第6話 ルートキット

 槇村不動産株式会社のシステム部は大騒ぎになっていた。とはいえ、相変わらずの対応でタワーシティで異常発生の一報からすでに40分が経過している。その経緯は以下の通りであった。


 午後3時15分 タワーシティの管理組合から槇村不動産販売に対して清掃

         ロボットのホッパーの動作がおかしいとの連絡を受ける。

 午後3時20分 不動産販売からコンシェルジュデスクに対して現状調査の依

         頼をする。なお今現在コンシェルジュデスクからの報告はな

         い。

 午後3時30分頃 親会社槇村不動産システム部から当社システム部に対して

          館内環境整備ロボットシステムの管理画面が使用不能であ

          る旨報告が入る。

 午後3時40分 当社システム部で確認。原因不明。

 午後3時45分 サイバーセキュリティ委員会へ報告するとともに緊急会議の

         招集。

 午後3時55分 システム部にて社内システムの異常な動きを検知。ウィルス

         感染と思われるが依然原因不明。


 と言う流れですでに40分だ。タワーシティではこの間多くの住人が部屋に軟禁状態となり、数十人の住人たちがロボットに追い回されるという状況になっていた。そして信介たちは命の危険さえ感じていたのである。

 タワーシティには地元警察が出動し、事件を察知したマスコミがヘリを飛ばして空撮を始めるなど不穏な事態となっていた。そしていち速くi-tubeにはロボットの反乱と称した動画がアップされていた。


 その頃、タワーシティのコンシェルジュ秋葉は地下2階装備品管理倉庫で瀕死の重傷を負っていた。

 今日午後3時20分、タワーシティのコンシェルジュは槇村不動産販売システム部から清掃ロボットの動きが変なので調査するよう連絡を受けた。管理組合から不動産販売営業部へクレームが入ったというわけだ。

 コンシェルジュはまず、デスクの端末からワーク7と呼ばれるタスクを呼び出した。館内にいる全てのホッパーを管理するプログラムである。しかし、この管理画面はあらゆる入力を拒否、実質フリーズ状態にあった。

 が、コンシェルジュに見える範囲のホッパーたちはいつものように立ち働いていた。管理画面はフリーズしていてもルーティンの仕事はこなしていたのである。

 それで彼は装備品を保管している地下2階へ降りてみた。各種清掃道具や消耗品もここに置いてある。通常は各フロアで管理していたが、例えばモップが壊れたなど問題が起こればここへ取りに降りることになっている。ホッパーがいつものモップの代わりに庭箒を持っていたという目撃証言からコンシェルジュは倉庫へ出向いたわけだ。

 ところがここでコンシェルジュはとんでもない光景を目撃してしまった。1体のホッパーが列を作るホッパーたちに庭の整備に利用するハサミや鎌を渡しているではないか。器用に3本指でそれを受け取ったホッパーたちはそれぞれの持ち場のフロアへ貨物エレベーターを使って帰って行く。

 コンシェルジュは思わず、ロボットたちの前に飛び出していた。

「何をやっている。そんなものは館内で使わないぞ。」

武器を渡していたホッパーがコンシェルジュの方をじろりと見た。

「業務妨害。業務妨害。業務を遂行します。」

ホッパーは胸のディスプレイを赤発させながらコンシェルジュに迫った。手にはことさら大きな庭ばさみが握られていた。両手でハサミの柄を握り刃渡り30センチはあるハサミの刃を開閉させながらコンシェルジュに突進して来たのだ。

 「やめろ。お前は、001号だな。業務命令、停止しなさい。繰り返す、業務命令、停止しなさい。」

これで普段はホッパーは緊急停止する。だが、今は停止命令を全く受け入れなかった。迫るホッパー。コンシェルジュは慌てて走り出した。庭ばさみを持ったホッパーがコンシェルジュの背中を追った。

 地下2階の各種ダクトが剥き出しになった館内を逃げ回ったコンシェルジュは1周して装備品倉庫に逃げ込んだ。中から扉を閉める。

「排除します。業務遂行、業務遂行。」

そういう女性音声が聞こえ、扉のノブが左へ回転した。コンシェルジュは慌ててそれを押さえるが、ものすごい力だ。とても抗うことが出来ない。ドアに内鍵はなく、今度は強い力で引かれ、コンシェルジュはドアノブを放してしまった。その勢いで思わず床に手を突いたコンシェルジュの目の前にホッパー001号が立っていた。

