尾行ですか?そのに

日曜日なので、店内は賑わっている。尾行(笑)をするにはいい状況だ。


「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……オタク?」


……しかし、神さんは、それどころではない様子。坂下さんが、優しく背中をさすっている。


「いや、そんなにショック?」


「別に、オタクだったことが、ショックじゃないんだわ……。ほら、見てみぃ。あのお姉ちゃん」


俺と坂下さんは、目を逸らしていたそれに、もう一度目を向ける。


そこには、ライトノベルの棚を見て、よだれを垂らす生徒会長がいた。


……いや、限度を超えてないか?なんだろう。確かに、ギャップ萌えってあると思う。でも、ここまでくると、普通に気持ち悪い人だ。


「あの、あのお姉ちゃんが、よだれ垂らして、ぼーっと棚を眺めとる。こんなんある!?」


顔を赤くして、怒りとも、悲しみとも取れる感情を吐き出す神さん。


「まぁ、それを隠していたというのも、ちょっと神くん的に、いただけないところなんだろうね」


坂下さんが、うんうんと頷く。


「……ま、まぁ。今日の目的はさ、生徒会長の好きな属性を探ることだし。ここなら、買った商品さえわかれば、属性の特定はある程度できるんじゃないか?」


あまり乗り気ではなかったが、こうなってしまうと、俺がちゃんとしないといけなくなってしまう。神さんは、頷くこともなく、ただ、生徒会長だったものを、死んだ目で監視している。


やがて、生徒会長が、自分のよだれに気がついたらしく、袖でグイッとそれを拭った。その仕草もまた、普段の生徒会長からは、想像もつかない。


「あっ、五十鈴から連絡が来たよ」


「うん。もう帰ってもらって」


「それはかわいそうだ。せっかくここまで戦ってきたのに。一応場所を伝えておこう」


「トイレ行っただけじゃんあの人」


こんな状況になったので、もう尾行は必要ない。五十鈴さんが来ても、やることがないだろう。


「あっ、会長が動くぞ」


生徒会長が、棚にあった本を手に取った。そして、それをじっくりと眺める。だんだん口が緩んでいき……また、よだれが垂れ始めた。


……間違いなく、俺がここ最近で出会った女の子中で、一番強烈なキャラクターに違いない。


「神さん、生徒会長さ、なんかストレスとか溜まってるのかな」


「知らん。ウチの知っとるお姉ちゃんは、あんなんじゃない」


「現実を見よう。神くん」


「ここ、学校からそんな遠くないでね。いつ生徒に見られてもおかしくないわ。お姉ちゃんなら、そんくらいわかっとるはずなのに」


確かに、神さんの言う通りだ。妹にすら明かしていない趣味なわけで……。わざわざこんな、リスクのある場所に来なくてもいいのに。アニメイトなら、少し足を運べば、いくらでもあるのだから。


「つまりそれは、ここでないといけない理由があるからじゃないのか?」


「なるほど……」


その理由はなんだろうか。と、考えていたところ、一人の女性が、生徒会長に近づいて行った。フードを被っているので、顔は見えない。少し挨拶を交わした後、世間話が始まる。


