第3話 IoT
西部劇@western. 40分
自動運転バスのハッキング事件て、いよいよそういう時代かぁと思いましたよ。
パンパカパン@panpakapan. 40分
急速に普及してますよね、自動運転技術。
西部劇@western. 35分
高速バスが最初に始まって、地域バスも増えてますよね。
イチロー一番@ichirofirst. 32分
一般車両に自動運転システムが搭載される日も遠くないでしょうね。
Sebastian@sebastian. 30分
でも、こういう事件が起こると普及は遅れるんじゃナイスかね。
Sebastian@sebastian. 30分
失礼しました。普及は遅れるんじゃないですかね。
西部劇@western. 29分
でも、今回の事件は人の問題ですよね。システムそのものに問題があったわけじゃないとか。
イチロー一番@ichirofirst. 20分
同感です>西部劇。要はウィルスメールをうっかり開いてしまって、システムダウンしたとニュースで聞きました。あらゆる物がネットに繋がる時代は止められませんよ。
Amadeus@amadeus. 15分
今回は実際お年寄りが2人でしたっけ、大怪我をしているわけで、事はそう単純ではないと思います。
アマデウスは事の真相を知っているだけに慎重な発言だった。当然真相は信介が伝えたものであり、サイバーポリス直接の情報でもあったのだろう。
アマデウスこと村雨の勧めでサイバーポリスに依頼した警告文事件やスマホ乗っ取り事件だったが、怪我人が出るという事態にサイバーポリスでは近未来事件の先取りと意気込んでいる。榎本の意気込み様は尋常ではなく、信介は少々不安を覚えずにはいられなかった。
パンパカパン@panpakapan. 10分
タワーシティって建設前から色々あったところですよね。
ジャンキー@janky. 9分
そうそう、地上げまがいの土地買収とか。伝来の土地を明け渡すので首を括った人がいましたよね。
西部劇@western. 8分
そうなんですか? 店舗のリーシングで槇村不動産に不正があったのは覚えてます。課長だか部長だかが懲戒免職になってますよね。
Sebastian@sebastian. 7分
それは初耳です。
ジャンキー@janky.5分
あの辺の土地は元々国のもので鉄道事業の発展に伴って地元商工会に払い下げられたんでしたよね。結局うまく活用できないまま、畑や空地になっていたんです。それがいきなり高層マンションでしょ?
パンパカパン@panpakapan. 4分
タナボタで美味しい思いをした人が結構いると・・・。
ジャンキー@janky. 4分
安く土地を手に入れたものの活用もせず、子から孫へと継承されて、数億円でしょ?
パンパカパン@panpakapan. 3分
何もしないでね・・・。うらやましい。
ジャンキー@janky. 3分
確か、その金で高層階に入居した人もいたんじゃなかったかな。
イチロー一番@ichirofirst. 1分
そうなんですか・・・、知りませんでした。高層階ってどれくらいするんですか?
ジャンキー@janky. 今
億ですよ。
イチロー一番@ichirofirst. 今
ひえ〜! あの辺て大手町から1時間、そんな値段の付くとこじゃないですよね。
ジャンキー@janky.今
でも問題は、うまく立ち回れずに伝来の土地を離れ難かった人たちですね。
イチロー一番@ichirofirst.今
どういうことです?
ジャンキー@janky.今
だからさっきの土地買収の話ですよ。地上げ屋なんてバブルの時代の話だと思うでしょ。このマンション建設時にあったんですよ、そういう話。
信介はこのTwisterの会話が不安になってきた。いつものチャット仲間だったが、実際その素性を知っているのはアマデウスだけだ。他のメンバーはどこの誰なのか、いや性別さえ知らないのだ。このマンションの住人という可能性だってゼロではない。ジャンキーさん、この件にやけに詳しい。まさか・・・。
パンパカパン@panpakapan. 今
ダンプカーで店に突っ込んだり、家の前に糞尿撒かれたり、ですか?
西部劇@western. 今
それ、ミンボーでしょ? 官民結託して嫌がらせまがいのことをしたとか、ニュースにありましたよね。
ジャンキー@janky. 今
槇村不動産と市がいっしょになって最後まで立ち退きを拒否したケーキ屋だかパン屋だかが地元ヤクザに怪我を負わされました。後から分かって不動産の役員と市の助役だか何だかが辞任しましたよね。
Amadeus@amadeus. 今
そのニュースソースは何でしょうか?