 「やめろ!」

だが、001号が突き出したハサミの切っ先がコンシェルジュの肩を抉った。

「うわあ。」

コンシェルジュの肩から激しい出血が。よろけながら部屋の奥へ逃げ込む。押さえた肩の辺りからは生暖かい血が溢れていた。立ち上がることも出来ず、001号を凝視する。ホッパーは再び両手でハサミを持ち直すと、今にも突進すべく身構えた。

 しかし外のエレベーターで武器を受け取りに来たホッパーの第2陣が到着した。それで001号は部屋を出て行った。但し、備品倉庫は外から施錠されてしまったのである。が、それ以前にハサミで切りつけられた傷は深く、コンシェルジュは動くことも出来なかった。

「ぐああ・・・。くそ、あいつが、あいつがこれを・・・。」

コンシェルジュは絞り出すようにそれだけ言うと床に突っ伏した。

 激しい出血に意識を失う前、気力を振り絞った彼はスマホに用意してあったメールに今撮影したビデオ映像を添付して送信した。ただしいつものアップ先ではなく別の人物へ宛てて。

 コンシェルジュからの報告がない理由はかような事情に依った。槇村不動産販売窪川から何度かスマホに電話があったが、コンシェルジュには応答する事が出来なかったのである。気絶したコンシェルジュは大量の血を流し、今や体温も血圧も下がって絶命の瀬戸際にあった。


 社内のサイバーセキュリティ委員がようやく集まりだしたシステム部会議室に販売副社長でありCISOの山上が到着した。繰り返すが、山上は社長一族のひとりである。

 「早く問題を解決したまえ。」

居丈高に胸を聳やかして山上は一同に吠えた。

そもそもホッパーを導入したのは槇村不動産の意向である。ホッパーはタワーシティだけでなく他のマンションのいくつかにも導入されていた。そのため、ホッパーは槇村不動産本社が一元管理している。提携する米企業の人工知能を利用し、各マンションにはホッパーの管理画面が提供されていた。

 だから今回のコンピュータトラブルは槇村不動産本社の引き起こした事故だと言えた。それを確認して山上は本社に乗り込んだのである。

「原因は何なんだ! 今、タワーシティがどんなことになってるか知ってるのか?」

山上が更に吠える。

 槇村不動産のシステム部は静まり返ってしまった。それを見た山上は嵩に掛かってくる。そういう性格だ。社長一族の血統とも言えた。

「バスジャックの不手際だけでタワーシティは風評被害甚だしいのに、我々が何とかそれを乗り越えて売ろうとしている矢先だ。原因は何なんだと聞いてる!」

 システム部前島執行役員が恭しく席を立った。

「山上副社長、」

前島は敢えて副社長という肩書きで山上を呼んだ。ここは槇村不動産本社である。前島は山上に本社の副社長と混同するような敬称を敢えて使ったのだ。

「現状をまずご説明致します。販売さんに多大なご迷惑をおかけしている件は幾重にもお詫び申し上げます。」

 前島はPCを操作すると会議室正面のディスプレイにパワーポイントの画像が映し出された。

「まず、WEBサーバーが汚染されていることが判明しております。WEBサーバーの感染を足がかりにして感染は社内システムに拡大しようとしていました。1時間ほど前より社内端末の80%を切り離しております。実際数台の社員の端末で感染が確認されております。」

前島が図説しながら解説を続けた。

「最も被害甚大なのが、マンションの館内環境整備ロボットの管理プログラムでした。」

 前島が言うと、すかさず山上が口を挟んだ。

「その通りだ。ホッパーが何をやらかしているか、今頃はTVにも出てるぞ。被害甚大だ。」

「WEBサーバーにある管理画面でロボット管理プログラムへの命令・変更などを行うと共にIBN社の人工知能との接続を行っております。IBN社との接続は先ほど切りましたので人工知能への感染は食い止めました。」

 前島はゆうゆうと説明を続けた。だが、たかが執行役員と見下している山上は前島の揚げ足を取ろうとする。

「IBNはいいよ。不動産販売のコンピュータはどうなるんだ。タワーシティの館内はメチャメチャだ。ホッパーが包丁を持って暴れているという情報もあるんだぞ。今頃は死人が出ているかも知れないんだ。分かってるのか。」


