第一章 昼と夜の少女

第1話 辞令

 過去もなく未来もない。

 空木勇人の人生はそんなものだ。

 この夢のように吹き荒ぶ荒野みたいに何もなく視界も見えない。

 だから、勇人は前も後ろも見ない。

 ただ、目の前のことに専心する。

 それだけだと自らに言い聞かせる。

 後ろにあるものも目の前にいる白い着物を着た老人もだ。

 それが何を意味するかは誰も何も答えない。


          *****


 目が覚めると自分の部屋だった。

 今の時間は、七時二十三分四十二秒。

 勇人は時間を確認しながら体を起こすと頭の中を整理する。

 彼が仕事を終え、汚れを落とすためにシャワーを浴びてから自らの宿舎に帰ってきたのは夜が白み始めたころだった。


(睡眠時間は二時間十分十五秒か、仕事明けにしては眠れたほうか)


 カーテンを開けると朝日がベットとテレビしかない部屋を照らし出す。

 物欲のない彼にとってテレビがあれば十分だった。


「さて、何しようかねぇ」


 今日は珍しく非番だ。

 しかし、趣味らしい趣味がない勇人にとってオフというのは何をすればいいのかわからない。


「とりあえず、飯にするか」


 やることがないのなら考えなければいい。

 そんなことを考えながら外に出る。

 勇人の家には調理器具はない。

 冷蔵庫の中に食材がないのも知っている。

 今度補充しておくか。

 そんなことを思って外に出ると、舞が玄関の前に立っていた。


「何のようだ?」

「あの非番なのはわかっていますが、本部からお呼びです」

「あいつが?ならパスだ」

「えぇぇ!?」


 話は終わりだと勇人はその場を後にしようとするがすぐに舞が裾を掴んでくる。


「待ってくださいよぉ。私、規則違反で解雇されちゃいます!」

「良いじゃねぇか。こんなブラックならぬ闇企業なんかとっとと辞めちまえばいい」

「確かにそれは名案かも……ってそういうわけにもいきません!ほら、ここに辞令書も届いているんですから!!」


 舞が突きつけてきた書類に目を通す。


「…………行くぞ」

「え、行くってどこに?」

「あの陰険クソ野郎のとこに決まっているだろ!」


 勇人が宿舎の外に出ると一台のタクシーが停まっていた。

(用意がいいな)


「待ってくださいよぉ」


 勇人は後ろから聞こえてくる舞の声を無視しタクシーに乗り込んだ。


            *****


 幻想埋葬機関零の本部は都心の高層ビルの一室にある。

 受付を済ませ局長の部屋に案内される。

 部屋の広さは都心の一等地に相応しいものとなっているが、それに不釣合いな程荷物がない。

 あるのは机とその上に乗せられたいくつかの書類だけだ。


「時戸局長。空木、篠原参りました」

「ご苦労」


 舞がそう言うと書類に目を通していた男が立ち上がる。

 男の名は時戸善治ときどぜんじ

 幻想埋葬機関零の長であり勇人たちの上司である。

 その容姿は彫の深い長身痩躯。

 切れ長の瞳と端正な顔立ちは異性を魅了する要素を備えているが、その目はおよそ感情を感じさせず冷たく威圧してくる。


「よぉ、クソ上司」

「貴様は一度、敬語を学ぶことを勧めるよ」

「生憎俺は学がなくてね」


 そんな威圧を物ともせず悪態をつく勇人とそれを嗜める善治。

 両者の間に一食触発の空気に包まれる。


「局長、あの今回の任務について詳しい説明を頂けないでしょうか?」


 不穏な空気を感じ取り舞がすばやく本題に入るように促した。


「詳しい説明も何もない。空木勇人、篠原舞。両名には天津総一郎の孫娘天津陽菜の護衛を命じる。それだけだ」

「それがおかしいんだ。俺たちはんな慈善事業する組織じゃねぇぞ」

「幻想種の討伐も立派な人助けだ。ついて来い、依頼主の屋敷で説明をしてやる。もっともお前がやらないというなら見ず知らずの誰かに頼むだけだが?」

「ぐ……」


 痛いところをつかれ勇人は黙ってしまう。


「さて、依頼主の元に向かうぞ」


 話は終わりだと善治は部屋を出て行くと、後に続く舞は勇人の顔を一瞥してから善治を追う。

 残された勇人は拳を強く握り奥歯をかみ締める。


「あぁ、クソ!」


 やり場のない怒りを声に乗せ、勇人は外に出た。


           *****


 車に乗った時点で勇人の気持ちは切り替わっていた。

 舞に渡された書類に目を通し依頼主のプロフィールを頭に叩き込む。

 天津総一郎。

 日本を、世界を代表する企業天津コーポレーションの創始者だ。

 その天才的経営手腕とカリスマ性で一代で世界有数の企業に育て上げた男だが、現在は高齢を理由にトップの座を退いている。

 しかし、その発言力、コネクションは今も政財界に強い影響力を残すと言われている。


「局長、質問よろしいですか?」

「なんだ?」

「なぜ、天津氏は我々に依頼してきたのでしょうか?」


 舞の質問に勇人も心中同じ疑問を抱いていた。

 およそオカルトに縁のない男がどうしてこちらに依頼してきたのか?

 この業界は政財界から一般人、果ては反社会的勢力からも胡散臭い目で見られている。

 宗教的な面が薄く、独特な精神性を持つ日本はそれがとくに顕著であり海外における本物のエクソシストのような存在は極端に少なく、いてもまがい物ばかりだ。

 本気で信じているような信心深い人かそれに縋るような人間を食い物にする連中が多く、本物は表立って看板を出したがらない傾向が強いこの業界が懐疑的な目で見られるのもしょうがない。

 故に勇人の組織に個人からの依頼はまずなく、あったとしても同業者からの紹介がほとんだ。


「元々、とあるVIPからの依頼でな」

「VIP?」

「あぁ、内閣総理大臣だ」

「え……?」


 あまりの大物に聞いた舞が絶句する。


「私と総理は議員になる前から旧知の中でな。その総理も天津氏と個人的にコネクションがあるらしく私に相談を持ちかけたということだ」

「そもそも、総理と個人的な面識がある時点で驚きです……」


 舞は冷や汗をかきながら声を震わしていた。


「で、俺にクライアントの孫娘のボディーガードってのが腑に落ちないんだがな」


 勇人は不機嫌な声で口を挟む。

 無理もない。

 今回彼に与えられた任務は要人警護。

 それは彼にとって初挑戦のことである上にいくつもの制約が課せられていることだ。

 まず一つに護衛である以上、相手の無事を最優先にすることだ。

 今まで勇人が行ってきた仕事は幻想種の駆除であり殲滅だ。

 守りより攻めに特化しており、速戦即決を目指すことを基本にしている。

 しかし、護衛になればそうはいかなくなる。

 倒すべき相手は見えないし、護衛対象から離れる訳にはいかない。

 あまり、気の長い方ではない勇人にとってこれは苦痛だ。

 次に周囲の状況に対する配慮だ。

 神威である勇人の戦闘力は重火器など軽く凌駕する。

 本来の力を出し切れば東京を壊滅させることも十分可能なのだ。

 いわば歩く核弾頭。

 それを守るべき相手を巻き込まないように調整するのは至難の業だ。


「なら、この仕事断るか?」

「断れない状況にしたのはどこの誰だよ」


 そう、この仕事は誰にも譲ることは出来ない。

 決意を固めた勇人の視線の先に大きな建物が見えてきた。

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