第7話 サブタイトル未定

 コーヒー一杯でずいぶん長居してしまったので、話に区切りがついたタイミングで喫茶店から別のファーストフード店へと場所を移すことになった。

 その際、本居先輩は「どうも調子が出ない」と眠たそうに言って先に帰ってしまった。

 もしかして、また寝るつもりだろうか。いくら眠たくても寝すぎは身体に良くないと思うのだが……。

 女子哲学部部長の意外な一面を知ってしまった。男子部と比べて女子部はまともな人たちの集まりだと思っていたが、実はそうでもないのかもしれない。現に、男装を楽しむ先輩がここにいるわけだし。だとすれば、あの優しい新井先輩にもおかしなところがあったりするのだろうか? とてもそうは見えないが、僕が知らないだけかもしれない。なんとなくの印象で決め付けるのはよくないな。

 ファーストフード店に入ると、まずは店内に知り合いが来ていないかを確認する。

 この商店街の方面は上森先輩や水澄さんの行動範囲からだいぶ離れているらしいので大丈夫だとは思うが、万が一のこともある。また、哲学部関係者でなくとも熊楠先輩と一緒にいるところを知り合いに見られるのは避けたい。よって、いつもより念入りに客席を確認する。

 よし、誰もいないな。

 しかし、後から知り合いが入ってくる可能性もあるので、なるべく目立たない壁際の席を選び、改めて熊楠先輩と向かい合う。

 あまりお金を使いたくないので、僕は最安値のソフトクリームだけを注文した。

 熊楠先輩はそれよりちょっとお高いチョコチップ付きのソフトクリームだ。

 当然、時間が立つとアイスが溶けてしまうので、まずはそれを片付けてから話し合いを再開。

 ガヤガヤと騒がしい店内でもよく通る声で、熊楠先輩が言う。

「さてと、合コンの話はひとまず受けるとして、問題はその後どうするかだよね。仮に上森が他の女装男子に夢中になって鹿内君のことを諦めてくれたとして、その後どうするのか? あまり恋愛に夢中になりすぎて部活に来なくなってもまずいから、その辺もフォローしておかないとね」

「そうですね……」

 その先にも、新井先輩に事情を明かす件と水澄さんの親友探しの件がある。

 まだまだ課題は山積みだ。

「それじゃあ、まずは何から――」

 熊楠先輩が言いかけたところで、正面から携帯メッセージの着信音が響いてくる。

「あ、これは予備の方だな」

 熊楠先輩がハンドバッグから折り畳み式の携帯電話を取り出す。男装時専用にと用意したものと聞いた。

 メッセージの送り主は上森先輩で、内容は合コンのお誘いについてだった。

「さすが上森。こういう仕事は早いな」

 それは褒め言葉なのかな?

 熊楠先輩はメッセージに対し、電話で参加の意思を伝えた。もちろん、熊楠景としてだ。

 僕に電話がかかってきたのは、それから数分後のことだった。

『よう、ひかるちゃん。元気かい?』

「は、はい。元気です」

『急な話なんだが、実は明日、合コンをやることになってな。時間があれば、ひかるちゃんも参加してみないか?』

「あ、ええと……」

 ついさっき決断したものの、即答してはまずい気がして言葉が出てこない。

 数秒ほど迷っていると、上森先輩は軽く笑ってフォローしてくれる。

『ハハッ、いきなりだから戸惑っちゃったかな? じゃあ、簡単に説明するから聞いてくれ。その前に一応確認しとくけど、ひかるちゃんは合コン初めてだよな?』

「そ、そうですね」

『じゃあ、まずは基礎から説明すると、合コンってのは合同コンパの略で、男子グループと女子グループが合同で飲み食いしたり遊んだりすることだ。要は男子哲学部と女子哲学部の交流会が遊びになったと考えてくれりゃあいい』

 分かりやすい例えだ。そこまで基礎から説明してくれて恐縮です。

『参加者は六人で、真尋の紹介で大学生一人と他校の高校生一人が来ることになってる。それ以外は男子哲学部のメンバーだ。六人中四人が身内だから部活の延長みたいなもんだよ』

