第44話 監視者との対面

 埃っぽい空気が漂う作業教室棟。その廊下を窓から差し込む西日が照らし出す。


 その廊下にある扉の一つに一人の少女が入って行った。


 僕は彼女の後ろ姿が部屋の中に消えるのを見て、後を追うように少し速足で近づいて扉をノックする。


「だ、誰?」

「僕です。先日、日野崎に部室を案内してもらった二年の月ノ下ですよ」


 許可を待たずに僕はドアを開く。そこにいたのはジャージに眼鏡をかけた長い髪の少女、田無先輩だった。


「ああ。この間の。……勝手に入られては困るわ」

「でも、もう部活は終わって残っているのは田無先輩だけなんでしょう? それなら邪魔にはならないじゃないですか」


 彼女は無理やりな理屈で入り込もうとする僕に困ったような顔になる。


「だけど……」


「ところで」と僕は彼女の言葉を遮った。


「この間、先輩は部室の掃除をしていましたね。そういう仕事は一年生がするものなんじゃないかと思っていましたが、日野崎によればあなたは三年生の先輩だった」


 僕の発言に彼女は気分を害したように鼻白む。


「……三年生の部員が掃除なんてするものなのかと思っていましたが、あなたはマネージャーだったのですね」

「ええ。そうだけれど?」

「実は、あなたに確認したいことがあって」

「確認?」


 田無先輩は眼鏡の向こうから怪訝そうな目つきで僕を見つめ返した。


「ええ。……でもまあ、その前にちょっとしたゲームに付き合ってくれませんか?」


 僕はそう言ってトランプをポケットから取り出した。





 女子部室から少し離れたところにある空き教室の一角。


 そこの机で僕と彼女は向かい合って、カードを互いに引き合っていた。


「……揃ったわ。あと一枚ね」


 僕と田無先輩がしていたのはババ抜きだった。二人でやっていたので、短時間でカードをどんどん消費していき、既に僕の手札が二枚。そして田無先輩の手札が一枚という状況だった。


「それじゃあ、こうしたらどうでしょう。今、僕の手にあるのはハートのキング。そしてジョーカーです。でもジョーカーといえばどんなカードにも代えられるオールマイティーカード。これをキングに見立てれば、僕の上がりです」


 僕の屁理屈同然の物言いに田無先輩は苦笑いをする。


「ふざけているの? それじゃあゲームが成立しないじゃない。ジョーカーが何にでも使えるのは大貧民とかポーカーの話でしょう」

「はは。冗談ですよ」


 僕はそう言ってカードを場に伏せた。


「でも不思議じゃあないですか? ジョーカーはババ抜きの時には手に入れたくない外れものだ。だけどポーカーみたいにキングより強く扱われることもある」

「それが何なの?」


 彼女は困惑した表情で僕を見つめる。


「あなたは前に日野崎と話していた時、こう言っていました。『私なんて外れものみたいなものだ』と」

「……」

「僕はこう考えているんです。ジョーカーのように、外れ者の弱者だからこそみんなの弱みを握る立場になれた、ってこともあるんじゃないか」


 田無先輩は唐突に眼鏡を外した。大きめで切れ長の瞳が僕を刺すように見る。こうしてみると結構容姿は整っている。けれどもその雰囲気はただ綺麗に見えるというだけじゃなく、さっきまで漂わせていた柔和な雰囲気が完全に消え去っていた。


「ああ。そういうわけ。つまり、飯田橋先生に告げ口をしているのは私なんじゃあないかと」

「はい」


 彼女はガラス玉のような感情が乾いた目で僕を睨む。


「何を根拠に?」

「僕はひと通り、部内の人間に話を聞いたんですけどね。確かにみんなプライベートな会話を部室でしていたんですが、結局のところ告げ口されていた全ての内容を把握できる人というのはいなかったんですよ。……なにせ団体行動しているとはいっても、学年ごとに役割分担していて部室でもずっと一緒ではないですからね。それなら、そういう括りに縛られない外部の人間ならどうか、とも思いましたが外部の人間が部室の周りをうろついていたら流石に目立つでしょう」

「ええ。そうでしょうね」


 不敵に笑って彼女は肩をすくめた。


「そこで、内部でも外部でもない立ち位置の人間。つまりマネージャーのあなたなら可能なんじゃないか、と思いまして」

「それだけ?」


 彼女は呆れたようにため息をついてみせる。


「ねえ? 月ノ下くんだっけ? 今まで告げ口をされた人のなかで、私のことを疑ったり話に出したりした人っていた?」


 僕は静かに首を横に振る。


「でしょうね。だって、私はマネージャーだもの。部活が始まる前にはみんなの練習の準備や道具の整備をしなくてはいけないし、選手の皆とは別行動しているんだよ? それどころか練習後の記録や後片付けをしているのだから、同じ部室にすらいなかった。そもそも話が耳に入る立場じゃないんだよ」

