初めて見たけど知ってる

 ライブハウスの狭い階段を降りて、受付のおねえさんにチケットを渡した。もどってきた半券をバーコーナーでみせると、別のおねえさんがペンでチェックを入れて、

「ご注文をどうぞ」

「じゃ、ハイボール」

 プラスチックのコップを受け取って、中に入った。

 思ったより――といったら失礼だけど――にぎわっていた。満員で二百人くらいの規模のホールに、百人は入っている。二、三十人がステージの前に張りつき、もう数十人は思い思いの位置にくつろいで立っている。

 手近な壁にもたれて、ハイボールを飲みながら開演を待った。



     ♪



 トップバッターのスマートボールは、ちょっと売れている芸人みたいなかっこよさを醸しだしている男子たちだった。ボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムという構成で、一曲ごとに黄色い声援が飛ぶ。

 ひびわれた音響、せまいステージ、ひしめく観客。

 いいよね。

 これがライブだな、と思う。

 一万人規模の会場をソールドアウトにできるバンドが、ライヴハウスツアーを敢行したりするのを、プロになる前のあたしは冷ややかな目で見ていた。ただの自己満足で、キャパ数百人のハコで演るなよ。だから転売がオーコーするんでしょ、と。

 でも、なぜかそういう立場を経験してしまったいまのあたしは、その気持ちがわかる。

 ドームツアーなんてのは、もうライブじゃない。ショーだ。バンドはショーを構成する歯車のひとつと化す。ただひたすら演奏するだけだったあたしたちですら最後にはそんな気分に陥ったのだから、演劇みたいなステージをこなすバンドは、自分が何をやってるかなんて、もうまったくわけがわかってないと思う。与えられた役割をこなすのに必死さ。

 全員に、ほんとうの意味で音を伝えられるのは、やっぱりこの規模なんだ。

 スマートボールは、厳しいことをいえば、見た目どおりの「そこそこ」なバンドだった。いくらあたしがニート同然だからって、未明みめいはこれを観せたくてゴソクローを願ったわけじゃあるまい。ならば。


 演奏が終わって、ステージライトが消えた。押しあいへしあいしながら、前と後ろの観客が若干、入れ替わる。そのまま外へ出てゆく女子もいる。スマートボールだけが目当てだったのだろう。

 スタッフが、次のバンドのために機材の調整をおこなう。実際に楽器のチューニングをやっているのは、たぶんバンドのメンバー本人たちだ。

 ひと目見て、ピンと来た。

 たたずまいに、なんともいえない迫力がある。

 とくにベースの子がいい。長い黒髪にふちどられた小さな顔は、つよそうでもあり、脆そうでもある。どちらの印象もはらんだ、凛と張りつめた雰囲気は、慣れない土地でのライブで緊張しているからじゃないだろう。

 ギターは、格闘家みたいに大柄な、茶色い髪を編み込んだ白人の女子だ。手を反らしてほぐしながら、悠然と観客に笑いかけている。

 どっちもまだ十代、下手したら高校生かもしれない。想子そうこ渡瀬わたせはるなみたいな美少女じゃないけど、惹きこまれる存在感がある。

 ドラムは黒ぶちめがねに無精ひげのむっちりした男子。あれは――たしか、ヒカリトカゲのメンバーだ。サポートか。ネクストロウはふたりで札幌から乗り込んできたらしい。

 チューニングがてら、一曲やってみせるバンドも多いけど、この子たちは最低限のセッティングをあっけなく済ませた。ふたたび壇上が照らされる。

「こんばんは。ネクストロウです」

 ベースの子が、ぽつりといった。それで挨拶は終わりだった。

 場慣れしたスティックさばきでドラムがカウントを打ち、ギターが高音のリフをひずんだ音で奏で出した。もう一巡――ドラムが絡み、ベースも加わって、爆音が客席を圧しつける。

 ベースがボーカルをとってうたいだした。


 あたしは確信した。

 未明が見せたかったのは、このバンドだ。

 この女の子ふたりなんだ。


 ギターは軽快な刻みに徹して、のびやかで中性的なベースの声をひきたたせる。きれいに息のあったコンビネーションだ。自己主張の激しそうなルックスをして、なかなかやるじゃないの。引き算を知っている。