ジャンキー@janky. 今
いや。以前週刊誌で読んだ記憶が・・・。
Amadeus@amadeus. 今
記憶だけなら止した方がいいです。ここはオープンスペースですから。誹謗中傷になりかねない。ジャンキーさん、今紙一重ですよ。
ジャンキー@janky. 今
了解です。>Amadeus.
アマデウスこと村雨丈一郎の一言でチャットはお開きとなった。それにしてもジャンキー氏はタワーシティにまつわる黒い噂にやけに詳しい。地元の人間なのか。まさか関係者? あるいは本当に週刊誌好き、TVのワイドショーマニアというだけなのか・・・。
信介はパソコンをシャットダウンすると今一度今朝の新聞に目を通した。もちろんバスジャックの記事だ。
それから玄関を施錠すると廊下へ。エレベーターホールへ向かう。2階で降りるとマンションの公共スペース、会議室へ向かった。会議室はすでに開いており、博多六郎が座っていた。
「おはようございます。」
「鍵開いてました。コンシェルジュですね。」
言いながら六郎はテーブルの上の鍵を信介に押し出した。
「すいませんでした。ちょっと遅くなってしまって。」
信介は軽く頭を下げた。会議室は信介が予約しており、この集まりの発起人は信介だった。
「おはようございます。」
おずおずと入ってきたのは小学生の菊川肇である。会議なんて場違いな感じを受けてか、いつになく静かな態度だった。
「遅れちゃったかしら? ごめんなさいね、出がけに電話が来ちゃって。それが、緑川さんからで、なんだか体調悪いらしいわ。あの事件以来血圧も高くなって薬のご厄介になってるそうよ。あの年まで130まで上がったことないって言ってたのに。」
会議室に入ってくるなり三橋夫人はしゃべり続けていた。とはいえ、あれ以来三橋夫人も本調子でないことは確かだ。
4人が席に着いたところで、最後に槇村不動産販売の窪川が現れた。
「窪川さん、どうもご足労おかけします。」
「あ、いえ。どういたしまして。」
窪川は会社から来たのかいつものように紺無地のスーツに白いワイシャツを着用している。ネクタイはクールビズで締めていない。従ってワイシャツは第2ボタンが高い位置にある仕様だった。なかなかの洒落者である。
5人が揃ったところで信介は話を始めた。
「皆さん、お集まりいただいて恐縮です。窪川さんもご無理を言ってすいませんでした。」
「いえ、大丈夫ですので。」
窪川がカバンからノートを出しながら言った。
「小僧、いや菊川肇君が平日で学校が休みなのが今日だけだったので、ご無理を言いました。彼にも是非この会議に加わって貰いたかったのです。」
今日は肇の通う谷町小学校の創立記念日だった。何とも都合のいい創立記念日だったと信介が気付くのは後になってからである。
「あの、まず私から一連の事件について分かっていることを説明させて貰えないでしょうか。」
窪川がノートを広げながら信介に了解を求めた。
「もちろんです。お願いします。」
議長了解を取った窪川はノートを手に椅子から立ち上がろうとした。
「いや、座ったままでいいですよ。」
それを信介が制する。
「実は警察が調べている最中なので話せないこともあるのですが、皆さん当事者ですので出来る限り詳しくお話ししたいと思います。」
「窪川さん、緊張しなくていいわよ。皆さんもちょっと口を湿らせて。」
三橋夫人は持ってきた手提げからポットを取り出した。そして紙コップを取り出すと用意してきた紅茶を注いだ。コップを各自へ回す。
「三橋さん、ありがとうございます。さすがです。」
信介は本心から三橋夫人に感謝した。なかなか出来ない心遣いだ。
「ストレートティだけど、よかったかしら。肇君にはお砂糖を用意すれば良かったわね。」
「いえ、美味しいです。」
肇が紙コップから熱い紅茶を啜って言った。
「では、先日の警告文の件ですが、佐崎さんからもご指摘がありましたが、やはりルーターのハッキングが原因でした。つまり、何者かがタワーシティのWi-Fiサービスを利用する誰かのスマホを乗っ取り、マンション館内のルーターへウィルスを仕込んだと思われます。」
窪川の宣言に三橋夫人がおずおずと手を挙げた。
「それって、私が原因を作ったんですね・・・。」
「そうじゃないと思う。奴等は計画的だよ。たまたま発覚したのが三橋さんであって、実際誰のスマホを踏み台にルーターへウィルスを仕込んだかなんて分からないよ。」