 一方、槇村不動産販売企画本部では。

「ルートキット?」

東郷企画本部長が素っ頓狂な声を上げた。相手はシステム部長の長島である。

「はい。トロイの木馬というのがあります。何か無害なものに偽装して相手に送り込み、実は中に兵隊を隠しておくという、あれですが・・・。」

長島が本郷はそういうことには疎いと思ってトロイの木馬から入ってみたが、あからさまな軽蔑の目を向けられてたじろいだ。

 「ルートキットとは何なんだ!」

本郷が詰め寄る。

「そこを足がかりにOSにまで感染を拡大させるための道具一式を持ったウィルスと言えばいいでしょうか。」

「そ、そんなものをいつ送り込まれたんだ?」

本郷の呼吸は荒い。この説明次第では非常にやっかいな報告を各方面へ持って行かなければならない。もちろん持って行き先は社長であり、本社だった。間違ってもタワーシティ住人などではない。

 「先般のD-DOS攻撃の際に送り込まれたと思われます。いや、あの攻撃はルートキットを準備するための攻撃だったのかも知れません。」

本郷の胸は更に鼓動が速くなっていった。嫌な予感が現実になりつつあった。

「そのルートキットはロボットを乗っ取るようなことが出来るのか?」

「ルートキット自体にはそういう効果はありません・・・。」

「よ、よし。今回のロボットの反乱は関係ないんだな?」

「・・・ですが、そういう命令を実行できるように手助けをします、ルートキットは。」

「は? どういうことだ?」

「ホッパー管理システムを侵略されてしまう可能性が・・・。」

そう言ってから長島システム部長が唇を噛んだ。

 企画本部長席のパーティションはあまり大きくない。ふたりの会話は周りに筒抜けだった。が、今はそんなことよりも責任問題の方が先だ。

「当社サーバーに送り込まれたルートキットは本社のWEBサーバーにあるホッパー管理画面に感染し、更に本社社内システムにウィルスが感染したと思われます。」

長島が続けた。

 「なんだって! タワーシティのロボットだけでなく、不動産本社の社内システムがウィルス感染した? なんてことだ!」

 東郷企画本部長の顔は蒼白だった。そうだ、ついさっき事の真相をはっきりさせてくると山上副社長が本社に乗り込んでいったところだった。

「やばい。やばいぞ、やばいぞ・・・。いいか、この調査結果をすぐにまとめて書類にしろ。社長に報告する。」

命令を受けて長島システム部長は企画本部を辞去した。


 この連絡が柳瀬の元に届いたのはタワーシティでロボットが暴走を始めてから30分が経った頃だった。

「ルートキットですって!?」

電話口で柳瀬は思わず叫んでしまった。

「はい。痕跡を見つけました。ハッカーはここから本社のWEBサーバーにウィルスを送り込んだと思われます。」

槇村不動産販売サイバーセキュリティ対策会議の連絡役中村が電話で説明した。

『しまったあ・・・。速く開けすぎたかあ。村雨さんのアドバイスもあったというのに、ルートキットに気が付かなかったとは・・・。』

心の中で柳瀬は叫んでいた。深い悔恨の思いと共に。だが、時間は戻せない。今は感染を食い止め、早急なシステムの復旧が急務だった。だが、実際タワーシティで信介たちがどんな目に遭っているのか、柳瀬は知る由もなかった。

 『だけど、ロボットの管理画面に接続するにはユーザーIDとパスワードが必要なはず。それはどうやって突破したんだ?』

早々に冷静さを取り戻した柳瀬はある疑問に気が付いた。そして早速情報収集に乗り出したのである。柳瀬は電話口の中村に内密の依頼をした。中村は喜んで引き受けた。

 そして情報は村雨にもたらされた。

「とにかく、今現在タワーシティは館内にいる50体のロボットに支配されています。すでにロボットとの通信は物理的に切ってありますが、書き込まれたデータだけで動いているようです。」

