とある女の忘却録(後編)

 そう言われて迎えた午前二時前。

 正直、私騙されているんじゃないかと時間がたつ毎にどんどん強く感じてます。


「すみません、彼すごく口下手だから――――――」


 ――――――でも、悪い人ではないんですよ。

 同行してくれた篠原さんは苦し紛れをフォローをしてくれたが……。

 ごめんなさい、それ身内が出すフォローとしては最低だと思います。


「いえ、いいんです。全然気にしてないです」


 そう、私が気になるのはこの場所で待機するということの意味だ。

 ここにいれば何が起こるのかと空木さんも篠原さんも答えてくれない。

 二人ともその時になればわかるとだけ言った。


「奥村さん、のど渇いてませんか?私、コーヒー買ってきます」


 そういうと、篠原さんは走って行ってしまった。

 私の返事を聞かずにだ。

 はぁとため息を漏らし、都会のネオンをぼんやりと見つめる。

 こんなにきれいだったっけ?

 社会人になってから仕事に忙殺されてこんな風に東京の街を見ることなんてなかった。

 そう言えばこの問題を解決したらどうしよう?

 既に仕事はやめたから再就職はするつもりだけど、前の会社と同じ業種は嫌だな。

 一旦実家に帰ってそれから考えようかな。

 なんてことを考えるだけ、ちょっとだけ心に余裕ができたかもしれない。

 そう考えると相談しただけでも価値はあったかもしれない。


「まあ、それでも治らなきゃ意味ないんですけど」


 それにしても篠原さん遅いなぁ。

 どこまで行ったのかな?

 コンビニにしろ、自販機にしろそう遠くにはないはずだ。

 もう二時過ぎなんだけど。


「もし」

「え?」


 振り返ると濡れた長い髪をした女性が赤ん坊を抱いて立っていた。


「あの、何か?」


 突然、髪で目元を隠した見知らぬ怪しい女性に話しかけられ思わず後ずさる。


「この子が泣き止まないんです。どうか抱いてくれませんか?」

「え、いやあの……」


 困惑する私に対して女性は赤ん坊を押し付け海の中に消えてしまった。

 一体、何なの……ってあれ入水自殺じゃない!?

 一瞬呆然としていたが事の重大さに気づいた私は急いでスマホを取り出そうとした時、目の前の海から大きな水しぶきが上がった。

 出てきたものを見て私は言葉を失った。

 大型トラック並の大きさの牛の頭に胴体はクモの化け物がそこにいた。

 逃げなきゃ!

 しかし、体が思うように動かない。

 なぜか抱いていた赤ん坊が石に変わっていた。


「ようやくだ」


 化け物が口を開く。


「貴様ら一族封印されて数百年。ようやくこの恨みを晴らす時が来た」

「封印?恨み?何のこと……」

「貴様が知ることのない話だ!!」


 化け物が襲い掛かってくる。

 複数の人間を丸呑みにできるだろうその大あごで。

 もう逃げれる距離ではない。

 声は出ない。

 恐怖と混乱の中では涙も出ない。

 私は目を閉じ来るであろう痛みに備える。

 ズドンと大きな音と風圧がするが痛みがしない。

 一体何が起こっているのかわからず恐る恐る目を開けると化け物口が私の一メートル程手前で止まっていた。

 見上げると化け物と私の間に立っている人がいた。


「待たせたな」


 その人……空木勇人さんは不敵な笑みを浮かべて振り返ってきた。


「いよっと」


 空木さんは軽く押すと化け物は数十メートル吹っ飛んでいった。


「無事みたいだな」


 ポカンと口を開いている私に空木さんは声をかけると、重石となっている石を無造作に投げ捨てた。


「おい、篠原。クライアントのことを頼むぞ」

「はいはい、奥村さんこちらです」


 いつの間にか現れた篠原さんがこっちに手招きしていた。


「いやぁ、間一髪でしたね。でも、もう大丈夫ですよ」


 後は空木さんが何とかしますから。


「あの、舞さんあれは一体?」


「あれは牛鬼うしおに。近畿、中国、四国、九州などに伝承を持つ幻想種の一体。その性格は獰猛で人を襲う危険な存在です。先程のように濡れ女という妖怪に化けて赤ん坊に見える石を押し付けて動けなくなったところを襲う狡猾なところもある厄介な相手です」

「幻想種?」

「天使や悪魔と言ったこの世で空想の産物と呼ばれる存在の総称。でも、彼らは確かに存在します。この世界の裏側、精神と魂で構成された『鏡界』で生きています。私たち零はそれらを討伐する組織」


 私は空木さんの方を見る。

 まるで、映画を見ている気分だ。

 彼はあの牛鬼の巨体を相手に一歩も引かず渡り合っている。


「貴様、一体何者だ?」


 素手の人間に押されていることを解せないのか牛鬼が質問する。


「俺は神威かむいだ。それ以上お前に何も語らない」


 カムイ?

