第4話 D−DOS

 タワーシティの運営会社槇村不動産販売で事件が起こった。その朝、会社HPが何者かにハッキングされ1ページが書き換えられた。だが、発見されたのは外部からの指摘による12時間後であった。書き換えられたページが物件紹介の中、タワーシティのページだけだったことから社内では誰も書き換えに気が付かなかったのだ。

 「窪川! どうなってるんだ、いったい!?」

部長の罵声が窪川に飛んだ。そう言われても、彼にはどうすることも出来なかった。

「すでにシステム部に言って復旧の要請を・・・。」

か細い声で窪川が答える。

「まだ出ているじゃないか。」

そう言って大下部長はパソコンの画面を叩いた。そこには、禍々しい赤い隷書体の文字でこうあった。

『タワーシティは間もなく崩壊する。速く逃げ出せ』

「もう一度確認してみます。」

 窪川はそう言うと大下部長の前を逃げ出した。システム部への階段を降りて行く途中で携帯が鳴った。

 「緊急会議の招集です。すぐに4会議室へお願いします。」

声はサイバーセキュリティ対策会議で連絡役という雑用をやっている派遣社員で中村という若い男だった。窪川はシステム部へ行くのをやめ、4会議室へ向かった。部長から離れていられる大義名分が出来た。だが、主役は自分になることは容易に想像が出来た。窪川の心臓は益々拍数が増えていった。

 会議室には会議代表の東郷本部長のみならずいつもは出席することのないCISO山上副社長の姿もあった。窪川は会議室の扉をそっと閉めるとトイレに駆け込んだ。山上副社長は槇村不動産の社長一族である。現社長の甥だったはずだ。

 窪川が用を足してトイレを出るとそこには大下部長と三山課長の姿があった。

「あ。ぶ、部長。」

「窪川、遅れてるだろうが。急げ。」

営業部の3人は4会議室のドアをノックすると中に入った。すでに一座は席に着き営業部待ちの状態だった。

 「揃ったようだな。では、始めよう。」

副社長の山上が司会役の男を促し、緊急会議が始まった。

「で、今はどういう状況なんだ? 復旧できたのか?」

山上がシステム部の長島部長を睨んだ。

「はい、取り敢えずHPをシャットダウンしました。」

長島が縮こまって答えた。

「HPをシャットダウン? ハッキングされたのは物件案内の1ページだけじゃないのか?」

山上の質問に長島システム部長は汗を拭きながら回答する。

「どこを突かれたのか分析が出来ていません。HPをまるごとダウンさせる方法が一番速いという判断であります。」

「どこの誰に何をされたのか、まだ分からんのか?」

「申し訳ございません。現況をご報告申し上げます。本日午後1時、新宿区在住の木村様からお電話をいただき弊社HPの書き換えが判明しました。すぐにシステム部で調査しましたところ本日未明よりサーバーの動作が極端に遅くなる現象が発生していることが判明致しました。」

 長島部長は部屋の温度を下げるように部下に命じながら額の汗を拭った。

「つまり不動産のサーバーが攻撃されたと言うことか? だったらすぐにサーバーが切り替わるんじゃないのか?」

山上の叱責に近い追求が続く。

「確かに不動産様のサーバーは冗長化されていて、何らかの事情で片方がダウンすれば、瞬時にもう一つのサーバーに切り替えられます。」

「なら、当社も不動産のサーバーを使っているんだろ、切り替わって当然じゃないか。」

「あの、あの。冗長化システムは費用も倍になりますので、当社では冗長化していません。不動産様のシステム部が管理するサーバールームの棚一つを借りているだけでして、基本的に不動産様サーバーとは切り離されております次第で・・・。」