肇が三橋夫人に言った。
「私もそう思います。」
すかさず信介が同調した。
「話を続けますが、乗っ取られたルーターが接続してきたパソコンやスマホを例の警告文の掲載されたサイトへ誘導したと思われます。なので、繋いだタイミングによって微妙に警告文の表示時間は異なっていました。被害者は325名・・・正しくは298台のスマホと27台のパソコンでした。」
「そんなに?」
六郎が言った。
「まだ、調査の途中です。もっと多いかも知れません。マンションのWi-Fiを契約しているのは340世帯ですから結構多いですね。謹んでご迷惑をおかけしたことをお詫び致します。」
そう言って窪川は皆に頭を下げた。
「で、もうウィルスは除去されてるんですね?」
と六郎。
「はい。完全に。当社の技術者がマンション内の全てのルーターを一旦初期設定に戻してやり直しましたので、安全です。」
「しかし、また同じようにウィルスを仕込まれたら?」
六郎は疑念が晴れないと窪川に詰め寄った。
「ルーターの内容が書き換えられないようにしたと、うちの技術者が・・・。私には説明は出来ないんですが・・・。」
窪川は急に歯切れが悪くなった。技術的なことは窪川には理解不能だ。
「それは信じるとして、バス乗っ取りはどうですか?」
信介が窪川に先を促す。
「はい。正直親会社の槇村不動産と神野自動車がやってることで、私にはよく分からないんですが、分かった範囲でご説明します。」
そこでタイミング悪く信介のスマホが鳴った。
「ああ、どうも。佐崎です。」
信介は電話の相手に了解を取ってスピーカーに切り替えた。ボリュームを上げて、そのままスマホをテーブルの上に置く。
「皆さんおはようございます。サイバーポリスの榎本です。」
「サイバーポリス?」
三橋夫人が思わず口にした。
「失礼しました。警察庁管轄のハイテク犯罪専門の警察官です。通称サイバーポリスと呼ばれています。皆さんがお住まいのタワーシティでの事件を捜査しています。」
「警察・・・。」
肇も神妙な顔だ。
「まだ皆さんに説明してなかったので。遅くなってすいません。先般の緑川さんの事件があって私が通報しました。」
信介が皆を見廻しながら言った。
「諸々佐崎さんから伺っております。それでは、ご説明代わりに一連の事件についてまとめてみましょう。その方がご理解いただけるんじゃないかと思います。」
榎本は相変わらず立て板に水で会議の主導権を握ってしまった。機先を削がれた窪川が緊張を解く。
「時系列にお話しします。まず、i-tubeに掲載されたマンションでの悪戯動画。例の猫騒動やご老人が脅かされた動画ですね。掲載者のピカキンチューですが、そこそこ有名人らしいですね。他にも複数の掲載者がいますが、彼のチャンネルは他者からの投稿を受け付け可能になっていまして、山田章子さんの動画も提供者Y2M2D2となっています。彼は承認を与えただけという形になっていて実際の所はよく分かりません。自作自演かも知れないですが。令状を取って彼のパソコンを調べれば証拠が見つかるかも知れませんが、今は令状を取るのは無理です。ピカキンチューに実際に事情聴取を行うのも現状では難しい。なお、山田章子さんの動画はi-tubeに言って削除させました。」
「これは悪戯動画であって犯罪とまでは言えないということでしょうか?」
肇が信介のスマホに質問した。
「ああ、君が肇君ですね。なかなか優秀だとか。犯罪に繋がっていそうな記事や画像、動画は捜査対象です。この動画の場合、例えばバスジャック事件などに繋がるかと言えば、そうとは言えないということです。残念なんですが・・・。」
「榎本さん、先をお願いします。」
信介が榎本に先を促した。信介にはピカキンチューがマンションを狙う犯人とは到底思えなかったのだ。少なくとも主犯じゃない。
「分かりました。そして三橋さんのスマホが乗っ取られ、還付金詐欺が発生しました。我々の直接の調査では三橋さんのスマホがウィルス感染したことが事の発端と考えています。三橋さんのスマホから電話番号とメールアドレスが流出し、そのデータを元に還付金詐欺未遂へ繋がったと思います。ただ、還付金詐欺はちょっと手口が素人っぽいですが。」
「どういうことです?」
と信介。
「確証はないですが、その後の緑川ご婦人の振り込め詐欺、これが本命じゃないかと思います。還付金詐欺はおまけというか、ついでというか、実際被害もないわけで・・・。」
