君を忘れる方法

白川ゆい

プロローグ

「ああ、もうそんな時間か」


 初老の男性が寂しそうに笑う。髪はまるでこの部屋の壁のように真っ白に染まり頬はこけ、若い頃の整った顔立ちの名残を唯一残した目だけがキラキラと輝いていた。男性は部屋の入り口に立つ金髪の少年に向かって笑いかけた。


「最期に家族と向き合う時間をくれてありがとう」


 男性の周りを囲む家族には男性が誰に向かって何を言っているのかわからない。ああ、とうとう死期が近付いているのだ、きっと先に逝った彼の妻が迎えに来たのだ、とただそう思った。少年のことが見えるのはこの部屋で彼だけだった。見ようとしない者には見えない。少年が見えるのは、寿命が近付いた人間だけ。

 男性は天井を仰ぎ人生を振り返った。頑固な性格のせいで随分苦労をした。妻にも迷惑をかけた。今周りにいるのは最近まで絶縁していた娘とその夫、そして初めて会った孫だった。自分が娘の結婚を頑なに反対したせいで妻は孫に会えなかった。それだけが心残りだ。


「千尋ちゃん」


 男性が孫に向かって手を伸ばす。初めて会った祖父に戸惑いながら、孫はその手に自らの手を重ねた。ひんやりとし痩せ細った男性の手は孫娘にああ、もう終わりなんだと実感させる。反対に男性は孫の手の温かさに幸せそうに笑った。


「天国でおばあちゃんに会ったら、千尋ちゃんはとても可愛かったと伝えておくよ」


 それだけ言って男性はゆっくりと目を閉じた。部屋が悲しみに包まれる。医者が確認の言葉を言うのを聞き届けて少年は部屋を出た。

 どこからか聞こえる誰かの話し声、看護師が歩く音、病院は意外にも生きている人間の気配を多く感じる場所だった。無表情で歩く少年からは一切の感情を見つけられない。そして誰も少年には目を留めない。金髪碧眼に整った顔立ち、普通ならとても目を引く容姿なのに、誰も。


「おばあちゃん、飲み物買ってくるね」


 ある病室の前を通った時そんな声が聞こえ、少年は何気なくそちらに目を向ける。彼の目に映ったのは穏やかに笑い色素の薄いセミロングの髪を揺らしながら歩いてくる少女だった。顔を上げた彼女と少年の視線がゆっくりと交わる。少年は固まりその場を動くことができなかった。彼女は対照的に彼に微笑み横を通り抜ける。


「坊ちゃん、終わりましたか」


 彼女の後ろ姿を見送っていた少年に銀髪で背の高い男が話し掛ける。少年は頷きながらも未だ彼女を見ていた。歩いている彼女に「幸!」と声がかかる。それは先程少年がいた部屋から出て来た男性の孫娘だった。孫娘は泣きながら彼女に抱き付く。彼女は孫娘の背中を撫でながら病室の中をじっと見ていた。何かを網膜に焼き付けるように、じっと。


「坊ちゃん、どうかされました?」

「……あの女、俺を見ていた」


 ぽつりと少年が呟いた言葉は銀髪の男性には届かず消える。聞き返した男性に首を横に振り彼女から目を逸らし歩き出した。彼女は立ち去る少年に視線を移す。透き通るような茶色の瞳に、少年の後ろ姿が映っていた。

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