 メロディが美しい。どっちの子の作曲かわからないけど、まちがいなくソングライティングの才能がある。と、ここまでは絶賛の構えだったんだけど――

 あ、ギター、ソロですこしもたついた。センスはあっても、テクニックはまだまだ。そのままの速度でサビヘ突入する。わっ、今度はベースが走った。ドラムのほうがあわててリズムを合わせてあげてる。あらら。

 技術的には、未完成で、つたなかった。スマートボールと大差ない。

 でも、あたしは心をつかまれた。この少女たちの殺気に。

 わがままで、貪欲で。

 性急な。

 不相応なほど高いところにハードルを置いて。

 もっと、もっと。

 足りない、まだ足りないと、吼えている。

 切実で、傲慢な思いこみを、燃料にして。

 弦を掻きむしる。声を張りあげる。

 あたし、知ってる。

 初めて見たけどきみたちを知ってるよ。

 だってあたしもそうだったから。

 音楽なんかなくたってひとは生きてゆけるのに、これしかないんだ、自分みたいな人間にはもうこれしかないんだって、ふつうに生きてゆくことをいやがって、でも道を外れるのもこわがって、だれよりも愛されたがっているのに、愛なんてはかなくてひとりよがりな押しつけを美しくいい換えただけの単なる共同幻想だなんてうそぶいて、周りにいちいち過敏になって冷笑してあちこちに突っかかって、みんな死んじゃえって憎んだつぎの日に今度は自分なんか死んじゃえばいいって絶望する、そんな極端から極端に揺れる繰り返しのなかで、やっぱりわかってほしい、いちいち説明しなくても自分のことを理解して尊重してほしい、でも何をいったって他人にわかるわけないよ、わかるわけがないってことをわからせてあげるから黙って聴いて応援して、でもそれ以上近づかないで放っといてって、自分も世界も傷つけるみたいに詞を書いて曲を作ってうたって演奏している、そんな感じだったのはあたしも同じだし、想子だってそうだったし、未明にすらそんな時期があったよ、それでもなんで、ひとりでなんでも作れるし発表できるし、なんだかんだいってもどこか優れて抽んでたところがあれば誰かがきっと拾い上げてくれてわりとすぐに表舞台に立てちゃう時代に、自分と似たような、それどころかもっとわがままで強情で繊細で嫌なところがあるくせに自分より才能だけはあるやつと、喧嘩したり仲直りしたりうっとうしい思いをしていっしょに演る意味があるのかわかんなくなるのはしょっちゅうだし、もともとめんどうなことなんてきらいで、絆とかバッカじゃんって思ってて、群れて高まるものなんか何ひとつありえなくて、だからひとりで好きなことをやったほうが絶対にいいのに、なのに、どうして、

 バンドなんだろう。

 やっぱりバンドなのは、どうしてなんだろう。


 疾走感――というより、焦燥感あふれる曲を、たてつづけに七曲やった。

 アゲアゲのセットリストにしては、客の盛りあがりはそこそこだった。この手のイベントにやってくるひとは、多かれ少なかれ、音楽そのものが好きなんだ。別の土地からやってきた無名のバンドも歓迎する気持ちの準備ができている。それを裏切ったのは、ネクストロウのほう。

 彼女たちが叩きつけてくるものは、熱心なロックファンもとまどわせるほど、剥き身で無防備だった。

「ありがとうございました」

 ボーカル兼ベースの子が最後にそういっただけで、メンバー紹介も、「動画見てください」とか「CD買ってください」とか、次のライブの宣伝とか、そういうMCはいっさいなかった。しゃべる時間があれば一秒でも演奏したいという、対バンイベントにあるまじき愛想のなさで、ネクストロウの出番は終わった。


 トリをつとめるヒカリトカゲは、ボーカル兼リードギター、サイドギター、ベース、ドラムという黄金の四人構成で、ほかの二バンドとは完成度がひと桁ちがうステージを展開した。

 聴いたひとが感動できれば、下手でもなんでもそれがいいものだ――そんな風潮があるけれど、どうしたってゆずれない一線はある。絶対にある。彼らだけが、ファンが働いて稼いだお金を割いて聴いてくれるということの重みを考えた、プロの音楽を発信していたっていう印象がある。安心して楽しめた。