榎本の解説に三橋夫人は再び気落ちしてしまった。
「山田章子さんのスマホ乗っ取り事件は、これはその後の事件の鍵と言えます。山田さんのスマホは完全に支配されており、勝手に動画撮影をしたことだけじゃなく、もしかしたらルーターへウィルスを送り込んだのはこのスマホからかも知れないです。スマホの解析はかなり進んでまして、マルウェアの出所を突き止められるかも知れません。」
「それこそ、海外製なんじゃないですか?」
肇が榎本に言った。
「いえ、仕込まれていたマルウェアは過去にも見つかっており、コピーなのかどうかは別として私たちは国産と見当を付けています。出所が分かると犯人に繋がるかもしれません。」
「ウィルスはサイバーポリスでも収集分類してるんですか?」
肇がまた質問した。
「しています。うーん、正直言ってしまうと民間に手伝って貰ってます。いや、更に正直に言うと民間に委託しています。村雨さんのところのような会社に。」
「ま、まあ村雨氏のことはいいとして、先を続けて下さい。あ、ルーター乗っ取りの件は今窪川さんから説明を受けたので省略して結構です。」
榎本に話を続けさせるといつ終わるか分からない。会議の本題はこれからなのだ、事件のおさらいはざっと済ませればいい。信介は重大犯罪のミニバス乗っ取り事件の捜査状況を早く知りたかった。
「それでは、警告文章表示の事件については割愛させていただいて、ミニバス乗っ取り事件について話せることを・・・。」
窪川も聞き耳を立てる。今ではすっかりサイバーセキュリティ対策会議の常連だったが、親会社のやってるバスの自動運転についてはあまり情報を持っていなかったのだ。
「にこにこシティバスの自動運転は神野自動車本社内にあるプロジェクトのサーバーで管理されていました。このサーバーは神野自動車の基幹にも槇村不動産の基幹にも繋がっていない独立したシステムでした。バスの運行管理プログラムもこのサーバーの中に存在し午前0時に毎日更新されたプログラムがバスの中のマイコンに送られていました。バスは1台。午前8時半に出発して終点まで行って戻ってきます。バスはそのまま玄関前を午前9時半に再度出発して同じコースを運行します。マンションへ戻ったバスは今度は一旦専用駐車場で待機、午後1時半と2時半に同様に出発します。夕方便は午後5時半出発と午後6時半出発です。つまり1日6回1台のバスが同じルートを辿るわけです。その6回分の運行プログラムの差分のみ午前0時に送られていました。」
ここで榎本は一息ついた。だが、集まったメンバーは早く本題を聞きたくうずうずしていた。電話越しにもその感じを受け取ったのか榎本はすぐに話を続けた。
「毎日同じ運行ですから差分もほとんどないように思いますが、実際にはウィークデーと土日祝日の運行は違うし、年末年始や大きな行事、あと道路工事とかですね、変えていたそうです。1日のうちでも天候や気温などでプログラムは変更されたと言うことでした。このプログラムを基本にバスに設置された18のセンサーが道路や歩行者、乗客の状況を感知してハンドルを切ったりブレーキを掛けたり、扉を開閉したりしていました。つまり走行中の自動運転プログラムはバス自身にあり、道順やスピード、走行環境などのコースプログラムは毎日更新されていたというわけです。バス搭載の自動運転プログラムは企業秘密と言うことで内容は明かせません。ただ、今回の事故の原因は毎日更新されるプログラム差分によるものでした。」
「つまり・・・。」
佐崎が焦れて思わず先を促した。
「つまり、今回午前8時半に出発したバスに搭載されたマイコンに送られた差分データが書き換えられていました。違う道順を指定したプログラムが送られていたというわけです。」
「あの、そのデータというのはどうやって送られてるんですか?」
肇が息せき切って榎本に質問した。
「4G回線です。6回分の運行基本プログラム差分が神野自動車プロジェクトから午前0時に4G回線を使って各車両に送られています。」
「携帯電話回線なんですね、Wi-Fiではなく、5Gでもないんですね?」
肇である。
「そうです。場合によっては運行途中でも書き換える可能性もあり安定的な4Gを使っているそうです。」
榎本が答えた。
「佐崎です。ハッカーは神野自動車プロジェクトのサーバーに侵入、送信されるルートプログラムを書き換えたというわけですか・・・。」
