第二章 蠢く影

第1話 彼女の朝

 私は私を知らない。

 あの日、目覚めた時から私は全てを失っていた。

 失くしたことすら忘れた私に喪失感もなければ懐かしさもなかった。

 そのはずだった。


「ここは……?」


 遠くには大海原が広がり背後には緑の山がある。

 周囲を見回すとまばらに建つ住宅と田園風景が見える。

 今までいた都心とは全く違う景色に戸惑う。


「これは夢?」


 まるでテレビで見る光景の中にいる気分だ。

 そして、それを認識できる時点でこれはきっと夢なのだろう。

 体の感覚のない私は誰かに引っ張られるように走り出す。

 古びた駄菓子屋や歴史を感じさせる神社、車一台が通れるような狭い道路。

 都心に住んでいる私にはこんな場所は縁がないはずなのに不思議と高揚感と胸を締め付けるこの切なさは一体……?

 この気持ちを理解できない私は流されるままこの町を歩き続けた。

 そうして、息が乱れるほど歩いた先で私は小さな公園に辿り着いた。

 公園といってもブランコや滑り台のような遊具は全くなく、あるのは使い古されたベンチがあるだけだ。

 そんな何もない場所に子供の歓声が聞こえる。

 顔を向けると小学校低学年ぐらいの男の子たちが野球をしていて、その周囲を同じぐらい女の子たちが応援している。

 楽しそうだなぁ。

 あの子達の顔は今この瞬間を全力で楽しんでいることがわかる。

 その光景に頬を綻ばせていると足元にボールが転がってきた。


「おーい、ボール取ってくれ!」


 二人の男の子が近づいてくる。

 男の子は私の顔をまじまじと見てくる。


「えっと……」

「君達、名前は?どこから来たの??」


 少年の質問に答えに窮していると隣にいたもう一人の少年が声をかける。


「まずは、自分の名前を名乗りなよ」

「あぁ、そうだった。俺は……」


 彼が自分の名前を名乗るがよく聞き取れない。

 もう一人の少年も同様だ。


「私は、天津陽菜」


 もう一度聞きなおそうと思った私は自分が勝手に喋ったことに驚き、すぐに理解する。

 これは私の過去でこの視点は幼い私のもの。

 思えば建物が妙に高く感じたのもそれが原因だった。

 では、この夢を見始めてからずっと感じてた切なさと高揚感は懐かしさを感じていたということになる。

 これが昔の私……。

 今まで感じたことのない感情に感慨に耽ってしまう。


「ねぇ、良かったら一緒に遊ばない?」


 片方の少年が手を伸ばすと私もおずおずと手を伸ばす。

 これが私の思い出なら目の前にいる少年達はきっと私にとって友達、もしくは特別な人なのだろう。

 この胸に残るあたたかな気持ちが証明してくれている。

 ただ、口惜しいのはもう目覚めそうと言う時なのに彼らの顔と名前がわからないということ。


「あぁ、目覚めたくないなぁ」


 私は名残惜しさを口にし目覚めの時を迎えた。




 明くる朝。

 時刻は午前六時を過ぎた頃。

 天津邸周辺はいつもと変わらない静かな朝を迎えていた。

 昨晩は大立ち回りを演じたはずの道路や遺体はその痕跡を一つも残していない。

 その処理を行った勇人は陽菜の部屋の前で壁に背を預けて立っている。

 昨日から始まった彼女の護衛は今日で二日目。

 今日から新学期で学校に登校する。


「めんどくせぇ」


 勇人から嘆息が漏れる。

 学校は陽菜と同じ年頃の人間が何百人と通う場所。

 昨日もそうだが勇人は雑音の多い場所は嫌いだ。

 そういうところに四六時中いるのはストレスが溜まる。

 加えて契約にある彼女の日常を尊重せよとある。

 もしこれを遵守するとなると護衛である勇人や舞が教室に入れなくなる。

 それどころか学校の敷地に入れてもらえるかも怪しい。

 幻想種の活動は基本的に夕方から夜だが決め付けはできない。

 もし、学校関係者を洗脳して襲わせでもしたらと思うと厄介な話だ。

 せめて教室の前にいさせて欲しい。

 毎度毎度暗示をかけるのは労力がかかる。


「たく、のんきなものだぜ」


 勇人は半開きになったドアの隙間から部屋の様子を見る。

 中では陽菜が侍女に櫛で髪をとかしてもらっている。


「お嬢様の髪はいつ見ても美しいですね」

「ありがとう。私もこの髪は気に入っているし、ちゃんと手入れしているつもりです。ですが、私はこうしてもらえる時は好きですよ」


 どこかの絵画か映画のワンシーンのような光景だった。

 目を細め背筋をピンと伸ばし行儀よく座っている姿は正に深窓の令嬢だ。

 加えて陽光に反射する輝く黒髪と彼女の持つ清純さや気品が神秘的な美しさを醸し出している。


「おやおや、女の子の部屋を覗くなんて行儀が悪いですよ」


 振り返ると舞がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。


「お前、ちゃんと休めたか?」

「いや、無視ですか。まあ、おかげ様でね」


 昨夜の戦闘が終わってから舞には仮眠を取るように指示した。

 勇人と違い普通の人間である舞は休める内に休んでもらわないと困る。

 舞の顔色を見る限り疲れはなさそうだ。


「話がある。場所を移すぞ」

「了解」


 勇人はその場を後にする。

 その背後から少女の視線を感じながら。




 二人は勇人が寝泊りしている客間に移動するとテーブルを挟み向かい合う。


「まず、昨日のことだが。何か変わった点はあったか?」

「変わった点ねぇ」


 舞は腕組みして思い出す。


「特に変わったことはないですねぇ。彼女の気持ちよさそうな寝顔を見ていたぐらいですねぇ」

「……緊張感ねえな」


 それだけ結界がきちんと機能していたと捉えるべきか。