「わかりました。佐崎さんへ連絡を取ってみます。何もなければいいんですが・・・。」

「村雨さんのおっしゃる通りでした。サイトを速く開け過ぎた。もっとしっかり精査していればこんなことには。」

「いや、ルートキットは通常のウィルスチェッカーでは発見できませんよ。RED-R3でも。とにかく対策を急いで下さい。」

村雨は電話を切った。そしてすぐに信介に電話を掛けた。

 信介が電話に出る。40階へ向かうエレベーターの中だった。隣には肇がいる。

「村雨さん・・・。今ちょっと取り込んでて。」

すぐに電話を切ろうとする信介を制して村雨が聞いた。

「タワーシティの中なんですね?」

相変わらず村雨は鋭い。

「詳しい説明は後で。」

 信介は電話を切ろうとした。それを再び制して、村雨が信介に伝えた。

「今柳瀬君が対策を講じようとしています。ホッパーの本社との通信はすでに切断。今ロボットは数分前に書き込まれたデータで動いています。もう少し待てば停止できる。危険なことは止めてください。」

「すいませんが、部屋では私の妹がロボットに襲われてるんです。一刻を争います。」

「なんですって? 妹さんが?」

 「マンションでは個人的に家事用ロボットを使っている人が結構います。そのロボットまで間違いなく止められるんですか? 個人宅の家事用ロボットをハッカーどもがどう操っているのか分かりません。待ってはいられないんです。」

信介はそれだけ言って通話を切るとスマホの電源も落としてしまった。

「いいの? おじさん。」

肇が聞く。

「肝心な時に邪魔が入っては困る。小僧もそうしておけ。」

「了解。」

肇は素直に自分のスマホの電源を切った。

「じゃあ、行くよ。」

「よし。行こう。」

 エレベーターがちょうど40階に到着し、扉が開きだした。肇は空いた隙間から廊下の左右を確認する。籠の中ではふたりの心臓の音が聞こえるようだった。そして少なくとも目の前にロボットはいなかった。それを確認すると肇はエレベーターから外へ出た。この場所からはホッパーは見えない。ホッパーはやはり非常階段の扉前で信介たちを待ち受けているのだろう。

 肇の後に続いた信介は自分の部屋へ、非常階段とは反対の方向に歩き出した。

「来てないよ。」

肇が信介に言った。

「しっ。急ごう。」

我が家の前に着いた信介はドアノブを静かに回した。

「くそっ。ロックされてる。」

信介が悪態をついた。

「電子ロックのコードが書き換えられていたら、どうにもならないね。」

肇が言うまでもなく、信介はカードキーをリーダーに差し込んでいた。

「エラーだ。」

「やっぱり書き換えられているんだ。他の家と同じだよ。実は家もそうなんだ。」

肇が小声で言った。

「小僧の家もロックを?」

「ああ。でも大丈夫だよ、両親が帰ってくる時間じゃないから。家に帰ったら鍵が開かなかったのさ。そのうちマンション自体がロックされて外にも出られなくなった。で、館内を調べ回ってたら、おじさんに出会った。これは運命だね。」

 肇はここへ来てまだ明るい。焦る信介には大きな助けだった。落ち着け、落ち着かなければ問題は解決できない。が、いつ非常階段前にいると思われるホッパーがこっちへ来ないとも限らなかった。それを考えると肝が冷えた。