「あと二人は誰が参加するんですか?」

『下倉と景だ。二人にはもう返事をもらってる。龍ちゃんにも声かけたんだが、そういうの苦手だから今回はパスだってさ』

 そっか……。小乗先輩が来ないのは心細いが、景先輩が誘われているなら問題ないか。

 しかし、意外なのがもう一人だ。

「下倉先輩が来るんですか。あの人も合コンとか苦手そうな気がするんですけど、大丈夫なんですか?」

『ああ、あいつは恋愛目的じゃないから問題ないってよ。なんでも、人材確保のために参加したいらしい』

 猛烈に嫌な予感がするが、一応聞いてみる。

「なんの人材ですか?」

『女装男子を前面に押し出したアイドルグループ設立のため、とか言ってたな』

 やっぱりそれか。本当にあの人はぶれないな。

 まあ、僕には関係のないことだ。スカウトするなら他の二人にしてください。

 上森先輩は一息入れてから続ける。

『それから、会場は個室のあるカフェにしようと思ってるが、どうだい? もしひかるちゃんが歌うの好きならカラオケでもいいんだけど』

「いえ、人前で歌うのはちょっと……。カフェの方がいいです」

答えると、上森先輩の声が弾む。

『そうかい。でも、そう言ってくれるってことは、参加を前向きに考えてくれてるって思っていいんだな?』

「そ、そうですね。みんなが一緒なら、社会勉強のために参加もありかな、と」

『合コンで勉強って、真面目だなぁひかるちゃんは。ちなみに費用は心配しなくていいぞ。今回は男子側が全額負担することになってるからな』

 今井さんを通じてすでに知っていたことではあるが、上森先輩は知らないと思っているはずなので、ここは自然な反応をする。

「あ、あの、もしかして僕は女子側なんですか?」

『もちろんだ!』

 一辺の迷いもない、清々しい返事が響いてきた。

 なぜこの人は、こんなにも前向きに生きられるのだろう? 今までの僕の態度を考えれば、断られる可能性が高いことくらい分かるでしょうに。その図々しさを羨ましく思う。

『まあ聞いてくれ。恥ずかしいのは分かるが、これはひかるちゃんにとっても有益なことなんだ』

「……何がどう有益なんでしょうか?」

『実はな、今回ゲストでやってくる二人は、どっちも女装男子なんだ。で、その二人は好きで女装をやってるわけだが、だからといって全く恥ずかしくないわけじゃない。女装って趣味は世間一般じゃなかなか受け入れてもらえないもんだからな。他者に迷惑さえかけなければ趣味は自由つったって、肩身が狭いことに変わりはねえ』

 僕は思いきり迷惑かけられてるんですけどね。

 そう突っ込みたいところではあるが、今は大人しく話を聞く。

『だがな、そんな逆風の中でも自分の趣味に誇りを持っている人間はいる。それは、己の哲学がなければできないことなんだ。ちょっと偉そうな言い方になっちまうけど、俺はひかるちゃんにそういった哲学に触れてほしいんだ』

 めずらしく先輩らしいこと言っているが、最終的には僕を攻略するための策だ。感心してはいけない。

「ど、どうしても女装しないとダメですか?」

『ダメってわけじゃないが、ただ話をするだけでなく、共感することが大事だと思うんだ。向こうにしたって、相手が同じ女装男子の方が心を開きやすいだろ?』

 だったらあなたが女装すればいいじゃないですか――と言いたくなるが、ここで言い争いをしても解決にはならないのでグッと堪える。

『その二人とは電話で話しただけで直接会ったわけじゃないが、どっちもいい子だと思う。仲良くなっておけば色々とアドバイスしてもらえるし、水澄ちゃんとの件で力になってくれるかもしれないぞ。これはコネを作るチャンスでもあるんだ。な?』

 僕のためというのが方便でなく、本当にメリットがあるのだからすごい。確かに、水澄さんの親友になりうる人物を探すためのコネは喉から手が出るほどほしい。言っていることにも妙に説得力があるし、たとえ罠でも上森先輩の言うとおりにした方が良いと思えてくる。

 これが人間力というものなのか。僕一人ではとても対抗できない。でも、今の僕には熊楠先輩が付いている。女装して外出するのは気が重たいし、上森先輩の思い通りに話が進むのも悔しいけど、ここは前に進むしかない。

 僕は向かいの席に座る熊楠先輩と目を合わせた後、思いきって返事をする。

「わ、分かりました。行くことにします。でも、い、一度だけですからね!」



『善は急げ』という諺があるが、上森先輩はまさにそれを体現する人だった。

 合コンをする話が出てきてからわずか数時間のうちに、参加者、日時、会場が次々と決まっていく。もちろん独断ではなく、ひとりひとりの意見を聞いた上で最適と思われる答えを導き出し、それを伝えていく。

 参加者は六名。男子側が上森先輩、下倉先輩、景先輩の三名。女子側が僕、如月さん(仮名)、高梨さん(仮名)の三名。日時は翌日、日曜日の午後二時から四時。会場は個室が予約できるカフェで、ショッピングモール付近の駅から急行で二○分ほどの市街地にある。僕の家からだと一時間少々といったところだ。それだけ離れれば知り合いに会う可能性はかなり低く、また遠過ぎもしないので位置的にはちょうどいい。

 では、合コンで何をするのかと言えば、なんと議論を計画しているらしい。メンバーどころか内容まで部活の延長というわけだ。

 気の利いたトークができない僕にとって、これはありがたい。議論なら全員に発言の機会が回ってくるので、おしゃべり好きの独演会になることはなく、みんなが自分の意見を言える。

 この気配り。この行動力。

 性格があれでなければ、これ以上ないくらい尊敬できる先輩だというのに。実に惜しい。

 考えても仕方がない。今は今できることをしなくては。

 まず女装して出掛ける上で最も警戒しなければならないことは、水澄さんとバッタリ会ってしまうことだ。男子哲学部のメンバーなら、とっさに話を合わせてくれるはずだが、他の二人はそうもいかない。

