4.1 浮上

 煩いくらいだった。

 ロシアが空からの哨戒網を強化しているのは空自の各地のレーダーや通信施設が如実に捉えていた。三十八機の哨戒機が飛び立ってロシア沿岸をぐるぐると探し回りながら、自分の位置をアピールするみたいに電波を発している。それで何かを探していることは十分わかる。もちろん何を探しているのかは無線では言わない。中には防空識別圏に近づいてくる哨戒機もいた。

 かといって日本側としてはいきなり戦闘機を飛ばすと角が立つし足も短いから、浜松の警戒機を日本海へ出して、それよりロシア寄りに前線を張るように海上自衛隊が哨戒機を並べていた。そのうち一機が普段通りの行動を装って肉眼で見える距離までロシア機に近づいた。挨拶代わりに翼を振って横並びに飛ぶ。相手の哨戒機は尻尾から長いアンテナワイヤーを垂らして、翼の下に魚雷を吊るしていた。実弾らしい。

 あるいは他の一機が佐渡沖で機関停止しているクリヴァク級フリゲートを発見する。経済水域の境界から日本の領海側に三分の一ほどのところだ。前にも後ろにも波を立てていない。それに艦尾側が不自然に沈み込んでいた。海面は凪いでいるが艦尾のソナー格納庫の扉が半分ほど浸っている。スクリュー周辺が損傷して自力航行できないらしかった。哨戒機は高度を落としてじっくり観察しようとしたが北西二十キロほどのところに接近してくる別の駆逐艦が見えたので退避した。

 それは当然そのフリゲートが味方に救援を頼んだからなのだが、その通信からさらに三時間ほど前にドルフィン発見の一文を飛ばしていた。ドルフィンがフリゲートをやったのは間違いない。しかし前にウェルドックから進水するのを見た感じでは、いくら潜水装備といっても中に魚雷を収めるほどの容積はなかった。するとわざとフリゲートの周りを逃げ回って誤爆を狙ったか、反射音波を欺瞞して狙いを誘引したとしか考えられない。しかも魚雷が横っ腹に当たっていたら沈没もありうるわけで、結果を見れば後者だ。誘導兵器やセンサーの誘引というのは本来電子戦用の艦や軍用機がやることであって、肢闘の大きさでは普通はそれだけ大出力のレーダーやソナーを装備しないし、それを動かすだけの電力も確保できないはずだった。結構とんでもないことをしている。

 でも一番重要なのはそこじゃない、と私は気付く。重要なのはドルフィンがロシアの軍艦と敵対したということだ。帰れなくなったのではない。帰ろうとしていないのだ。それは反乱、あるいは亡命を試みているということを意味するのだろうか。

 海自の哨戒機がフリゲートを諦めてから更に三十分ほど後、秋田西方およそ二百五十キロの沖合。ドルフィン9が浮上する。

 ドルフィン8は見えない。

 そう、見えないだけだ。ドルフィン9が後ろにワイヤをかけて曳航していた。だが浮上してこない。できないのかもしれない。9は黒い太陽光パネルを広げる。上空からだとその姿は黒い海面に紛れてしまう。パネルは機体の一番高いところについてはいるが、波のせいで時々水に潜った。

 ドルフィン9から少し離れたところに漁船の白波が見える。船首寄りについた背の低い操舵室、船尾のクレーン。排水量は百トンもないだろう。クレーンの腕の下にジャングルジム様に積み上げられた籠。紅ズワイガニ漁船だ。古めかしい形をしているが、船体の白と甲板の水色は綺麗に塗り分けられている。きっと船長がきれい好きなのだ。真っ白な舳先の下に「第十四海宝丸」の文字とそのローマ字表記。漁協の記録を見ると四日前に秋田を出港している。そろそろ帰港の頃合だろう。台形の籠は船尾まで、そしてクレーンの高さまできっちりと積み上げられている。既に帰途についているようだ。ドルフィン9もそのように考えたのかもしれない。機関を始動して浮上したまま漁船を追跡する。幸い漁船は常に二十ノット以下の速さで走った。波は高い。時折舳先で鈍色の波が弾けて船足がぐっと落ちる。ドルフィン9は乾舷などほとんどないので波頭をくぐって進んでいく。

 二時間後、ドルフィン9は第十四海宝丸に五十メートルの距離まで近づいた。ほとんどの漁師は船室で仮眠をとっていたが、甲板の上にドルフィン9の姿に気付いている男が一人いた。後ろに伸びる白波でも見ながら一服しようと艫まで歩いてきたらしい。彼は唇の端に煙草を挟んで、舷側の縁に腰掛けて船尾方向の一点をじっと見つめていた。目を凝らしているというよりも、あまり見たくないものが見えてしまっているので気が浮かないといったような視線だった。上に知らせるべきか、それとも無視して面倒を避けるべきか。

 ドルフィンは海面から顔を出して男の様子をじっと見つめ、そして耳を澄ましていた。

 結局男は前者を選んだ。吸いさしを灰皿代わりのガラス瓶に突っ込んで手摺伝いに揺れる甲板を歩き、操舵室へ入って「船長、ちょっと」と声を張った。柱に掴まったまま「船の後方、見てください」と続ける。