 だが、しばらく考え込んでいた信介はスマホを取り出すと電源をオンにした。OSが立ち上がる。

「おじさん・・・。」

肇もさすがに心配そうだ。信介はスマホをスワイプして目的のアプリを探した。指が乾燥してうまくページがめくれない。

「年取ると乾燥するって言うからね。」

「小僧。」

「何をするの?」

「もしかしたら奴がドアを開けてくれるかも知れない。」

信介は目指すアプリをやっと探し出すと、すかさずタップした。

「え? どういうこと?」

「このアプリはな、家事ロボット・ホッパーの管理をするためのものだ。昨日メーカーサイトからダウンロードしたばかりだ。」

「おじさん。だってホッパーは乗っ取られちまってるんだよ。」

 肇の方が焦りだしていた。さっきから廊下の先を気にしている。

「さっきの電話で、すでにホッパーの本社サーバーとの通信は切ったと言ってた。つまりAIとも切断されたって事だ。」

「どういうこと?」

「今は一旦書き込まれたプログラムで動いているだけってこと。」

「それで?」

「命令が上書きされたら・・・。」

「上書き?」

「マンションのホッパーたちはたぶん管理画面が乗っ取られて操作不能なんだろう。でも個人用のホッパーは・・・管理画面はここにある。」

 信介は管理画面の中から『家人が帰ってきたら』という項目を選んでタップした。いくつかの行動パターンが並んでいる。その中の、『玄関ドアを開ける。』をタップした。

「おじさん、やばい。ホッパーが来る!」

 その時廊下の先の角からホッパー2体が現れた。手にはそれぞれ切れ味鋭そうな鎌と鉄パイプが握られていた。

「速く、速く。」

肇が信介の袖を引っ張って急かした。2体のホッパーは全速力で廊下を滑ってくる。信介もちらとその姿を捉えた。

「なんだ、どっかのチンピラよりヤバそうだな。」

言いながら信介は最後のコマンドをタップした。これでドアロック解除のタスクのパターンが新しくなったはずだった。

 ガシャ。音を立てて玄関のドアのロックが解除された。信介はドアノブを引くと素早く中へ入る。肇が入ったのを確認すると大急ぎでドアを閉め、ドアチェーンを掛けた。

「やっぱり最後はこういうものが役に立つな。」

言い終わらないうちに1体のホッパーがドアノブを器用に掴んで開けていた。だが、チェーンがあって開いた隙間から中を覗き込むだけだ。その目が信介の目とあった。ホッパーの目はピントを合わせようとしているのか瞳孔が細くなったり太くなったりして赤く発光していた。

「馬鹿者が。」

 信介は更にスマホの管理画面を操作すると部屋の中に進んだ。

「久恵! 久恵!」

呼びながらリビングへ。リビングはTVが倒れ、テーブルも脇へずれていた。テーブルの上のものが床に散乱している。

「おい! 久恵! 久恵! どこだ? どこにいる?」

信介の呼びかけに反応があった。

「お兄さん!」

「部屋か?」

 信介は奥にある妹の部屋へ向かった。廊下に妹のスマホが落ちていた。信介はそれを拾い上げた。そして妹の部屋の前には停止したホッパーが立っていた。家事ロボット・ホッパーの右手にはフライパンが握られていた。料理をするところだったのか、多分そうではないのだろう。信介と肇はホッパーを脇へどかすとドアを開けた。

「お兄さん!」

いきなり妹の久恵が信介の胸に飛び込んできた。それを受け止めて、

「大丈夫か? 怪我はないか?」

「ええ、大丈夫。ロボットは?」

「止めたよ。」

久恵は恐る恐るホッパーを確かめると、

「だから。ロボットなんて嫌だって言ったのよ。」

そう言い放ったのである。

 その後の久恵の証言に寄れば、ホッパーは最初順調に家事をこなしていたそうだ。ソファに居ながらにしてTVを点ける、チャンネルを変える、電灯を点ける、カーテンを引く、お茶を入れる、等など。久恵は便利にホッパーをこき使って悠々としていた。

 ところが突然キッチンにいたホッパーがフライパンを持ち出して久恵に襲いかかってきたというのだ。胸のディスプレイには、『タワーシティは間もなく崩壊する。速く逃げ出せ』の文字が表示されていたという。

 ホッパーは本気で振り上げたフライパンを久恵目がけて振り下ろしてきたそうだ。それをかわしながら逃げ惑っている中で信介に電話をした。その後スマホを取り落としてしまい、だが部屋へ逃げ込むことが出来た。内鍵を掛けてとにかく助けが来るのを待ったというわけだ。

 「やっぱりロボットにはロボット3原則が必要だな。」

肇が出されたお茶を前にそう呟いた。

「アシモフね。」

久恵が肇を優しそうな顔で見ながら言った。

「ロボットは人間に危害を加えてはならない。人間の命令に従わなくてはならない。自分を守らなくてはならない。だっけ?」

「そう。おばさんよく知ってるね。ロボットを造る時の基本だよね。これはハッキングされても上書き禁止になってなきゃならないよ。ねえ、おじさん。」

「そうだな。危うく殺されそうになったからな。」

信介が答えた。実際さっきまでのことを思い出すと震えが来る。

 「フライパンも危ないけど、外のは鎌と鉄パイプだからな。ヤクザの出入りじゃないっての。」

信介は言ってからはっとした。あの2体のホッパー、まだ玄関の外にいるのだろうか。肇もそのことに気が付いたのか、ダイニングテーブルの席を立つと玄関へ向かった。

「おい、小僧。止めておけ。」

信介が言う間もなく、肇は玄関からすぐに戻ってきた。真っ青な顔をしている。

「やばいよ! 大きなワイヤーカッターを持ってるよ。チェーンを切断する気だ!」

「なんだと!。そうか、奴等地下の備品倉庫へ行くんだ。」

 そこには箒やモップ、バケツと言った掃除道具や屋外の共有部つまり緑地部分の手入れに使う庭ばさみや各種大工道具などが揃っている。管理ホッパーがいて、用途に応じて備品を貸し出していた。