山上も金のことを持ち出されて言葉に詰まるが、

「サーバーの運用は任せているんだろう。金も払っている。不具合が生じたら連絡があってしかるべきじゃないのか。サーバールームは24時間態勢のはずだ。」

「は、はい。サーバーの動きが遅くなった時点で、携帯にメールがあったのですが・・・。」

 長島の歯切れは益々悪くなっていった。

「どういうことだ?」

「セキュリティ対応の最高責任者に連絡メールが・・・。」

半ば俯きながら長島が言い淀んだ。

「なんだ。はっきり言え。」

山上副社長が睨んだ。

「CISOに第一メールが行っているはずで、あ、あります。」

長島は思わず兵隊口調になってしまった。

「ん? CISO? 俺か。」

 山上副社長は社用のスマホを取り出す。するとそこにはメール着信18件の表示。夜中の2時から3時頃に掛けてのメールばかりだ。

「しかし。しかし、メールは俺だけに来るんじゃなかろう。そうだとも、俺が何らかの事情で対応できなかった場合はどうなるんだ?」

山上副社長が少々慌てたような顔で辺りを見回し、最終的に東郷本部長を見た。

 「もちろんです。不動産様のシステム部からは副社長の他、サイバーセキュリティ対策会議のメンバー全員にメールが配信されることになっております。」

長島が答えた。

 山上副社長は今度はそれ見たことかと東郷本部長の顔を睨んだ。

「で、ですが、副社長。夜中の2時、3時ですよ。皆眠っております。我々は24時間対応のシステム屋じゃないんですから。」

「本部長、お言葉ですが、我々システム部だって24時間態勢じゃありません。不動産様のシステム部も同じです。これはサーバーから自動で配信されるメールに過ぎません。」

長島システム部長もここで黙り込んでは全て自分の責任にされてしまうと考えて、反論した。

 「だいたいここは営業部のページじゃないか。夜中の対応はともかく、今の今まで何も出来ていないというのはどういうことなんだ。」

今度は営業部へ火の粉が飛んできた。大下部長は慌てて火の粉を避けた。

 「窪川君。タワーシティはもともと警察沙汰になってるんだろう。君にもメールは入ってるはずだ。何故対応しなかった。」

大下部長は隣の席の三山課長越しに窪川に言った。三山課長もすかさず窪川を見る。

「いや、あの、その・・・。私は会議に出てるだけのメンバーですよ。サーバーの動きが極端に遅くなってますなんてメールで対応できませんよ。システム部の方が対応して下さると思うじゃないですか。」

窪川は気力を振り絞って反論した。

 こうなると全て責任の押し付け合いである。会議の体も成していない。すったもんだの言い合いが20分ほども続いた後、何の結論もなく会議は散開となった。

 結局槇村不動産販売のHPはクローズしたまま、TOPページには工事マークが掲載されていた。


 信介は直通エレベーターで一気に2階タワーシティの玄関へ降りた。珍しくスーツ姿である。エレベーターホールの奥、外部からは見えない位置にコンシェルジュのカウンターがあった。そこには例の男が座っていた。

「佐崎様。お出かけですか?」

男の方から声をかけてきた。

「ええ。ちょっと警察に呼ばれてまして。」

男は一瞬ぎょっとした顔をした。信介はそれを見逃さなかった。

「先日来の事件の件ですか?」

「冗談だよ。警察に要はないさ。今日は古い友人に会いに行くんだ。」

信介は平静を装ってコンシェルジュの男に笑顔を向けた。

「ああ。佐崎様、酷いですよ。おからかいにならないで下さい。」

「そう言えば、君は地元の人なのかい?」

「いえ。私は生まれは福島です。学校が東京で、そのまま就職しましたが、今はフリーターです。どうかなさったんですか?」

「そうなんだ。」

「結構有名なホテルチェーンに就職したんですが、あの当時はホテル不況で・・・。」

「へえ、ホテルマンだったんだ。」

「はい。最近はインバウンドっていうんですか、ホテルが活況でして今度再就職することになりました。あ、これまだ内緒にして下さいね。」

信介はコンシェルジュの男から意外な話を聞いた。

 あれは一体何だったんだろうか。信介が住人の何人かを集めて会議を行った時、インターホンのスイッチが入れっぱなしになっていたのは単なるミスだったのか、それとも会議の内容を盗聴していたのか。もちろん信介に何の確信もなかった。

