竜胆尊と鬼殺し

「ほほう……?」

 鬼族の女王。

 竜胆尊は、その日、たいへん珍しいことに――額に青筋を浮かべていた。

「うむ……人の子の世界には……なんという……」

 呆れ。悲しみ。畏怖。

 そして怒り。

 女王として鬼の世界を収める尊は、どのようなことも寛大に許す大器を持っていた。

 彼女は自らの国の民である鬼たちを、全て自分の子のように思っている。

 また鬼特有の異能により、異世界に戸をつなげることもできる彼女は「にじさんじしーず」の「ばあちゃるらいばあ」として活動し、そこで得た視聴者たちをも、自分の子のように愛しく扱っている。

 そんな優しい竜胆尊が。

 あらぬことが、憤怒にその可愛らしい顔を歪めていた。

「鬼殺し、とな……!」

 怒りの理由は明白。

 酒好きの尊が、異なる世界より取り寄せた酒の名前である。

 その名も『鬼殺し』。

「くぅ……い、異世界にそのような酒が……いや、この名前、我ら鬼族にとってはもはや毒……!」

 この恐ろしい名の酒が。

 一体どれほどの同族を殺してきたのか。

 尊はその事実を想い、怒りに肩を震わせていた。

「美酒と聞き取り寄せたのじゃが……なにか間違えたかのう」

 よりにもよって、鬼の女王たる自分に『鬼殺し』を。

 竜胆尊は、この酒をどうしたものか考えあぐねていた。処分の方法を誤れば、同族の鬼の口に入ってしまうやもしれぬ。それは鬼族を愛する尊にとって許されぬこと。

 そもそも鬼を殺す酒など、存在自体認められない尊だ。

「うむむ……」

 竜胆尊は。

 考えあぐねた末――用意した杯に、『鬼殺し』を注いだ。

「まずは確かめねば。本当に鬼を殺すほどの酒なのか……」

 酒好きの尊であるが。

 さすがに殺されるとあっては、杯を持つ手も震える。

 しかし一方で尊は、鬼族の中でも秀でた異能を持つ女王である。仮に他の鬼が殺されるような呪毒であっても、自分ならば耐えられるかもしれない――そんな想いもあった。

 この毒酒がどのようなものか見定め、必要ならばこの世界から消し去る。

 そんな覚悟とともに、尊は『鬼殺し』をちろりと舐め――。

「…………うまい!?」

 甘露な味が、竜胆の小さな舌に広がった。

「なんじゃ!? 美味いではないか! ん、んくんむ…………!」

 元より酒が大好きな尊である。

 人間の世界で『鬼殺し』は時に雑酒にも用いられる銘柄であるが――竜胆尊のもとに届けられたそれは、丁寧に醸造された美酒であった。

「美味いのう! つまみはなにかあったかのう――こんびに? で買った羊羹がたしか……」

 酒に羊羹はあわないだろうが。

 そもそも、酒呑みというのは酒のアテを選ばぬものである。つまみのついでに美味しいお酒がのめればそれでよいのだ。羊羹を用意した尊は、さらに「鬼殺し」を呑み進める。

「ん、ん……もう一口……うむ、うむ!」

 鬼だけあって、ペースは尋常ではない。

 ごくごくと酒を飲み進め、それでも酔った様子がない。

「美味いのう! なんと、鬼を殺すというのは喩えであったか。善きかな善きかな! んふふふふ!」

 月を見ながら、尊は『鬼殺し』に舌鼓を打つ。

 小さな鬼の女王は、肩を震わせ、人の世の酒のうまさを賞賛するのであった。

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