執事ですか?
「ごきげんようですわ!」
部屋着として渡した、コスプレ用の体操服を着た斎藤さんが、元気よく現れた。
まぁ、それはいいとして……。
「いや、なんじゃこりゃ」
ん?と、首をかしげる斎藤さんだったが、その光景は、明らかに異常だった。
うちの店が、増築されている。おそらくそこがシャワールームだろうが、めちゃくちゃわかりやすく言うと……、ガストの横に、もう一個ガストができたみたいな感じになってるんだけど。
「あの、さ。シャワールーム……でかくない?」
「せっかくなので、お風呂を作りましたわ!」
「えぇ……」
うっかりドン引きしてしまったが、斎藤さんは、ウキウキしながら、どんどん距離を詰めてくる。
「本来、今日はお仕事だと思っていましたから、夜中の間に済ませるとしたら、シャワールームだけでしたけど、一日空くとのことでしたので……」
「そ、そっか」
「早速、中を見てくださいまし!」
促されるままに、シャワールームかと思われていた、ミニ銭湯に、俺は足を踏み入れる。
まず、普通に番台がある。が、男は俺だけなので、この配慮は必要ないと思ったのだが……。まぁ、好意だし、受け取っておこう。
「女湯の方には、シャワールームが別に備え付けられていますわ。その分、男性用のスペースが少し削られてますけど……。まぁ、男性は、私の知る限り、喜多川様しかいらっしゃらないので、これでもよろしいですの?」
「あっ、うん。いいよ」
こちらの気持ちをしっかり汲み取った上、無駄のない建築だった。素晴らしすぎる。この人、才能が極端に分散されてないか?
「あの。それで……今日は、私の指導をしてくださるんですわよね?」
こんな銭湯を、たった一日で作り上げておきながら、サラッと流して、本題に入るあたり、お嬢様っぽい。
「そうだね。とりあえずここを出ようか」
「はい!」
普通にドアを開ける斎藤さんを見て思ったんだけど、この人、ドアも開けられるんだよな……。できることとできないことが本当にわからない。
ここはもう、この際だし、一つ一つ確かめていこう。
「よし。斎藤さん。とりあえず今日は、フロアにいこう。動きのチェックね」
「わかりましたわ!」
ニコッとしながら、敬礼ポーズをとる斎藤さん。
……なんか今日、すごいテンションが高い気がするんだけど、気のせいかな。変な薬とかやってないよね?一応聞いておいた方が良さそうだ。
「あの、斎藤さん。なんかいいことあったの?」
「実は、執事の黒田から、私はもう破門になったと教えてもらいましたの!」
「えっ」
俺の驚愕を気にすることもなく、斎藤さんはズイズイ進んでいく。裏口から入り、フロアへ。
「つまり、私は自由の身!わかりますの!?これ、どんなに素晴らしいことか!きっと連れ戻されると思っていましたわ!でも、は!も!ん!私は一人の女となったんですの!」
誰もいないフロアに、声は強く響いた。なんだろう。壮大なBGMが流れそうな迫力だけど、うちの店、アニメソングしか用意してないんだよな……。
「なるほど。もしかして、黒田さんって人からは、別れの餞別として、あんな豪華な銭湯を?」
「別れ……?何を言ってますの?」
もう何度も見た、キョトン顔を披露する斎藤さん。
「黒田なら、私の部屋にいますわ?」
「……えぇっ?」
「さぁ喜多川様!フロアに着きましたわ!早速指導を」
「ちょっと待とうか」
「はい?」
そんな場合ではなくなった。俺は斎藤さんの、柔らかい手を握り、フロアを出て、来た道を戻る。
その途中にある、空き部屋……。今は、斎藤さんの部屋になっているわけだが……。
「ちょ、ちょっと喜多川様。私、男の人と手を繋ぐのは、恥ずかしいですの……」
「あぁごめん」
とっさだったので、ついやってしまったが、斎藤さんの手、柔らかかったです。お嬢様だし、めちゃくちゃいいボディソープとか、ボディオイルとか使ってんだろうな……。
と、いう気持ちの悪い想像は、斎藤さんの少し赤くなった顔を見て、かき消される。
「えっと、あのさ、斎藤さん。部屋開けてもいい?」
「いいですわよ?」
当たり前のように言い放ったな……。まぁ、それならお言葉に甘えよう。俺は、ためらいなくドアを開けた。
そこは、狭いが、置いてあるものは、お嬢様っぽい。あの、変なカーテンみたいなのがついたベッドとか、アンティークっぽいタンスとか、その他諸々……。これ、全部一日で運んだんだよな……。
さらに。いかにもお嬢様っぽい、優雅な香りがする。百貨店の香水コーナー……みたいな。
そして……、こちらをじっと見つめている女の子。女の子というか、女性。ソファーに座っている。
黒いボブカットだが、金色のメッシュが一筋。座っていても、身長が高いのがわかるような、大人っぽい女性。
……なるほど、執事っぽいな。この人が、黒田さんか。
「あの、あなたが喜多川様ですか?」
「はい。そうです」
「この度は、お嬢様がご迷惑をおかけしました」
立ち上がり、ぺこりと丁寧にお辞儀をする黒田さん。多分四十五度だと思う。測らないけど。
「私は、黒田要と申します。お嬢様の執事として働かせていただいてます」
「俺は、喜多川雫です。よろしくお願いします」
「私は、斎藤マクマホーンですわ」
「そういう時間じゃないから」
「さぁ。もうよろしくって?早くフロアに……」
「ちょっと待とうか。まだ話は終わってない」
