第3話 大切な居場所を守るために

 本居先輩のファインプレーのおかげで周囲から注目されることはなかったものの、熊楠先輩の表情は戸惑いに満ちていた。

「いやあ、まさか金山ちゃんの正体が鹿内君だったなんて……。さすがにそっちの方面は予想してなかったよ」

 宇宙人や異世界人に比べれば、女装男子くらい現実的でスケールの小さい話だというのに。

 人間はスケールの大小に関わらず、予想外のことにトコトン弱いんだな。図らずも、そんなことを実感した。

 それはともかく、まずは熊楠先輩に対して謝る。

「ごめんなさい。騙すようなことをしてしまって……。でも、これには色々と深い事情があるんです。なりゆき上、仕方なかったんです」

「まあそうだろうね。その様子だと、好きで女装してるわけじゃなさそうだし。よかったら、その事情ってのを聞かせてくれる?」

「はい――」

「待って」 

 僕の返事を遮るように、本居先輩が声を割り込ませてきた。

「ひとまず学校から出ましょう。こんなところを知り合いに見られては何かと面倒だわ」

「そ、そうですね。でも、まだ僕の鞄と着替えが部室に……」

 まさかこの格好のまま家に帰るわけにはいかない。

「わたしが取ってきてあげる。すぐに戻ってくるから、ここで待っててちょうだい」

 本居先輩は踵を返し、早足で部室の方へ歩いていった。

 少しの間、気まずい空気が流れる。

 先に口を開いたのは熊楠先輩だった。

「ねえ、このこと知ってるのは、男子部のメンバーと本居先輩だけ?」

「いえ、コスプレ部の今井さんも知ってます」

「え、あの今井ちゃんが!? なんでまた?」

「上森先輩が助っ人として連れてきたんです。それで、女装について色々と教えてもらいました」

「なるほどね」

 熊楠先輩は静かに頷くと、まじまじとこちらを見つめてきた。

「確かに、言われてみれば鹿内君と似てるなって感じはするけど、雰囲気が全然違うから聞かなきゃまず分かんないレベルだよ。最初に会った時、どっかのアイドルが来たかと思ったくらい可愛いもん。ほんとに鹿内君? それとも、鹿内君が実は女の子だったりする?」

「ち、違います違います。僕は正真正銘――」

 おっと、誰かに聞かれては大変だ。

 僕は周囲に誰もいないことを確認した後、声を潜めて言う。

「男です」

「ほんとに~?」

 なおも訝しげな顔。

「本当です。これを見てください」

 僕は念のため再度周囲を確認した後、ゆっくりとウィッグを外して見せた。

 すると、熊楠先輩は表情を引きつらせながらも、納得の声を上げる。

「ほわあ、ほんとなんだぁ。ウィッグなしでも充分可愛いけど、ほんとに鹿内君だ」

 すぐにウィッグを戻す。

 信じてもらえてよかった。倫理を無視すれば男だと証明するのは簡単だが、それは望むところではない。

「それにしてもさぁ」

 熊楠先輩が、急に肩や腕をペタペタと触ってくる。

「え? え?」

 少し屈んで、腰にも触ってくる。

「な、なんですか?」

 不快というわけではないが、緊張で身体がビリビリする。

 熊楠先輩は僕の肩を抱いたまま、目を見張るようにして言う。

「う~ん、これはすごい。顔だけじゃなく、身体付きも女の子みたいに華奢だ。しかも声まで高い。どれか一つでもレアだっていうのに、三拍子揃っちゃってるよ。これはもう才能とか飛び越して奇跡の存在だね!」

「は、はぁ・・・・・・」

 なんて嬉しくない褒め言葉だ。できれば、もっと他の才能がほしかったよ……。



 それからしばらくして、本居先輩が三つの鞄を手に戻ってきた。うち二つは僕の鞄だ。片方には教科書類、もう片方には元々着ていた男子制服が入っている。

「あ、ありがとうございます」

 お礼と共に鞄を受け取ると、本居先輩はムスッとした表情で言う。男子部の部室で何かあったのだろうか。

「一応、上森君と下倉君に厳重注意はしておいたわ。あまりふざけたことしてると投げ飛ばすってね。どこまで効果があるかは分からないけど」

 つまり、去年と大して変わらなかったわけだ。この分だと効果は期待できそうにないな。早急になんらかの対策を立てなければ。

「それじゃあ、落ち着いて話ができる場所に行きましょうか。駅前の緑地公園はどう? あそこなら多目的トイレがあるから着替えができるし、聞かれたくない話をするにはピッタリでしょう?」