 よって、不慮の事態を避けるためにも水澄さんに明日の予定を聞いておく。もちろん、鹿内光流としてではなく金山ひかりとしてだ。

 いつものようにパソコンのメールで尋ねてみたところ、明日の午後に出掛ける予定はないそうだ。これで最大の不安要素が消えた。

 次に、合コンは初めてなので予習をしておく。女装男子と男装女子が入り交じった合コンを合コンと呼べるかは疑問だが、一応インターネットで調べられることは調べておく。

 あとは、どこで着替えるか、家族には何と言って出掛けるかなど、細かいことだけだ。

 この合コンを通して上森先輩がどう出てくるか。明日、見極める。



 当日の午後。

 ショッピングモールまでバスで移動した僕は、例のごとく緑地公園の多目的トイレで女の子の服に着替える(たびたび使わせてもらってすみません)。前に水澄さんと出掛けた時と同じ、ブラウスの上にゆったりとしたベストを重ね着し、下は風などで捲られることのないキュロットスカートだ。すでに六月も下旬に差し掛かっているためこの服装では少々暑いが、贅沢は言ってられない。

 それから、緑地公園と隣接する駅で景先輩と合流する。景先輩の服装は白のカッターシャツにチェック柄のスラックスと社会人の服装を少しラフにしたような感じだ。オールバック風の髪型とキリリとした顔も相まって、とても大人っぽい雰囲気を醸し出している。

 会場には現地集合なので、急行列車に乗って最寄りの駅へと向かう。そこは地域で一番大きな総合駅であり、休日には多くの若者が集まる場所だ。

 そんな総合駅から歩いて数分のオフィス街の一角に、上森先輩の指定したカフェがあった。コンクリートジャングルの中にひっそりと佇むレトロな外観が、周囲にちょっとした異彩を放っている。昨日の喫茶店は日本の昭和的なレトロさが残るお店だったが、こちらは西洋的なレトロ感のあるお店だ。

 ちなみに、カフェと喫茶店の違いが気になったのでついでに調べてみたところ、カフェは料理やお酒が出せるお店で、喫茶店は軽食しか出せないお店らしい。厨房の有無が基準の分れ目だとか。喫茶店の英訳がカフェかと思っていたがそうではなく、カフェはフランス語で喫茶店の英訳はコーヒーショップだった。言葉としてはカフェの方が断然オシャレな響きだ。実際、カフェと喫茶店の違いは営業形態であって雰囲気は関係ないはずだが、なんとなくカフェは若者向きで喫茶店は中高年向きというイメージがあるのではなかろうか。

「よお、ひかるちゃん。景も一緒か」

 店の入り口付近で待っていた上森先輩が声をかけてきた。

 意外にも、無地の白Tシャツに七部丈のジーンズというシンプルな服装をしている。しかも、普段は肩の辺りまで垂れ下がっている茶髪が今日は後ろでひとくくりにされており、とてもサッパリとした印象だ。

 さりとて地味ではなく、これこそが最新の流行のように見えてしまうのは、上森先輩の人間力が放つオーラみたいなものだろうか。

「ちょっと早いが、もうみんな集まってるんだ。入ってくれ」

 腕時計(今井さんに用意してもらった女性向けのもの)に目をやると、時刻は午後二時五分前。予約は二時からだが多少の融通は利くようだ。

 上森先輩に促されて店内に足を踏み入れると、心地よい冷房の風が火照った身体を癒してくれる。日曜日だけあって席はほとんど埋っており、ガヤガヤと雑談の声が聞こえてくるが耳障りなほどではない。喫煙席は二階、禁煙席は一階と分けられているため空気は悪くなく、コーヒーの香しさやスイーツの甘い香りがほんのり伝わってくる。

 店内は黒と茶色を基調とした落ち着いた感じの内装で、暖色系のオレンジっぽい照明がそれを引き立てている。なんだかカフェというよりバーに来ているみたいで気後れしてしまいそうだ。

 店員さんの案内で一階奥の個室席に通される。

 個室といってもガラス窓からある程度は中の様子が見えるので、完全に密室というわけではない。隠れて悪いことができないようにしてあるのだろうか? 今日はグループで来ているからいいが、上森先輩と二人きりだと思うと密室は怖いので、たぶんそうなのだろう。

 景先輩に続いて個室に入ると、「わぁ」と華やかな声が響いてくる。

 例の女装男子二人だ。

 一人は、優しそうな顔をしたロングヘアのゆるふわ系お姉さん。

 もう一人は、パッチリ目をしたショートヘアの女子高生。

 どう見ても女子にしか見えない二人が、そこに座っていた。

 あと下倉先輩もいた。服装は無地のTシャツにジーンズと上森先輩と似ているが、こっちは地味に見えるから不思議だ。初対面の二人と一緒にいるのが心苦しかったのか、僕たちを見て少しホッとした表情をしていた。

「こんにちは、はじめまして」

「こんにちはー、会えて嬉しいです」

「今日はよろしくです」

 個室内にあいさつが飛び交う。

 途中で割り込むように声を上げるのは気が引けるので、声が止むまで待って最後にあいさつをした。

「は、はじめまして」

 直後、女装男子二人が再び「わぁ」と声を上げる。

「うそ、これが男の子なの?」

 ゆるふわお姉さんが上品に両手を口に当てて驚く。

「すごい……! 全然信じられないよ」

 ショートヘアの子もパッチリ目をさらに開いて驚いていた。

 いや、驚きたいのはこっちなんですけどね。僕なんかよりお二人の方が遥かにレベル高いと思います。

「これで全員揃ったな。席に着いてくれ」

 上森先輩に促され、僕はゆるふわお姉さんの隣に座る。正面には上森先輩、その隣に景先輩。一番奥は下倉先輩とショートヘアの子。女装男子三人と男子(うち一人は男装女子)が向かい合う形だ。

 端から見る分には普通に男女が合コンしているだけの光景だろうが、内情はすごいことになっている。いったい何をしてるのだろう、僕たちは?



