第42話 手品と考察(前編)
窓からはオレンジ色の夕日が差して、ソファーに腰かけた彼女の横顔を照らしている。
あれから更に一日が経過した放課後である。
僕は星原と話し合うべく、いつもの勉強会をしている空き部屋にいた。しかし僕は女子サッカー部の件とは別のことに思考がとらわれて、どうにも集中できない。
「月ノ下くん」
「ん?」
「何だかぼーっとしているように見えるわ」
「ああ」
「ひょっとして昨日の清瀬さんが言っていたことを考えていたの?」
傍から見てもわかるくらいに、うわの空だったようだ。
「うん、そうなんだ。……いや、昨日は彼女の言ったことに対して反発も感じた。だけどさ。僕の考えていたことは現実が見えていない理想論で、子供っぽくて青臭い理屈だったのかな、と」
実際、もし僕が新聞やテレビの報道関係に所属していたとしたら、お金を出してくれるスポンサーや自社に都合よく記事を作るのは当然と考えるかもしれない。スポンサーと所属する会社のおかげで生活ができるのだから。
だいたい僕だって日々の生活のなかで目にする社会問題のニュースについて、現実的で複雑な説明なんて求めていただろうか。わかりやすい単純な結論を与えてほしいと思っていたのではないか。
「彼女のいう事も一つの道理だったのかもしれない」
「でも、納得しきれないところがあって何だかもやもやしている。そんな顔だわ」
星原は僕の顔を静かに見つめて微笑んだ。
「すっきりさせてあげましょうか?」
「え」
「あなたが抱えている腑に落ちない感覚。その正体を教えてあげる」
要は僕自身でも自覚できていない「割り切れない」感覚がどこからくるものなのか、解説してはっきりさせてくれる、ということだろうか。
彼女は僕の顔を覗き込みながら「まず、確かに彼女とあなたでは価値観が根本的に異なっている」と前置きをした。
「あなたの価値観は理想的な倫理が先に立っているの。漫画やアニメの世界の正義みたいにフィクションじみているのかもね。私はあなたのそういうところ、好きだけれど」
柔らかく言ってはいるが、やはり僕の価値観は現実的じゃなくて子供っぽいのだろう。
そもそも、僕にしたって正しいものが勝つような社会であってほしいと思いながらも、自分が常に正しく行動できているか、といえばそうじゃない。
自分の関係ないことで起こっている理不尽な出来事に関しては、どうでもいいと思っているところはあるし、これまでの人生で自分で解決できないことは見て見ぬふりをしたことだってあるのだ。
「一方であの清瀬さんの考え方は、現実的な利害関係があって世間が成り立っていることを理解して、その上で正しさを作ろうとしている。この場合の正しさとは『問題が起きずに自分を含めた多数派の人間が得をすること』よ」
「なるほどな」
あの時の僕の主張は「マスコミの報道の内容は反論してこない政府を悪者に仕立てて、扇動的な記事を売ってまわっていること」を批判したものだ。
しかし、その事で大きな不利益を被る誰かがいるのかといえば、そうではない。
むしろ、それで経済が回って、自分を含む多くの人間が得をして、多少ゆがめられてはいても一般大衆への問題提起に成功してはいるのだ。
長期的な観点で考えた時にどうなのかはわからないが、短期的に見た時には彼女の価値観は何の問題もない。それどころか実社会で評価されるのは僕よりも彼女の価値観だろう。
「私から言わせてもらえば、それぞれの正しさがあるという話でそこに優劣は付けられない。それはきっとあなたもすでに自分で気づいているんでしょう」
「うん」
「でも、彼女が最後に言った『弱い立場のマスコミは安全な場所から、強い立場の政府を自由に非難する権利がある』という話に関してはちょっと私も思うところがある。……あなたも本当に受け入れ難く思っていたのはそこなんじゃあない?」
思わず僕は苦笑いがこぼれた。探し物が自分のポケットに入っているのを指摘された気分だ。
多分、あまりの価値観の違いにちょっとしたショックを受けていて、よく考えればエゴイスティックな主張をされているとわかったはずなのに、気づけなかったのだろう。
「この間も少し話したわね。弱い立場だからこそ、強く扱われることがある、と。これもその一種なのかもしれない」
彼女は淡々と言葉を続ける。
「だけれどね。私は『安全な場所から自由に非難できるからこそ、その発言をする人間の本質が逆に問われることになる』と思うの」
「つまり強い立場に立っているからこそ、どんな言動をするのかがその人間の価値を決めるという訳か」
「そういうこと」
そういえば、『人への批判は自己紹介』だと聞いたことがある。
批判とはその事象に対する理解度、思想性や責任感までもが問われる行為だ。
批判する時の言葉の選び方、言い回し、どういった面を批判するかという所から、その人間の内面がわかってしまうというわけだ。
強い立場になる、ということはその人間がどういう人物なのかがわかってしまうリトマス試験紙なのかもしれない。
「あー、でもさ。ちょっと話の本筋からずれるんだけど」
「ん、何?」
「いや『強い立場になった時にその人間の本性が出る』というのはわかる気がする。でも『弱い立場になった時』とか『危機的状況に追い込まれた時』に出るのも人間の本性だと言う話も聞いたことがあるな。どっちなんだろうと思って」