「まあ、待ってください」


 僕は彼女をなだめるように軽く手をかざしてから「これを見てもらえませんか?」と手元のジョーカーを見せつけた。


「それが何?」

「それでは、これにおまじないをします」


 そう言いながら、僕はババ抜きで使っていたカードをまとめて束にする。さらにジョーカーのカードをその束に重ねてみせた。


 僕がやろうとしているのはこの間星原が披露してくれた手品だ。


「これを真ん中に挟んで、更に一番下に持っていきます。すると……ほらカードが一番上に移動しています」

「……これが何の関係があるの?」


 一通り手品を見た田無先輩は困惑したような顔になる。


「実は、この手品のトリック。ジョーカーのカードに他のカードを重ねて二枚なのに一枚に見せていたんです。そして上に重なっていた他のカードをジョーカーに見せかけて一番下に残し、ジョーカーを一番上になるようにカードを切った」

「……」

「つまり、あなたもこれと同じことをしたんです。別のものに見せかけて入り込み、部室の状況を探っていた」


 だが、彼女は僕の言葉に「はっ」と嘲笑を返すだけだった。


「何それ? もしかして上手いこと例えたつもりなの? 人間はカードじゃあないのよ? 私が変装の達人にでも見える? それとも双子の姉妹でも同じ部の中に居たかしら?」

「ええ。あなたが他の部員になり替わることは無理でしょうね。あなたがなり替わることは」

「どういう意味?」


 僕はここで自分の携帯電話を取り出して見せた。


「日野崎に詳しく聞いたんですが、女子サッカー部では数年前に練習中に携帯電話を持ち込んだ生徒がいた。それ以降、部活の前に部室に来た部員からマネージャーの『あなた』が携帯電話を回収して箱に入れて保管するようになったそうですね」

「……」

「そして練習が終わった後で箱を部室の入り口に置いて、それぞれの部員が帰るときに自分の携帯を持っていく」

「それが何か?」

「例えば、最近のスマートフォンはカバーを付けている人が多い。機種までは合わせられなくとも、同じ色のスマホカバーを使えばぱっと見に自分のスマートフォンを他の誰かのものと誤認させることができる。そして、最近はボイスレコーダーのアプリが付いているスマートフォンなんて珍しくもない」


 彼女は余裕の表情から一転、こわばったような顔になる。


「つまり、あなたは他の部員のカバーを付けているスマートフォンを見て、同じカバーを準備し、自分のスマートフォンに装着させた。そして普段の練習前、携帯電話を回収する時にこっそりとボイスレコーダーを起動させた自分のスマートフォンとすり替えていたんだ」


 僕は左手に持った携帯電話を指さして見せる。


「まさかこういう形で盗聴器が仕込まれているとは思わない部員たちは、上級生しかいないときには下級生への不満を漏らし、あるいは気心の知れた同級生の間でならと思って試合をさぼる予定を話してしまっていたということですよ」

「へえ? それじゃあ、すり替えた電話を戻すときにはどうするの? 練習後はみんな着替えてそのまま箱から自分で携帯電話を持っていくのよ?」


 練習前の部室の会話を録音する時は、すり替えた自分のスマートフォンを箱に入れて部室においておけばいい。部室に入るときにスマートフォンを預ける部員たちも最後に十三台のスマートフォンが箱に収まっていれば特に気にはかけない。


 しかし練習後の部室の会話を聞くために、スマートフォンをそのまま置いておいたら、それぞれの部員たちは自らスマートフォンを持って行ってしまうので「すり替えたら自分のスマートフォンが持っていかれてしまう」と言いたいのだろう。


「あなたはマネージャーなのだから練習の間だってトイレに行くふりをして部室に立ち寄ることは造作もないでしょう。その時にすり替えたスマートフォンは元に戻し、自分のスマートフォンはカバーを付け替えて保管用の箱の一年生の区分に適当に放り込んでおけばいい。練習の片づけをする一年生部員は一番遅く部室に入ってくるのだから回収する余裕はあるはずだ」