 「そりゃよかったね。マンションの管理仕事はきついからね。」

「いえ、大変勉強になっております。」

男は屈託なく笑った。信介は時計を見て話を切り上げた。

「行ってらっしゃいませ。」

 信介がロビーの自動ドアを出ようとした時、外から入ってきたのは妹の久恵だった。大きなスーツケースを転がし、ショルダーバッグまで担いでいる。

「おお。どうしたんだ? 帰りは今月末じゃ・・・。」

「ただいま。お兄さん、出掛けるの?」

「ああ、済まん。古い友達と約束があって。びっくりしたよ。言ってくれれば成田まで迎えに行ったのに。」

「いいの、いいの。ここまでのタクシー代も出張費のうちだから。問題ない。それより、マンションでなんか事件が続いてるんですって?」

兄妹はマンションの玄関で立ち話だ。

「なんでそんなことを?」

「ミニバスが乗っ取られてお年寄りが怪我をしたんでしょ? ネットのニュースで見たわ。」

「まさかそれで、出張切り上げて?」

「まさか。意外に早く仕事が片付いたのよ。今日遅くなるの?」

「いや。夕方には帰る。」

「そう。じゃあ何か作っておくわね。久し振りに一緒にご飯にしましょう。」

「ありがとう。」

 信介はマンションを出て行き、信介の妹久恵はエレベーターホールへ入っていった。その一部始終をコンシェルジュの男がじっと眺めていた。手にはスマホが握られている。コンシェルジュカウンターに軽く久恵が会釈をしたが、男は会釈を返しただけで何も言わなかった。


 信介はレックの本社がある人形町の駅を出ると昔から行き慣れた喫茶店に入った。

「お待ちになりましたか? 1本電車に乗り遅れてしまって。」

「いやいや、今来たところです。ご心配なく。」

信介の向かいに座っているのはアマデウスこと村雨丈一郎だった。

「大変御無沙汰してます。お元気そうで。」

ふたりはコーヒーを飲みながらひとしきり昔話をしてから、話題は自然と今回の事件へと移っていった。

 しかも村雨から驚きの情報がもたらされた。

「え? HPの書き換え? 槇村不動産がですか?」

思わず信介が身を乗り出す。

「いえ、不動産販売の方です。昨日らしいですよ。それがタワーシティの紹介ページが書き換えられて、あの文言が表示されていたそうです。」

「あの文言?」

「タワーシティは間もなく崩壊する。速く逃げ出せ、ってやつです。」

信介はぞっとした。この警告文は信介の頭の中にこびりついていた。

「不動産販売で気が付いたのが大分遅かったらしく半日掲載されていたようです。その後工事中になって、ついさっき復旧しています。」

村雨が続けた。

 「どういうことなんでしょう?」

と信介。久し振りに妹の顔を見たうれしさもどこかに吹き飛んでしまった。

「わたしにも詳しいことは・・・。ただ、榎本君が聞き取りを済ませているので、それでお呼び立てした次第です。」

 店を出ると村雨は信介を伴って古巣のレック本社へ入っていった。

「すぐに参りますので、お待ち下さい。」

受付嬢はデスクトップの画面を一瞬操作するとすぐに笑顔に戻った。待つまでもなく柳瀬と名乗る若い男が現れた。

 「村雨さん。お会いできて光栄です。一緒に仕事をすることはありませんでしたが、伝説のエバンジェリストの噂はかねがね承っております。」

柳瀬は深々と村雨にお辞儀をすると、握手を求めた。

「ありがとう。」

村雨は信介に向き直ると柳瀬を紹介した。

「こちら今、槇村不動産販売でサイバーセキュリティ経営のコンサルをしているエバンジェリストの柳瀬君です。」

柳瀬が信介に頭を下げる。

「槇村不動産販売のコンサル?」

「こちらは、元冨士工スリーPのシステム営業部長佐崎さんです。」

村雨が柳瀬に信介を紹介した。

「あの冨士工スリーPの?」

柳瀬が信介を見詰めた。真っ直ぐな目をしていると信介は思った。

「冨士工スリーPと言えば、確か経産省の文書管理システムで業界では有名ですよね。曖昧検索や日付推測など機能面もさることながら完璧なセキュリティシステムを構築したとして有名です。」