 全員が席に着いた後、まずは上森先輩が進行役として簡単なあいさつをする。

「みんな、今日は急な呼び出しにも拘わらず集まってくれてありがとな。すでに聞いてると思うが、ここの支払いは男子側で受け持つことになってる。何でも好きなものを注文してくれ。とりあえず先に注文を済ませちまおう。自己紹介はそれからだ」

 席に二つあるメニュー表を、男子側と女子側でそれぞれ見る。

「まだおやつの時間には早いし、まずは飲み物だけ注文する?」

 ゆるふわお姉さんの提案に、僕とショートヘアの子が頷く。

 暑いのでアイスコーヒーを飲みたいところだが、冷房が強めのため注文が届く頃には暖かいのがほしくなる可能性が高い。昨日の喫茶店で冷たい飲み物を選んで後悔したので、今日はホットコーヒーにしておく。コーヒーの違いはよく分からないから一番安いブレンドでいい。それでも結構高いけど。こんな高いコーヒー、僕にはもったいないな。

 それぞれの注文が決まり、呼び出しボタンを押すと、すぐに若い女性店員がやってくる。

 店員さんはこの異様な集団を少しも変な目で見ることなく淡々と業務をこなし、爽やかな営業スマイルを残して去っていった。

 それから、自己紹介だ。

 男装女子二人のことは、すでに今井さんから聞いているため素性は知っているが、改めて確認すると――

 ロングヘアのゆるふわお姉さんが如月庵さん(仮名)。大学一年生。

 ショートヘアでパッチリ目の子が高梨深月さん(仮名)。高校二年生。

 本名の詮索は無用だ。

 僕も本名ではなく金山ひかりの方を名乗った。もちろん、男子側にはあらかじめ話を通してあるので、この場で普段の呼び方はされないはず。

 熊楠先輩も本名ではなく熊楠景を名乗ったことは言うまでもない。

 六人中四人が変装して偽名の合コンになるわけだが、そんなことは些末と言わんばかりに、隣のお姉さん――如月さんが親しげに話かけてくる。

「ねえ、金山さんはいつから女装始めたの?」

 見た目通り柔らかで優しい声だ。女性としては低めの声に部類されるだろうが、まず疑われることのない音色と言える。

「ええと、四月の終わり頃だから、二ヶ月くらいです」

「そっかぁ。じゃあ、まだ初心者さんかな。でも、その割にはすごいわね。コーデは今井さんに教えてもらったの?」

「そ、そうですね」

 教わりたくて教わったわけではありませんけどね。

 今度はショートヘアの子――高梨さんがこちらを見て声を上げる。

「でも、やっぱりすごいのは素材だよ! 金山さん、もしかして女装してなくても女の子と間違えられたりしない?」

「いえ、今はあまりないです。昔はよくありましたが……」

「あまりってことは、たまにあるんだ?」

「そう、ですね。外出する時は努めて男の子っぽい服装をするよう心掛けてますが、それでもボーイッシュな女の子だとか言われることがあります。あと、久々に会った親戚とかにも……」

「あ、やっぱりそうなんだ。ボクも時々あるんだけどさ、嬉しいよねー」

 間違えられて嬉しいのか。

 まあ好きで女装する人ならそうだろうな。

 しかも高梨さん、女装してるのにボクっ子なんだ。見た目も声もどことなくボーイッシュだし、あえてそうしてるのかな? 女装男子のバリエーションは豊富だ。

 そういえば、金山ひかりを名乗るなら、一人称は〝わたし〟にしておいた方がいいな。思い出させてくれてありがとです。

 店員さんが注文したものを届けにきたことで、女子トーク(女装男子トーク?)が途切れる。

 全員分の飲み物が行き渡り、店員さんが個室から出て行ったタイミングで上森先輩が進行役を再開する。

「じゃあさっそくだが、予定通り議論をするとしようか。議題については、まずは俺が用意したものでいかせてもらたいんだが、いいかな?」

 皆がうんうんと頷く。

 せっかくの提案に反対する理由はない。

 一同の賛成を確認した上森先輩は満足そうに頷く。

「よっしゃ、じゃあ最初は俺の案でいかせてもらうな。議題は女装についてだ。まずは女子側の意見を聞きたい。残念ながら、女装はまだまだ世間的には冷ややかな目で見られちまう趣味なわけだが、なぜそれでも女装をするのか? 答えられる範囲でいいから、その理由を聞かせてほしい。一番手はひかりちゃんだ」

「え、ぼ――わたしですか!?」

 まさかの指名に驚きの声を上げる。危うく僕と言いそうになった。

「如月ちゃんと高梨ちゃんは初参加なんだから、いきなりってわけにはいかないだろ? 最初に手本を見せてやってくれ」

 僕は初参加の時いきなり意見を求められたのですが……。

「でも、そもそも、わ、わたしは好きで女装してるわけじゃなくて、約束で仕方なくしてるだけだから、理由なんてありません」

「フフ、果たしてそうかな?」

 なぜか強気の笑みを浮かべる上森先輩。

「どういうことですか?」

「自分が気付いてないだけで、ちゃんとした理由があるってことさ」

真面目な口調ではあるが、どこか不気味だ。でも怯んではいけない。

「その根拠はなんですか?」

「ひかりちゃんは女装が嫌と言いながらも、結局女装をしているわけだろ? それはつまり、嫌なことをしてでも押し通したいものがあるからだ。それは立派な理由なはずだぜ?」