「お、お姉ちゃん。ウチには話さんのに……」


「……神さんさ、お姉ちゃんっ娘なんだね」


「違うわ!家族に話せんのに、他人に話せるって、おかしいと思わん?」


顔を赤くして、詰め寄ってくる神さんから、距離を取る。


「ごめんごめん。いや、わかるよ。でも、あの感じだと、こっそり楽しむ仲間って感じだしさ」


「……見たるわ」


「えっ」


「あっ、ちょっと。神くん?」


神さんが、覚悟を決めたのか、二人の方へ歩き始めた。さすっていた背中が消えた坂下さんは、バランスを崩し、転びそうになったので、俺がそれを支える。


「すまないね」


「うん。それよりも、神さん大丈夫かな」


「大丈夫じゃないかな?喧嘩は強そうだし」


「そういう意味じゃないよ」


とりあえず、どうせ俺たちもバレてしまうだろうから、神さんの後に続く。


……やがて、話をしている最中の生徒会長が、こちらに気がついた。


顔を赤くしている神さんを見て、生徒会長が、見たことないくらいの、驚きの表情を浮かべる。


「なっ、あっ……れ、麗花」


「お姉ちゃん。これどういうこと?」


「ど、どういうこととは?」


完全に狼狽えている生徒会長。なるほど、今のこれは、確かにギャップ萌えと言えるかもしれない。が、そんなことを口走れる雰囲気ではなかった。


「お待ちください」


生徒会長に詰め寄ろうとした神さんの前に、フードを被った女性が立ちはだかった。


そして、ゆっくりとフードを取る。


「……えっ」


「おはようございます。みなさん」


……黒田さん。だった。


「……なんで、黒田さん?」


「それは私のセリフです。なぜ、喜多川様がこちらへ?」


「いや、訳あって、生徒会長の尾行をね……」


「尾行、ですか。いいですね。私も昔よくやりました。アレは二年前ですね。お父様とお母様が挙げた莫大な利益を狙った者がおりまして、そいつを」


「いや尾行で話広げなくていいから」


「申し訳ございません」


黒田さんが、いつもの丁寧なお辞儀を見せる。


「ウチは、お姉ちゃんに話があるんだわ」


神さんが、黒田さんの後ろにいる生徒会長を睨みつける。睨まられた生徒会長は、少し俯いて、申し訳なさそうな顔をした。


「……そうだ。私はオタクだ。五年ほど前からな。こういう可愛い女の子を見るだけで、よだれが止まらなくなる」


突然のカミングアウトが始まった。神さんは、真剣な目で、変わらず生徒会長を睨みつけている。真剣に聞く内容の話とは思えないけど……。


「実は、風香様と出会ったのは、この店なのです。以来、話しが合うとのことで、よくここで会話をします」


なるほど、だからここなのか……。


いや待てよ?それなら、仲良くなってから、別の場所で会えばいいはずなのに。


と、考えながら、生徒会長の方を見ると、目が合った。


「君の言いたいことはわかる。なぜわざわざここに集まっていたか……だろう?」


「よくわかりましたね」


「生徒会長だからな」


それは理由になってない気がしたが、まぁツッコむのは話の妨げになるしやめておこう。


「黒田。実は、私、君に隠し事をしていたんだ」


「隠し事ですか?」


黒田さんが首をかしげる。


「まぁ、三人を見ればわかるだろう。私は君に、オタクであることを誇りに思っていると嘘をついたが、実際は、オタクであることを隠して生きているんだ」


「……なるほど」


「お姉ちゃん。ウチにも隠し事して、この人にも隠し事しとんの」


「……」


返す言葉もない様子だった。まぁ仕方ない。正直勝ち目がない状況だと思う。素直に謝る以外の行動がない。かわいそう。


「えっと、あなたは昨日、ウチの店に……」


「そう。ウチはコレの妹、神麗花だわ」


コレ。と呼ばれて、生徒会長は肩を落とす。


「本当にすまなかった。オタクであることを恥ずかしいと思ったことは一度もない。一度もないが……。私の性格には合わないこともわかっている。だが、それはなかなか言いづらくて……」


つまりこうだ。わざわざリスクを冒してまで、ここで黒田さんと会っていたのは、オタクであることを隠していることを知られないため。ごく自然な趣味だと思わせるため。


……正直、大変だなぁと思う。ここまで神さんが、責めることもないのに。まぁ、姉妹のことに口を出すのはよくないけども。


「……まぁ、お互い様だわ。ウチだって、婚活部入ったこと、隠しとったし」


それは、神さんも同じらしい。これ以上責めることは無意味だと気がついたのか、少し声を抑えて、俯く。


「それでしたら、取引ですね」


「なっ」


俺たちの背後から、聞き覚えのある声がした。それは紛れもなく……。


「お待たせしました」


婚活部の部長、五十鈴美礼。


五十鈴さんは、俺の肩に手を置く。


「あっ、ちゃんと手は洗いましたから」


「わかってるよ」


場の雰囲気に全く合わない発言をしたあと、五十鈴さんは、二人の前へ行く。


「会長。会長の趣味は、もちろん私たち、言いふらしたりしません。そんなことをしても、メリット無いですから。そもそも、オタクであることは、私たち婚活部とも繋がるのです」


