第38話 見えない監視者

「相談というのはね。最近うちの部内の様子がおかしいということなんだ」

「部っていうと? サッカー部のことか」


 一人用のソファーに腰かけた日野崎は僕の言葉に首肯する。


 少し古びたタイルカーペットに、学校の備品が詰め込まれた棚。中央には二人掛けのソファーが一つと一人用のソファー。そしてテーブル。


 図書室の隣の空き部屋で僕らは日野崎の言葉に耳を傾けていた。


「きっかけはあたしが授業の補修を受けることになって、部活の練習を休む羽目になったことなんだけど」


 日野崎は彼女らしくもない、悩みを宿した目を中央のテーブルに落としながら話を続ける。


「本来、部活の練習に参加できなくなった時には前日までに顧問の飯田橋いいだばし先生と、三年の鷺ノ宮さぎのみや部長に伝えないといけないことになっているわけ」

「それで?」

「ところがさ、補修になることが決まった翌日にあたし、風邪で一日休んでしまって伝えそびれちゃったんだよ。補修はその次の日だったから完全に言うタイミングを逃しちゃってさ」


 星原が首をかしげる。


「補修が決まった当日にすぐ伝えればよかったんじゃないの?」

「それが、運悪くその日は飯田橋先生が急用でいなくてね。『次の日に先生と部長に伝えればいいや』なんて考えていたら風邪をひいてしまったんだ」

「へえ。じゃあ先生と部長に怒られちゃった?」


 だが日野崎はここで首を横に振る。


「それがね、どういうわけか。当日には補修のことが飯田橋先生に伝わっていて、『その事ならもう聞いているから大丈夫だぞ』って」

「へえ。まあよかったじゃないか」と僕は相槌を打つ。


 飯田橋先生は体育教師でいつもジャージを着ているいかめしい雰囲気の先生だ。生活指導も兼ねているので、苦手としている生徒も多い。


「うん。私も最初は補修の授業担当の先生から聞いたのかな、って思ったんだけれど。でもそのことを部の皆に話したら、おかしなことがわかってさ」

「おかしなこと?」





 日野崎の話はこうだった。


 明らかに女子サッカー部室内でしか話していないようなこと。


 部員同士の些細なやり取り。


 あるいはちょっとした恋愛絡みの人間関係。


 そういった数々のプライベートな事情が、気が付くと顧問の飯田橋先生に伝わっているのだという。


 ある部員は試合に出たいがために足を痛めているのを隠していたのだが、痛がる素振りなど見せずに練習していたはずなのに、不調を理由にレギュラーから外された。


 また、ある部員は好きなアーティストのライブに行きたいがため、練習試合を「体調が悪い」といって休んだ。しかしその数日後「ボールよりもアイドルを追いかけたいなら好きなだけ追っかけていいぞ」と飯田橋先生に皮肉を言われた。


 別の部員は大会に向けた合宿で買い出しに行くときに、男子部員と合流して遊んでから何食わぬ顔で戻ってきた。だが、それもどういう訳か後で発覚して相手ともども呼び出されて説教をされた。


 一人が疑問を口にすると「あなたもそうなの?」「あなたも?」と疑問の声が次々と上がり一時騒然となったらしい。


 誰かが飯田橋先生に告げ口をしているのではないか。


 それとも盗み聞きされているのだろうか。


 部内の雰囲気は疑心暗鬼にとらわれてしまったのだという。




 僕はひととおり話を聞いて、首をかしげる。


「なるほど。……しかし僕は正直、飯田橋先生が盗み聞きなんてするようには思えないけどなあ」

「うん。それはあたしも同じように考えているんだ。飯田橋先生は確かに怒鳴ったり、持ち物検査で私物取り上げたり、良い印象ないけどさ。盗み聞きをするというイメージじゃないんだよね」


 そう。


 僕としても飯田橋先生は威圧的な雰囲気を漂わせていて、正直仲良くしたいタイプではない。ただ、うちの生徒の中には数こそ少ないが喫煙や繁華街の夜遊びをする輩もいるらしい。そういった道を誤りそうな生徒を締め付けるという意味で、ああいう姿勢を取ることも必要があってのことなのだろう。