ようやく本題に入ったところで佐崎が榎本に確認した。
「それなんですが、プロジェクトサーバーの解析はまだ終わってないんですが、どうやらハッキングされてないみたいなんですね。」
「え?」
皆一斉に、と言っても三橋夫人も六郎もピンときていないのだが。
「バスのマイコンプログラムは書き換えられていました。」
「バスに搭載されたコンピュータ、マイコンですね、こっちがハックされたと言うことですか。」
「その通りです。恐らくですが、午前0時の通信の後その日2回目の通信が行われた。これで翌朝運行のプログラムが書き換えられたというわけです。」
ここで窪川が急に話し出した。
「榎本さん、槇村不動産販売の窪川です。宜しくお願いします。その、自動運転バスがこうして乗っ取られてしまった時プロジェクトではどういう対応をすることになっていたんでしょう。あ、いや、親会社なんですが私には何も教えてくれなくて。情けない話なんですけど・・・。」
「特に運行マニュアルにはバスがハッキングされた時の対応はありません。不測の事態に対応するために自動運転と言いながらも緊急時対応乗務員を乗せていると言うことでした。人が対応すると言うことですね。」
「でも、でも、その緊急乗務員が何もしなかった・・・、出来なかった? じゃないですか。」
窪川が食い下がった。
「彼は業務マニュアル通りにプロジェクトルームへ何度も電話連絡を入れていました。が、事務所は9時始業で9時前には部屋に誰も居なかったようです。何とか課長さんはいつも8時半には出勤しているそうなんですが、9時になるまで留守電を解除しないそうで・・・。」
「事件を大きくしたのは人為的な問題じゃないですか。」
窪川が声を荒げた。
「お年寄りが2人も大怪我されて、他の方々も30分あまりもバスの中に閉じ込められたんですよ。」
窪川の居住者を思う気持ちは有り難いが、今はシステムの問題を聞きたい。そして犯人のことだ。佐崎は窪川の発言を無視する形で榎本に問いただした。
「バスのマイコンを書き換えたのは誰なんですか?」
「分かりません。今、マイコンに残っている痕跡を探しているところです。ただ、書き換えられた通信プロトコルから実際にハッキングしたのはスマホだと思われます。もしかしたらですが、これも誰かのスマホを乗っ取って送信したのかも知れません。」
榎本の声が信介のスマホの向こうから響いた。
「え!?」
三橋夫人が声を上げた。
「スマホ、ですか。」
とこれは信介。
「4G通信ですからね、パソコンじゃなくてスマホでしょう。」
「スマホでそんなことが出来るんですか?」
今度は六郎で質問した。
「IPアドレスが分かれば、アクセスは容易かと。送りつけるプログラムも差分ですからね、ごく小さくて済みます。スマホで十分可能ですよ。もちろん、色々障害はあるんですが、バス側のセキュリティが甘かったのは事実です。」
「といいますと?」
信介が突っ込む。
「パスワードという考え方がありませんでした。正しくIPアドレスへアクセスしてきたら繋ぐ、そういうことでした。これ、今後IoTでは非常に問題になるんですがね。」
「むう・・・。」
信介は唸ってしまった。開発側の意識があまりに低い。これでは簡単に乗っ取られてしまう。
「ねえ、IoTって何ですか?」
肇が榎本の説明に反応した。
「肇君、それは今度私から説明しよう。今はバス乗っ取りについて情報を聞きたい。」
それを信介が遮って榎本に先を促した。
「肇君だったね、IoTは一流のシステム営業佐崎さんに聞くといい。にこにこシティバスの事件は明らかにサイバー犯罪ではありますが、人為的なミスが、まあ怠慢と言っていいかも知れませんが、招いた事件と言えると思います。で、佐崎さんが最もお聞きになりたいと思うことですが、これはやはり槇村不動産のマンション『タワーシティ』を狙った犯罪だと思います。槇村不動産に確認しましたが、他の物件ではこうした事件は何も起こっていないそうです。もっとも、各事件ではITレベルの差が大きくて、全て同一犯の仕業かどうかは断定できていません。」
信介がため息をついた。やはり妄想ではなく、このマンションが狙われた。
「理由は何なんでしょう。」
信介が榎本に尋ねたが、
「う〜ん、そこは地元警察の仕事ですね。」
がサイバーポリスの答えだった。
榎本との電話会議は終了し、改めて信介招集の会合が始まった。