人差し指を立て、早口で言う五十鈴さん。


「婚活部では、婚活に適した属性を研究しています。それすなわち。マンガアニメゲーム……その他諸々の作品のキャラクターが、参考になることもあるのです」


ふむふむ。と、頷く生徒会長。あれっ。五十鈴さんたち、属性の研究は、独自にやるから、そういうのは使わないって言ってなかったっけ……。


と、思って、坂下さんを見ると、坂下さんは、「娯楽として読んでいるだけだから、問題なし!」とでも言いたさそうな顔をしていた。なるほど。すごい言い訳。


「つまりですね。婚活部を潰すのは、オタク文化への反抗になってしまうのです。わかりますか?」


「……なるほど」


どうやら納得した様子だった。おいおい納得していいのか生徒会長。生徒会よりも婚活部の方が有益なら云々のくだりはどうしたんだ。


「わかった。それなら、私から掛け合ってみよう。婚活部の存続についてな」


「お姉ちゃん……」


神さんが、嬉しそうな顔で、生徒会長を見る。二人の間のわだかまりが、少し溶けたような気がした。うん。いいね。姉妹百合。違うか。


「解決ですね。よし、じゃあ、帰るとしましょう。明日から学校です。朝練もありますから」


「あ、朝練……」


「なんですか?喜多川さん」


「いや、別に」


少し怖い顔をした五十鈴さんから、目を逸らす。


と、誰かのスマホが鳴った。


「あっ、僕のだ」


坂下さんは、画面に表示された名前を見て……、すぐにスマホの電源を落とした。


「あれ、坂下様。出ないのですか?」


疑問に思った黒田さんが、坂下さんに尋ねる。が、坂下さんは、電話なんてあったかい?みたいな顔をしてみせた。おそらく、親からの連絡だろう。坂下さん、完全に終わったな。


「じゃあ、ウチはお姉ちゃんと帰るわ」


「そうだな。うん」


二人は一足先に、店を出て行く。関係が改善してよかった。


「私は、もう少し店内を回っていきます。それでは皆様。また会う日まで」


粋な挨拶をして、黒田さんは店の奥へ消えて行った。


そして、残ったのは、いつもの三人……。


「結局、このメンツかよ」


「文句があるなら、新部員を勧誘するのです」


「いや、これ以上はいい」


どうせ婚活部に入るような女の子、クセがあるに決まってる。これ以上変人が増えたら、俺の方が追いつかない。


「……僕は、その。もう少しどこかで時間を潰してから帰るよ」


「そうですか」


五十鈴さんも、俺も、何かを察したようにして、坂下さんを見送った。


「……二人きり、ですね」


「何属性だよそれは」


「恋人属性です」


「それはもう属性じゃないでしょ……」


二人で、店を出る。駅に向かって、歩き始めた。


「……なんというか、一年間が嘘だったみたいに、最近、周りが賑やかになりました」


「まぁ、うん」


俺の方も、婚活部じゃないところで、斎藤さんだの黒田さんだのが入ってきたし、今年から押し付けられた図書委員の仕事があったりなかったりで、まぁまぁ変化のある高校二年生序盤だ。


「……その」


五十鈴さんは、何か言いたそうだ。


「あー。お礼?もしかして、お礼かな。そういうのはいいよ」


「お礼?」


「あっ、違う?」


てっきり、喜多川さんのおかげで、婚活についての研究が、さらに進みそうです!なんて、言われると思ったのだが……。


五十鈴さんは、顔を上げて、俺の方を見つめてくる。


「……えっと、なに?」


「喜多川さん。なぜ私が、喜多川さんをスカウトしたか、わかりますか?」


「なんだったっけ」


確か、部活に入っていない生徒の中で、一番常識がありそうだったから……とかだったような。


「……私、喜多川さんのことが、好きなんですよ」


一瞬だった。


その言葉は、街の空気に消えていく。


……まるで、何も言ってなかったかのような表情で、五十鈴さんは、前を向いて歩いている。


えっ。今俺、告白されたのか?


「あの、五十鈴さん」


「なんですか?」


「いや……」


「喜多川さん」


五十鈴さんは、俺の前に出て、こちらに向き直った。


「……属性は、何を選択すれば、お嫁さんにしてくれますか?」



そう言って、五十鈴さんは走って行った。


……これも、属性研究、なんだろうか。


真顔の五十鈴さんからは、何も読み取れなかった。


……駅、一緒だから、走っても追いついちゃうんだけどな。その辺りを考えてないことも思うと、本気だったのかもしれない。


俺は、とりあえず、喫茶店で時間を潰すことにした。


……耳に、五十鈴さんの言葉が残っている。

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