ここねんその後
休み時間。
お手洗いに行くために席を立って廊下に出て、一人でトイレに入ったところでわたしは立ち止まった。
「ちょっと一緒に入ってくれない?」
「はい、師匠!」
素直に従って中に入るここねんとともに個室に入ると鍵を閉め、壁ドゥンをした。
「……尾行はやめてもらっていいかな?」
「お気になさらず。研究してるだけなので」
「わたしは気にするの!」
視線がわかりやすいから体中むずむずして仕方がない。それが四六時中だからろくに落ち着けもしない。
「それなら堂々とわたしのところまで来てよ。その方がここねんだって近くでわたしを見られるよ」
「えー……他のクラスに入るのは抵抗が……」
「廊下でものすごい注目浴びてるのによく言えたねそれ」
上目でこちらの顔を見ていたここねんが視線を落とし、自分の背丈と平行な場所を見た。
「いやーそれにしても近くで見ると本当に大きいですね。あーまた心に傷が……」
「もう、とにかく仲が悪いわけじゃないんだから遠目からじゃなくて近くに来てね! 一応友達なんだし!」
ここねんが目をうるうるさせたので慌てて追い出した。というか、そもそもここにはお手洗いをしに来たのだ。ここねんと話をつけるのはおまけでしかない。
「あ、友達じゃなくて師匠と弟子の関係ですよ?」
ケロッと扉の向こうからこんな声が聞こえたので心配するまでもなかったな、と安心してため息をついた。
「……と、いうわけで寺石ここねちゃんです」
「よろしくです師匠の友達、略してししょ友さん!」
「うん、よろしく。でもその呼び方はやめてね?」
昼休み、初めてゆいとここねんが顔を合わせた。相変わらずのここねんテンションに多少気後れしながらもゆいは苦笑いで答えた。で、やっぱり師匠の何なにって呼び方と略称好きじゃないんだ。
「じゃあゆいさん。あなたは師匠とどういう関係なんですか!」
それで注意されたらしっかり直すんだもんなあ。できればわたしも師匠呼びやめてほしいんだけど。
「どういう関係って、普通に友達だけど」
「その割には親しすぎませんか? ずっと一緒にいるじゃないですか」
いきなり目を細めてここねんが切り出した。この子知り合ってすぐから何言ってるんだ。
「……ここねちゃんは何を疑ってるの?」
「ズバリ、ゆいさんは師匠の愛人ではないか、ということです!」
わたしたちに、ヒュー、と北風が吹いた幻聴のようなものが聞こえた気がした。つまりこれ以上ないくらいに沈黙した。
「いやあ、師匠にはバレてしまっていたみたいですけどわたしはここ最近師匠を見張っていたんです」
「うんそれ私にもわかってた」
「なんですって……。まあいいです、とにかくそのあいだ、ゆいさんはまるで友達以上のようだったんですよ。距離感とか色々」
探偵の真似事をするようにここねんが疑わしげな視線をゆいに向けた。ゆいは困った顔をして頭をかいていた。
……もういいや。面白いから何も言わずに見てよう。
「私とひかりは幼なじみなの。結構なあいだのね。だからまあ普通の友達よりかは仲はいいと思うけど」
「またまた。そんなことを言っていますが、友達の関係を超えて愛人になってしまっているのではないですか?」
「うーん、なんで同性の友達がランクアップしたら愛人になるのか……。ねえ、愛人って意味わかってる?」
「わかってますよ。あんなことやこんなことをする関係でしょう?」
「わかってて言ってるならなおさらタチが悪いな……」
ゆいは頭を抱えた。ここねんは「なにかおかしいこと言いました?」と首を捻っていた。そしてわたしは静かにごはんを食べていた。
「ちなみに、あんなことやこんなことの意味は?」
「え? あんなことやこんなことなんじゃないんですか?」
「ああなるほど、そういうわけか……」
腑に落ちたような顔をして胸を撫で下ろすと、ゆいはここねんに耳打ちした。たぶん『あんなことやこんなこと』を教えているのだろう。
そうして話を聞き終えたここねんは顔を真っ赤にしていた。ゆい、いったい何を話したんだろう。
「な、な……な」
ここねんの曖昧な知識を正したところで戻ることにしよう。
わたしは空になったプレートを返却口に持っていこうと席を立った。ゆいやここねんもわたしに続いた。
「もう師匠には感服です」
「なにが?」
「だって、もう、ここじゃ口にできないことを既にやってのけてしまったんですから」
「ねえ、なんか勘違いしてないここねん?」
「自分がまだまだだということを見せつけられました。これからはもっと精進したいと思います!」
あれ、なんだか話が噛み合っていない気がする。
まさか、だけど……。
わたしはおそるおそる後ろのゆいに目を向けた。
そこにいたゆいはニッコリ笑顔を作って、ピースサインを掲げていた。
こりゃ、絶対変なこと吹き込んだな。
そして放課後。いつも通り杉本くんと二人、帰ろうとした時だった。
「ちょっと待ってください!」
教室の外から可愛い声をかけられた。
「げ、昨日のビッチ女子」
「ビッチとは失礼な!」
そのままビッチ女子(杉本くん目線)ここねんはトテトテとこちらに歩いてきた。
「お二人とも、帰宅部ですよね? わたしもですけど。もうお帰りになるんですか?」
「うん、やることないしね」
「へー。わたしはあると思いますけどね。一週間後に迫った何かに向けて」
一週間後に何かあったっけ?
