第8話 病床日記ー夏

8 病床日記 1961.8.5 土曜日

●彼女が来た。大垣さんが来てくれた。

「どうして知らせてくれなかったの」

●ひかえめな、彼女の言葉に救われたおもいだった。

●「アイタカッタヨ」やっとそれだけいえた。

●おどろいた顔。そしてすこし悲しそうな顔。彼女はどんな顔をしても、きれいだ。

●「なにかしてあげることある」

●「そばにいてくれるだけでいい」かすれた声でいった。

●「宇都宮の演劇鑑賞会に来なかったから。きのう木村さんの家に電話したの。そしたらお父さんが教えてくれたの」

●父の昨日の態度がわかった。古風な父だからとつぜん大垣さんの声を聞いておどろいてしまつたのだろう。ひとり息子をとられるようで寂しかったのだろう。

●病気のことを訊かれないのがうれしかった。

●大垣さんがいる。病室に、ぼくのbedの傍にいる。

●うれしかった。もうなにもいえない。

●彼女がそこにいてくれるだけでうれしかった。

●「また、あした来るね」時間のたつのも忘れていた。

●はやくよくなりたい。よくなりたい。ふたりで街を歩きたい。

●千手山公園に上りたい。息切れがして登れないだろうか。

N

○千手山公園、いまは遊園地といわれている。再度書いている「恋空」のロケに使われた観覧車が遊園地の一番高い所にある。いまとなっては、そのころ観覧車があったかどうか記憶にない。

○わたしはいまでもカミサンを「美智子さん」と呼びかける。彼女ははじめてであったころとほとんど同じ体型を保っている。顔はさすがに少し老いたがいまも綺麗だ。なによりこころのあどけない純粋性はまったくかわりない。

○ふたりでかって歩いた道をいまも歩いている。

○子どもや孫たちは、なんども「恋空」観覧車にのっている。時は流れ、人の世は変わる。


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