第7話 未遂

 喫茶店を出た二人はその足で商店街の外に出る。


「今度はどこに行くんだ?」

「公園ですよ」


 閑静な住宅街に晩夏を知らせるツクツクボウシの鳴き声が聞こえてくる。

 それでも夏の強い日差しがアスファルトに照り返し蒸し風呂状態になっている。

 その暑さに道行く人は皆汗を拭う。

 それは陽菜も例外ではない。


「空木さんは暑くないんですか?」


 隣で上着をまとったまま汗一つかかない勇人に疑問をぶつける。


「出来が違うからな」


 そう神威である勇人にとって灼熱の砂漠も極寒の南極も関係ない。

 もちろん詳しい説明する気のないことだが。


「中に扇風機でも入っているんですか?」


 どこかの作業服はそういったものがあるらしい。

 それを連想したようだ。

 残念ながら勇人の着ている服はそういった機能はない。

 あるのは衝撃吸収など戦闘を想定したものだ。


「俺のことはいいんだよ。ほら着いたみたいだぞ」


 勇人が指差した方向には目的地であろう公園があった。

 中では小学校低学年ぐらいの子供たちがはしゃいでいた。

 子供に見つかると面倒なので勇人は暗示をかけてその場を離れる。


「あ、陽菜お姉ちゃん!」


 陽菜が公園に入ると子供たちが駆け寄ってくる。


「皆、元気にしていた?」


 陽菜の言葉に子供たちの元気な声が聞こえてくる。

 それぞれが陽菜の気を引こうとアピールしてくる。

 彼女はそれに引っ張られるように公園の中心に移動する。


「のんきなものだな」


 公園の外からその様子を見つめていた勇人はため息を漏らす。

 自分が狙われているということを自覚しているのだろうか?


「それは今更か」


 彼女は何も知らない。

 総一郎が口止めしているからだ。

 昨日の昼と夜のやり取りがその象徴だ。

 困った顔とうんざりした顔だ。

 彼女たちからすればまた同じことを言っているとしか感じてないだろう。

 日常的なことだけ言って本質的なことを伝えていない。

 そうして自分の立場を隠すことで無用な心配をかけないように配慮する。

 それ自体は間違ってない。

 しかし、それは時と場合にもよるだろう。

 早く現実を教えて自分の立場を理解させるべきだ。


「ただ、口で言っても信じてくれないだろうな」


 天使や悪魔といった存在をいきなり信じろと言われて出来る人間は少ないだろう。

 何せ普通の人間には見えない存在をどうして肯定できるというのだ。

 人間は目に見えるものを信じる。

 俗に言う目に見えないものとは洞察力と想像力がどれだけあるかの差だ。

 しかし、こちらはそうはいかない。

 本来なら見えてはいけないものなのだ。

 それを肯定させることはとても危険だ。

 幻想種を一度認識してしまうと幻想種を引き寄せやすくなる。

 仮にこの事件を解決してもそうなってしまうと大変危険だ。

 ならばこのまま状況を維持すべきか?


