浮気ですか?
「他の女の匂いがします」
「えっ」
教室で待っていると、五十鈴さんが、やや不機嫌そうな顔で入ってきた。心当たりのなくはない俺は、少しドキッとする。
「ちなみに、どんな?」
斎藤さんは、甘い上品な香りをだった。それを当てたら大したもんだが……。
「……レモンジュースの、匂い」
カスりもしなかった。
まぁ、いくらなんでも匂いが残っているはずはなかったので、当てられるわけないんですが。
「今日は、神さんいないの?」
「神ちゃんは、来ても大丈夫な回に呼ぶので、喜多川さんが心配する必要はないのです」
「回?」
「こっちの話なのです」
五十鈴さんは話を逸らすようにして、カバンからノートを取り出し、俺の目の前に広げた。
「なにこれ。数学の問題?」
「そうです。私、今日は、クールな理系属性を研究しようと思ったのですが、この問題が解けません。これでは属性に矛盾が生じます」
たしかにそれは、ちょっと難しい問題だった。俺もわからない。というか、属性に矛盾生じてるのは、いつもの話だと思うんですが……。
「うーん。まぁ理系属性なら、生物とかでもよくない?そっちなら、数学物理苦手だけど、生物は大好き!みたいなのでもウケると思うよ」
「なるほど……」
またいつもの、顎に手を当てて、目を閉じ、考えるポーズに入った五十鈴さん。やれとは言ってないんだけど……。
そして、目を開く。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
なんだその入り……。
五十鈴さんは、空いている席を引っ張って来て、わざわざ俺の隣に座る。
そして、俺の腕を握った。
「暖かい……。普段、生きている生物を触らないから……」
「マッドサイエンティストみたいになってるよ?」
「私の実験台になってくれる?」
「いや、完全にもうそれじゃん」
「ダメですか」
パッと腕を離して、メモをするために、ノートを取りに行く五十鈴さん。
「でも、理系属性は、少しマッドになってしまう傾向にないですか?」
「そうかな……。今の属性だと、理系属性ってより、やばい医者みたいな雰囲気だったけど」
「……待ってください。今なんと言いました?」
「いや、昨日食べたカレーがうまかったなぁって」
「奇遇ですね。実は私もカレーでした。両親が出かけていて、レトルトのカレーだったのですが、やはり現代の科学はすごいです。レトルトのカレーといえど、まるでお店で食べているかのようなクオリティ。値段も」
「ちょっと、簡単に話を逸らされすぎじゃない?」
「そうでした。なんの話でしたっけ」
「……さっき五十鈴さんの演じた属性が、理系属性ってよりも、やばい医者っぽかったよって話」
「そうでしたね」
五十鈴さんは席を元の位置に戻して、そこへ座った。ちょうど俺と向き合う形になる。
「医者も理系属性……。というか、理系属性のトップが医者と言えないですか?」
「うん?うん……」
「だから、ナースをやろうと思うのです」
「話が発展しすぎじゃない?」
「大丈夫です。ナース属性には自信があります」
「何の根拠があって言うの?」
が、もう五十鈴さんは行動し始めてしまった。カバンを漁り、何かを取り出す。
……聴診器だった。
自然な動作で、聴診器を身につける五十鈴さん。
「あのさ、何で聴診器がカバンの中に?」
「今朝、拾ったのです」
「拾ってこないでそんなもの」
「さ、ナース属性をやりますから、机を並べてその上に仰向けになるのです」
「どんどん話進めていくじゃん」
「ほら、早く」
やたら近づいてきて、目を合わせて要求してくるので、従わざるを得なかった。なんだ。こんなことになるなら、店からナース服を持ってこればよかったな……。そう言えば、まだこの部活に入って、一回もコスプレさせてもらってない……。
という不満を、机を並べながら考えてしまったが、こちらから言うと変態みたいになるので、言いだすことはできない。今の俺にできることは、素直に机の上で仰向けになること。
「よしっ。じゃあ、お姉さんが診察してあげるね?」
うわ、もう属性入ってる。五十鈴さんが聴診器を、俺の胸に当てた。
……服の上から。
まぁ、いや。期待したわけじゃないですが。
「ふーんふんふんふーん」
「いや、鼻歌なんて歌ったら、心臓の音聞こえないでしょ」
「あれれ〜?心臓がドキドキしてるよ?緊張してるの?」
「聞けよ」
「じゃあ、聴診器じゃなくて、直接聞いてあげる」
「そんなナースいねぇよ」
さすがに手で制した。五十鈴さんの顔が、慈悲のある表情から、いつもの真顔に戻る。
「あの、体温計の代わりに、おでこで熱を測る展開、あるじゃないですか」
「それ聴診器でやったらただの医療ミスだから」
五十鈴さんは聴診器を外して、カバンにしまった。俺は机を元に戻す。
「まずね、前も言ったけど、五十鈴さんの属性って、ただのモノマネなんだよ。ナース属性を結婚に活かしたいなら、日常にナースを組み込まなきゃ」
「毎日薬を飲ませるとか?」
「だから医療ミスだってそれは」
「困っているようだね!」
がっしゃーん!と、壊れるんじゃないかという音を立てて、ドアが開いた。が、勢いがつきすぎて、跳ね返って閉まってしまう。
一瞬見えた坂下さんは、何か重たそうなものを持っていた。仕方ない。手伝ってあげよう。
ドアを開く。顔を赤くした坂下さんが、プルプルしながら、大きな機械を持っていた。
「ほら、貸して?」
「か、かたじけないね……」
坂下さんから受け取ったそれは、男の俺が持っても、そこそこに重たいものだった。とりあえず机まで運ぶ。五十鈴さんが、紙芝居に群がる子供のように、機械へ向かってきた。好奇心の塊。
「これはなんですか?」
「ビデオレコーダーだよ」
「今更?」
「何かに使えるかなと思ったんだ」
「……うん」
秘密基地でも作るのかな?