斎藤さんが、めちゃくちゃ可愛いプク顏を見せてくるが、俺はそんなものには屈しない。いや正直屈しそう。頑張れ俺。
「なんで、黒田さんがここに?」
「お嬢様が破門になった話は、もうご存知ですか?」
「あぁはい」
「その際、私は選択を迫られました。お父様、お母様の元で、働くのか、それとも……全てを捨てて、お嬢様の元で働くのか」
「そして、斎藤さんを選んだ、と」
「はい」
黒田さんの目は、全く迷いのない、しっかりとした決意を表していた。
そんな黒田さんを、斎藤さんは、微妙な顔をして見ている。
「……黒田は、口うるさいんですの。ここにもう部屋はないですわ。つまり、私と同じ部屋に住むことになるということ。これ、わかりますの?お菓子も自由に食べられませんわ」
はぁ〜。と、ため息をつく斎藤さん。お嬢様なのに、口うるさい姉と別の部屋にしてほしい弟みたいなこと言うんだな。
「お嬢様。私がいなければ、きっとお嬢様は、三日でダメ人間になってしまいます。銭湯は……仕方なく聞き入れましたが、これから先、お金の管理も、私がやらせていただきますからね」
「……わかってますの。私、常識がないですし、生きていく力もまだ足りていないですわ。でも、ここで修行を積んで、きっとまともな一人の女になって見せますの」
「……それは、つまり?」
「……黒田の力は、今は必要ないですの」
「がーーーーん!」
いや、そんなわかりやすく落ち込む人いますかね。頭の上に、がーんって出てきそうなくらい、はっきりとした落ち込み方だった。
黒田さんは、膝から崩れ落ちる。斎藤さんは、スッと目を逸らした。
「さ、さぁ喜多川様!私の指導を!」
「あの……さ。なんだろう。せっかく、斎藤さんのことを考えて、仕事辞めてまで、ここに来たんだし……。もう少し、優しくしてあげたら?」
「……喜多川様は、黒田の味方ですの?」
斎藤さんは、またいつもの泣き出しそうな顔で、俺を見つめてくる。一瞬、気持ちがフラッと揺らいだが、何とか首を振って、正気を保つ。
「いや、単純にさ、斎藤さんが黒田さんクビにしたら、黒田さんは、ここに来れなかった場合の斎藤さんになるってことだよ?」
「……えっと、理解できませんわ」
ご自慢のキョトン顔だった。
「ごめん。そうだった」
基本的に俺の周りの女の子は、あんまり頭が良くないんだった。もう少し、細かく、わかりやすく説明するよう心がけなければ。
「あのね、斎藤さんは、たまたま勘が冴えて、ここに来られたよ?でも、もしここに来られなかったらさ……どうなってたと思う?」
斎藤さんは、少し俯いて、考える。
「……大変なことに、なったと思いますわ」
「でしょ?もし、黒田さんを追い出したらさ、多分、同じことになっちゃうと思うんだよ」
「それは……」
斎藤さんは、未だに膝から崩れ落ちて、真っ白に燃え尽きている黒田さんを、チラッと見た。
「で、でも、黒田がいたら、また私は頼ってしまいますわ。せっかく、一人で生きていけるように、自由に生きていけるように、と、この道を選んだのに……」
「……別に、さ。一人で生きなくても良くない?」
「えっ……」
俺は、斎藤さんの背中を、優しく、軽く押す。体操服越しに、斎藤さんの熱が伝わってきた。
ゆっくりと歩き出した斎藤さんは、黒田さんの方へ向かう。
「いつかはさ、結婚とかするわけだし。ずっと一人ってわけにはいかないでしょ?」
「……」
「ね?斎藤さん」
いつかは……か。
自分で言っておきながら、婚活部の連中は、一体いつ頃までに明確に結婚したいと考えているのかな。と、考えてしまった。
斎藤さんが、黒田さんの肩に、優しく手を置く。黒田さんが、意識を取り戻したように、ビクンッ!と跳ねた。
「お嬢様……」
「黒田、私、間違っていましたの。黒田という支えを受けて、その中で、少しずつ、自分でできることをやっていく。その方が、人間の成長として、自然ですわ」
「わかっていただけましたか、お嬢様」
「ごめんなさい……黒田」
「いいんです。お嬢様」
二人は、幸せなキスを……じゃなかった。いい感じに、レズ要素無しでハグをする。いやこの説明いらなかったかもしれないけど、二人がそういう方向へ向くんじゃないかという、誰かしらの不安を払拭するための、仕方なく入れた説明だ。
「……さて、喜多川様!これで、私の指導を、初めていただけますわね?」
「うんまぁ。うん。はい。フロア行こうか」
「そうだ!黒田も一緒に、指導を受ければいいんですの!」
斎藤さんは、素晴らしいことを思いつきましたわ!みたいな、明るい笑顔でそう言ったが、こちらとしては冗談じゃない。客に渡すメニューすら持てない女の子に加えて、執事まで……。
……いや待てよ?執事ということは、めちゃくちゃ優秀なんじゃなかろうか。
そして、あわよくば、俺が指導しなくたって、黒田さんが勝手に……。
「……いいね!よし。二人とも、フロアへ行こう!」
「行きますわよ!黒田!」
「はい!お嬢様!喜多川様!」
すごい。これから、大航海とか、七つの球を集める冒険とか始まりそうな雰囲気だ。
……が、実際は、成長した女の子が、箸より重たい物を持てるようになるための訓練なので、実質リハビリです。はい。
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