始まりと終わり②

 何か夢を見たように思う。

 だが、思い出せなかった。

 馬車の揺れに身を任せながら、ウィルの旅路の後半は、微睡みの中見た夢を思い出す作業に駆られた。


 淡く満たされるような感覚だけが残っている。

 だから……とても思い出したいと思った。


「ウィル様、じきに着きますぞ」


 安穏とした幸せは、モーリウスの渋い声で打ち切られる。


「起きられよ。ウィル様」

「……起きてる」


 不機嫌が声にあからさまに出てしまったが、モーリウスは無反応だった。


 やがて馬車は、森の中に伸びる一本道に出た。

 道は美しく舗装が施されている。

 見覚えがある。この先が、姉が嫁いだエイリーヴ領。スノール卿の城だ。


 森の樹々から茜色の光が斜めに道を彩っている。


 空は真実に夕空。

 いよいよ今日も、終わりに向かいつつある。


 森から差し込む光に、七色が差し込むように見えた。

 もう一度見ようと身を乗り出したが、モーリウスが制する。


「ウィル様。この先、決して私のそばを離れてはなりませぬぞ」

「?」


 モーリウスの顔は、あまりにも険しかった。

 剣術の師でもあるこの男の、このような顔を、ウィルは見た事がなかった。


 どうしたの、モーリウス? ――問おうとするより先に、馬車は城門に差し掛かった。

 ウィルを残し、モーリウスは外に出る。


 馬車の外には、遥か高き巨大な門がある。

 門の上の見張り台より、兵士が姿を覗かせる。


「アイゼム卿が嫡子ウィザール・アイゼムの馬車である。使いで参った。門を開けよ」


 朗々と打ち響くモーリウスの声は、馬車の中にも外と変わらず聞こえる。


「遠方よりよく参られた。待たれよ」


 間もなく、門は開かれた。

 ウィルは嬉々として外を見つめた。


「姉上はお元気かな」

「ウィル様、ディン様からの包みはちゃんとお持ちか?」


 白い横掛けの鞄を掲げる。

 鞄には、金の刺繍で編まれた獅子の紋章があった。


「ここに」

「しっかりお持ちくだされよ」

「わかってるって」


 父から姉へのお使い物。

 それから、ことづて。

 ウィルの知る限り、父と姉は仲が悪かった。

 婚儀の折も、ほとんど口を利かず終いだったのを覚えている。


 ああ、これは重要だ。とても大切な事なのだ。


 父と姉が仲直りするきっかけを、自分は今握っているのだと、ウィルは唇を噛みしめた。

 まだ、笑い合っていたあの頃に――。


「ようこそ、ウィル様! そしてモーリウス殿!」


 2人を出迎えたのは、初老の身なり正しき紳士であった。

 婚儀の際を含めても、来たのは今日で3度目。ウィルは名前が思い浮かばなかった。


「急の知らせ、驚きましたぞ。長旅お疲れ様です。さあ、こちらへ」


 馬車を降り、グルリと辺りを見渡すウィルに、モーリウスは目くばせをする。


「行きますぞ」

 ああ、離れないようにしなければ。


 整列した兵士達の間を抜けるように、城の中へと入って行く。


 夕とて、外はまだ城の中よりは明るかった。

 壁にかけられた松明の光だけでは、城の中はひどく暗く思えた。


 目が慣れるまでに、時間が掛かった。


 やっと辺りが見えてきても、生まれ育った城よりもずっと暗かった。

 そしてヒヤリとする。

 夏の終わりに差し掛かっているとはいえ、肌を撫でる冷気は、外にいた時には感じられなかったもの。


 半歩後ろを歩くモーリウスをチラと見る。彼は平然としている。


 やがて、2人は城の一室へと案内された。来客用の応接間である。

「少々お待ちを」

 待つ間、モーリウスは何も言わなかった。

 静寂に戸惑う。

 戸惑いの中、ウィルは部屋を眺め見る。


「ウィル!」


 部屋に姉が飛び込んできたのは、床の縫い目も見飽きた頃。


「姉上!」

「ああ、ウィル……!」


 姉の姿を見る間もなく、抱き締められ、ウィルは目を白黒させた。


「姉上、お元気そうで」

「ウィルも、変わりはないわね?」

「はい。僕も父上も」


 ドキドキと言った言葉に、姉はピクリと肩を揺らした。


「そう……父上も。お元気で、何より」

「ご無沙汰しております、グリス姫」

「モーリウス。会えて嬉しいわ」

「もったいなきお言葉」


 グリスは体を離し、ウィルに向かってにこりと笑った。