 部室から携帯電話を持って先に出ていく二年生や三年生も、あえて他の学年の携帯電話の機種やカバーまで把握しようはしないだろう。


 自分の携帯電話は一年生たちの分の中に目立たないように紛れさせておく。そして、頃合いを見て備品を取りに行くふりでもしながら会話を録音したそれをこっそり回収していたのだ。 


「い、言いがかりだわ。それを私がしたという証拠があるとでもいうの?」


 僕は無言で手に持っていたスマートフォンを田無先輩に見せつけた。


「えっ」


 彼女は絶句する。


 そう、僕が持っていたのは田無先輩自身のスマートフォンだった。驚いて彼女は自分のポケットの中のスマートフォンを確認する。


「今あなたが持っているそれは僕のスマートフォンなんです。カバーがご自分のものなので気づかなかったでしょうが」

「一体、いつの間に……」

「悪いですが、日野崎に頼んで練習途中にあなたが箱の中に仕込んでいたスマートフォンを僕のスマートフォンとすり替えさせてもらった」

「でも、日野崎さんは私のスマホをどうやって見分けたっていうの?」


 カバーを付け替えて他の人の端末に見せかけているのに、と彼女は疑問気に眉をしかめた。


「それは簡単でした。あなただってマネージャーという形で部に所属している以上連絡先くらいは登録してあるでしょう。あなたの番号にコールすれば一発です」


 彼女は一瞬俯いて黙り込んだ。


 ほんの数秒間、静けさが僕ら二人だけの教室を満たす。


 だが。


「く、くく。……ふふ」


 目の前の彼女が小さく息を漏らしていた。それはだんだん大きくなり哄笑へ変わっていく。


「あははは! はははっ!」


 彼女はニヤニヤとふてぶてしい笑いを浮かべてみせる。


「いやあ。一本取られたわ。まあ、こうも動かぬ証拠をつかまれたら誤魔化しきれないわねえ」


 そこには、つい先ほどまでの気弱だが優しそうな女子サッカー部のマネージャーの姿はなかった。彼女の態度は完全に豹変し、その本性を露わにする。


「ええ。確かにそのとおり。私がみんなの会話を聞いて、飯田橋先生に報告していたの。でもね、それっていけないことなの?」


 僕は思わず黙り込む。まさか認めたうえで、開き直るとは予想外だった。


「飯田橋先生が、顧問になったのは今年からだけどね。その時先生はこういったわ。『自分は女子サッカーの顧問は初めてだ。マネージャーとして部内で気づいたことがあれば遠慮なくいってくれ』とね。だから、私はその先生の命令に従っただけよ。『たまたま自分のスマートフォンのボイスレコーダーを入れたまま』部室に置いておいたら録音された情報をマネージャーとして先生に伝えただけだわ」


 そんな理屈が通るかといいたいところだが、方法に問題があるとはいえ、曲がりなりにも彼女は部内の人間だ。その彼女に部外者の僕が「顧問の指示に従ったまでだ。あなたには関係ない」と言い切られたら、返す言葉がない。


 そして意外な話だが、現在の法律では盗聴を取り締まる法律は存在しないらしい。ただし、盗聴器を取り付ける行為そのものが不法侵入になることが多いので、そちらの理由で逮捕されるストーカーなどの事例はあるのだとか。しかし彼女の場合は入ってはいけないところに無許可で侵入したわけではないのだ。


 だけれども。


「自分のものとすり替えるとはいえ他人のスマートフォンを持ちだすのはどうなんです? 盗んだことになりませんか?」

「一応、部内規則では『マネージャーが練習中に部員の携帯電話を管理すること』が追加されているわ。一人分だけ私が持ち出そうが、私が管理していることには変わりないでしょう」

「……なるほど」


 妙にあっさり認めたと思ったが、発覚して自分が責められた際の理論武装はしっかり考えていたらしい。勿論同じ部の人間にばれた時に、それで非難をかわすことができるとは思えない。しかし、そもそもあと数か月で卒業するうえに、女子サッカー部で大して強い立場でもない彼女には失うものはないのだろう。


 僕は手の中のスマートフォンを彼女に差し出した。


「とりあえず返しておきます」


 彼女は意外そうな目で僕を見る。だが数秒後、彼女もまた手に持っている僕のスマートフォンを交換するように差し出した。


「いいの? あなたの手の中に私のスマートフォンがあるということが私が盗み聞きをしていた動かぬ証拠だよ? それをあっさり」

「実をいうと、僕はあなたを糾弾するために来たんじゃあない。確かめに来たんです」

「何を?」

「あなたの立場と動機ですよ。あなた、本当にマネージャーなんですか?」


 彼女は無表情になって、静かに僕を見つめ返した。

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