「ぅぅ……」

 反論できない。たとえ女装してでも男子哲学部を設立させて自分の居場所を作りたかったのは事実だ。

 そこで、高梨さんが小さく挙手をする。

「ええと、意見していいのかな?」

「おう、言いたいことはどんどん言ってくれ」

 進行役から快い返事を受け取った高梨さんは、キョトンとした感じの表情でこちらを見て言う。

「詳しい事情は知らないけどさ、OKしたってことは少なからず興味あったってことじゃない? 普通に考えて、本気で嫌がってる人が学校で女装なんてしないでしょう? 脅迫されたわけじゃないんだよね?」

「は、はい。さすがにそういうわけでは……」

 今にして思えば脅迫めいた部分があった気もするが、事を荒立てたくはないのでそう答えておく。

「それなら、やっぱり少なからずやってみたいって気持ちはあったんだよ。じゃなきゃ街に出るなんてできないはずだし」

 高梨さんの言葉に、如月さんが「そうねえ」と柔らかく呼応する。

「わたしも始めのうちは自分の部屋で隠れて女装するのが精一杯で、外出するまではかなりの時間と勇気が必要だったわ。二ヶ月でこれだけ自然な振る舞いができるのはすごいと思うの」

「そ、そうなんですか……?」

 知らなかった。僕はすごかったのか。

「いやいや、ちょっと待ってよ」

 今度は景先輩が声を上げた。

 僕はハッとそちらを見る。

「女装に限った話じゃないけどさ、物事っていうのは一人で決断するより流されて勢いでやった方が断然楽なんだよね。だから金山ちゃんがすごいかどうかは別問題だと思うよ」

 あれ? これは援護してくれてるのかな?

 続いて、下倉先輩がまったり口調で意見する。

「ひかりちゃんは天然で世間知らずな子だからねー。コスプレイヤーの一般的基準は当てはまらないと思うよー」

 微妙にチクリとくる言葉だが、要は景先輩と同意見だ。

 どうやら下倉先輩も今回は味方らしい。

 如月さんと高梨さんは上森先輩の味方なのだろうか?

 今の発言はそれっぽかったが、確証はない。でも、裏で通じていたとしてもおかしくはない。

 とにかく、自分の意思をしっかりと持って、流されないようにしなければ。

「ま、なんにしても、どうせやるなら惰性でやるより信念を持ってやってもらいたいもんだな。コスプレに限らず何事もな」

 高梨さんと如月さんが口を開かなかったためか、進行役の上森先輩がまとめに移った。小乗先輩でもそうするであろう絶妙なタイミングだ。

「よし、今のでコツは分かったな? じゃあ次。如月ちゃん、いってみようか」

 ほぼ初対面の年上をちゃん付けで呼ぶのはどうかと思ったが、その笑顔から察するに本人は喜んでいる様子。きっと上森先輩の見立てでは、それが正解だったのだ。

「如月ちゃんが女装する理由を教えてくれ」

「そうねぇ……」

 如月さんは思案を巡らせるように中空を仰いだ後、少し恥ずかしそうに声を発する。

「わたしにとっての理想の女性を体現してみたかった、というのかしらね。現実世界には、わたしの理想と呼べるような女性はどこにもいなかったから、それなら自分で体現しちゃえばいいかなって。この姿と性格と口調は、わたしの理想を詰め込んだ結果なの」

 うっとりするような表情で頬に手を当てる如月さん。

 この人、優しいお姉さんがよっぽど好きなんだな。その点には共感するけど、自分がそれになろうという発想には至らない。

「わたしは、どんなことをしてでも理想の人に会いたいと思ったわ。そして、その気持ちが恥ずかしいという気持ちを超えたなら、もうやるしかないでしょう? それがわたしの信念であり、愛なの」

 発言の後、「おおー」と小さな喚声が上がる。

 やっていることは何であれ、こうして信念を貫けること自体はすごい。成り行きで女装をしている僕とは意志の力が違う。それを見せつけられた気分だった。

 控えめな喝采が消える頃、下倉先輩が軽い挙手をする。

「質問いいかなー?」

「はい、どうぞ。なんでも聞いてね」

「如月さんは、優しいお姉さんタイプを愛してるみたいだけど、自分が愛されたいとは思ってるー?」

 なにその質問? 告白?