 玄関から嫌な音がしている。チェーンをガシャガシャと動かす音、カチカチとそれを挟もうとする音だとすぐ推測できた。

「あいつらが入ってきたら・・・、今度は殺されるぞ。」

「お兄さん!」

久恵の顔が恐怖に歪んだ。さすがの肇も青ざめている。

「よし。」

信介はスマホを取り出すと家のホッパーを再起動した。

「どうするの?」

「こいつにドアを閉めて貰う。」

そう信介は言うとさっきまでホッパーが握っていたフライパンを取り返すと玄関に急いだ。

「お兄さん、気を付けて!」

 玄関に降りると、狂ったロボットが今まさにワイヤーカッターでチェーンを切ろうとしているところだった。信介は開いているドアの隙間から足でホッパーの腹部を思い切り蹴飛ばした。動かない。もう一度、キックをお見舞いする。やはりホッパーはびくともしない。チェーンにワイヤーカッターの刃が半分食い込んでいた。切断されるのは時間の問題だ。

 「おじさん、どいて。」

肇の声に信介は脇へ寄った。すると気合いと共に肇が空を飛んだ。ジャンプキックはホッパーの胸に命中した。チェーンの上、チェーンで出来たドアの隙間は25センチほどだから、まさにピンポイントだ。ロボットは大きく後ろへ仰け反るとバランスを崩した。体勢を立て直すべく身体を少し後退させる。ワイヤーカッターから手を放す。

 そこへ佐崎家のホッパーがバリアフリーの玄関へ降りてきた。チェーンに食い込んでいたワイヤーカッターを信介が手で払い落とす。すかさず佐崎家のホッパーがドアノブを掴んで引いた。が、外から恐らくはもう一体のホッパーがドアノブを掴んだのだ。ドアは2体のホッパーによって引き合いになった。佐崎家の玄関ドアは内と外の力でロック寸前の位置で静止していた。

 「力を貸すぞ、相棒。」

信介がホッパーの腕を取ると中へ引っ張った。同じ性能の均衡が破れドアはガチャリと閉じた。その瞬間、電子ロックが施錠された。AIによる問題解決の手段がなくなっているホッパーには佐崎家のホッパーが掛けた電子錠は解錠することは出来ないはずだった。

 「助かったよ。小僧、ナイスドロップキックだ。」

「ドロップキックと言うより36文キックという感じだったけどね。」

「ジャイアント馬場か。小僧古いことを知ってるな。」

「最近図書館に入り浸ってたから、古い記事を色々読んでね・・・。」

 肇と共に信介はダイニングへ引き上げた。

「もう大丈夫なの?」

久恵が怯えていた。

「もう大丈夫。奴等には部屋の鍵は開けられない。あとは、槇村不動産が何とかするでしょ。」

肇が久恵に言った。

 「マンションの中は、全体はどうなっているんだろう。さっきはコンシェルジュはいなかったけど・・・。」

信介はコンシェルジュデスクへ電話を入れてみた。反応がない。そこで、コンシェルジュの携帯へ電話を入れてみた。発信音がする。だが出ない。繰り返す。信介はスマホを机の上に置くためスピーカーに切り替えた。発信音がスピーカーから響いた。だがやはり誰も出なかった。信介が諦めて切ろうとした時、誰かが電話に出た。