「窪川さん、このマンションは誰かに狙われる理由があるんでしょうか?」
六郎が詰問口調で槇村不動産販売に尋ねた。
皆の視線が窪川に集まる。
「いや、それは・・・。」
急に汗を掻き出す窪川。
「色々と週刊誌を賑わす事件もあったんですよね。」
「ええ? そうなの? そんなこと全然知らなかったわよ。いわく因縁付きの物件な訳?ここはさ。だったら買わなかったわよ。」
と三橋夫人。
「そ、そんな、曰く付きの物件だなんて・・・。」
窪川が血相を変えるが相変わらず歯切れが悪い。
「確かに不祥事的なことはありましたが、最後は納得づくで建設に入ってます。特に問題はなかったはずです。」
窪川は絞り出すようにそれだけ言うと、後は黙りこんでしまった。
「まあ窪川さんを責めても仕方ないでしょう。それよりもここが狙われてるのは確かなわけで、それも今回は重傷者が出てるんですから、悪質です。」
残念ながらこの後すぐに会合は散開となった。時間切れである。信介は会議室を1時間しか押さえていなかった。榎本の話が長過ぎたのだ。
サイバーポリスから事件の全体を聞けたことだけが収穫だった。そして自分たちで何か対処することはかなり難しそうに思われた。
皆が出て行った後、信介は紙コップを集めゴミ箱へ捨てた。椅子の向きを直して会議室の鍵を閉めようとした時、信介はインターホンのスイッチが入りっぱなしになっていることに気が付いた。
『インターホンが入っている?』
気が付かなかったが、インターホンの通話状態を示すLEDが紙テープで覆われている。電源ONなのを気が付かれないようにした? その時インターホンから、
「コホン。」
と小さく咳が聞こえた。そして接続が切れた。
『コンシェルジュ?』
信介の心に黒い雲が広がりだした。そう、一番最初に来た博多六郎が部屋はすでに開いていたと言っていた。やはりコンシェルジュが・・・。それにしても何故会議をコンシェルジュが盗み聞く必要があるのか? いやいや、単なる思い違いかも知れない・・・。
それに三橋夫人だ、信介は思った。六郎と出て行ったのが気になった。昔の週刊誌ネタを聞いた三橋夫人はあちこちに言いふらすことだろう。根も葉もない尾ひれを付けて・・・、まるでAIスピーカーのように。
会議室を閉めた信介はラウンジに残っていた肇を誘ってパンケーキ屋へ向かった。
「いらっしゃいませ〜。」
明恵の明るい声が店内に響く。
「佐崎さん、いらっしゃいませ。」
明恵が水を持って席に現れた。
「今日は、コーヒーとオレンジジュースだけでいいかな。」
「よろこんで!」
「なんだ、それは?」
「やけくそで〜す。忙しくて。昼前から大忙しですよ。ワンオペはきついです。」
そう言うと明恵は胸元のマイクに、
「3番テーブル ホットコーヒー イチ。オレンジジュース イチ。」
と呼びかけた。左耳に掛けたイヤホンからの返事を受けて、
「OK 実行。」
と呼びかける。これで注文OKである。明恵はこれだけのことをカウンターまで歩いて戻るまでにこなして、パンケーキの皿を受け取ると別のテーブルに歩いて行った。システムは更に進化し、胸元のマイクとイヤホンで完結できるようになっていた。
「恐るべき進化だな。だが、これじゃあ忙し過ぎだろ。」
信介が肇に呟いた。
「会計が現金廃止になったから、大分楽になったんじゃないの? 一番手間が掛かるのは決済でしょ。だからレジもなくなった。」
先週から支払いに現金が使えなくなったのだ。使えるのは各種クレジットカード、デビットカード、交通系と流通系他の電子マネー、銀行連合のバーコード決済などである。ご時世で銀聯カードもアリペイも利用可となっている。
決済は各テーブルで明恵の持っている全対応リーダーにかざすだけだ。料理以外完全に店1軒をワンオペで動かしていた。
「時代は急激に進んだ。」
「なに、爺さんみたいなことを言って。」
「ああ? なんだと。奢ってやんないぞ、小僧。」
信介が肇を睨みつける。
「ごめんなさい。で、IoTって?」
「ああ、それか。Internet of thingsの略だ。物のインターネットと言われてる。」
「物のインターネット・・・?」
肇は興味津々の体で信介の方を見ている。
「新聞なんかでも出てるから多少は知ってるんだろう?」
「まあね。でもよく分かってない。」
肇が悪びれずに答えた。
「真摯な態度だ。すでに多くの物がインターネットに繋がっている。ただ、それらが体系的に利用されているかと言えば、まだまだだがな。」
