お約束
冬の体育は、どちらかといえば好きだ。
最初は寒いけど種目に関わらずそれとなく暖かくなるからね。
ということで今日の体育はマット運動だ。
「二人一組で準備運動しろよー」
体育担当の先生が口に手を添えて大声でいった。
「ゆいー、やろー」
二人組になる場合、だいたいゆいと組む。
「うん」
そしてだいたいゆいもわたしと組む。……わたしがゆいと組むなら当たり前か。
わたしたちはうんしょ、うんしょと柔軟の体操を始めた。
座った状態で背中を押されるやつ(名前はわからない)でわたしがつま先より前に手を伸ばすと、ゆいは「ほえー」と嘆息した。
「やっぱりひかり柔らかいね。ホント、万能人間なんだから」
「えー、それはゆいも……だ、よ?」
謙遜のつもりでそういいつつ、順番を交代してゆいの背中を押してみると、少し動いてすぐに止まった。
……わたしはもう少し強く押してみた。
「痛い痛い!」
「あ、ごめん……。もしかしてゆい、体硬い人?」
これ以上押したらすごい悲鳴が轟きそうだったので背中から手を離した。
ゆいは痛いことをしたからかぷくーとわたしを睨んだが、すぐに俯いてトホホ、というような哀愁を出した。
「そうなんだよね……体育は得意なんだけどマット運動だけはね……」
「そっか……怪我はしないようにね」
「ひかりは先生かっての」
ゆいは笑って立ち上がるとわたしの鼻先をつん、とつついた。
……いや、本当に怪我だけはしないでね?
「まあ今日は最初だし、自分のできる範囲で好きなことをしてくれていいぞ。あ、マットは二人組につき一つな」
「はーい」
先生の粋な計らいによって今日のマットはほとんど自習みたいなものとなった。
わたしはゆいとマットを広い場所に持ってくると、まずはそこに飛び込んだ。なんだかマットを目の前にすると無性に飛び込みたくなるんだよね。これはもう人間の本能な気がする。……違うか。
「おいそこ、遊んでいいとは言ってないぞ」
そして先生から注意され、マットでゆったりのんびりすることはできなくなった。
「とりあえず簡単なものからやる?」
「例えば?」
ゆいに質問で返されたので、わたしは実演しながらいった。
「でんぐり返し、とか」
とやったものの、ゆいはなんか違うというような表情をした。あれ、まさかそんな簡単なことはしなくていいってこと?
わたしが考えあぐねていると、ゆいは唐突に「あっ」と気づいたようにいった。
「そっか、マット運動ってそういう感じか。空中三回転ひねりとか決めるものだとばかり……」
「そんなの授業じゃしないよ……」
それはマット運動じゃなくて体操の競技だよ。
ゆいはわたしと同じようにでんぐり返しを決めると、じーっ、とわたしの方を見ながら、
「というかさ、ひかりやっぱすごいね。ジャージ越しなのに。男子いたらやばかったかも」
うちの高校は基本的に男女の体育は別々で、男子は今外でハンドボールをやっているはずだ。
「え、なんのこと?」
でも、なんで男子の話題を?
「あちゃー。無自覚か……まあ杉本くんはそんな変な気は起こさないか」
「だからなんのこと」
で、なんで杉本くんのことを?
「あー大丈夫、こっちの話」
「そういうの一番気になるんだけどー」
「ほら、そんなことより次のやつやろ。先生がさっきからこっち見てるし」
たしかにさっきの飛び込みを見られたからか、先生はわたしたちを監視してる気がした。
しょうがない、追及は諦めるか。
「じゃあ次は、はい」
わたしはマットに手をついて、足を真上に上げ、逆立ちの体勢を取った。
「……はい?」
ゆいは逆さでも意味がわかってない顔をしていることがわかった。
「はいって。でんぐり返しの次と来たら逆立ちでしょ?」
わたしは直立に戻りながら聞いた。だってそうじゃん。順番的に。でんぐり返しの途中で止まって体を伸ばせば逆立ちの完成だよ?
「……私できないっす。そもそも次は後転あたりじゃないの!?」
「……そなの?」
「この天才肌のナイスバディバインバインめ!!」
「な、なにおう!?」
「やんのかおい!」
「……おい、そこ喧嘩するなー。成績下げるぞー」
「「……はい」」
結局、この日の授業はゆいに逆立ちを教えることで終わった。わたし的には逆立ちより後転の方が難易度高いしそれできてるなら簡単だと思ってたんだけど、結構苦労した。
そして苦労はこれだけに留まらなかった。
「そこの二人。授業中遊んだ罰だ、マット、片付けておけよ」
決して遊んだつもりはないんだけどなあ。今回は運が悪かったとしか言いようがない。
「マット片付けるのって大変だー……」
一枚一枚がかなり重いし、それを台車に重ねて置かなければいけないので上に持ち上げなくちゃいけない。
「もう私疲れた……逆立ち特訓の疲れが……」
たしかに逆立ちを教える関係でゆいは動きっぱなしだったからなあ。
「はいはい、台車はわたしが運んでおくから」
それに比べて、わたしはほとんど教えることしかしなかったので疲れてはいなかった。
「ありがとー……じゃあ、よろしく」
ゆいは合掌して感謝しながらふらふらと体育館を出ていった。
さてと。わたしもさっさと運んで後に続こう。
わたしは倉庫のドアを開けて、台車を運んだ。マットをしまうのは倉庫の奥の方だ。
重たい荷物をやっとこさ一人で運んでから、わたしはひと息ついた。
と、その時ガラガラガラ、と倉庫のドアが閉まる音がした。
「……え」
これは、まさか、閉じ込められた!?
