第3話 昼の顔

 古今東西、女の支度は長い。

 ドアの前に立ち陽菜が出てくるのを待つ。

 自室に入ってから六十三分三十七秒経過。

 聞いた話によると女性の場合、化粧だけで一時間ぐらいかかるとか。

 これに服選びとかを加えたらゾッとする。

 げんなりとしている勇人の隣でドアが開く音がした。


「お待たせました」


 出てきた陽菜は白いブラウスに膝丈まである紺色のロングスカートにベージュ色のバッグを持っていた。


「あの空木さん、どこかおかしい所はないですか?」

「俺に聞くより周りの侍女や執事に聞けばいいんじゃないか?」


 おずおずと聞いてくる陽菜だったが勇人からしたらファッションは愚か、女性の身だしなみなどわからないし全く興味ない。


「他の人にも意見を聞きます。ですけど、今は貴方の意見を聞きたいんです」


 迷いなく真っ直ぐ聞いてくる陽菜の顔がまぶしくて勇人は思わず顔を背ける。


「……まあ、似合っているんじゃないか?」


 答えないと動きそうにないのでとりあえず思ったことを口にした。

 すると、陽菜は顔を綻ばせうれしそうにはにかむ。


(そんな顔を俺にするな!)


 俺とお前は護衛をする側とされる側、ただの赤の他人だ。

 だから、俺にそんな好意的な目を向けるなよ。


「お前、時間はいいのか?」

「え?あ!」


 時計を見て今の時間に気づいた陽菜は残りの準備のために部屋に戻る。


「はぁ……」


(顔に出ていなかったよな?)

 陽菜が姿が消えてから勇人は一つ息を吐く。

 まだ、始まったばかりでこの疲れは一体何なのだろう?


「全く割に合わない仕事だぜ」


 あぁ、お前は変わらないんだな。

 あの日を境に分かれた二人の関係。

 光を浴びて歩いてきた彼女と影に溶け込んだ自分。

 それは決して交わらないもののはずだったのに今こうして相対している。

 どうして、こんなことになったのか?

 今はまだ何もわからない。


「……やめだ」


 考えても意味ないことをいつまでも引きずってもしょうがない。

 調査は舞と善治にまかせ、勇人は己の職務をこなすことに専心する。


「あ、空木さん」


 決意を固めている勇人に篠原舞が近づいてきた。

 舞から話しかけてくることはだいたい面倒事なのを知っているのを勇人は露骨に嫌そうな顔をする。


「お前、調査はどうした?」

「調査は順調ですよ。局長命令でこれを貴方にです」


 舞が数枚の書類を渡してくる。

 どうせろくでもないものだ。

 それを察しつつ受け取ったものに目を通す。

 内容を要約すると緊急性を要さない限り天津陽菜の意思を尊重し、日常生活に極力干渉しないということだ。

 重いため息が出る。

 ただでさえ行動が制限されるというのに、更に重い枷をつけられるということに。


「お待たせしました」


 何か文句言おうとしたところで陽菜の準備が整ったようだ。


「頑張れ」


 ニヤニヤしながら背中を叩く舞に、後で覚えとけよと心の中で思った。


              ******


 休日の繁華街に繰り出すと多くの人の活気に満ち溢れている。

 家族連れ、カップル、友人同士などその関係は様々だ。

 その中で勇人と陽菜の二人は他人にはどう映るだろうか?

 目つきの悪い二メートル近い巨漢の男と可憐な少女の組み合わせはすれ違えば一度は振り返るものだろう。

 しかも、二人の距離は絶妙だ。

 勇人は陽奈のおよそ五メートル後ろを常に付かず離れず歩いている。

 人によってはストーカーだと勘違いして通報してしまうだろう。

 しかし、二人の注目する人は誰もいない。

 一部の人間は陽菜の容姿に一瞬見とれるが、後ろにいる勇人のことは気にも留めない。

 どうやら上手くいっているようだな。

 勇人は事前にかけた暗示の効果が出ていることにホッとしている。

 暗示の効果は大きな音がしない限りこちらを見ない。

 それを周囲の人間の無意識に働きかける。

 これにより個人差はあるものの大抵の人は二人に視線を向けることはなく、一般人からの通報も警察などからの拘束からも逃れられる。

 思えば警察には何度も悪い意味でお世話になっている。

 職務質問は日常茶飯事、逮捕未遂数度。

 その度にこの暗示で切り抜けたが、今回のような大人数にかけるのは初めての試みだ。

 この暗示は弱すぎれば当然効果は出ないし、強すぎれば相手に違和感を与えてしまい逆効果になってしまう。

 あいつの日常に変化を与えないためとはいえ、やれやれ面倒な話だ。

 嘆息する勇人だが、これはこれで良いのかもしれない思い直す。

 いくら護衛とはいえ、自分が陽菜の近くにいれば否が応でも威圧してしまう。

 しかし、暗示を使って距離さえ取ってしまえば自分のことは視界に入っても気にされない。

 人外の能力を持つ神威なら視界に入る程度の距離など護衛するのに全く支障はないし、、何よりやかましくなくて良い。

 さて、今のところ周囲に怪しい気配はない。

 監視を潰したからには何かしらの反応があるかと思っていたが目立った動きは感じられない。

 いくら警戒を強めるきっかけを与えたとは言えこう反応がないのは気になる。

 だが、勇人からしてもこれ以上やれることは思いつかない。

 ふと、陽菜の方を見ると数人の女友達と談笑していた。


「今日、どこ行こうか?」

「最近出来た、クレープ屋とかどう?」

「いいね!」


 他愛のないかしましい女子の会話だ。

 全くよく響くな。

 皆の和の中心にいる陽菜がいるのことに勇人はホッとしている。

 彼女が無事に新たな環境でちゃんと溶け込めている姿は勇人にとって何より救いとなる。

 俺たちが犯した罪は決して消えない。

 でもな、お前たちが失った過去と一緒に俺が闇の中に持っていく。

 それが俺が今出来る全てだ。

 決して口には出さない思いを確認していると、陽菜と一緒にいる女子と一瞬目が合った気がした。

 しかし、不穏なものは感じない。

 たまたまであろう。

 この術はあくまで、相手の脳に勇人が視界にいることを認識させないようにするための暗示だ。

 こちらの方向を見ること自体珍しくない。

 現に少女はすぐに向きを変えた。

 何も気にすることはない。

 心に引っ掛かるものを杞憂と割り切る。

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