あらかじめ終わりの決められた物語
「どうさ、
と、あたしは
朝ドラマの脇役で注目され、青春映画の主演を成功させて、若手本格派の地位を確立したアイドル女優である。あんなふうにかわいく生まれたら、あたしはドラムなんか叩いてなかったかもしれないな。どうかな。
その渡瀬はるなが歌手デビューすることになって、未明がプロデュースを手掛けているのだった。そういう売り方もするんだね、いまも。とりあえず、シングルとアルバムを一枚ずつ作る契約らしい。
「音感や声質は悪くない。音域がせまいから、作曲に制限は多いけど」
「そりゃ想子みたいなのはそんなにいねーよ」
あたしの言葉に、未明はうなずいた。
リリカルビートシステムは、学校祭の打ち上げのカラオケで
メンバーチェンジを繰り返して、メジャーデビューの話が来るころには、あたしだけが残った。理由は、このふたりを崇めなかったからだと思う。ただ、好きだったからだ。この子たちが。この子たちと作る音像が。
「自作の歌詞を、わたしや周囲の人間に批評させて、何度も書き直している。つたないなりに、フックのある表現が増えてきた」
未明はたんたんと渡瀬はるなを評した。
「完全に事務所の意向なの」
「うたうことは好きみたい。でも、しょせんはキャラクタグッズのひとつだと、いい意味で自覚している。だから逆に、少しでも音楽的に優れたものにしようという努力を感じる。謙虚で、かわいい子だよ」
「プロだねえ。売れっ子になる女優はちがうわな」
「わたしが十七、八のときは、あんなふうになれなかった」
ジンジャーエールが運ばれてきた。あたしがストローを差すと、未明はようやくそれにならって、自分のグラスをひきよせた。氷はすっかり溶けて、コーラの色を薄めている。
「また注文したら?」
「もったいない」
「あっそ」
あたしたちはソフトドリンクで乾杯した。
「まひるは、最近どう」
「昨日は朝までジョジョ観てた」
「ジョジョ」
「知らない? アニメ。明け方までかかって、第一部と第二部と、第三部の最初」
「それってどのくらい」
「一話が二十二分くらいで、二十九話までみたから――」
「六百三十八分。十一時間近く」
「計算早いねえ。さすが高学歴ミュージシャン」
未明は今日はじめて、表情を動かした。眉のあいだを二ミリくらい寄せて、唇を半びらきにする。あきれたのだ。
「まだ、夏休み?」
つき合いの深い者にしかわからない、かすかな――未明にとっては大きな感情の色がついた問いだった。いたわりと、いらだち。
「燃えないのさ」
未明を相手にごまかしたって、ばれる。だからバンマスだったんだ。あたしは正直に、簡単に、いまの気持ちを口にした。
「リリカルが終わったら、あれもしよう、これもしようって思ってたけど、いざ自由の身になってみたら、先立つものがない」
何を、とは訊かれなかった。お金ではないのだ。それは未明もわかっている。
リリカルビートシステムは五枚のアルバム、十一枚のシングル、解散後にベスト盤をだした。四枚めのシングルが映画の主題歌につかわれてスマッシュヒットを飛ばし、その勢いに乗って、サードアルバムはCDと配信を合わせて八十万枚売れた。
あたしの預金通帳にはなかなかエグい数字が記されている。ただ食っちゃ寝、食っちゃ寝するだけなら、二十年は保つだろう。
♪
名だたるロックフェスにたくさん呼ばれて、武道館でも横浜アリーナでも演って、人気の絶頂にあったときも、あたしたちの暮らしぶりはアマチュアのころとほとんど何も変わらなかった。
事務所の社長に「きみたちはもう一ケタ値段の高い生活をしなさい」と、わけのわからない怒られかたをしながら、仕事や飲み会の帰り、終電が出てしまったあとにタクシーで帰りながら「あたしたち、嫌なおとなになっちゃったねえ」「一時間くらいで済む距離なら歩いてた」「ん~セレブリティ~」なんて笑い合っていた。
だれひとりとして浮かれることがなかったのは、心の深いところで理解していたからだろう。
これは、あらかじめ終わりの決められた物語なのだと。
お互いが、お互いの、自分には真似のできない輝きを尊敬していたからこそ、いつまでもいっしょにいられる三人じゃない。
かならず、新しい冒険に旅立たなきゃ。
お金とか名声とか、そんなもののために、お互いの才能を枯れるまでひとつの場所にしばりつけておくのは、自分たちに対する罪なんだって。
理屈ではなく本能で納得していたから、解散による恨みは生まれなかった。