彼女は僕の言葉に「ああ、アレね」と両手を軽く合わせながら頷いて見せる。
「よくデスゲーム漫画や災害パニック映画であるシーンね。普段は優しい温厚な人間が、生死がかかったとたんに真っ先に人を蹴落とそうとする酷い人間になったりして『これこそが人間の本質でござい』と言わんばかりに泥沼のサバイバルが展開される話ね」
「そう。そういうやつだ」
「私が思うに『強い立場になった時』と『弱い立場になった時』に出る人間の本性は別々のものだと思うわ」
本性が別々に現れるというのは、何だか矛盾しているようにも聞こえるが、とりあえず僕は彼女の言葉に耳を傾ける。
「『弱い立場』のときに出る人間の本性は自己保身。正確に言うと自己保身の程度が露わになるの」
「自己保身の程度?」
「つまり周りから責められたり、もしくは生死がかかった極限状態になった時。力や余裕がある人だったら、それでも他人を優先し自分が不利益を負うことも我慢できる。でも弱い人だったら、ちょっとしたことでも他人のせいにしてしまう」
「つまり『どこまで追い込まれたら自分の身を守るために他人を犠牲にすることを考えるか』の程度が判るわけだな」
余程の聖人だったらわからないが、誰しも自己保身の気持ちはあるのだ。単純に我慢できる程度が違うだけで。
そしてその程度が大きい人間を「強い」とするなら、弱い立場に立った時に「強さ」を試されているといってもいいのかもしれない。
「それじゃあ、強い立場になった時に出る人間の本性というのは?」
「『強い立場』『安全な立場』にいるときに露わになる人間の本性というのは『攻撃本能の程度』ではないかしら」
僕は思わず首をかしげる。
「……人間って立場が強くなるだけで攻撃的になるのか?」
「攻撃する、というより立場が強くなったことで行動的になる。あるいは力を行使することで自分のポジションを確かめたくなるということなの」
うーむ。ピンと来ないがいじめにあっている人間があるとき力を手に入れたら、いじめっ子にやり返したくなる、みたいなことだろうか。
理解できていない僕の表情を何故か星原は微笑ましそうに見る。
「まあ、あなたにはそういう発想が薄いのかもしれないわ。……でもね。例えば集団の中に一人だけ『変な話し方をする』とか『髪形のセンスがおかしい』とかとにかくネガティブな特徴を持つ人がいたとする。それで誰かが『あいつはおかしい』と言いだして彼を疎外しはじめたとき、そこには『連帯感』と『安心感』が生まれるの」
「……自分が他人と同じことを感じていることに肯定的な気持ちになるということか。しかも自分より下の対象が生まれたことで安心するんだな。『ああ、あいつより自分はマシなんだ。自分が自分でよかった』と」
典型的ないじめの構図だ。
彼女は僕の言葉に「ええ」と頷く。
「そして人は強い立場になると、その下の立場を積極的に攻撃することで、自分の立ち位置を確認することがある」
「マウンティングってやつだな。でも、それって全ての人間がする行為ではないと思うんだけどなあ」
「非常に悲しいことだけれど人間は総じて他人を見下すことに快感を見出す生き物なの。私だってそう」
彼女が他人を見下すようなイメージはあまりないが、本人が言うからには何かしら覚えがあるのだろう。
「でもね」とここで彼女は静かだが強い瞳で僕を見る。
「人を見下すことで得られる快楽というのは麻薬と同じだわ。『倫理的に肯定できる幸福ではない』ということと『
人を見下す一面があることについて自分も例外にしないうえで、認めるべきでないと自戒するあたり「彼女らしいな」と僕は内心微笑ましく思う。
「つまり、『強い立場になった時』『安全な場所にいるとき』に現れる本性は、他者への共感性があるかどうかが試されているということか」
謙虚さあるいは優しさが試されているということになるのだろうか。
ふと、自分を省みる。
僕は自分が他人にマウントを取るような人間のつもりはないが、しかし今まで色々な人間と出会ったときに「こいつよりは自分は上だな」と内心見下した経験がないわけではない。
そんな風に思いを巡らせていると、星原が静かに僕を見つめているのに気がついた。何とはなしに内面を見透かされているような感覚になる。
僕は落ち着かない気分にとらわれて、つい組んでいた足を組みなおした。が、その時靴に当たって床に置いていたカバンが倒れる。
「おっと。……あれ?」
僕のカバンから見慣れない小物がこぼれ落ちていた。
「何だっけ、これ。あ……」
「何、それ? トランプ? 何でそんなものを持っているの?」
僕の脳裏に数日前の記憶がよみがえる。明彦が手品をするために持ってきたトランプだ。その後、虹村とババ抜きをしてそのまま僕のカバンにしまったままになっていた。
「へえ? この間の? そういえば手品を見せてもらったと言っていたわね。……ちょっと貸してみて」
彼女はおもむろに自分の右手を僕の方に伸ばす。僕は求められるままに彼女に紙のケースにしまわれたトランプを手渡した。
「……どうするんだ?」
彼女は箱からトランプを取り出して見せた。
「本題の話を進める前に気分転換と行きましょうか」
「気分転換?」
「ちょっとした手品を見せてあげる」
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