わたしは杉本くんの方を見たけどいまいちピンと来ていないようだった。
「決まってるじゃないですか。中間テストですよ。お二人学年のワンツーなのによく覚えてませんね!?」
「あー、そんなのあったっけ」
「それか」
「なんなんですかその余裕は!」
ありえないものでも見たかのようにここねんは叫んだ。
「そんなに焦ることかなあ」
「結局何が言いたい」
「天才怖っ! なんでそこから勉強しなきゃという考えに至らないんですか!」
「授業しっかり受けてれば不安なくテストに臨めるからね」
「……話はそれだけだな。帰るか」
「うん。じゃあねここねん」
そういってわたしと杉本くんが荷物を持って教室を出ようとすると、ここねんに荷物を掴まれて足止めされた。
「そんなに余裕ならわたしに勉強を教えでぐだざい〜!」
そして涙目でそういった。
思わず助けてしまいたくなるようなことをされて、断れるはずもなく。
数分後。わたしたちは図書室にいた。
もちろんここねんのためのマンツーマン指導だ。
「わたし、あんまり成績が良くなくて。今回の成績が上がらなかったらお小遣い減らされるんです……」
なんだか小学生のような理由だった。まあ理由はどうあれ真剣に取り組めるならいいのか。
で、勉強を教えてあげることになったんだけど、教えたことなんて一度もないから問題を解かせて間違ってたら指摘する、という方法を取っていた。
「これ、俺必要ある?」
そういう方法だから、杉本くんが言う前にわたしが指摘してしまうので、正直なところ一人でこと足りていた。
でも、それはそうだけどね。
「あるよ! 大ありだよ! あ、また間違った。もう少し丁寧に解いてみて」
この隣に座っている配置ならどさくさに紛れてくっつくことができる。というか隣にいるだけでもう幸せだし。これはわたしが一緒にいたいがための口実なのだ。
「って、あれ、まだ違うな」
「これがダメならもうわかりませんよ〜」
そして、かなり深刻な問題があった。
「だからここをこうしてこうすればできるんだよ」
「ええー、どうやったらそうなるんですか」
そう、わたしは説明が下手くそだった。なら杉本くんはというとこれまた一緒だった。簡単な問題ほどそれは難しかった。むしろ難しい問題はここねんはわたしたちの説明でほとんど納得できていた。
「うーん……そこら辺は先生に聞いてみて。じゃあ今日はここまでにしとこっか」
「はい。ありがとうございます、師匠と杉本さん」
「俺、なんにもやってないけど」
「お二人とも一緒に帰りませんか?」
「……え」
前のことが思い出されたのか、杉本くんはいつもの平坦な声で、(たぶん)嫌そうに言った。
「大丈夫です。もうあんなことしません。それにお二人のあいだに入ってやろうなんて考えはなくなりました」
あれ、今日の昼までわたしを超えるだとかそれで杉本くんを横取りするとか言ってなかったっけ。
ん? 昼、昼……。
「ま、まさかもうお二人がそこまで進んでるなんて思いもしなかったんですよ……」
ここねんは恥じらうようにポッと顔を赤らめた。
「き、キスとかそれ以上まで進んでたらわたしの入る余地なんてありませんよ……」
ちょっと待ってね、わかった、昼休みだ。
ゆい、あの時こんなこと吹き込んでたんだ!
不審そうにこちらを見る杉本くんに急遽小声で説明した。
「わたしの友達がごめん。でも今考えたけど誤解を解かずにそのまま信じさせてたら面倒はなくなると思った」
「うん、たしかに。じゃあそういうことにしておこう」
「どうかしましたか?」
「いいや、なんでもないよ」
こうして、ここねんにはわたしたちが進みに進んだカップルだと信じさせておくことにしたのだった。
……とは思ってたけど、いつか実際にそんな日が来たりするのかもね。
まあ、かなり先のことになりそうだけど。
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