悟り属性ですか?
「はぁ……」
「こっちがはぁだよバカ女」
なぜ朝から、俺は五十鈴さんに対して、バカ女だなんて言ったのか。フェミニストのあなたにもちゃんと納得してもらえるよう、説明しようと思う。
今日の朝練は、中止。坂下さんが案を持って来る予定だったのだが、風邪をこじらせて欠席。予定が狂った五十鈴さんは、素直に解散を宣言してくれると思ったのだが……。
なぜか今、俺たちは、調理室で、シチューを食べている。
そして、五十鈴さんは、空になった皿を持っており、俺の制服には……シチューがたくさんかかっている状態だ。
……簡単に言おう。五十鈴さんは、俺の制服の上に、シチューを思いっきりこぼした。
「あの……シチュー、どう?」
「今その質問はおかしいと思わない?」
俺たちにシチューを出してくれた、心優しき、調理部の部長、竹谷さん。君はまだ本編に出ていないはずだ。なんてツッコみたくなるような女の子だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。俺の制服がお祭り騒ぎなんだ。
「竹谷さん。シチューおかわりなのです」
「わかった」
「おいおい君たち」
「喜多川さん。今日の属性は、悟り属性なのです」
唐突なセリフを吐く五十鈴さん。竹谷さんに皿を差し出して、シチューがただ注がれる様を見つめている。
「悟り属性?」
「そうなのです。全てを悟った属性。これはクーデレの進化系なのですよ」
「クーデレの進化系。いいね。ちなみにクーデレが退化すると、根暗女になる」
「失礼な補足説明だ」
シチューの注がれた皿を、五十鈴さんが受け取る。ちょっと配慮したのか、量が少なめになっていた。
とりあえず、制服を脱ぎ、ティッシュでシチューを落としていくしかないらしい。五十鈴さんが当たり前のように手伝わないので。こんな配慮のない女の子、お嫁さんになって大丈夫なのかな。
「喜多川。私ね、よくお母さんから、あんたは悟り世代だね〜って言われる」
「はぁ」
「喜多川さんわかりますか?悟り世代という言葉が普通に存在している今、悟り属性はやり時なのです」
自信満々に言う五十鈴さん。
「で、なに。人の制服にシチューこぼしといて、何もしようしないのが、悟り属性?」
「理解が早くて助かるのです」
「納得はしてないけどね」
忘れてはいけない。俺たちは、朝練をしているのだ。今日一日、この制服を着る、かわいそうな俺を、誰か慰めてほしい。
「ちょっと喜多川さん。悟り属性の力を見せびらかしたいので、二、三質問をしてください」
あんま見せびらかしたいとか自分で言わない方がいいと思うけれど、何かを期待するような顔で、五十鈴さんが待っているので、期待に応えることにしよう。
「えっと。好きな食べ物は?」
「大豆です」
「将来の夢は?」
「大豆農家です」
「ちょっと待とうか」
「なんですか?」
「大豆は畑の肉とも言われてるよ」
急に竹谷さんのワンポイント豆知識が顔を出したところ申し訳ないけど、一旦ストップをかけた。
「あのさ、悟り属性って、改めて、なんなの」
「ですから、世の中の全てを悟ったような属性なのです」
「で、好きな食べ物が大豆?」
「そうなのです。無味で食感も悪い大豆を好きだなんて、悟ってると思いませんか?」
「まぁそれはいいよ」
問題は次だ。
「大豆農家になりたいって何」
「無味の大豆を作りたいだなんて、悟ってるのです」
「あのさ、大豆と大豆農家を同時に敵に回してるよ?」
悟り属性というより、ただの失礼な女の子になってしまっている。
俺の評価が気に食わないのか、それともお腹が空いたのか、五十鈴さんは、椅子に座って、シチューを食べ始めた。竹谷さんも、暇らしく、スプーンで直接、鍋からシチューをすくって食べている。熱くないのかな。
「じゃあ、喜多川さんの思う悟り属性とは?」
「いや……。例えばさ、かっこいい先輩の男子とかにフラれても、はいはいわかってましたけどね〜つって、平気そうな顔してる……とか」
「フラれてたら意味ないのです」
「例えだよ例え」