「どうした?」船長は返しつつ進路とスロットルを素早く確認、舵をロックして手を離す。

「なんかがこの船をつけてます。漂流物じゃない」

「なんかってなんだよ、なんかって」舷側から身を乗り出して後方に目を凝らす。船体にあたって砕けた飛沫がその頭に降りかかる。かかるといっても上から落ちてくるのではない。下や横からばしばしと飛んでくる。

「船じゃないんすよ」

 波の間からドルフィン9の姿が見えた。白く、ぬるっとした光沢がある。船長は唸って「舵見てろ」と叫ぶ。船室に入って船舶電話で海上保安庁にかけ、潜水艇のようなものに追われている、と通報、漁師たちを起して回った。

 ものの数分のうちに見物が十人も船尾に集まって、各々勝手に写真を撮る。これは大事になるかもしれないから他人には送るんじゃないと船長が釘を刺す。そのうち中国の潜水艦じゃないのかということでだいたいの意見がまとまった。誰も本物の潜水艦がどんなものかなんて知っちゃいない。

 海上保安庁は最寄りの海域にいた巡視船を差し向けつつヘリを出して先行させる。が、海上自衛隊もその通信を傍受したらしい。ヘリよりも哨戒機の方が足が速い。しかも既に日本海上空に展開している。結局現場についたのは哨戒機が先だった。かなり遠巻きに旋回を始めるが、それでも危険を感じたのかドルフィンは潜航。巡視船、ヘリとも漁船と交信しつつ目標に接近していたがここで見失った。

 ドルフィンのパイロットはなぜ漁師たちに助けを求めなかったのだろう。手を振って呼べば少しくらい引き返して拾ってくれたはずだ。言葉が通じないのが怖かったのだろうか。あるいは何か別の理由があるのかもしれないが。

 

 ……

 

 次にドルフィンの姿を捉えたのはその北方五十キロほどにいた護衛艦「朔月」だった。ドルフィンが直接海自の艦艇に接触しなかったのは探知範囲が及ばなかったからだろう。たまたま最初に捕捉できた日本の艦船が第十四海宝丸で、それを追いかけている間に新たに朔月を捉えた。そういうことじゃないだろうか。

 朔月は海中からの救難音波信号をキャッチ。十五秒後にドルフィン9が浮上。距離百二十メートル。艦内には既に総員配置がかかっている。艦長は機体に書かれたキリル文字を見つけてロシア語のできる士官をブリッジに呼び出す。とはいえ一通りのメッセージは各国語で録音してある。拡声器と無線で同時に停船を呼びかけた。

「所属を明かせ」艦長がマイクに吹き込む。

《ВСРФ Восточный военный округ 23-й экспериментальный дивизион лейтенант Евдокия Лопухина.(ロシア連邦軍東部軍管区第二十三実験砲兵大隊、エウドキア・ロプーヒナ中尉)》とドルフィン9からロシア語で無線。

「ロシア軍か」艦長が呟く。

《Я хочу изгнать.》とドルフィンは続けた。

 艦長は士官の横顔に目を向ける。

「亡命を希望する、と」

 艦内放送に切り替えて甲板士官に命じ、ランチを出して係留作業にかかる。水煙で霧のようになった荒れ模様の中、艦尾から引っ張ってきたワイヤーをドルフィンのカウルの先端にある吊り上げ用のポイントにかける。朔月はドルフィンとランチの周りを旋回して海面をなだめる。

《Экипаж появите на палубу.(乗員は甲板上に出てきなさい)》とランチの上からロシア語の士官が拡声器で指示を出す。

《Не могу.(それはできない)》ドルフィンは無線で返答する。機外スピーカーがないか、あっても水に浸かっているのだ。ブリッジで通話を外部スピーカーに通す。

《Не могу》改めて発したドルフィンの声が朔月の艦橋から大音量で流れる。ランチに乗った士官が拡声器でそれに答える。

《Почему вы не подчиняетесь просьбе?(なぜ従わない)》

《Я не отказала. Не могу сделать так.(従わないのではない。従えないのだ)》ドルフィンはやや声量を落として答えた。

《Почему нет?(なんだと?)》

《Кто-то во мне?(私の中に誰かが乗っているとでも?)》

 ロシア語士官は困ったように振り返って朔月を見上げた。でも見上げたところで艦長が何かを諭してくれるわけじゃない。そこには灰色の艦橋がモアイ像のように突っ立っているだけだ。唇を噛む。

《То есть, вы сами ваш корабль?(つまり、貴官自身がその船だというのか)》士官は言葉を組み立てながらゆっくりと訊いた。

《Правильно. Но я не корабль. Можно сказать, что нет экипаж, или что я сама экипажа, поэтому экипаж не может появится на мне. (そうだ。もっとも、船ではないが。乗員はいないとも言えるし、あるいは私自身が乗員であるとも言えるので、私の上に乗員が登って姿を見せることは不可能である》ドルフィンは毅然と答える。

《……Вы не человек?(貴官、人間ではないのか?)》

《Правильно. По этому делу, пожалуйста, позвоните доктору Аои Кукисаки в Кукисаки рикэн в качестве советника .(左様である。この件の顧問については九木崎理研の九木崎博士を召喚されたし)》



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