 言葉の意味はわからないが彼の強さの秘密なのかもしれない。

 普通の人間があんなの素手で渡り合えるはずがない。

 それはあの牛鬼も感じているはずだ。

 そんな状況に痺れを切らしたのか牛鬼は両前足で突き刺そうとする。

 しかし、空木さんは懐に飛び込み強烈なアッパーカットが炸裂した。


「終わりだ」


 ひっく返った牛鬼にすかさず放たれた拳はその体を消し飛ばすほどの威力だった。

 吹き上がる水しぶきと肉片がシャワーとなり空木さんを濡らしている。


「やったの?」


 さっきまでいた化け物は跡形もなくなっている。

 終わったと見て良いのだろうか?

 そう思っていると上空に見覚えのある黒い影が集まっていた。


「愚かなり人間。我が体を滅ぼしても無駄だ!この身がなくとも貴様の体を乗っ取ってくれるわぁ!!」


 影が一斉に降ってきて空木さんを飲み込んで行った。


「空木さん!」


 私が前に出ようとした時篠原さんが手で静止する。


「問題ないですよ。だって彼は神威であり……」


 プレデターですから。

 意味がわからず影に飲まれた彼の方を見た。


神格解放しんかくかいほう!」


 その言葉と共に天を貫くように細長い何かが伸び上がっていく。

 街の灯に照らされたそれは獲物を咥えたままトグロを巻い天高く昇っていく。


「これはまさか……思い出したぞ!人の身でありながら我ら幻想種と契約しその力を行使する者達のことを……。そして、この幻想種はぁ!!」

「時に悪魔と怖れられ、時に神として崇められし存在。災厄さいやく恩寵おんちょうを供えしその幻想種の名は……」


 ――――――竜!

 牛鬼の言葉を篠原さんが継ぎ答える。


「終わりだ」

「や、ヤメロォ!」


 虚空に手を伸ばし握りしめる。

 それに呼応するかのように竜は牛鬼を飲み込んだ。


 さっきまでの戦いが嘘のように静寂がこの場を包んでいる。

 まだ胸の鼓動が治らない。

 腰が抜けて動けない。

 こんな経験人生で最初で最後のことであってほしいと心から思えてならない。


「安心しな。幻想種と二度会うなんてまずないよ」


 私の心を読んだかのように空木さんは近づいてきた。


「しっかし、アンタも災難だな。アンタのご先祖が封印した牛鬼が復活し、アンタを襲うなんてそうそうねえことだよ」

「どうして私が狙われたんですか?」

「そりゃ、簡単だ。アンタが一番無防備だからさ」


 身もふたもないことを言ってくれる。


「なに、安心しろ。アンタは今日のことなんてキレイサッパリ忘れるんだからな」


 彼が私の顔の前に手をかざした瞬間私の意識は闇に沈んだ。


             *****


 事件は無事解決したが、現場は機関の職員達による後片付けが行われていた。


「お疲れ様、空木さん」


 その様子をぼんやり見つめる勇人に舞が飲み物を差し出してくる。


「悪いな」


 渡されたものを見て勇人は口をつけずに放っておく。

 それを見て舞はニヤニヤと見つめている。


「何見てんだよ?」

「いえ、まだコーヒー飲めないんだなぁって」

「うるせぇ」


 勇人は振り向かず悪態をつく。


「片付いたようだな」


 そこに一人の老人が現れる。


「藤木さん」


 藤木源ふじきげん

 かつて幻想埋葬機零の元局員にして奥村美智子を紹介した人物である。


「あぁ、記憶処理もしっかりしたよ」

「すまないな。本来なら私が解決すべき案件だったのだが」

「気にしないでください。これが彼の仕事ですから」


 舞が勇人の言おうとしていたことを奪っていったが実際その通りだ。

 牛鬼は本来、専門家が複数いて初めて対処できるレベルだ。

 あの巨体に加え、いくつもの伝承を持つ存在。

 勇人にやろうとしていた乗っ取りもその一つだ。

 わかりやすく言えば軍の特殊部隊を要するような大物なのだ。

 それを一人でねじ伏せる神威たる勇人がおかしいのだ。


「篠原の言う通り俺はあくまで俺の仕事をしたまでだ。アンタが気にする話でもない。まあ、代金は相応のものをもらうがな」


 ニヤリと笑う勇人に藤木はふっと小さな笑みが零れる。

 そんな緩んだ空気の中、一本電話が鳴る。


「もしもし、篠原ですが……はいわかりました。すぐに向かわせます」


 要件は聞かなくてもわかっている。

 勇人はげんなりした顔で舞に訴える。

 しかし、舞にも辞令を正式に伝える仕事がある。


「空木さん。どうやらまた近くで幻想種が出現して至急討伐するようにですって」

「ちっ!めんどくせぇなぁ……」


 勇人は口をつけていない缶コーヒーを藤木に押し付けその場を離れる。


「いくのか?」

「あぁ、思い上がった馬鹿を食ってくるよ」


 言葉は確かに煩わしげだが、その目は飢えた捕食者のような確かな凶暴性が宿っている。

 言葉は不要。

 自らの力でもって強者のあり方を示すただそれだけのことだ。

 それが分かっているから藤木は何も言わずただ狩の対象となった幻想種を内心憐れむだけのことだ。

 この物語は人と人ならざる者の因業を断つ物語である。

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