「今朝、あいつが妙に機嫌よく見えるのはそれが原因か」

「え、何か言いました?」

「何でもねえよ、他には?」


 勇人の問い舞は首を横に振る。


「なら、今度は俺の方だな」


 昨夜の敵は巨人だったこと。

 敵が組織的に動いていること。

 ベルセルクと神の炎。

 神の炎が不自然な方向から飛んできたこと。

 勇人は昨夜の戦闘から得られた情報を包み隠さず話した。


「ベルセルクねぇ……と言うことはオーディンということでしょうか?」


 オーディン。

 北欧神話の主神にして万物の父と呼ばれる。

 魔法文字、ルーン文字の創始者にして戦争の神とも言われている。

 確かにあらゆる魔法に長けたオーディンならこの条件に合致するが……。


「どうかしましたか?」

「あまりに不自然だなと思ってな」


 オーディンは知識欲の塊だ。

 知識を得るために自らの片目を差し出すほどだ。

 知識と知恵。

 両方を兼ね備えた紛れもなく聡明な神だ。

 それがあんな馬鹿な巨人を使ってゴリ押しなどするだろうか。

 加えてベルセルクにされた連中の質だ。

 全員が素人であり普通の人間だ。

 オーディンは来たる滅びの予言『ラグナロク』に備えて強い戦士を求めている。

 配下の戦乙女ワルキューレたちに死んだ優秀な戦士を自らの館『ヴァルハラ』に連れて来させている。

 そのオーディンが偵察とは言え素人など使うだろうか?


「つまり、空木さんはオーディンではないと」

「断言は出来ないがな。そもそも北欧神話の神々は基本的に巨人と対立している。巨人たちも組むとは思えないが……」


 まあ、昨日の巨人がそれすらわからないほど馬鹿だったというのは否定できない。

 しかし、その巨人を従えていた奴がそう見せかけている可能性がある。


「じゃあ、貴方と同じ神威の可能性は?」

「それはない。つーか、お前は神威を勘違いしてないか?」


 舞の疑問を即否定した勇人には根拠があった。

 そもそも、神威は幻想種に操られた人間とは大きな違いがある。

 それは自意識の差だ。

 幻想種がこの世界に存在するためには三種類ある。

 単独顕現と憑依、そして契約だ。

 単独顕現はその言葉の通り自力でその存在を維持している幻想種のことだ。

 前回戦った牛鬼はそれにあたる。

 太古の昔、神が全盛だった時代なら信仰心と神殿などで千年でも二千年でも存在を維持できる。

 だが、それが薄れた現代では持って一年が関の山だ。

 憑依は人間や動物に乗り移ることだ。

 憑依された側はそのことに気づかず気づいた頃には手遅れはよくあることだ。

 では、神威はどうか。

 神威の場合は契約を結ぶ。

 互いに求めるものを差し出しあう対等な関係だ。

 幻想種は契約相手の肉体と引き換えに存在をこの世界に幻想種を繋ぎとめてもらう。

 契約した人間は幻想種の持つ能力、『権能』を行使することが出来る。

 一方的に乗っ取る憑依とはその辺が違う。

 しかし、幻想種と契約するには大きな準備が要る。

 最も必要なのは適正を持った者。

 幻想種を認識できそれを許容できる人間。

 これだけで相当数限られる。

 加えて幻想種と交渉できる能力。

 結局最後は幻想種が相手を気に入るかどうかである以上これは外せない。

 次に場所だ。

 幻想種は強い霊的な力の流れ、龍脈を持つ土地でなければ現れない。

 最後は祭器。

 どの幻想種を呼べるかはそれに関係する道具がなければならない。

 これらを必要最小限とし、周囲への被害や外部への情報漏洩への対策をしなければならない。

 それだけの行動を取っても幻想種と契約できないこともある。


「ここまでは常識だろう?」

「そんなのわかってますよぉ。ただ、私たちの知らない神威が暗躍している可能性だって否定できないでしょう?」

「儀式を行うには大量の人間、機材がいるんだよ。それを察知できない組織じゃないんだよ」


 今の時代は情報収集能力、伝達能力は極めて発達している。

 例え地球の裏側にいようと怪しい動きは筒抜けだ。

 それぐらいの情報収集はできるし、神威の出現は他の神威が感知してしまう。

 ここ数年、新しい神威の誕生の報告はない。

 現在いる神威にそのような願望を抱いている奴はいない。


「それと敵の頭目は古の秩序を新たに作り出すと言っていた」

「古の秩序って神代を復活させるってこと?」

「おそらくな」


 神代。

 それは神、神の恩恵を受けた人間によって支配された時代。

 多くの野心的な幻想種が目指すところとして有名だ。

 その時代を生きた人間ではないからわからないが、幻想種の力は今より数段上らしい。

 人権など一部の特権階級にしかなく、今より命の重みはずっと軽かったようだ。

 現代の日本人がその状況に陥れば半分は死ぬと言われている。

 世界の人口にすれば更に減るとか。


「どっちにしろ、野放しにしていい問題ではなさそうですね」

「あぁ、奴らがなぜアイツを狙うのかわからないが、どの道俺たちが戦うことになっていただろうな」


 一応、二人の所属する組織は人々の生活を守るためにある。

 人に害なす存在を排除するのは当然の仕事だ。


「警察からはなんかないのか」

「あったらこんな苦労ないです」


 舞はため息をつき背もたれに体を預ける。

 正直、今の段階でわかっていることはない。


「手詰まりだな」

「ですね」


 話が終わり沈黙が流れる。

 互いに妙案がない以上ここで話すことに意味はない。

 今は情報を集めるしかないと言おうとした時だった。

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