「もちろんよ。独り占めするつもりなら、わたしは理想の女性を部屋に閉じ込めたまま外には出なかったわ。わたしは、この気持ちを皆で共有したいからこそ、勇気を出して扉を開けたの」

 さすがに違ったか。

「じゃあ、もう一つねー。もし素敵な男の人が如月さんのことを好きだって告白してきたら嬉しい?」

「いいえ、わたしは特定の誰かとお付き合いするつもりはないから、そういうのはちょっと困るわ」

「じゃあ、ファンならどう?」

「ファン?」

 如月さんはキョトンと首を傾げたところで、すぐさま上森先輩が口を挟む。

「おいおい、下倉。そういう話は後にしてくれよ。議論と勧誘は違うだろ」

「じゃあ後でまた言うねー」

 下倉先輩はまったりとした表情を変えることなく、あっさり引き下がった。たぶん、いつか言っていた女装男子のアイドルグループのことなんだろうけど……。

 この人はこの人でなんか企んでるみたいだし、本当に一瞬たりとも気が抜けないな。

 一息入れてから、上森先輩が仕切り直す。

「他に質問や意見はないか? ないなら次は高梨ちゃんの番だな」

「はーい。正直ちょっと恥ずかしいけど、みんないい人みたいだから赤裸々に言うね」

 恥ずかしいと言っている割には明るい様子だ。この人も前向きな性格であることが伝わってくる。

「ボクはね、昔からよく女の子みたいだって馬鹿にされてたの。小学生の時なんかは半分いじめみたいだった」

 僕と同じだ。いじめとまではいかないにせよ、昔はずいぶんからかわれたな。

「でもね、中学生くらいになって成長期に入ると、ちょっとずつみんなの態度が変わってきたの。なんだか、女の子と接する時みたいにそわそわしてることが多くなって……。それである日、試しに前髪をヘアピンでとめて、ちょっとだけ女の子っぽくしてみたの。そしたら、みんなあからさまにそわそわするようになってね。それが楽しかったから、意識して女の子っぽい仕草をするようにしたら、だんだんちやほやされるようになって。あ、ちなみにボク、小学校と中学校は男子校ね。今は共学だけどね」

 男子校というワードに一同が驚きの反応を示す。

 それはまあ、男子校にこんな可愛い子がいたら注目されるでしょう。成長期を向かえた中学生ともなれば、女の子を守りたいという気持ちが芽生えてくるもの。それで高梨さんを見る目が変わったのだろう。

「ボクは楽しいから女装してるだけで如月さんみたいな信念はないけど、あえて言うなら心底楽しいと思うことは誰が何と言おうと続けることが大事かな。もちろん、人に迷惑をかけない範囲でね」

 再び、小さな喚声が湧き起こる。

 高梨さんは「あえて」と言ったけど、充分に立派な信念だ。僕もその姿勢は見習いたい。女装に対する姿勢ではなく、楽しいことに取り組む姿勢をだけど。

 喚声が止んだ後、景先輩がサッと手を挙げる。

「答えられたらでいいんだけど、高梨さんの恋愛対象はどっちか聞いていい? もしかして男だったりする?」

 ずいぶん積極的な質問だな。

 まさか景先輩、高梨さんのことを気に入って――いやいや、景先輩は女子だって。

 あれ? 女子だからいいのか? もうワケが分からない。

「えー、困ったなぁ」

 とか言いつつも、高梨さんは満更でもなさそうな顔だ。

「そこをなんとか」

 景先輩は茶目っ気の混じった笑顔で頼み込む。そんなに重要なことなのか。

「う~ん、実は自分でもハッキリしてないんだよね。この人いいなぁと思うことはあっても、本気で付き合いたいって思ったことはなかったし。でも逆に言えば、そういう人が現れたら好きになっちゃうかもしれないなぁ」

「へえ、じゃあ好みのタイプは?」

「こんなボクでも受け入れてくれる懐の深い人っていうのはもちろん、やっぱり優しい人が一番かな」

 つまり場合によっては男の人と付き合うのもありなわけだ。

 それなら、なんとかして上森先輩と……。

 あ、そうか。景先輩はそれを確かめたかったのか。

 おかげで、上森先輩と男装女子をくっつける作戦が上手くいく可能性が出てきた。問題は上森先輩が高梨さんに興味を持つかどうかだけど、今のところは私情を挟まず進行役に徹しているから分からない。

 そんな意図など知らないであろう高梨さんは、悪戯っぽい笑みで景先輩に問いかける。

「もしかして熊楠君って、女装男子も守備範囲内だったりするの? 禁断の恋とかいけちゃう人?」

 いや、その人の場合、禁断じゃなくて普通に男女の恋なんですけどね。見た目は逆転しますけどね。

「フフッ、それはどうかな? 少なくとも、ここにいる上森の守備範囲には余裕で入ってると思うけど?」

 景先輩は曖昧に答えつつ、チラリと上森先輩に目を向けた。

「え、そうなの?」

 高梨さんもそちらへ目を向ける。

 上手く話を振ったな。さあ、どう出る?

「当然だ。俺の守備範囲は全国区と言っても過言じゃないからな」

 いかにも上森先輩らしい歯切れの良い返答だった。

「えー、全国区ってどのくらいなの? 誰基準?」

 あまり重要でない部分に突っ込みを入れる高梨さん。

「そりゃもちろん、俺基準さ。なにせ全国区だからな。高校生じゃトップクラスと考えてくれていい」

「あはは、そうなんだー」

 どうやら、二人ともこれ以上突っ込んだ話をするつもりはなさそうだ。

 だがこれは布石に過ぎない、という感じで景先輩は静かに引き下がる。

 みんな駆け引きしてるなぁ。僕はそういうの苦手だ。普通の合コンでも、こうやって恋愛の駆け引きをするのだろうか? だとしたら、あまり参加したくないな。確実に負ける自信あるよ。