なんてことはあるはずもなく。
倉庫の中、何かをコロコロと転がす音と一緒に人が現れた。
「……杉本くん?」
「……宮里」
現れたのは杉本くんで、コロコロという音はハンドボールの詰め込まれたカゴからのものだった。
「片付け言われて」
なるほど、やっぱり杉本くんは優等生だなあ。
「ドア閉めたのは杉本くん?」
杉本くんはコクリと頷いて、
「開けたら閉めないと」
なんて、口うるさいお母さんのようなことをいった。なんか、スイーツといい家事できるといい、かなり女子力高いよね。そしてついにおかん属性まで。
「はは、でもすぐ出るつもりだったからさ」
わたしは誤魔化すように頭に手を当てて、出口へと足を向ける。
それにしてもよかったー、鍵閉められたのかと思った。まあそんなお約束展開、あるわけがないよね。
ガチャッ。
そう、あるわけが。
あるわけが……。
「……ん!?」
ドアに手をかけた瞬間、そんな施錠音がしたかと思うと、力を入れても全く開かなかった。
「……どうした」
杉本くんも異変を察知したのか、わたしに聞いてきた。
「開かない……もしかして、閉じ込められた!?」
お約束展開をないないと言ってしまったからフラグが立ってしまったのか。
杉本くんの無表情の顔がサッと青ざめたような気がした。
「どうしたの?」
おそるおそる聞いてみると、杉本くんはゴクリと喉を鳴らしてこちらに近づいてきた。
そしてわたしの肩に手を置くと、至近距離でわたしたちは向き合った。
そのまま杉本くんはわたしの顔に自分の顔を近づけてきた。
え。……え!?
こ、こ、こここれって、ま、まままさか……キス!?
そ、そんないきなり……杉本くん、結構な大胆派だったの……?
えい! もう何も準備できてないけどどうにでもなれ!
わたしはぐっと目を瞑ってこれから唇にくるであろう感触に備えた。
そしてわたしは硬直してしまった。
体験した行為ではなく、セリフに。
「……ちょっと、俺から離れて」
それだけ囁いた杉本くんは体調悪そうにふらふらとわたしから距離を取った。キスなんてものはなかった。
勝手に勘違いしたことに顔を熱くしながらわたしは杉本くんを心配して尋ねた。
「だ、大丈夫……?」
杉本くんは力なく手を挙げて反応しつつ、
「閉所恐怖症なんだ」
まさかの事実をカミングアウトした。
「いや、でもさっきドア閉めても平気だったよね……?」
「開くってわかってるなら平気。閉じ込められたって聞いたらもう駄目」
結構か弱いな杉本くん。怖いものなんてないとばかり思ってたよ。
「じゃ、じゃあとにかく鍵を開けてもらわないと……!」
「宮里、ケータイは?」
「ええ、体育なんだから先生に預けちゃってるよ……お?」
体育着のポケットをまさぐると、指先に硬い感触があった。取り出してみるとやはりケータイだった。
あ、そうか、授業が終わったから返してもらったんだ。
わたしは大急ぎでゆいに『倉庫に閉じ込められたたすけて』と送った。
すぐに返信はきた。
『ええ!? そんなお約束展開ある!? わかった、すぐ先生呼んでくるから待ってて!』
……よかった。ジョークだと思われなくて。
「大丈夫だよ杉本くん。すぐ呼んでくるって」
「そうか……」
杉本くんは安心したように手を顔に当てた。
そのあと、しばらく沈黙が続いてからドアは再び開かれることになった。
「すまん宮里! ドアが閉まっていたからてっきり終わったものだと……」
「大丈夫です。片付けにきた杉本くんが巻き添えになりましたけど……」
先生は体調の悪そうな杉本くんを見ると血相を変えた。
「大丈夫か杉本!? 保健室行くか!?」
「いや、いいです……」
杉本くんは先生の申し出を拒否すると、そのままふらふらと倉庫を出ていった。
「なんでも、閉所恐怖症だったらしいです」
わたしは先生にそう説明して一緒に来ていたゆいと更衣室に向かった。
なんだか、二人きりになれた時間が終わって名残り惜しい気もする。
なんか、あのままキスまで漕ぎ着けることくらいしちゃいそうな感じだったし……。もっとも、密室になってる時点で杉本くんそれどころじゃなかったけど。
結局、進展も何もなかったわけだけど。まあ、収穫はあったかもね。
わたしは杉本くんと密室のような場所へ行ってはいけないというのを頭のメモ帳にメモした。
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