「これ、どうしたの?」
「拾ってきたんだよ」
「お前もか」
もうゴミ収集部に変えた方がいいんじゃないか?部活の名前。
「今日は理系属性だったね。これ、使えるんじゃないかな」
「使えなくない?」
「いや、これを分解するのって、理系属性っぽくないですか?」
好奇心の塊さんが、目をキラキラさせている。本当に子供っぽいなこの人。
「五十鈴さん。ナース属性はもういいの?」
「ナースは理系じゃなくて看護学科なので、いいのです」
「……」
じゃあ、あの無駄なお医者さんごっこは、なんだったのだろうか。
しかし、俺の意思も虚しく、二人の意識は完全にビデオレコーダーに向かっていた。
「そもそもさ、二人とも、ビデオレコーダーってよくわかったよね」
「それを言うならこっちのセリフだよ。僕くらいしか知らないと思ったんだけどね」
「一応、私たちの世代は、ギリギリじゃないですか?使ったことはないですけど……」
「……それなのに、分解しようと?」
「喜多川くん。人類は常に、未知の領域に踏み込んできたんだ。できないことなんてないんだよ」
「おおっ。理系っぽいです」
「そうかい?」
えっへんっとドヤ顔をする坂下さん。そして、それに拍手を送る五十鈴さん。なるほど、こうして二人の成長は、妨げられてきたのだな。どちらかと言うとそのセリフ、最近の自己啓発本に載ってそうな、うさんくさい言葉にしか聞こえないけどね。
「ドライバーは?」
「工作部に借りてきたよ」
「早速開けてみましょう」
二人はドライバーを片手に、ネジを外し始める。少し錆びているのか、なかなか苦戦している様子だ。
「理系っぽいセリフをここで挟んでいきましょう」
「そうだね。例えば……。ぐふふ。やっぱり、人間よりも、機械の方が、心が通じ合うや……とか?」
「坂下さんもマッドになっちゃうのかよ」
「ぐへへ。すぐに私の体にしてやりますよ」
「合わせなくていいんだよ」
あの、この人たち、婚活部だよね?婚活に適した属性を、日々研究しているんだよね?なんでビデオレコーダー分解して、マッドなセリフを呟いているんだろう。
……これ、しかも、俺必要なくない?