「さて、次は男子側の番だな。つっても、女子側と同じ質問しても意味ねえから、質問を変えるぞ。女装男子のことをどう思うか聞かせてくれ」

 上森先輩が指名する前に、下倉先輩が小さく挙手する。

「いいのー? その質問きわどくなーい?」

 確かに、返答内容によっては女装男子を傷付ける恐れのある質問だ。僕は自分を女装男子と思ってないからどうでもいいけど、隣のお二人がどう受け取るか……。

「その点は問題ない。というのも、実はこの質問は女子側の希望でな。率直な意見を聞かせてほしいってことだ。な?」

 上森先輩の問いかけに対し、如月さんと高梨さんが静かに首肯した。

 勇気あるなぁ。

「言うまでもないと思うが、誹謗中傷みたいなことじゃなきゃ何でもいい。というわけで、まずは下倉、どうだ?」

 僕の次に合コン慣れしてなさそうなのに、部室にいる時と同じように緊張感のない猫背と眠た顔をした先輩が率直に言う。

「ビジネスチャンスだねー」

 またそれ系の話か。

 進行役の上森先輩も若干呆れ気味の表情だ。

 とはいえ、初参加の如月さんと高梨さんにとっては聞き慣れない意見なはずなので、口を挟んだりはせず静かに耳を傾ける。

「女装男子と言えば、二次元の世界では今や第一線で活躍する人気属性だけど、現実社会ではまだまだマイナーな存在だよね。少なくとも、一流のアイドルと対等の活躍をするレベルの女装男子はまだいないわけで。つまりー、リアル女装男子という属性は、この飽和社会における数少ない未開拓分野なんだよー」

 それは需要がないからでは?

 そう問いたいところではあるが、確証はないので迂闊な発言はしないでおく。

「もちろん、未開拓ってことはそれだけリスクが高いんだろうけど、それさえ乗り越えれば一躍人気者になれる可能性も秘めてるってこと。そういった意味では、女装男子のみんなは貴重な人材と言えるねー」

 要するに、いつもの勝ち組の話だ。上森先輩から釘を刺されているので直接的な言い方はしていないが、如月さんと高梨さんを例の女装男子アイドルとやらに勧誘する気満々な様子だ。

 それで当の二人の反応はというと、割りと熱心に聞き入っていた。特に如月さんはアイドル的存在に憧れているようで、「後で詳しい話を」と予約まで取り付けていた。

 まさか本当に、下倉先輩がプロデュースする女装男子のアイドルグループがここから始まってしまうのだろうか? 

 そうだとしても、どうか僕のいないところで進めてください。

 次に、この中で唯一の女子である景先輩が意見を述べる。

「そうだな……。如月さんの意見を聞いて思ったことなんだけど、女装男子というのは一種の芸術のような気がするんだ。すごく可愛いんだけど、そこに性的な意味はなく、ただ純粋に可愛いと言える存在。それが女装男子だと俺は思う」

 これに対し、高梨さんが積極的に質問する。

「さっきの話の続きみたいになるけど、じゃあ景君は女装男子とお付き合いとかは考えてないってこと?」

「そんなことはないよ。ただ、もし付き合うにしても、あまり濃厚な恋愛ではなく、優しく撫でるようなソフトなお付き合いがしたいところだね」

 もしかして、高梨さんは景先輩が気になるのだろうか? 

だとしたら困ったな。できれば上森先輩とくっついてもらいたいので、ここは今日のまとめ役として良いところを見せてください。

質問が出なかったので、最後は上森先輩の番だ。

「特権だ」

 短く、強い口調が個室内に響いた。

 その場にいる全員が目を見張る中、上森先輩は机の上に置かれた右の拳をグッと握り、熱く語る。

「体力に恵まれた人間にはスポーツで活躍する特権がある。学力に恵まれた人間にはテストで好成績を収める特権がある。顔のいい奴はモテる特権がある。だったら、可愛く生まれた子には可愛く着飾る特権があるはずだ。性別に関わらずな」

 この声、個室の外に漏れてないよね? 外の声があまり聞こえてこないのだから、こっちの声も聞こえてないと思いたい。

「スポーツのできる奴がスポーツ選手になるように、勉強のできる奴が一流大学に進学するように、可愛い男子が女装することは、何一つ後ろめたさのない当然の権利でなければならないんだ。だが現実は、到底その権利が適切に行使できるとは言えない状態だ。だから俺は思う。女装男子は、もっと評価されるべき、もっと優遇されるべき存在だと!」

 この演説のような力強い言葉に、如月さんと高梨さんは今にも泣き出しそうなくらい感銘を受けていた。

 下倉先輩は眠た顔でニンマリとしていた。

 景先輩は呆れたように苦笑いしていた。

 僕は顔が引きつりそうになるのを抑えながら思った。

 この人ひょっとしたら政治家に向いてるかもしれない、と。



 その後も、おいしいパンケーキをいただいたり、別の議論をしたりして、上森先輩主催の合コンは大いに盛り上がった。

 如月さんと高梨さんは男子哲学部のメンバーとすっかり打ち解け、帰り際には全員で連絡先を交換した。

「それじゃ、今日はありがとね。今度また誘ってね」

 高梨さんは明るく手を振る。

「今日はとっても楽しかったわ。これからも仲良くしてね」

 如月さんは丁寧にお辞儀。

 二人とも心底楽しんでくれた様子で歩き去っていった。これなら合コンそのものは大成功だったと言える。

 だけど、上森先輩に攻略を諦めさせるきっかけが作れたかどうかは疑問だ。あの二人に対する上森先輩の態度は、友好的ではあるものの興奮はしていなかった。僕の女装姿を初めて見た時や夏服に変えた時とはずいぶん違う。もちろん、進行役として冷静に振る舞う必要があったからというのもあるだろうけど。