「そいつはめんどくせえな」


 しかし、それが今後のことを考えると最善であることは感じている。

 ふと公園を見やると陽菜が日陰で子供たちに物語を読み聞かせていた。

 芝生に座り込み開いた絵本を膝に載せる。

 集まっている子供たちは皆一様に彼女に視線を集める。

 そんなのどかな日常の光景の象徴がそこにはあった。

 勇人は近くの木に体を預け目を閉じる。

 余計な思考を止め心を無にし精神を研ぎ澄ませる。

 五感を超えた第六感で世界を知覚する。

 そうすることでいかなる状況にも対処できる。

 昔、誰かから教わった言葉だ。

 視界より広く全方位に感覚のレーダーを広げる。


「お?」


 人間の気配だがどこか異質だ。

 これはもしかして……。

 この場を離れるのはまずいかも知れないが放置も出来ない。


「神格解放」


 場所は十階建てのマンションの屋上。

 手を膝の上に置き四肢に力を込める。

 勇人の体躯が突風の様に駆け抜ける。

 塀に足をかけその勢いのままに民家の二階の屋根に飛び上がる。

 もう一度力をため正面にあるマンションに向かって大ジャンプする。

 長い滞空時間の先ではこちらを見張っていた人間たちが驚愕の表情を浮かべている。

 勇人はその隣に静かに着地する。


「お前ら何者だ?」


 相手はフードを被った二人組みだ。

 一瞬漏れた声と体躯から二人とも男だろう。


「ずっとこちらを見ていたようだがどういうつもりだ?」

「「く、燃えろ!」」


 有無を言わせず男たちがかざした手から火の玉が飛び出す。


「もう一度聞くぞ。お前らは何者だ?」


 普通の人間なら焼き尽くされるその業火を浴びて勇人は平然としている。

 その様に男たちは一瞬怯んだがすぐに不敵な笑みを浮かべる。


「かかったな。貴様がそうしている間に我々の仲間があの女を捕らえている」

「仲間?こいつらのことか」


 勇人は路上にポイ捨てすように腕を振ると男たち目掛けて別働していた仲間が飛んできた。


「な!?」


 もみくちゃになりながら男たちは目を見開く。

 相手が神威だということは知っていた。

 しかし、それにしても限度がある。

 相手はこちらの策を看破した上でそれを防いだ。

 しかも、こちらに来てから勇人は一歩も動いていない。

 神威はデタラメだと聞いていたがここまでとは思わなかった。

 だが、ここで捕まる訳にはいかない。


「く、炎よ。奴を焼き尽くせ!」


 起き上がった四人が古びた本をかざし一斉に炎を放つ。

 その火力は鋼鉄を一瞬で溶かす程だ。

 しかし、それが直撃しても勇人は歩いて近づいてきた。


「ば、ばけも――」

「うるさい」


 勇人の四発の拳が男たちの鳩尾に正確に突き刺さる。

 それだけで男たちはなす術なく地面に倒れこむ。

 転がった本を拾う。

 中を開くとラテン語でびっしりと書かれている。


「魔道書か」


 魔道書とは魔法について書かれた本だ。

 人間は魔法や魔術を使うことは出来ない。

 それらを発動させるためには自らの体内にある魂の力を引き出さないといけない。

 それを出来る人間は相当数絞られる。

 魔道書はその術を発動させ増幅させる補助アイテムだ。

 そんなもの普通に手に入るものではない。

 どこか裏のルートから仕入れたと考えるのが無難だ。

 しかし、入手経路など勇人からすれば大した問題じゃない。


「まず、こいつらの素性を調べねえとな」


 勇人は昨日の巨人と同じ要領で記憶を読み取ろうと手をかざす。


「ん?」


 何も読み取れない。

 まさか殺してしまったかと思ったが男達は失神して痙攣している。

 死人であるなら記憶は読めないが気絶している場合は関係ない。

 記憶を見ることは夢を見ることに変わりないからだ。

 しかし、今回の相手はまるで靄がかかっているかのよに記憶が見えない。

 どうやら記憶が読まれないように何かしら細工を施しているようだ。

 無理矢理解除することも可能だが相手を廃人にしてしまう恐れがある。

 そうなってしまうと記憶を辿るのは不可能だ。


「しょうがねえ」


 勇人は携帯を取り出し機関の本部に連絡する。

 餅は餅屋という言葉がある。

 尋問には尋問のスペシャリストに頼むのが手っ取り早いのだ。

 場所を告げると五分もしないうちに機関の職員が男たちを回収していった。


           ******


 太陽が傾き空が茜色に変わる。

 それは子供の時間の終わりを告げるものだ。

 子供たちは親に連れられそれぞれの家路につく。

 それをどこか羨望の眼差しを向ける陽菜がいた。


「ほれ」


 勇人は途中の自販機で買ってきた紅茶を渡す。


「あ、ありがとうございます」

「気にするな、熱中症になるしな」


 そう言うと勇人は自分の缶ジュースを開ける。

 甘い乳酸飲料を一気に流し込む。


「空木さんは子供のころはどんな人でしたか?」


 貰った紅茶も口をつけず尋ねてくる。


「さあな、今のようなクソガキだったんじゃないか?」


 昔のことはよくわからない。

 自分が神威になる前後のことはよく覚えている。

 だが、それより前のことはおぼろげだ。

 神威になってからいくつもの死線をくぐり抜けてきた。

 だが、そうする度に人間だった頃の自分がなくなっていく。

 それに対する後悔も寂しさも微塵もない。

 だから、そんなこと考えたこともなかった。


「私、記憶がないんです」


 陽菜はポツリと呟く。


「目覚めた時にはベッドの上で何も覚えていない状態でした」


 その場にいた自分の祖父を名乗る男の涙や喜びの意味がその時はわからなかった。

 当然だ。

 記憶という自分を構成する確かなものを無くした彼女にとって、あるのは混乱と不安だけだった。


「手掛かりは探しましたが残念ながらあの家には私を示す記録はありませんでした」


 総一郎や使用人に尋ねても皆一様に黙ってしまう。


「自分が大切にされている。そのことは嬉しく思います。ですが……」


 どこか腫れ物を扱うかのような慎重さと疎外感を覚えてしまう。

 その時、自分の過去は触れてはいけないものだと察した。

 それ以来、陽菜は自分の過去について詮索していない。


「家族っていいですよね」


 陽菜の視線の先では親に甘える子供の姿があった。

 駄々をこねたり、抱きついたり、手を繋いだりと幸せな家族の姿がそこにあった。


「ああやって我がまま言って笑い合える。とても素敵なことです」


 風になびく髪を押さえた彼女の横顔は忘却された故郷に対する憧れがあった。


「家族だからって無条件で良い訳ではない」

「え?」


 家族も所詮は他人だ。

 いくら血のつながりがあろうとわからないものはわからないものだ。

 要はどれだけ互いに心を許しあえるかだ。


「お前にもいるだろう?心を許した誰かが」

「どうでしょう……」


 陽菜は少し思案すると体がよろめく。


「時間か?」

「……すみません」


 気づけば夜が近づいてきていた。

 そろそろ陽菜でいられる時間が終わりを迎える。

 彼女も菜月同様にコンプレックスがある。

 そんな当たり前のことがわかった。

 恐らく知っているのは屋敷の連中ぐらいだろう。

 どうして、赤の他人であるはずの自分にそれを言うのか勇人にはわからない。

 もしかしたら――――。


「――それはないか」

「どうかなさいました?」

「いやなんでもない」


 それだけ言うと勇人は携帯を取り出し迎えの車を寄越すよう連絡した。

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