 本居先輩の提案に、僕と熊楠先輩がコクっと頷く。

 駅前といえば、前に水澄さんと再会したショッピングモールの付近だ。この学校から遠すぎず近すぎず、ベストな場所と言える。

 スカートのまま自転車には乗りたくないので、先輩二人とバスに乗って目的地へと向かう。往復のバス代は痛いが仕方がない。自転車は後で取りに来よう。

 公園に到着後、まずは男女共用の多目的トイレで着替えを済ませる。カラーコンタクトも外す。本来、こういう使い方は推奨されない施設だが、背に腹は変えられないのでごめんなさい。なるべく急いで着替えました。

 それから、落ち着いて話ができそうな人通りの少ない場所を探す。幸い、六月の太陽光は雲に遮られているので、日陰を選ぶ必要はない。

 園内のウォーキングコースを歩くうちに、ちょっとした丘のようになっている場所にベンチがあるのを見つけ、そこで話をすることに決める。

 僕を中心に、左が熊楠先輩、右が本居先輩の位置で木製のベンチに腰掛けた。

「この公園、久しぶりに来たよ。小学校以来だなぁ」

 熊楠先輩は鞄をガサガサして、個包装されたお煎餅を取り出す。まずは自分が一枚くわえてから、「食べる?」という感じでお煎餅を差し出してきた。

「あ、じゃあ、いただきます」

 僕はお煎餅を受け取り、個包装を破いてから口に運ぶ。

 パリッという食感と共に広がるシンプルな醤油味が香ばしい。

 本居先輩も「ありがとう」と小声で言って、お煎餅を一枚受け取った。

「まだあるから好きなだけ食べてね」

 熊楠先輩は、残り十枚くらい入っているお煎餅の袋をこちらに見せてから、嬉しそうな顔で二枚目の個包装を破いた。

 女子哲学部の部室で初めて会った時も思ったけど、本当にお菓子が好きなんだな。ボーイッシュな外見に反して、そういうところは可愛らしい人だ。

 それから少しの間、三人でパリポリした後、熊楠先輩が話を切り出す。

「ええと、まず聞きたいんだけど、本居先輩はどうして鹿内君の正体を知ってたの? 最初から知ってたの? それとも途中から?」

「体験入部の時だから、最初からに近いわね。鹿内君の顔には見覚えがあったし、何だか挙動が怪しかったから、部室から出ていった時に後を尾けてみたら案の定だったわけ」

「ふえー、すごいなぁ。その時点でもう気付いてたんだ。あたしだって勧誘活動の日に鹿内君のこと見てたのに、全く疑いもしなかったよ。それもあれ? 修行の賜物ってヤツ?」