 それでも、今夜、あたしに刻まれたのは――



     ♪



 終演後、バックステージに押し掛けた。

 こういうときに伊東いとうまひるちゃんの顔と名前をずうずうしく利用することを、あたしはためらわない。ライブハウスのスタッフが驚きと歓迎を示して通してくれるのに「どーもどーも」と笑顔をふりまきながら、塗装の剥げた鉄のドアを押した。

 スマートボールとヒカリトカゲは、関係者への挨拶や自分たちのグッズ販売でホールに出ており、四方の壁に無数のサインがされた部屋の中には、ネクストロウのふたりしかいなかった。ボロボロのソファに座っておいしそうにビールを飲んでいる。彼女たちの年齢をあたしは考えないことにした。

 ボーカル兼ベースの黒髪の子が、あたしを見て目を丸くした。

「伊東まひる――さん?」

「初めまして」

 ギターの子が眉を寄せて「ユキエ、ダレ? 知っているヤツ?」とボーカルの子に訊く。

「リリカルビートシステムのドラムのひと」

「LYRICAL BEAT SYSTEM! ソレはワタシも知っているヤツ」

 ギターの子は立ち上がって、にこやかに握手を求めてきた。あたしは応えて手を握る。

「伊東まひるです」

「エマ=リビングストンです。ヨロシク」

 名前はあえてゆっくりと、日本語っぽく発音してくれた。

 ギターの子は座ったまま「安藤あんどう雪絵ゆきえです」と名乗って、小さく頭を下げた。

「エマちゃんと、雪絵ちゃんか。メンバーはふたりなの、ネクストロウは?」

「あの、何の用でしょうか……?」

 雪絵ちゃんが不思議そうに訊いてくる。ステージ上で放散するすさまじいエネルギーは感じさせない。ふつうにクールできれいな子って感じ。あれだけのものを身の裡に秘めていることを、たぶん本人も正確には認識していないのだろう。

「何の用といわれれば――」

 ん? 何の用だ?

 べつに、いきなり「固定のドラマーがいないならあたしを入れて」っていいたいわけじゃない。友だちになりたいってのとも違う。

 首をかしげるあたしを、雪絵ちゃんとエマちゃんは胡乱な目で見つめる。

「――ただ、間近で会ってみたかったんだ」

 結局、正直にいった。

「すごくよかったから。ライブが。どんな子たちなんだろうって思った。そんで、お礼がいいたかった」

 しゃべりながら、答えが出てきた。そうだ。そういうことだ。


「いい音楽を、どうもありがとう」


 あたしの言葉に、ふたりは顔を見合わせた。

 それから、こちらを向いて、揃ってにっこりした。とてもいい笑顔だった。



     ♪



 ライヴハウスを後にして駅に向かうあたしの歩みは、我ながら軽やかだった。

 あれだよな、と思った。

 またあそこから始めればいいのだ。

 世捨てびとを気取って、あたしはいじましく守っていただけだった。

 リリカルビートシステムの伊東まひるを。

 ちがうよ。まちがってる。勘ちがいだ。

 あたしは、ドラマー、伊東まひるじゃないか。

 サンキュ、未明。あんたのプロデューサーとしての目と腕は本当に確かだよ。

 マンションに帰ると、あたしはベッドにリュックを放り出して、もうひとつの部屋のドアをあけた。何日ぶりかな。

 中央にドラムセットが鎮座している。壁にはステレオと録音機材がつみあがっていて、ひとつだけある窓は三重のガラスになった防音仕様だ。もちろん、床も壁も天井も、しっかり吸収材が張られている。

 この防音室が、立地のほかに家賃が高いもうひとつの理由だった。ここの改造費と設備費が、あたしのいちばん高い買い物。

 ドラムに囲まれて座った。

「やっぱり落ち着く……」

 声にだしてつぶやいた。

 これからは、仕事をどんどんうけよう。なんでもやってやる。


 そんな日々の中で、あたしの心から、新しい冒険は生まれる。


 さっき聴いたネクストロウの曲を頭の中で流しながら、あたしはフルストロークで、スティックをタムに叩きつけた。

 どんな展開にしようか。頭でなく腕と足で考えながら、即興でフレイズを構築してゆく。

 跳ね上がり、

 弾け、

 連なって、

 響く、

 あたしの音。

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ROCKSTEADY 秋永真琴 @makoto_akinaga

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