「いやあ。」

信介が頭をかきかき口元を緩ませる。

「最後までNKCシステムズと争って勝ち取ったスーパー営業だよ。」

「そうでしたか。光栄です。」

「その時のセキュリティシステム構築で提携させて貰ったのが村雨さんなんです。」

「なるほど。」

柳瀬は人懐っこい目を信介に向けた。

 だが村雨が時計を見ながらいきなり今日の本題に切り込んだ。

「柳瀬君、昨日から今日に掛けての槇村不動産販売HPのハッキング事件については何か?」

打ち合わせルーム2の座席に腰を降ろすと柳瀬が話し出した。

「その件は今さっき聞いたばかりです。ほんの1時間前です。」

「それはどんな?」

村雨が促す。

「ええ、一昨日夜中D-DOS攻撃を受けたようですね。それで、HPの一部が書き換えられた。私がコンサルしていて情けない話なんですが、社内連絡ルートが確立してなくて、発見は外部からの通報による昨日の昼だったそうです。」

「D-DOSですか。当然攻撃元は判明してないんですよね。」

と村雨丈一郎。

「海外サーバーからの攻撃のようです。サイバーポリスに通報しましたから調査してると思いますが、ハッカー集団の身元を調べるのは不可能でしょうね。」

「これではっきりしたと思います。タワーシティを狙っているのはプロのハッカー集団ですね。もちろん、i-Tubeへの動画アップは別物でしょうが。でもどこかで繋がっているかも知れない。」

村雨である。

「タワーシティってあの高層マンションですね。そこが狙われている理由は何だと思いますか?」

柳瀬が信介に聞いた。

 「まだ推測の域を出ません。建設前の土地買収で色々あったのですが・・・。これという決め手は・・・。」

そこまで話して信介が口ごもる。

 「サーバーはすでに復旧してるんですよね。冗長化してあったんですか?」

村雨が柳瀬に問いかけた。

「いえ。不動産販売のサーバーは冗長化はされていません。HP全体を降ろして工事マークを掲出していたんですよ。考えられません。これはもう全てを放棄したようなもんです。それで、こういうやり方は一般の人たちに酷く悪い印象を与えるとアドバイスしまして、早急に開けさせました。」

「そうですか、でもその話だと再アップまでいくらも時間が掛かっていないことになりますよね。大丈夫なんですか?」

「ええ。それが不動産の意向でもあって、販売のシステム部が大特急で検証を終えたようです。うちのRED-R3にも掛けましたが、特に問題はないようでしたので再アップを認めました。」

「柳瀬君、分かってると思うけどRED-R3はあくまでウィルス検知や脆弱性の発見であって、全てを保証するものじゃない。」

「はい。ただ単なる物件の紹介ページですし、他も基本的には会社概要ですから。そこまで疑うリスクは小さいと考えました。」

「攻撃が再開されたら?」

「攻撃元は海外サーバーですから、海外からのアクセスを全て遮断します。槇村不動産のサーバーにある機能なので、それを販売のサーバーにも適用するだけです。英語のページすらありませんし、遮断による不利益はほとんどないかと。」

「分かりました。」

 その時打ち合わせルーム2にノックの音が響いた。

「どうぞ。」

村雨が答える。入ってきたのはサイバーポリスの榎本だった。

「榎本さん。」

何も知らされていなかった柳瀬が声を上げた。とはいえ、榎本とは事件以来何度か話をしていた。

「よし、これでメンツが揃った。もう少し突っ込んだ話をしましょう。」

村雨が榎本を席へ導いた。柳瀬がすかさず、受付に内線を入れお茶の依頼を出す。

 「分からないことがいくつかあります。」

出されたお茶を啜ると信介がそう切り出した。

「いまやタワーシティが攻撃対象であることは明白です。ですが、分からないのはその理由です。いくつか候補は見つけましたが、果たして本当にそうなのかどうか。そしてもうひとつ分からないのは、一連のサイバー攻撃で何をしたいのかと言うことです。例の警告文には『出て行け』とあるんですが、住人を追い出すのが目的ですか? あり得ないでしょう。」

「怨恨の理由を知ることは犯人逮捕へ直結します。ここは地元警察に相談した方がいい。我々は連携しています。口添えしますよ。それと何がしたいのか・・・ですが、本当にマンションを出て行く人を増やしたいのでは? バス乗っ取り事件で風評被害も拡大していますが、もともとこのマンションは槇村不動産にとって不良物件になっていたようです。もしかしたら内部の犯行なんてことも無きにしも非ずですよ。」

