれを知ったのかが気になる。

 位置情報を掴んでいたのだろうが、それだけでは勇人がそこで食事をしたかはわからないはずだ。

 それなら考えられるのは三つ。

 一つは陽菜が教えた。

 次はラーメン屋の店主と総一郎が懇意である。

 最後はカマをかけている。

 どちらにしてもこれはしらを切った方が無難だ。


「いや、食ってないが」


 表情を全く変えず平然と嘘をつく。


「おかしいですね。店主からはしっかり食べたと聞きましたよ」


 どうやら、二番目だったようだ。


「私と彼は旧知の仲でね。これぐらいのことは当然ですよ」


 夜な夜な出歩く孫娘に対して何にもしてない方がおかしい。

 たぶん、スマホに位置情報を調べるぐらいはやっているだろう。

 こうなるとこれ以上誤魔化すのは愚策だ。


「確かに慣れない護衛で配慮が足りなかった点があった。真摯に反省し改善する」


 まるで、政治家だな。

 自分の言い回しに苦笑してしまう。

 勇人の意思の堅さを感じたのか総一郎は口元に手を当てる。


「そうですか。ならこの食事は私からの個人的なお願いではどうでしょう?」


 やはり、そうきたか。

 舞も困った顔をしてしまう。


「……あの、おじい様空木さんたちが困っています。私のわがままでこのような状況にするのは心苦しいです」


 どうやら、陽菜はそのぐらいの良識は備えているようだ。

 しかし、その顔には申し訳ないと思うと同時に一緒に食事できないことを残念がっていることが伺える。

 確かに結界がある以上不意打ちが仕掛けられても即座に反応できるだけの時間は稼げる。

 勇人はもう一度結界の状態を確認する。

 異常はない。

 二人と食事をするのは問題ないが……。


「はぁ……」

「空木さん?」


 こいつのそういう顔をされると弱い。


「……一度だけだ」

「え?」

「今回だけ一緒に飯を食ってやるよ」


 勇人の言葉に舞は驚き陽菜は表情を輝かせる。


「ちょっと良いんですか?」


 舞が耳元で小声で囁いてくる。


「仕方ねえだろう」


 このまま総一郎がこちらの意見を聞いてくれるとは思えない。

 不毛な対立を見せることは彼女の精神衛生上良いとは言い難い。

 とりあえず、条件をつけこの場を収める。

 受け入れない場合は流石に困るが、希望している陽菜はある程度物分りは良いはずだ。


「はい、私はそれで構いません。良いですよね、おじい様?」

「陽菜がそう言うなら構わないよ」


 よし、予想通り。


「なら、とっとと食おう。時間の無駄だ」


 勇人が席に着くと舞も慌てて続く。




 複数人との食事などいつぶりだろう。

 基本的に勇人は単独行動を好む。

 他人がいては力を発揮しづらいのだ。

 昨夜の暴れぶりを見ればなんとなく察することができるだろう。

 厭世的で歯に衣着せぬ言動も相まって誰かと食事をすることなどいつ以来か思い出せない。

 舞との関係もあくまで仕事の中でのことだ。

 互いのプライベートなどほとんど知らないし知ろうともしない。

 二人にとっての暗黙の了解だからだ。

 舞との付き合いは二年以上になるが勇人は彼女の経歴は全く知らない。

 それは舞も同じだ。

 ただの職場の同僚こそ二人の関係を表すのに相応しい。

 そんな私生活を知らない関係が覆るかもしれない。


「篠原さんはどこ出身ですか?」

「私は三重出身ですよ」


 かしましい女子トークは静かな食堂によく響く。

 会話に加わる気の無い勇人にとっては右から左に聞き流すが嫌でも頭に入ってくる部分はある。

 ご当地グルメや出身の芸能人、観光名所からテレビやSNSで話題になった事柄まで多岐にわたる。

 よく話題が尽きないな。

 食事をしつつ心の中で感心する。

 元々、ウマが合う上にコミュニケーション能力が高い二人なのでこうした結果は必然であり、コミュ障の勇人には理解できない世界である。


「ご馳走様」


 勇人はおもむろに席を立つ。


「空木さん?」

「部屋の外で護衛に戻る」


 それだけ告げるとドアを開ける。

 部屋を出た勇人は大きく息を吐き壁にもたれ掛かる。

 なんとかなったな。

 あの場にいれば根掘り葉掘り聞かれるのは間違いない。

 それは正直ストレスがものすごく溜まるので勘弁だ。


「まだ、二十四時間経ってないんだよな」


 これがいつまで続くかわからない状況に深いため息が漏れた。

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