「さあ、そこまでは……」

 真顔でかぶりを振る本居先輩。

 修行というのは武道のことだろうか。確かに、武道の達人は観察眼が鋭いというイメージはあるが、根拠はない。

 熊楠先輩が真面目な口調で続ける。

「それから、一応確認しておきたいんだけど、惺香とさとりんはこのこと知らなくて、今後も隠しておくってことでいいの?」

「とりあえず、水澄さんには絶対に隠しておいてください。新井先輩については……どうでしょう?」

 僕は先輩たちの顔を交互に伺う。

 僕個人としては、秘密を知る人間は一人でも少ない方がいい。でも、親友に隠し事をすることになる熊楠先輩の気持ちを無視するわけにはいかない。

 しばしの沈黙の後、先に本居先輩が答える。

「わたしは、まだ黙っておいた方がいいと思う。惺香さんがどんな反応を示すか分からないのだし、まず目の前の問題を解決してからでも遅くはないわ」

 つまり慎重策だ。心情的にはありがたい。

 熊楠先輩は「う~ん」と悩ましげに唸る。

「惺香なら怒ったりせず相談に乗ってくれるとは思うけど、でも絶対ではないし……」

やはり即答というわけにはいかないか。

でも、少し悩んだ後、パッと顔を上げて割り切ってくれる。

「まあいいや。ひとまずは保留ってことで本題に入ろっか。それで、なんでまた女装なんかすることになったの?」

「実は――」

 僕は順を追って事情を話す。

 上森先輩が入部する条件として僕のコスプレ(女装)を要求してきたこと。

 たまたま女装していたところを水澄さんに見つかり、新入部員と間違えられて女子部の部室に連れていかれたこと。

 そして、上森先輩がいよいよ本気で攻略に乗り出してきたことを。

 熊楠先輩は微妙に苦味の混じった顔で、小さくつぶやく。

「マジか……。あたしの知らないところで、そんなことになってたのか。あたしの予言が当たるよりすごいことになってんじゃん」

 そういえば、女子哲学部に体験入部した時に言っていたな。上森先輩が変な気起こさないか心配だって。きっと冗談半分だったのだろうけど、現実はそれどころじゃありませんでした。

「で、要は嫌々女装させられたあげく、襲われそうになったから部室を飛び出してきちゃったわけだ。それって脅迫罪及び、わいせつ未遂罪で通報していいレベルじゃない? なんなら今から通報する?」

 割と本気の顔で携帯電話を出す熊楠先輩を、僕は慌てて制止した。

「待ってください! 通報なんかしたら親に知られてしまいます! それに、あの人たちも悪気があってやってるわけじゃないから、通報したり先生に言ったりするほどじゃないんです。だから……」

「冗談だよ」

 熊楠先輩は携帯電話を鞄にしまう。

 それから、少し悪戯っぽい笑顔を向けてきた。

「もう、優しいなぁ、鹿内君は。あんなおかしな連中でも庇ってあげるんだから」

 なんだ、冗談かぁ。笑って済ませられる冗談は久しぶりに聞いたよ。つまり上森・下倉両先輩の冗談は、冗談かどうかも怪しいくらい笑えないということだ。

 それでも――

「普段お世話になってる先輩でもありますから」

 これは本音だ。いきすぎた部分もあるとはいえ、脅迫だなんて思ったことは一度もない。

 熊楠先輩は「へえー」と声を出し、僕の顔を覗き込んできた。

「男子哲学部のこと、そんなに気に入ってるんだ?」

「そうですね。友達と呼べる人がいない僕にとって、唯一の居場所ですから」

「そっか。じゃあ、大切な居場所を守るためにも、上森と下倉にはもうちょっと自粛してもらわないとね」

 熊楠先輩の頼もしい言葉に、少し涙腺が緩んでしまうくらいの感動を覚える。

 うう、なんて先輩っぽい先輩なんだ。これこそ僕が思い描いた部活動の姿じゃないか。なんかもう、冗談抜きで女子哲学部に入部したくなってきたよ。

 話が一区切りついたところで、本居先輩が言う。

「そろそろ具体的な対策を考えましょうか。鹿内君、問題は複数あるみたいだけど、まずはセクハラをどうにかするのが最優先ってことでいい?」

「あ、いえ、セクハラに関しては小乗先輩がいれば大丈夫だと思います。今後は、小乗先輩が休む時は直接連絡をもらえるよう頼んでみます。それよりも、上森先輩にどうやって攻略を諦めさせるかを相談したいです」

「攻略ね……。相変わらず自分本意な恋愛の仕方しか考えられないみたいね、あの男は」

 本居先輩は苦々しい表情でつぶやき、ベンチに深くもたれて腕を組んだ。

 熊楠先輩は驚きと呆れが混じった顔で言う。

「見境のない奴とは思ってたけど、まさか男の子にまで手を伸ばすとはね。でも、交流会の時の様子じゃ女の子に興味を失ったわけではなさそうだったし、同性愛と普通の恋愛、両方いける人になっちゃったのかな? 両性愛?」

「あ、いえ、違うらしいです」

「なにが?」

「下倉先輩が言うには、同性愛に目覚めたわけではないそうです。上森先輩は、ただの可愛いもの好きだとか」

 熊楠先輩は眉を潜めながら、大きく首を傾げる。

「どういうこと? 攻略っていうのは、鹿内君を恋人にしたがってるってことでしょ? それなのに同性愛じゃないの?」

「理解し難い話ね」

 本居先輩から冷たい声が返ってくる。

 そう、これが普通の反応だ。僕にだって彼の価値基準は分からない。でも、とにかく今までに聞いたことを伝える。

「僕にも詳しいことは分かりませんが、どうやら上森先輩の中では男子と女装男子は別物みたいなんです。それから、女装すれば誰でも女装男子というわけではなく、可愛くなければただの変態だと言ってました。だから、世間一般でいう同性愛とは違うみたいなんです」