 飯田橋先生を嫌っている生徒は多いがその批判はあくまでも「粗暴」「傲慢」といった類のもので、その中に「陰湿」「卑劣」という語句は当てはまらないのだ。


「板橋なんかは『盗聴器を仕掛けているんじゃないか』なんてこと言っていたけど。実際、女子サッカー部室はロッカーと道具入れがあるくらいで、そんなもの仕掛けられるようなところはないんだよ」


 板橋敏美いたばしとしみは僕らと同じクラスの女子サッカー部員だ。彼女も何か聞かれたくない事情が伝わってしまったということなのだろうか。


 だが、たかが高校生の部活の内情を探るために教師が盗聴器を仕掛けるなんていうのは現実離れしている。飯田橋先生の立場からしてもそこまで手の込んだことをする価値はなさそうだ。


「それで、部内で『あいつが告げ口しているんじゃあないか』って容疑者扱いされる子まで出てきてしまってさ」

「それは、いよいよまずいな」


 無言で話を聞いていた星原がここで日野崎を見やる。


「その、容疑者というのはどういう人たちなの?」

「まあ、アレだね。みんなそれぞれに言いたい放題なんだ。『あいつは先輩に反抗的だった。きっと腹いせに告げ口したんだ』とか『あいつはおしゃべりだから、雑談のつもりで飯田橋先生の前で吹聴してもおかしくない』とか。なんだかこれを機会に自分の気に入らない人間を犯人扱いしているような雰囲気すらある」

「なるほどね」

「他には逆に外部の人間が怪しい、なんていう子までいたな」

「……まあ、外部の人なら練習時間とかに拘束されず部員たちを監視できるかもしれないけれど」


 ここまでの日野崎の話を聞く限り、今のところ犯人の特定につながる手がかりがある状況ではなさそうだ。


「まあ、事情はわかった。できる限り力にはなるよ」

「…………ありがとう。何かの形でお礼はするから」


 一方、星原は僕の隣で「仕方がないな」と言いたげなため息交じりの面倒そうな表情をする。だが口に出して嫌だとは言わないあたり協力はしてくれるのだろう。


「……でもそういうことなら、女子サッカー部の人たちに話を聞かないといけないな」

「うん。そこはあたしが立ち会って何とかするよ。じゃあ明日の昼休みからお願い」


 日野崎は立ち上がると「今日も練習があるから」と軽く会釈して部屋を出て行った。


 扉が閉められて二人だけになった空き部屋に、急に静寂が戻ってくる。


「……どうするの? 安請け合いしちゃったけれど、今回の話に関して言うなら犯人なんていない、という可能性もあるかもよ?」


 星原が目にかかりそうな前髪の下から黒目がちの大きな瞳で僕の顔を覗き込む。


「つまり部員の事情がたまたま伝わっただけ、とか。あるいは本人は上手く誤魔化したつもりでも、足の調子が悪いことや男子と出かけたところを飯田橋先生にしっかり見られていた、とかそういうこともあるかもしれないというわけか」


 彼女は無言で頷く。


「その時は『被害者』というか、当事者の事情を知ることができた人間を割り出していけばいいさ。もし全員の事情を知ることができる立場の人間がいないとはっきりしたら『ただの偶然が重なっただけで、告げ口をするような部員はいなかった』という結論が出せるだろ?」

「それで、女子サッカー部の雰囲気が回復するならいいけどね。……ちなみに実際に告げ口をしている犯人がいたら?」


 もし、告げ口をするような犯人がいたら、か。


「まず、何故そういう事をしたのか聞いてみる、かな。そこから先はその時考える」

「…………そう。それじゃあ、明日から忙しくなりそうだし、今日は頑張って勉強会のノルマを進めましょうか」

「そうだな」


 僕らは机の上に参考書と問題集を広げ始めた。

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