榎本の言うことに信介は到底納得がいかなかった。

 「私はマンションになにがしかの恨みを持つ者たちの犯行だと思っています。単独犯ではないでしょう。手が込んでいるし、バスジャックもD-DOSもプロの犯行です。素人には無理です。例えば、現在のマンションに恨みを持つ者やマンション建設に絡んでの事件に係わった者が金でハッカーを雇って攻撃を仕掛けさせた。そういう流れじゃないかと思っています。ついでに言えば、i-tubeに動画をアップしていたピカキンチューも金を貰ってやったんじゃないかと思っています。」

信介はここ数日考えていたことを話した。

「そう思う理由はあるんですか?」

聞いたのは柳瀬だった。最初はもじもじしていた信介だったが、信頼できる人たちとの認識で自分の憶測を話し出した。

「私はこの町が地元というわけじゃないんで、昔のことはよく分からないんです。で、少し調べてみました。ネットは便利です。ネットで色々なことが分かりました。」

「ネットの記事はあまり当てには出来ませんよ。フェイクニュースみたいにいい加減な記事も多いです。」

と柳瀬。

「分かっています。噂話レベルのものまで含めて出てきたのを精査しました。」

「・・・といいますと・・・。」

柳瀬が鋭い眼光を信介に向けてきた。

「例えば・・・国会図書館です。」

「国会図書館?」

榎本が意外だという顔をした。すると村雨がにやっと笑って、

「国会図書館! さすがは佐崎さんだ。」

と手を叩かんばかり。

「え? どういうことですか?」

と榎本。

 「ネットで調べたところ、タワーシティにまつわる問題で、人の恨み、妬み、そねみを生じさせるような件は主に3つありました。ひとつは用地の買収に絡んで、土地の売却に応じない家があったこと。その家を巡って槇村不動産と市助役が結託、追い出そうと画策してヤクザを使うなど地上げまがいのことをしたことです。これは事件になりましたから、新聞記事、月刊誌記事、他にもいくつかルポルタージュが出版されていました。」

 佐崎は記憶を確認するために手帳を開げてから続けた。

「次ぎに特別分譲枠の問題です。いわゆる土地所有者の優先的なマンション入居で不公平な判断があったという、これも当時ワイドショーを騒がせた話題です。特別分譲枠については最初よく分からなかったんですが、不動産業界を扱った文献など結構多いんです。都心の大規模再開発の物件なんかだと当然のこととして考慮するんですが、」

「何でですか?」

榎本が途中で口を出した。

「土地があまりに高いからですよ。代替地と言ってもそうそうはないし、だから優先的に出来たマンションに入居させることで土地を提供して貰う。」

「まあまあ。佐崎さんの話を聞きましょう。」

村雨が信介に話を続けるよう促した。

 「はい。タワーシティにも特別分譲がありました。都心のマンションとは違いますが、タワーシティの土地の所有はちょっと複雑だったようです。もとは農地ですからね。税金とか色々あるんでしょう。そしてこの件にも市役所の今度は別の役人が暗躍します。最終的にこっちは事件になっていませんが、民事裁判は1つ起きていました。で、裁判記録に当たりました。今は省きますが、事実です。」

 「そして3つ目が、より難しい問題だったようですが、マンション予定地にあった祠でした。」

「祠というと? 道祖神か何かですか?」

柳瀬がまた口を挟む。

「お稲荷さんです。昔からあった稲荷社で、ここが複雑なところなんですが、元々地場の信仰の対象だったのが、管理者が必要だと言うことで30年くらい前に市内の最大神社である稔田神社の氏子たちが動いて、稔田神社の管理下に置いたんです。」

 信介の話を要約すると、この祠を移転させるのに氏子のグループが立退料にも等しい金額を要求したという。槇村不動産は稔田神社の宮司に話をした。氏子のグループは祠は元々地場信仰の対象であって神社とは関係ないと宮司と対立することになる。ここで自ら氏子でもあった市長が話をつけ、マンション敷地内に新しく祠を建てて正式に管理を稔田神社に指名した。祠の移転は一件落着するが、稔田神社は氏子グループが対立し、ゴタゴタが絶えなくなってしまったというのだ。