「……ますます理解不能ね」

 再び冷たい反応の本居先輩。

 それに対し、熊楠先輩はハッと思い付いた感じで言う。

「ああ、でも、ウェブ漫画でそういうの見たことある気がする。見た目さえ可愛いければ性別なんかどうでもいいって話。そのヒロイン(?)の男の子が可愛いすぎて同性愛には全然見えないんだよ」

「あ、たぶんそれかも……」

 言われてみれば、漫画ならそういう展開を見たことある。っていうか、よくある。

 実質同性愛なんだけどボーイズラブではなく少年向けの漫画だ。所詮はフィクションと思って深く考えなかったが、現実にもそういう人がいるのか。

「そっかそっかぁ」

 熊楠先輩が真顔で僕の顔をじっと見つめてくる。

「それなら、上森の気持ちも多少は分かる気がするなぁ」

「え、どうしてですか?」

「だって、女装した鹿内君の可愛さときたら、半端じゃないんだもん。それこそ、漫画みたいな展開になってもおかしくないレベルだよ。自覚してる?」

「あ、いや……」

 それは、初めて女装した自分を鏡で見たあの日から極力考えないようにしてきたことだ。いわば禁忌の領域。ましてや他者からの視線など、ひたすら恥ずかしいばかり。つまり自覚はなきに等しい。

 隣で本居先輩が小さくため息をついた。

「あなたの自覚がどうあれ、あなたの女装姿は中身が男だと分かっていても騙されてしまうくらい魅力的ってことね。でも、約束は約束だから女装はやめられないし、ハッキリお付き合いを断ることもできないんでしょ?」

「え、なんで? 嫌ならフッちゃえばいいじゃん?」

 熊楠先輩が反応した。彼女は事情を知らないのだ。

 その事情を、本居先輩が淡々と説明する。

「そうすると、上森君が交流会以前の状態に戻ってしまうわ。鹿内君が防波堤になってくれたからこそ、彼はわたしたちに対してセクハラ的な発言をしなくなったの。服装や髪の色が変わったのも鹿内君の提案だそうよ」

「へえ、そうだったんだ。うむむ、あの交流会の裏で、そんな駆け引きがあったとは……。でも、それってかなり厄介じゃない? 要するに、上森とは付かず離れずを維持しなきゃいけないわけでしょ?」

「そうなんです」

 返事をしつつ、僕は深く肩を落とした。

「だから困ってるんです。僕に難しい駆け引きはできませんから。小乗先輩と下倉先輩と三人で議論はしたんですけど、アイドルになって恋人禁止にするとかいう無茶な意見しか出てきませんでしたし……」

 熊楠先輩が引きつった顔で低く笑う。

「あはは、それ下倉だね」

「そうです」

 さすが一年間同じ部で過ごしただけあって、よく分かっている。

 今度は本居先輩が聞いてくる。

「その議論で小乗君はなんて意見したの?」

「小乗先輩は『好きな人がいるから無理です』と言ってお断りするくらいしか思いつかなかったみたいです」

「それはダメなの? すでに付き合ってるならともかく、片想いの状態なら、上森君に希望を持たせたまま曖昧にしておくこともできると思うのだけど?」

「それが無理なんです。上森先輩は前にこう言ってました。僕が好きになった相手もまとめて愛してやるぞって」

「メチャクチャね……。じゃあ、あなたの好きな相手は女の子じゃなくて男ってことにすれば?」

「そんなことしたら、僕が同性愛者だって噂が広まってしまいます。たぶん、上森先輩は僕の好きな相手を探るでしょうから」

「じゃあ、小乗君にその役をやってもらうのは?」

「その案も出ました。でも、それだと、上森先輩と小乗先輩が険悪な関係になってしまいます」

「確かにね。そうなると、もう八方塞がりね。どうしようもないわ」

 あまりにも複雑奇怪な状況に、さしもの本居先輩も肩をすくめてしまう。

「熊楠先輩は何か思い付きませんか?」

 僕はすがり付くような目で、もう一人の先輩の顔を見る。

「う~ん、そうだなぁ」

 腕を組み、目を閉じた状態で何度も唸り声を上げる熊楠先輩。

 少しの間、静寂が場を支配する。

 遠くから電車の走る音が聞こえてくる。

 モフモフの白い小型犬を連れたご老人が、近くを通り過ぎていく。

 学校と同様、ここも平和だ。

 やがて彼女は、ハッと何を閃いたように大きく目を開けた。

「そうだ! 逆だったらどうかな?」

「逆?」

 僕は首を傾げる。

「だからぁ、鹿内君が好きな相手じゃなく、鹿内君のことを好きな相手を作るの。そしたら上森とはライバル関係になるわけだから、上手く競わせて均衡状態を保つことができないかなぁと思ったんだけど。どう?」