俺は、手元のカバンを持ち、その場を去る。
「待ちたまえよ」
が、ドアに手をかけようとしたところで、坂下さんに、服を引っ張られてしまった。
「忘れたのかい?君は、僕たちの間違いを正すために存在するんだ。どんどん指摘してくれよ。まぁ、今の僕たちが完璧すぎて、アドバイスの一つも浮かばないのかもしれないけどね!」
よく言い切ったなこの人。そして、拍手を送る五十鈴さん。なんだろう。常に二対一の構図が出来上がってる気がする。
……仕方ない。今日は斎藤さんの指導もあるから、できれば早めに切り上げたいし、少しやる気を出すか。
俺は黒板まで行き、チョークを手に取る。
「いい?よく聞いてね。理系属性になりたいんだったら、まずは知識が必要だ」
黒板に、理系属性のポイント。と書く。
「ですが……それは先ほども説明しましたけど、私にも坂下さんにも無理なのです」
「そうだね。諦めてくれるかい?」
「なんでそう清々しい顔で言えるのかな」
思わずため息をついてしまう。が、この二人を立て直すのが、俺の役割なのだから、仕方ない。
「じゃあ、さっきも言った通り、生物にしよう。生物なら暗記が多いし、身近にあるもので例えやすいからさ」
「私は昆虫とか無理なのです」
「僕は暗記力が皆無なんだ」
「ふざけんなよ」
チョークを折りそうになるが、なんとか堪える。黒板に書いたポイントを、バツ印で消さざるを得なかった。
「五十鈴さん。動物ならいけるでしょ?」
「……ただ、それは、アニマル属性になると思うのです」
「……えぇ?」
「僕が説明しよう。アニマル属性は、例えば、捨て猫にスキンシップをとったり、アルパカの写真を見て、きゃー!アルパカ可愛い〜!飼いたい〜!のような発言を繰り返す属性のことだよ」
「ちょっと悪意ない?」
「そんなことはないさ」
軽く首を振る坂下さん。しかし、半笑いなあたり、やっぱりちょっとバカにしてるっぽい。
「……じゃあ、なに。DNAとかやる?」
「でぃーえぬえー?なぜいきなり、横浜ベイスターズの話になるのですか?」
「僕は横浜なら、倉本が好きだよ。いろんな意味でね」
またしても半笑いで言う坂下さんは、今度は間違いなく悪意を込めていた。
「二人ともさ、本気で婚活したいんだよね?」
「したいです。あれは私が四歳の」
「それはいいから」
「本気と書いてマジって読むやつだよ」
「それふざけてる人が言うやつだよ」
もう、やってられない。俺はチョークを置いて、ティッシュで手を拭いた。
「そもそもさ、なんで理系属性なんて、わざわざハードルの高いところ目指したわけよ」
「最近、リケジョという言葉が流行りなのです」
「最近……かなぁ」
「きっと、これから先リケジョはどんどん流行ると思うんだよ。僕の研究結果によればね」
「坂下さんの研究結果より、まだ2ちゃんねるの方が信用できるよ」
「何を言っているんだ。2ちゃんねるは優秀な情報源だぞ?」
冗談かなと思ったが、坂下さんの目は真剣だった。現代っ子だなぁ……。嘘を嘘と見抜けない人に、インターネットは早すぎるって、偉い人も言ってたんだけど……。
「……あれ?五十鈴さん。二人は、ネットから情報を入れることはないって言ってなかった?」
「それはあくまで、属性研究の話なのです。娯楽としてのネットは、なんの問題もないのですよ」
「僕は毎日ネットを見ているよ。ただ、属性の種類を知ることはあっても、中身を検索することはない。わかるかい?ストイックなんだよ僕たちは」
「ストイックの意味くらいは調べてから使おうね」
時計を見ると、もう結構いい時間だった。俺はさすがに、帰る雰囲気を出してみる。
「さて、そろそろバイトだからさ。ね?」
「バイトと部活、どっちが大事なんです?」
「バイト」
「……よくよく考えたら、喜多川くんは、女の子に服を着せるバイトをしているんだよね。それって、僕たちという可愛い女の子二人がいながら、罪悪感とかはないのかい?」
「えっ、何を言ってるの?」
坂下さんはジト目をしている。五十鈴さんも、真似をするようにして、ジト目をしようとしているが、下手くそすぎて、ただの目が悪い人みたいになってしまっていた。
「これ、浮気ですよ」
「そうそう浮気。今流行りの浮気だ」
「……」
じゃあ、二人にも服を着せてあげようか?とは、ちょっと変態っぽいので言えなかった。
「じゃあ、どうしたらいいわけ?」
「私たちも、バイト先に連れて行ってほしいのです」
「なんでそうなるの?」
「それがいい。そうしよう。善は急げだ」
「どう考えても悪だよね?」
しかし、二人はもうすでに、片付けを始めている。まずい。本当について来るつもりだ。ここは……逃げるしか。
「ふっ。喜多川くんの足が遅いことくらい。僕たちは把握しているよ。片付けが終わるまでに逃げたって、すぐに追いつくさ。諦めた方がいい」
くそっ……連れて行くしかないのか……?でも、斎藤さんの指導をしながら、このアホ二人の面倒を見るなんて、不可能に近い。時給が二倍になるなら考えものだが、社会はそういう仕組みになっていない。
「よしっ。私は行けます。坂下さんは……」
俺と五十鈴さんの視線は、ビデオレコーダーに向いていた。
ビデオレコーダーを見て、立ち尽くす坂下さん。
「あっ。じゃあ。俺帰るね」
「……五十鈴くん。助けてくれ」
「……はい」
「ばいばーい」
と、いうわけで、ようやく俺は解放されたのだった。いや、これから先の方が地獄かもしれないが……。
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