第6話 なくした記憶

 早すぎたか?

 時刻は正午を過ぎようとしている中、校門の前で待つ勇人は携帯を取り出す。

 既に舞から学校案内で遅れることは聞いている。

 まあ、そのうち来るだろう。

 存在感を消している勇人は校門をくぐる生徒たちに目をやる。

 まだ残暑の厳しい九月。

 多くの生徒が大粒の汗を拭いながら思い思いの方法で帰宅していく。

 中には自家用車で迎えに来てもらっている生徒もいる。

 そう言えばアイツの家から迎えの車は来てないな。

 黒い長袖のスーツとワイシャツを着ながら汗一つかかない勇人はふと疑問に思った。

 あの孫煩悩の総一郎が迎えを出さないことなど考えられない。

 単純に遅れているのであれば問題ない。

 もし来ないのであればおそらく陽菜の方が何かしら用事があるのだろう。

 それはできればやめて欲しいんだがな。

 希望的観測を求めていると陽菜と舞が現れる。


「お待たせしました」

「おう。篠原、例の件を頼む」

「はいは-い。承りました。では、陽菜ちゃん、また後で」

「あ、はい」


 舞は手を振り笑顔で去っていく。


「舞さん、どうしたんですか?」

「野暮用だ。ところで、お前は何かあるのか?」

「え?えぇ」


 やっぱりか。

 驚きながら肯定する陽菜に勇人は内心ため息をつく。

 予想していたこととは言えこういう状況ではあまり出歩いて欲しくない。

 しかし、それらから守るために自分がいると言われればそれに従うしかない。

 不毛な口論をする気はない。

 目的を終えてさっさと帰りたいのが本音だ。


「で、どこにいくんだ?」

「行きつけのお店で昼食を取ろうかと思います」

「昨日の店か?」

「今日は行かないですよ。案内するのでついて来て下さい」


 二人が向かったのは学校から最寄の駅だった。

 駅の近くにある商店街はシャッター通りになっている。

 いくつか開いている飲食店には客足は少ない。

 そんなお昼時の疎らな人通りを見て勇人は思う。

 立地条件は悪くないと思うがな。

 経済の専門家ではない勇人から見ても目の前に駅があって近くに学校があるというのは立派な商機だと言える。

 その辺の理由は考えても無駄なのでやめることにした。

 陽菜は一本の細い道に入る。

 おいおい、こんな路地裏に何の用だよ?

 既に昨夜の菜月の一件で前科があるので勇人は警戒感を高める。

 人気のない道の先には小さな喫茶店があった。


             *****


 店の外観は築何十年という感じでレトロと言えばそうだが、この場合は古ぼけたという方が正しい。

 外から店内の様子はわからないがとても繁盛しているようには見えない。


「着きました」


 どこぞの一見さんお断りの店に陽菜は迷わず入っていく。

 おいおい、こいつこんな店に行き慣れているのかよ。

 勇人は驚きつつ陽菜の後についていく。 カランカランと鈴の音が響くドアを開けると薄暗い店内が広がっていた。

 客は全くいない。

 店員もなく店長と思しき老人が食器を拭いているだけだ。


「おや、陽菜ちゃん」

「こんにちは、マスター」


 老人は柔和な笑みを浮かべ以下にも好々爺といった風で陽菜を迎えてくれる。

 陽菜は挨拶をすると定位置と思われる窓際の角の席に移動する。


「ここのマスターはおじい様と懇意にしているので私もよく通わせてもらっているんです」


 陽菜にとってここは落ち着ける場所の一つらしい。

 確かに、商店街から一つ路地に入ったこの場所は人の近くにありながら隠れ家のような場所になっている。

 人の喧騒から離れた小さなオアシスと呼ぶべきこの店の雰囲気は慣れてしまえばリラックスできることは間違いない。


「陽菜ちゃん、その人は彼氏かな?」


 水とおしぼりを持ってきたマスターは唐突に陽菜に聞いてくる。

 それを聞いた陽菜は言葉につまり視線があらぬ方向に向く。


「ま……マスター、突然何を言い出すんですか?」

「いや、陽菜ちゃんが男性を連れてくるなんて珍しいと思ってね」

「いえ……その、空木さんと私はそういう間では……」


 明らかに狼狽している陽菜の様子に老人は微笑ましく見つめている。

 このままあらぬ誤解をされても困るから勇人は口を挟む。


「俺はこいつの祖父に雇われたボディガードだ」


 顔を赤くしながら、妙にたどたどしい陽菜の言動を尻目に勇人は簡潔に自分たちの関係を答える。

 それを聞いたマスターはそうですかと残念そうな顔をし、陽菜は少し不満げな顔をする。


「マスター、ハヤシライスをお願いします」

「はいはい、ボディガードさんは?」

「……オレンジジュースで」

「うん?すまんがもう一度言ってくれないかね」


 ぼそりと小声で言ったせいか高齢のマスターは聞き取れなかったらしい。

 言わなきゃよかったか?