「どう、と言われましても、その相手役はどうやって作るんですか? 小乗先輩にお願いするわけにはいきませんし、かといって外部から連れてくるのはもっと無理ですよ?」

「あたしがいるじゃん」

 熊楠先輩は得意気な表情を崩さず、突拍子もないことを言い出した。

「え? どういうことですか?」

「あたしが男装して、男子哲学部に潜入するの。それなら問題なくない?」

「え……? ええええー!」

 僕は驚きのあまり人目も憚らず大声を出し、ベンチから立ち上がった。

 そして、訴えかける。

「問題ありすぎです! すぐにバレますよ!」

 数回しか顔を合わせたことのない僕と水澄さんと違い、熊楠先輩と上森先輩は一年間同じ部で活動した間柄なのだ。少しくらい印象を変えたところで顔を見間違えるはずがない。

 それに、前に上森先輩は言っていた。「どんな姿でも歩巳ちゃんは歩巳ちゃんだ」と。そこまで言い切る人を騙し通すことができるのだろうか?

 そんな不安を他所に、熊楠先輩は自信ありげに言う。

「兄弟ってことにすればいいんじゃない? それなら、顔が似ててもおかしくないでしょ? 幸い、身内の話はほとんどしなかったから、実は同じ学校に兄弟がいたってことにしても不自然じゃないよ」

「で、でも……」

「それにあたし、今でも私服だと男の子に間違われることあるんだよ? 特に惺香と一緒だとカップルみたいってよく言われる。背もそこそこあるし、髪型と口調を変えて、ちょこちょこっと顔の印象変えればいけると思うんだけどな」

 少し声が弾んでいる。この人、楽しんでないか?

 僕は助けを求めるように本居先輩の顔を伺うが――

「いいんじゃない、歩巳さんがやる気なら試してみれば? もしダメでもたいした被害にはならないんだし、何事も物は試しよ」

 部長ならそんな無茶は止めてくれると思ったのに、お墨付きが出てしまった。

 熊楠先輩は勢いよく立ち上がり、今日一番の笑顔で言う。

「じゃ、決まりだね!」 

 やっぱり楽しんでるじゃないか。

「でも、制服はどうするんですか?」

「そんなの今井ちゃんに頼めばすぐに用意してくれるでしょ。ついでに男装のコツも教えてもらって、打ち合わせもして。たぶん週明けには作戦開始できそうだね! それでいい? いいよね?」

「うぅ……」

 他に妙案もないため、反論はできない。こうなったらやってみるしかない。

 また今井さんが喜びそうな展開になってきたぞ。

一難去ってもすぐ一難がやってくるパターンじゃないの、これ?



 その日の夕食後。

 今日の出来事を小乗先輩にどう伝えようかと考えていたところで、上森先輩から謝罪のメッセージが届いた。


《ひかるちゃん、今日はごめんな。夏服姿があんまりにも可愛かったもんだから、つい調子に乗り過ぎちまったわ。お詫びに今度ケーキバイキングでも奢るからさ。機嫌治してくれよな》


 一応、反省はしているみたいだけど、さりげなくデート(?)に誘っているのは故意なのか無意識なのか。

 どちらにしても、言い争いをするつもりはないので、やんわりと返信をする。


《ちょっと怖かったですけど、怒ってはいませんので気にしないでください。バイキングは、せっかくですが遠慮させてください。僕はたくさん食べられないからもったいないです。それから、今日のこととは関係ありませんが、明日は所用があって部活をお休みします》


 うん、こんな感じでいいだろう。

 少しして返信がくる。


《そっか、明日は休みか。じゃあ今度、簡単に摘まめるお菓子でも持ってくわ。何か苦手なものとかある?》


 恋愛経験豊富なだけあって、こういう気遣いはこまめだな。


《酸っぱいのは苦手です。それ以外なら、特に苦手なお菓子はありません》


 メッセージを送信すると、十秒くらいで返信がくる。


《和菓子と洋菓子どっちが好き?》


《どちらかというと洋菓子です》

 