明恵が持ってきたコーヒーを啜りながら信介は話し始めた。現役時代IoTのプレゼンもやったことがあった。信介はスマホの画面にその時の基本資料を表示させると肇に見せた。
「あらゆる物がネットに繋がる・・・すでに繋がっている物も多い。例えば、車だ。車は電子部品の集合体のような物だ。その動きはコンピュータで制御されている。雨が降るとワイパーを付ける。そのデータが蓄積される。エアコンを入れる。何度に設定したか、いつどのくらいの時間付けたのか、情報が貯まる。ブレーキを踏む、その強さは? どこを走っていて踏んだ? いやいや、助手席に同乗者がいた? シートベルトはしていた? シガーライターは使った? などなど様々な情報が車に蓄積されるんだ。このうちどれを提供するのか、最近発売された車でその設定がスマホで出来るのがあったな。」
「あった、世界初だとか。でもそれにどんな意味があるのか分からなかった。」
「現状自動車メーカーがその情報を受け取る。100万台売れた車から情報を吸い上げればどうなる?」
「どうなる?」
肇は小首を傾げて信介の言ったことを鸚鵡返しにした。
「ワイパーの稼働情報はGPSと組み合わせることで雨の降っている場所をリアルタイムで特定できる。ガソリンの消費量は単に燃費の問題だけじゃなく、消費傾向を掴める。地図情報と連動してブレーキを踏む情報はドライバーの安全運転の度合いや運転技術が分かる。これらのデータは色々な会社に売れるだろう。ワイパー情報は気象会社にガソリンの消費量は石油会社に、安全運転データは保険会社に。」
「そうか、100万台から集めた情報から分析をすれば傾向が分かる・・・。」
「それがビッグデータの活用だ。」
「ビッグデータ・・・。」
肇の瞳がまるでアイドルタレントを見るような感じで輝いていた。
「ビッグデータの収集もIoTだと遙かに効率よく情報を集められる。だが、IoTは情報の集積だけがメリットではない。もっと生活に密着したところでも有用なんだ。電力会社やガス会社が採用しているスマートメーター、あれもそうだ。」
「スマートメーター?」
「小僧はずっとマンション暮らしか? それだと電気やガスの検針というのは知らないかな。今でも結構残ってるんだが、それでも大分減ったかな。電力会社、ガス会社が雇った検針員というのが、各家に設置されているメーターを読みに行ったんだ。それを元にその月の請求金額が決まる。」
「いちいち回ったの?」
「まだ3分の1くらいは旧式のメーターなんじゃないかな。ところが慢性人手不足で検針員がなかなか集まらない。それに人を使うからな、人件費が半端ない。メーターがその家の使用量を記憶し、会社に情報を通信する。電力・ガス会社としては人を集めて戸別訪問させる必要が無くなる。と同時にスマートメーターはリアルタイムで電気・ガスの使用量情報を会社に送ることも出来る。それを集計すれば、市町村の単位で電気・ガスの使用量がわかるというわけだ。もうちょっと現実の話をしよう。小僧のうちではロボット掃除機を使ってるか?」
「ああ、使ってる。何しろお母さんは掃除なんてしてる暇ないから、あれは欠かせないよ。たぶん次は家政婦ホッパーを買うと思うよ。」
「あの掃除機もネットに繋がった。以前の機種も繋がったが、スマホとやり取りしてタイマーセットしたり出来るだけだった。今では、サークリン社のAIから様々な情報が提供され効率のいい掃除が出来るように掃除機が進化していく。その代わり、稼働状況を掃除機は本社に送ってるわけだ。掃除機に限らず家電がネットに繋がり、それぞれが相互にも作用するようになった。エアコンを着けると加湿器が連動してスイッチが入るとか、テレビを点けると部屋の照明が点くとか、タワーシティにも使い切れない機能がたくさんあるな。」
「そうか、あれは全部物がインターネットに繋がってるからなのか・・・。」
「そう、ひとつひとつ物の動きをコントロールするマイコンにネットと通信する機能が備わってメーカーは膨大な情報を手にした。もちろん、1つ1つが直接通信して繋がる場合もあるし、それぞれはWi-Fiで繋がっている場合もある。」
「なるほど・・・。」
ここで明恵が水を持って席に現れた。
「お水をお注ぎしま〜す。」
そう言って、信介と肇のコップに水をつぎ足した。
「そんなこともひとりでやるんだ。」
信介が明恵に笑いかけた。