 これもまた裁判が3件起こされていた。うち一つは市長が特定の宗教団体に加担したというもので、これが理由で2年後の市長選挙で落選している。

 「実に恨みや妬みや、そんなものが渦巻いてるマンションですね。」

柳瀬が言った。柳瀬は信介がこのマンションの住人であることを知らないのだ。

「タワーマンション・インフェルノ、地獄マンションですか。」

そう言って柳瀬はニヤニヤ笑った。

 「さすがは佐崎さんです。国会図書館に通い詰めて、裁判記録にも当たって、いや、よく調べられた。これで諸々噂話のうち真実の部分が洗い出されましたね。」

信介は村雨の褒め言葉に顔を赤らめんばかりだった。

「いや。種明かしをしますと、国会図書館には何度か行きましたが、後はネットで調べました。ネットの情報は玉石混淆ですが、身元のしっかりした情報は使えます。それが居ながらにして手に入るのはインターネットならではです。」

信介は再びお茶を啜った。すでに冷めかけていた。

 「すると佐崎さんは、その3つの件の関係者の中に犯人がいると・・・。」

サイバーポリスの榎本がこれだから素人はという顔をして信介に言った。

「はい。雇い主がこの中にいる。そう思っています。」

「サイバー犯罪の痕跡は、まあ無くはないんだけど、証拠になるようなものは一つも残っていません。D-DOSも海外からの攻撃では発信元へ辿り着きようがありません。」

榎本だ。

「だからなんです。実行犯を捕らえるのは厳しいでしょう。だから主犯を捜す方が近道だと思うんです。」

信介はいつになく熱くなっていた。

 「プロのハッカーたちは尻尾を出しません。もしかしたら依頼した方にだって正体は明かしてないんじゃないですか? でも頼んだ方は色々な意味でたくさんの痕跡を残していると思うんです。」

「痕跡・・・、それはどういうことでしょう?」

 村雨が一生懸命ノートを取りながら信介の次の発言を待っていた。その村雨に信介は目で合図を送る。村雨の表情は了解の印だった。

「最初、一連の犯行がタワーシティ狙いであるとは思ってもみませんでした。だけど、こうしてターゲットはタワーシティであるとすると、色々ヒントはあるわけです。」

「ヒントですか・・・。犯罪の中にヒントが、ということですよね。」

榎本もやや真剣な表情で信介を見た。

 「これは、私ではなくある小学生が見つけたことなんですが、マンション住人にフィッシングが仕掛けられたことがありました。スマホに有料サイトの使用料を払えという警告文が出ました。そのバナーをクリックすると金の具体的な支払い方法が出ていました。」

「フィッシングバナーをクリックしたんですか?」

柳瀬が呆れ顔で口を挟む。

 「この小学生は用意周到で完璧でしたよ。その金の払い方の説明の中にマンション1階のコンビニのATMや2階にあるNMBB銀行のATMの画像が掲載されてました。」

「間違いないんですか?」

と柳瀬。

「間違いありません、POPの貼ってある位置までぴったりでした。また住人のひとりがスマホを乗っ取られて脱衣シーンを盗撮された事件です。なぜ、彼女のスマホだったのかということです。知っていたんじゃないですかね。彼女がホステスをしている若くてかなりきれいな女性であるということを。」

「スマホの中をあされば予想は付くでしょう。」

柳瀬はあくまで懐疑的だった。

「そりゃそうなんですが、初めから知っていたと考えるなら、これもヒントですよね。」

 ここで、村雨が一同の顔を見廻しながらゆっくりと発言した。

「そうですね。その後発生した警告画面はタワーシティの館内無線LANを乗っ取ってのものだったし、ミニバスはまさにタワーシティのですからね。マンションの情報に非常に詳しい人物が犯人であることは間違いないでしょう。そしてハッカーがというよりは、誰かがハッカーに情報を渡してやらせていると考えるのが自然です。佐崎さん、思い当たる人はいないんですか?」

 突然核心を突かれて信介は狼狽した。だが、榎本もいる前で迂闊なこともしゃべれないと思った。それで、村雨の問い質しには一旦否定をして、その日はお開きとなった。

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