ただ、とてつもないものを失うさみしさは、胸に虚ろな穴をぽっかり空けて、いまも塞がらずにいる。
解散を最初に決めた未明だって、あたしと同じじゃないかな。
あたしと違うのは、少しの充電期間のあと、猛然と働き出したことだ。渡瀬はるなだけでなく、たくさんのアーティストに曲を提供し、レコーディングやライブに参加しているはずだった。
他人のために。
数をこなして、後ろを振り返る暇を作らないように。
♪
「依頼は来るでしょう」
未明に訊かれて「来るけど減った」と答えた。
何件かは受けたけど、けっこう選り好みして断ったりしているうちに、そうなった。「元リリカルビートシステムの
「そういえば太った?」
「うるせ」
やっぱりか。
「ダイエットだと思って働いたら」
「新しい音は出ないのさ」
なるべく軽い調子で、あたしは答えた。
新しい感動が生まれない。
新しい冒険に、まだあたしだけが旅立てていない。
いままでに身につけたさまざまなテクニックのなかから、その場合にいちばんふさわしいものをとりだし、スティックに篭めて放つ。パズルを完成させるような爽快さは、それはそれで好きだけれど、見たことのないような絵を描きあげる快感とは比べものにならないよ。リリカルの活動にはそれがあった。
自己模倣を否定しない生きかたもあるだろう。自分にしか出せないものにはちがいないのだから、なんにも恥ずかしいことじゃない。そうやってファンが求めるものを、十年、十五年と、繰り返し届けつづけているアーティストは、単純にすごいと思う。
――活動休止でいいじゃない。
――ソロでやりたいことをやって、また戻ってくればいいじゃない。
比喩でなく、百人以上にそういわれたと思う。
――そうやって戻ってきて、以前より輝いたバンドがいくつありますか。
音楽番組のインタビューで、未明は具体例――つまり、ただの『同窓会』みたいな再結成バンドの名前――をいくつもあげて冷淡に回答し、それは結局放送されなかった。ケンメーな判断である。生放送の番組でなくてよかったよ。
――もしかしたら、五年、十年たって、またこの三人で演りたくなるかもしれない。そのときは、リリカルじゃない別のバンドをつくります。それが、リリカルビートシステムというグループと、それを愛してくれたひとたちへの、最大の礼儀です……
あのときの未明の言葉の続きを思い出していると、ふいに封筒を差し出された。
「なにさ、これ」
「キック」
三文字で答えて、未明は気のぬけたコーラを飲んだ。あたしもしぶい顔をして、ジンジャーエールを飲んだ。鬱々とした状態を蹴っとばすっていう意味かな。しゃべれよ。
「未明」
「なに」
「これをわたすためにあたしを呼んだのか」
「たまたま」
バカみたいに忙しいときに、わざわざスタジオを脱け出してあたしと会う時間をこしらえるのが、たまたまですかね。罠に嵌められた気分で、封筒の中身を取り出した。
ライヴのチケットだった。学生街の小さなホールでおこなわれる、インディーズの対バンイベントだ。千五百円。あたしたちもよくこういうのに参加して、ステージングの腕を磨いたものだ。
券面に出演バンドの名前がならんでいる。
SmartBall
NEXTLAW(From Sapporo)
ヒカリトカゲ
「ヒカリトカゲしか知らない」
ヘヴィメタルやジャズの素養をはしばしにのぞかせながら、ポップかつキャッチーであることを照れずにまっとうしている、いいバンドだ。あえてインディーズに留まり、特別に売れてはいないけれど、同業者の評価は高い。
「彼らの企画だから」
「立派よだねえ、これからの子たちを紹介して。真ん中の――ネクストロウ? 札幌のバンドだって。どうやって見つけて連れてくるんだ。足代、出してんのか」
チケットを眺めていて、あることに気づいた。
「なあ未明」
「なに」
「これ、今日の夜じゃねーの」
「そう」
「くれるんなら、もっと早くくれよ」
「忙しかったから」
「ひとに頼んで郵送しろ」
「どうせ暇だと思って」
「このヤロー」
まったくその通りだけど、他人にあからさまに指摘されると腹立たしい。
未明は涼しい顔で、ずずっとコーラを飲み干す。あたしの顔を見たかったから? なんて訊かないよ。訊いたって、どうせそんな答えを口にはしないだろう。
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