 流石にもう一度言う気にはなれない。

 ここは水で十分だと言い直そう。


「いや、注文は……」

「オレンジジュースだそうですよ」


 何言ってんだお前……。

 聞こえないぐらいの声で言ったつもりだったが、それを拾われていた。

 取り消そうとマスターの方に向くと、既に奥に引っ込んでしまった。


「あの、言ってはいけないことでしたか?」

「構わねえよ」


 陽菜は若干気まずそうな顔をしているが、勇人にとってはもう過ぎたことだ。

 あまり、公言したくない事柄ではあるが、聞かれて何か支障がある訳ではない。

 そう自分に言い聞かせながら立ち上がった勇人は店内に置いてある今日の新聞を手に取る。

 それを見た陽菜はカバンにしまっておいた文庫本を取り出す。

 料理が出来るまでの間、二人は静かにそれぞれの時間を過ごす

 新聞の一面の政治についてだが関係ないので無視。

 スポーツ欄をさっと開くと地元の野球チームの敗北がデカデカと載っている。

 こりゃ、優勝は大分苦しくなったな。

 シーズン終盤を迎え各チームの順位や個々の選手の成績にぼんやりと考えていると料理が届く。

 マスターが持ってきたことを見ると他の店員がいないようだ。

 ごゆっくりと言ったマスターの顔はどこか生暖かいものだった。

 さっき否定しただろう、このジジイ。

 まるで、お見合いの時の親のような気の使い方をするマスターに多少癇に障った。

 そこで腹を立ててもしょうがないので気を紛らわせるジュースに口をつける。


「それにしても意外ですね」

「何がだ?」

「てっきりコーヒーや紅茶を頼むものだと思っていました」

「俺はああいうの苦手なんだよ」


 勇人にとって紅茶や緑茶はまだしもコーヒーは全くダメなのだ。

 理由はごく単純に苦いからだ。

 中途半端に砂糖やミルクを使っても気持ち悪いだけだ。

 憮然とした表情でそっぽを向く勇人に陽菜は一瞬目を丸くしてからくすりと笑った。


「意外と子供っぽいんですね」

「何とでも言え」

「くす、ごめんなさい」


 謝罪すると陽菜はいただきますと手を合わせる。

 食べ終わるまで静かな時間が続く。


「ご馳走様でした」


 再び手を合わせお礼の言葉を述べる。

 その様子をじっと見つめる勇人。


「あの……何か?」

「いや、それで足りるのかと思ってな」


 昨日の超盛を食べていた時と比べてこのハヤシライスは一般的な量だ。


「私、そんなに食べないですよ」


 今朝もそうでしたよね。

 そう言われると朝食も今と変わらない量だった。


「すまない、女子は甘いものは別腹だとよく言われるのでな」


 特に舞はその傾向が当てはまる。


「あぁ、言いますね。でも私はそういうタイプではないですよ」

「甘味は苦手なのか?」

「好きですよ。ただご飯の後に食べるほどではないというだけです」


 それに食べ過ぎるとすぐ太りますしね。

 いたずらっぽく微笑む陽菜。


「空木さんは甘いものはどうですか?」

「嫌いではない」


 勇人はソファに座りなおす。


「和と洋。どちらのお菓子が好きですか?」

「和菓子だな」


 チョコレートやクリームよりあんこの方が好ましい。

 どら焼きや饅頭などは事務所のお茶請けとしてたまに舞が用意してくれた。


「好きな食べ物は何ですか?」

「特にねえな」


 強いて言うならカロリー高いものはよく食べる。


「偏った食事は健康を害しますよ」

「関係ないね」


 勇人にとって食事とはある条件を除けば嗜好品と大差ない。

 これを説明する気がない陽菜は不満そうな顔をする。


「医食同源とも言います。そういう食事に気を使わないと将来どんな病気になるかわかりませんよ」

「それについては問題ないな」


 そもそも、勇人は自分の将来を見たことはない。

 しかし、これだけはわかっている。


「俺はろくな死に方できないからな」


 話は終わりだと勇人はジュースを飲み干し新聞に目を移す。

 それに陽菜は釈然としない表情を浮かべるのだった。

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