「メグ、いい考えあるよ」
竹谷さんが、手を挙げた。
「男の子が何を言っても、軽く受け流す。これで男の子は、必死になって食いついてくるんじゃない」
「なるほど、やってみましょう」
意見の採用率は50%くらいらしい。俺調べ。
五十鈴さんが、話しかけろと、目で合図してくるので、話しかけてみようと思う。
「今日の天気、晴れらしいよ」
「晴れ〜」
「明日は雨らしいよ」
「雨〜」
「電車、遅延してるらしいよ」
「遅延〜」
「バカなの?」
「バカじゃないのです」
そこだけはっきり答えるあたり、さすがのプライドの高さだなと思った。怒るから言わないけど。
「五十鈴、それじゃダメ。メグが見本を見せるね」
今度は、竹谷さんが、私に話しかけろと、スプーンで合図してくる。
「竹谷さん、髪切った?」
「切ったかもね。君がそう思うなら」
「最近メイク変えた?」
「変えたように見えるならそうなんじゃない?」
「あれっ、いつから腕時計つけてた?」
「君が今気がついたなら、今つけたんじゃない?」
「なるほど、理解したのです」
「違うと思うよ」
すごい、嫌な女の子になってしまった。悟りというより、冷めた女の子。
「悟り属性はやめた方がいいと思う。これが正解なら、まず間違いなく婚活で使えない」
「婚活婚活うるさいのです」
えっ、婚活部じゃないの……?
「シチュー、冷めないうちに食べてね?」
「うんうん。それよりもやることがあるんだよ俺は」
必死で制服のシチューを拭き取っているが、一向に五十鈴さんは手伝う気がない。こっちをチラチラみては、悟ったような、澄ました顔を見せてくる。正直めちゃくちゃムカつくんだよな。
「とにかく、悟り属性は優秀なのです。ナンパとかをやり過ごすのに使えるのですよ」
「だから婚活は?」
「悟りすぎて悟り筋が痛んできた」
「何を言ってるの?」
「喜多川くん。シチュー食べないの?食べさせてあげようか?」
「それより、制服を拭くの手伝ってくれない?」
竹谷さんは、俺の言葉を無視して、再びシチューを食べ始めた。
こうして、シチューを拭く俺、シチューを食べる女の子二人、の構図が出来上がり、会話は消えてしまった。
……これ、朝練なんだよね?
「あっ、大事なことを思い出したのです」
やがて、五分ほど沈黙した後、急に五十鈴さんが口を開いた。
「なに」
「昨日の晩御飯、シチューだったのです」
「……」
心底どうでもいい報告だった。
「お母さんの作るシチューと、メグが作るシチュー、どっちが好き?」
「お母さんのくれるお小遣いが好きなのです」
「最低だな本当に」
「竹谷さん、おかわり」
「おっけー」
俺が一口も食べていないのに、五十鈴さんは、実質三杯目だ。なんなのそのメンタル。今目の前で、見せつけるかのように、シチューを拭いている俺はなんなんだよ。
「いや〜。悟り属性もマスターして、シチューも食べて、今日はいい一日になりそうなのです」
五十鈴さんも、自分の制服に、シチュー零せばいいのに。
……そう思った、まさにその時。
竹谷さんの、手が滑り。
シチューが、五十鈴さんの制服にかかった。
五十鈴さんは、状況を把握した後、現実から目を背けるかのごとく、ゆっくりと目を閉じた。
「……シチューが、かかったのです」
竹谷さんが、申し訳なさそうな顔を、一応作ってみてはいる。が、目を閉じた五十鈴さんは、そに気がつかない。
「ほらほら悟り属性。悟ってみたら?」
「シチューシャワーを浴びたと思ったら、なにも辛くないのです。あるいはシチュー香水をかけた」
「無理があるね。はい、これにて悟り属性は終わりだよ」
「一件落着ですね」
「しっちゃかめっちゃかだよ」
五十鈴さんは、制服を脱ぎ、堂々とキャミソール姿になる。
「……結局、脱いだらどうせ男なんてイチコロなのです」
最低の一言だったし、否定したくなったが、俺の目線が、それを肯定してしまっていた。シチューの件は、これでチャラになったことにしよう……。
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