 答えると、また十秒くらいで返信がくる。打ち込み速度がすごいな。


《分かった。じゃあ、ひかるちゃんが好きそうなのを用意しておくな》


《ありがとうございます。楽しみにしてます》


 やりとりが終わり、ホッと一息つく。

 やっぱり、正気を失ったわけではなかったんだな。あれは冗談だったんだ。

 もっとも、冗談なのはセクハラ紛いのことであって攻略の方はたぶん本気だ。まだまだ安心も油断もできない。

 さて、次は小乗先輩にメッセージを送ろうかな。

 今日あったこと。これから行うこと。それらすべてを包み隠さず伝える。もちろん、本居先輩と熊楠先輩の同意は得ている。部長の協力なくして本作戦の成功はあり得ない。むしろ、小乗先輩の方が熊楠先輩(男装バージョン)の入部を認めるかどうかが問題だが――


《承知した。では明日の打ち合わせには私も参加しよう》


 思いの外あっさり認めてくれた。部長という立場上、規律を乱すようなことには反対する可能性もあっただけにありがたい。でも、まだ心配事はある。


《具合はどうですか? 片頭痛だと聞きましたが》


《今はまだ痛むが、一晩寝れば治るから問題ない。ところで、下倉君はどうする? 彼にも事情を話して協力してもらうか?》


《その方がいいと思います。途中でバレるくらいなら最初から話しておいた方が安全です》


《下倉君について、本居先輩と熊楠さんは何と言っていた?》


《僕と小乗先輩に判断を任せると言っていました》


《そうか。私も彼には相談した方がいいと思う》


《分かりました。では、僕から伝えておきます。先輩はお大事にしてください》


《ありがとう。お言葉に甘えて、今日は先に休ませてもらうよ》


 最後に、下倉先輩だ。

 正直に打ち明けるには少々不安な人だが、上森先輩の側に付かれるとこの上なく厄介なのでやむを得ない。小乗先輩もその方がいいと言っていたし、たぶん大丈夫だろう。

 僕は緊張で少し震える手を動かし、下倉先輩にメッセージを送る。


《こんばんは。明日は所用があるので部活をお休みします》


 まずは無難なところから入り、返信を待つ。

 三分くらいしてメッセージが返ってきた。


《めずらしいね。もしかして今日のことが原因?》


 よし、食いついてきた。

 待っている間に次に送る文章は考えておいたので、すぐに返信する。


《今日のことではなく、昨日議論した上森先輩の件について、本居先輩と熊楠先輩に相談したんです。そしたら、熊楠先輩がとても斬新な提案をしてくれたので、明日の放課後に打ち合わせをします。もし都合が良ければ下倉先輩も打ち合わせに参加していただけないでしょうか? もちろん、上森先輩には内緒で》


《いいよ。場所を教えてくれる?》


《場所については決まり次第、熊楠先輩から連絡が来ますので、またメッセージでお伝えします》


《了解。それにしても今日はびっくりしたよ。いきなり本居先輩が部室に来て怒るんだもん。まさかひかるちゃんが本居先輩とつながっていたとはね》


 分かってはいたが、あまり反省してなさそうだ。この人が反省するところを見たことがないな。あと、話す時と違って文章では語尾を伸ばさないようだ。


《本居先輩は、僕の正体を知る数少ない人間ということで連絡先を交換していました。今日、熊楠先輩とも交換しました》


《新井さんには話してないの?》


《はい。でも、この問題が解決したら、新井先輩にもお話するかもしれません》


《そっか。秘密を知る人間が着実に増えてくね。もういっそのことフルオープンにしてアイドルデビューしてみない?》


《しません》


《あはは、冗談だから怒らないでね。これでも口は堅い方だから、勝手に秘密を明かしたりはしないよ。熊楠さんがどんな作戦を立てるのか、楽しみにしてるね》


《では明日の放課後、よろしくお願いします》


 今井さんには熊楠先輩から話を通してもらうことになっているから、後は打ち合わせ場所についての知らせを待つだけだ。

 なんとか穏便に事が運べばいいんだけど、不安だなぁ。

 だって、女装男子の次は男装女子が入部するんだよ? これで話がこじれないと思う?

 ありえないでしょう?

 ほんと、どうなるんだろうな、僕の高校生活。


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