「少し背が伸びた?」

「そうでしょうか?」

「ええ。前に会った時より、凛々しくなったかしら?」


 クスリと笑う姫君に、ウィルは嬉しそうに顔を赤らめた。

姉上は綺麗になられた——思ったが、とても口にはできない。


「事前に連絡をもらえたら、宴の準備をしていたのに」


 部屋の出口には兵士が2人。

 ここまで案内してくれた身なりのいい男も控えている。


「ああ、それにしても嬉しいわ。ウィルが会いに来てくれた!」


 再び抱き締められ、ウィルはドキドキしながら、


「ああ、姉上、父から――」


 早速、父から手渡された包みを渡そうとしたが。


「ゼルフ殿、馬車に我が殿からの使いの品がございます。早採れのルコの実も幾らか」

「貴重な品を、申し訳ないの」

「スノール卿にも書簡が」

「ああ、すまぬ。殿下は今不在なのだ。じきに戻られよう」


 ……言いそびれ、ウィルは少し気を落とした。

 だが。


「ここでは何だわ、私の部屋へ。よいでしょう? ゼルフ」


 グリスの言葉に、ウィルの顔はパッと明るくなった。

 ゼルフは少し神妙な顔をしたが、ダメとは言わなかった。


 案内される、その道は、以前来た時とは別の道だった。


「こちらよ」


 姫とウィル、そしてモーリウスの後ろには、兵士が2人控えている。

 やがて辿り着いた道の先、くぐった扉の先は、廊下よりもずっと明るく思えた。


 ウィルが思った事が通じたように、グリスがクスリと笑った。


「ほら、天井が吹き抜けのガラスになっているの。空から光がよく差し込む」

「わあ、すごい」


 はしゃぐウィルのそばで、モーリウスは部屋を見渡しそっと呟く。


「窓一つないとは」


 グリスは静かに微笑んだ。


「そう悪いものでもないわ」

「されど、」

「よいの。その代わり、ほら、私の好きな物で溢れている」


 よい香りがする。これは薔薇だ。

 明るく見えるのは、星のようにきらめく花の数々。

 そして、たくさんの書物。

 天井から釣られた灯りは、花の冠のように。


「ウィル、ちょっと顔を見せて」

「え?」


 そう言うと、グリスはウィルのほっぺを柔らかくつまんだ。


「痛いです、姉上」

「どうしたの? この頬の傷は」

「……転んで」

「あらら。もう、ウィルは相変わらずね」


 かわいい、かわいいと言って抱き締められる。

 大好きな姉上。

 ウィルもぎゅっと、背中に手を回す。


「……姫様」


 ここまでついてきた兵士は、部屋の外にいる。

 扉の向こうの気配を辿り、モーリウスは声を潜め言った。


「父上より、ことづてが」


 ああそうだ、ことづてが。

 そしてウィルは、鞄の中にある預かりの品を思い出す。


「ウィル様」


 モーリウスに促され、ウィルは獅子の刺繍が施された包みを姉に渡した。


「姉上、父上が」

「……」

「今年の葡萄酒は出来栄えがいいと言っておられました。姉上の大好きな葡萄酒です」


 包みの中からグリスは、白い封書を取り出した。


 中には手紙が入っている。何が書かれているんだろう? 覗き見たい気持ちでいっぱいになる。

 きっと、嬉しい事が書かれているんだと思った。

 何か、楽しい事が。


「……」


 そう思うウィルの気持ちとは対照的に。


「……どういう事」


 姉の表情が、スッと変わって行くのを見た。


「モーリウス」

「……まだ詳しくは申せません」

「父上は、」

「書の通り」


 怒りと悲しみと。


 ……ああ、悲しみ。


 悲しいとは、苦しいんだ。

 苦しいとは――これほどに。


 美しい姉の顔さえも……変えてしまう。


「とにかく、念のためにお支度を。卿がおられぬなら、幸い」


 グリスはウィルを見た。


「ウィル」


 苦渋に呼んだその声に、ウィルは少し恐怖する。


「姉上……?」

「……」


 次に姉が弟の名を呼ぼうとした時。


「姫!! よろしいか!!」


 扉を叩く音に、ウィルは一瞬飛び上がりそうになった。


「ウィル様!! モーリウス様!!」

「どうされた、ゼルフ殿」

「今……アイゼム卿の城より使いがっ」


 ――城に火が放たれたと、男は言った。


「アイゼム卿が討たれた」


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