「そうなんですよ。伝統的なサービスは継続、新しいサービスも導入、どんだけ働かせるのよって言いたいです。」
そう言いながらも明恵はニコニコ笑顔を絶やさない。そこが癒やされる所以なのだが。
「ブラックかな。」
信介が明恵に言うと、
「ブラック、ブラックですよ。」
軽快にそう答えた。
「最近お若いご友人と来られることが多いですよね。」
明恵が肇のことを見ながら信介に言った。
「お若い友人ね・・・。肇君です。」
信介は明恵に肇を紹介した。
「どうぞ、御贔屓に。でも、今日は学校お休みじゃないですよねえ。」
明恵はちょっと意地悪に返してきた。
「今朝は重要な会議があってね。特別に来て貰ったのさ。学校には連絡済みだよ。これは重要な地域活動の案件だからね。小学生といえども地域社会の一員だ。」
すかさず信介が返す。
「あら、失礼しました。谷小でしょ? あそこ昔から風紀委員会がうるさいから。サボりは厳罰ですからね〜。」
明恵はそう言うと信介と肇の席を離れていった。
「もしかして、バレてた?」
肇が信介に言う。
「バレバレ。本当は今気が付いたんだがな。」
「それで・・・。」
黙り込む肇。
「いやいや、親にも学校にも言いつけたりしないよ。ただ嘘は感心しない。今朝の会議は重要なことだ、小僧にも協力して欲しいと思ってる。だが、それを口実に学校をサボるのはお門違いだ。」
「分かった。ごめんなさい。」
「そうか、谷小って風紀委員会があるのか。随分古めかしいな。」
「そうなんだよ、風紀委員会ってなんだいそれって感じだよね。駅前中心に先生とPTAが今でも巡回してるよ。何十年も前かららしいよ。」
肇がそう言いながら窓の外を眺めた。
「なに? 見つかったらヤバいな。俺がさ。」
信介も窓の外を見渡した。
「その時は、誘拐されたー!って叫ぶわ。」
肇がまだ窓の外を見ながら信介に返した。
「おい、おい。」
「巡回は大抵夕方だから大丈夫だよ。それに今日はちゃんと欠席届けを出してあるから。」
「そうか、それならいいが・・・。それでな、IoTの続きだが、物がネットに繋がることで人の暮らしはより便利になり、物同士の相互通信は単体の時以上に使い勝手が良くなり、そこから得られるビッグデータは商品の質向上や開発に役立つ、そういうことになる。」
「そういうことかあ・・・。」
肇は腑に落ちた感じでゆっくり頷いた。
「この考え方は突然生まれたものではなく1990年代から色々と考えられていた。一時世間を騒がせたのがユビキタスという考え方。」
「ユビキタス?」
「ああ、どこでもネットに繋がる社会なんてもてはやされた。スマホのない時代にね。」
「へえ。」
「明應義塾大学の米村教授の提唱したトロンはまさにIoTだった。」
「トロン? 昔の映画にあった。」
「ディズニーがリメイクする前にもトロンという映画があった。いずれ全部現実の物になるんだろうな。小僧が大人になる頃には。」
「夢のような世界だね。」
肇が信介に笑いかけた。
「さて、本当にそうなるかな。」
信介は肇に答えて厳しい顔になる。
「え? どうして?」
「IoTの世界は大きな危険と隣り合わせなんだ。ここを解決しないと夢の世界が悪夢になりかねん。」
信介は厳しい表情を崩さず、肇を見据えた。
「え?」
「今回のような事件が起こるって事だよ。コネクテッドカーのコンピュータを乗っ取って車を暴走させる。エアコンをハッキングして勝手に室温を下げる。掃除機を暴走させることも出来るな。ガスメーターをハックしてガス漏れを起こさせるなんてことも。」
「怖いな。」
この想像に肇は素直に恐れおののいた。
「多くの機器をネットを通じて制御している場合、メインフレームに侵入して乗っ取るより、直接機器を乗っ取る方が簡単かも知れない。」
「メインコンピュータはセキュリティも高いけど、小さな個別のマイコンなら簡単に侵入できるって事ですか?」
「にこにこシティ号の運用プログラムの入っている神野自動車のサーバーに侵入するのは難しいが、バスに積んであるマイコンはザルだった・・・。」
「ああ、そういうことか・・・。一体誰がやってるんだろう。やっぱり近くに居るんじゃないかと思うんだけど。」
「ああ、たぶん。ちょっと気になる人物がいる。」
だが、信介はそれ以上肇には何も話さずにパンケーキ屋を出た。
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