「・・・。」

「もしもし! 秋葉君かい!? 秋葉君!」

電話は繋がったものの何も話さなかった。

「どうしたんだ? 秋葉君! 秋葉君! どこにいる?」

「しっ!」

 肇が割り込んだ。信介が黙る。すると電話口の向こうで微かな呻き声が聞こえた。

「これは・・・。おい! 秋葉君! 秋葉君! 怪我をしているのか?」

だが、コンシェルジュ秋葉の声は聞こえなかった。ただ、さっきの呻き声とは違ってスースーという寝息のような音が聞こえてきた。ごく微かにだが。

「どっかで寝てるのか?」

と信介。

「違うわよ。彼大怪我をしてるんじゃないの? 彼もロボットに襲われたんじゃ・・・。危ないわよ、早く救急車呼ばないと。」

久恵が言った。

 「おい、小僧。掲示板とか復活してないのか?」

信介が肇に命じた。

「でも、パッドはどこに?」

「あ、家はパソコンで見てたんだった。」

「おじさん! 分かんないよそれじゃ。」

 信介は今度は電話帳の中から槇村不動産販売の窪川に電話を入れた。間髪を入れず窪川が出た。

「佐崎様! どこにいらっしゃるんですか?大丈夫なんでしょうか?」

「窪川さん。今自分の部屋にいます。外には狂ったロボットがいて、廊下に出ることが出来ません。」

「ああ。誠に申し訳ございません。今懸命に復旧作業を進めておりますので、もうしばらくお待ちいただければと・・・。」

 窪川は相変わらず丁寧だった。お客思いだと言うことは分かる。だけど、それだけじゃダメだ。それでは営業は勤まらないのだよ、信介は心の中で窪川に説教した。

 「それよりコンシェルジュの秋葉君は無事でしょうか?」

「いえ、コンシェルジュとは連絡が取れておりません。ご不便をおかけします。」

そういう問題ではないと突っ込みたくなるのを我慢して信介は続けた。

「秋葉君、ロボットに襲われたんじゃないかと思います。大怪我をしているんじゃないかと思いますよ。」

「え!? 手前どものコンシェルジュが?」

「とにかく救急車を手配して。マンションの中に入れるようになったら、至急捜索してください。そうか・・・、たぶん地下の備品倉庫じゃないかと思います。」

そして信介は電話を切った。

 代わって今度は村雨に電話を掛けた。村雨もまたすぐに電話に出た。

「村雨さん。先ほどはどうもです。」

信介の電話に村雨もほっとした声だった。

「佐崎さん、大丈夫なんですか? 心配しました。」

「ええ、ありがとうございます。なんとか、乗り切りました。それより、どんな状況なんでしょうか? 私は今自分の部屋にいるんですが、まだ外には鎌を持ったロボットがうろうろしてるんです。」

 信介が村雨から聞いた状況は、槇村不動産販売のコンサル柳瀬やサイバーポリス榎本からの情報もあり、最も最新にして詳細な情報だった。

 警察はすでにタワーシティの玄関を粉砕、館内に侵入を始めているという。一方ハッカーの手口についても解明は出来ていた。

 槇村不動産販売HPがハッキングされた時、ルートキットが送り込まれたようだ。これはOSの奥深くに潜伏し、レックのRED-R3でも検知できなかった。こうして捜索をやり過ごしたマルウェアは次第に不動産販売サーバーを浸食し、館内環境整備ロボットの管理プログラムを見に行くタイミングを狙って槇村不動産のWEBサーバーに侵入を果たした。

 ロボットの管理システムを乗っ取ったハッカーはロボットに攻撃的なプログラムを送信、ロボットを通じて正面玄関や地下駐車場をロックアウトしたり、エレベーターを停止させたりしたのだ。

 IBN社のAIはマルウェアに感染していなかったが、与えられた情報を鵜呑みにしたAIがホッパーに武器を持たせたり、人々を軟禁したり、危害を加えたりすることを容認した問題は残ることになった。

 そしてやっぱり暴れているのはタワーシティのホッパーだけであった。


 しばらくして信介が村雨との2度目の電話で聞いた情報の中で最もショックだったのは、地下2階の備品管理倉庫でコンシェルジュの秋葉が死亡しているのが発見されたことだった。一連のハッカー事件はとうとう死者を出す悲惨な結末を迎えてしまった。

 なおホッパーは通信は遮断したもののインストールされた命令を単体で実行できた。バッテリーも丸1日持つことから現在も館内に十数台が稼働していた。ホッパーを正常に戻すプログラムの制作にはまだ時間が掛かり、警察の特殊部隊がホッパーの電源を切って回っているということだ。つまり信介のいる40階やその上まで、全てのホッパーが機能停止するのは夜中になるらしい。

 マンションの電源を落として、ホッパーが充電できないようにすればいいのだが、部屋に軟禁されている人々の安全を考えると電気を切るわけにはいかなかった。地道な1台1台の処理を進めるしかない。

 信介と久恵、肇の3人はもうしばらくこの部屋に留まるしかなかった。信介は肇の安否を両親に伝えるように頼んで電話を切った。

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