 これからどうすればいいのか、さっぱり分からない。多少は脈がありそうだった高梨さんが上森先輩にアプローチしてくれるのを期待するしかないのだろうか。

 胸中を不安が駆け巡る僕とは反対に、下倉先輩はホクホクした顔で帰っていった。

「じゃあ、またねー」

 きっと如月さんがアイドルの話に興味を示してくれたことが嬉しいのだろう。彼にとっては一定の成果があったようだ。

「そんじゃ、俺たちも帰るとするか」

 上森先輩とは駅まで同じ道ということで、じめじめと暑いコンサートジャングルの中を一緒に歩き出す。この辺りはオフィス街なので、日曜日の今日は閑散としていた。

「二人とも、今日は楽しめたか?」

 道中、前を歩く上森先輩が明るく声をかけてきた。

「ま、それなりにね」

 景先輩は短く答えた。

 ここは正直に言うべきか迷ったが、下手に「楽しかったです」と言うと「じゃあ次も」となってしまうので、やはり正直に言う。

「す、すみません。僕は緊張してたから、あまり余裕がなくて……。でも、議論は有意義だったと思います」

「そうかい。なら次はひかるちゃんが緊張しないように工夫しないとな」

 ……どっちにしても次は避けられないわけね。

 僕の隣にいた景先輩が少し早足で進み、上森先輩の横に並ぶ。

「ところで、上森はあの二人をどう思った?」

「なんだ急に? それはさっき議論で言ったろ?」

「いや、女装男子をどう思うかじゃなくて、あの子たちを気に入ったかって話さ」

「そりゃ気に入ったさ。二人とも可愛いし、性格も良いし、なにより自分のやることに信念を持ってる。ぜひ、ひかるちゃんにも見習ってほしいもんだな」

 チラリと振り返って僕を見てくる上森先輩。

 見習いませんよ?

 前を歩く景先輩の横顔が微妙に険しくなる。

「それだけかな?」

「は? どういう意味だよ?」

「攻略対象としてどうかって意味さ。もちろん恋愛的な意味で」

「んなこと聞いてどうする?」

 上森先輩の声が警戒を含む。

「単に気になるからじゃダメかな?」

 熊楠先輩の口調はどこか挑発的だ。

 何か考えがあるのだろうけど、先が読めない。

「まどろっこしいな。何が言いたいんだ?」

 だんだんと苛立ちを隠せなくなってくる上森先輩。

 二人の間にピリッと緊張が走り、どちらからともなく立ち止まる。

 僕も立ち止まるしかない。

 景先輩は――

「上森が、あの二人のどちらかとくっついてくれたらと思ってね」

 やっぱり。ここで勝負に出るつもりだ。

「なんでだ?」

 当然と言えば当然の返し。

「ひかるさんのことを諦めてほしいからさ。それがなぜかは、さすがに言うまでもないよな?」

 僕に分かるくらいだ。察しの良い上森先輩に分からないはずがない。

 これは実質、告白だ。

 本当の告白ではないことは分かってるけど、それでも胸の高鳴りは抑えられない。元々暑かった身体がさらに暑くなり、あちこちから汗がにじんでくる。

 そんな熱とは無縁かのように、上森先輩はいつになく冷めた様子だった。

「なるほど、そういうことか。それで何やらこそこそやってたんだな? ひかるちゃんから俺を遠ざけるために」

「なんだ、バレてたのか」

 その開き直ったような態度にも冷めた空気は変わらない。

「確証を持ったのはたった今だがな。おかしいと思ったぜ。真尋がいきなり女装男子と会ってほしいなんて言い出すんだからな」

「そうか、裏があることに気付いてたからあまり興奮してなかったわけだ」

「それもあるが、俺は今ひかるちゃんを攻略中なんだ。途中で乗り換えたりはしねえよ」

「へえ、あくまでも今はひかるさん一筋ということか」

「そうだ」

 まっすぐな視線を互いに向けたまま、一歩も譲らない二人。

 道行く人々が奇異の視線を向けては通り過ぎていく。

「意外と誠実なんだね」

 景先輩は周囲の目など気にも留めず、静かにライバルを褒める。

 そして熱く宣言する。

「でも、俺も引く気はないよ。こうなった以上、もう小細工はやめだ。正々堂々勝負といこうじゃないか」

 上森先輩は不敵な笑みで応じる。

「望むところだ。だが勝負の方法はどうする? 議論じゃラチが明かねえな。かといって拳で決めるわけにもいかねえだろ」

「これは恋愛の勝負だからね。デートで決めようじゃないか。ひかるさんをより楽しませた方が勝ちだ。敗者には潔く身を引いてもらう。それでどうかな?」

「おもしれえ。その勝負、受けて立つぜ!」

 あれ、僕の意思は?

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