「弱者の強み」と見えない監視者

第37話 ババ抜きと「弱者の強み」

 今、僕の手の中には二枚のカードがある。


 一枚は道化師の絵が描かれたジョーカー。もう一枚は剣を象徴するマークと冠を被った王の絵が描かれたスペードのキング。


「さて、どちらにするかな」


 向かいの席に座っている雲仙明彦が僕のカードの手を伸ばし、僕から見て左のカードつまりジョーカーに触れた。


 よしよし、いいぞ。


「……やっぱりこっちにするか」

「ああっ!」


 ジョーカーを選ぼうとしていた明彦はどういうわけか考えを変えて、スペードのキングを持っていってしまう。僕の手の中に残されたのはジョーカーだった。


「あがりっと」

「悪いねえ。月ノ下。それじゃあジュース帰りにおごってね」


 僕の左隣に座った日野崎勇美が笑いながら、ポンポンと僕の肩を叩いた。


 教室の窓からは薄紫色に染まった空が見える。壁にかけられた時計はちょうど十八時を回ったところだ。


 僕らは今、放課後の教室でトランプのババ抜きに興じていたところだった。


 いつもなら明彦と一緒に寄り道でもしながら家路につくのだが、今日は明彦が何の気まぐれを起こしたのか「手品を披露したいから見てくれよ」と言いだした。


 彼がやって見せたのはトランプを使ったテーブルマジックで、相手が選んで山に戻したはずのカードを見ないで当てる、というポピュラーなものだった。


 素人芸なので、ぎこちなくはあったが、僕の目からはタネは判らなかったしそれなりに楽しめた。しかしやっているうちに本人が飽きてきたのか「折角だからゲームでもしようぜ」という流れになり、そこに部活が終わったらしい日野崎が加わる。そしてジュースのおごりをかけて三回勝負をしていたのだが、結果は僕が最下位となってしまったというわけだ。


「な、何故なんだ。……一度も勝てないなんて」

「お前、顔に出やすい方だからなあ」


 そんなに? そんなにわかりやすいかなあ。


「まあね。あたしにもわかるくらいだもん」


 僕が落胆しかけていたその時、背後でガラッと教室の扉が開く音がする。


「三人とも、そこで何しているの?」


 クラス委員の虹村志純だった。委員会が終わって帰るところらしい。


「いや、明彦がトランプを持ってきたからババ抜きをしていたところだ」

「へえ。ババ抜きか。私、そういうのは遊ぶ相手がいなかったなあ」


 虹村はトランプで遊んだ経験が少ないのか。


 待てよ。……それならば、僕でもいい勝負ができるんじゃないか?


 淡い期待が頭をかすめた僕は「だったら、一勝負しないか?」と彼女に声をかけていた。


「勝負? いいけど」

「よし。それじゃあ負けた方は何でもいう事を一つ聞くということで」

「ええ。わかったわ」


 彼女は人のいい笑みを浮かべて快諾する。


 いいぞ。このまま、負けた気分のまま帰るのはちょっと悔しかったところだ。


「それじゃあ、頑張れな」

「……じゃあね」


 ガタンと椅子を引いて明彦と日野崎が立ちあがる。しかも、そのままカバンを持って教室を出て行こうとするではないか。


「あれ? やらないのか?」


 僕の問いに答えず、彼らは作ったような不自然な笑顔を浮かべてそのまま手を振って去っていった。


「なんだ? ……付き合い悪いなあ」


 何かとノリのいい二人にしては珍しい態度だ。


「まあ。良いじゃない。私と月ノ下くん、一対一の勝負ということね」

「ああ。それじゃあ始めるか」


 僕は意気揚々とカードを切って配り始める。


 虹村に相手の目を見て嘘を見抜く特技があることを僕が思い出したのは、そのもう少し後だった。






「それで虹村さんに三連敗した、というわけ」

「…………うん」


 翌日の放課後。僕は本校舎の廊下を黒髪で色白の少女と並んで歩いていた。


 蛍光灯が夕暮れの校舎の床を照らしている。


 いつものように星原と勉強会をするために図書室の隣の空き部屋へ向かっているところである。


「明彦たちが逃げて行ったのは、虹村がゲームに入ってきたらまず勝てないと気づいていたからだったんだな。僕も早く察するべきだった」

「なるほどねえ。してみると、アレね。虹村さんが『ババ抜きとかの勝負事であまり遊ぶ相手がいない』と言っていたのは勘が鋭くて『強すぎた』からなのかもね」

「強すぎたから、か」


 蛇は寸にして人を飲むとはいうが、子供の時分から虹村は勘の鋭さを発揮していたのかもしれない。


「それじゃあ、淋しく思ったこともあったのかもしれないな。勝負しようと思っても周りの人に嫌がられることもあったりしてさ」

「確かに何かに強いということが、逆に立場を弱くしてしまうことってあるのかもしれないわね」


 強いということが立場を弱くする。逆説的な話だ。


「だとしたら」と僕は疑問を口にする。


「逆に『弱い人間が、弱いがゆえに強い立場になる』なんてこともあるのかな?」

「そうね。…………例えばだけど。アメリカだと大学で白人の入学者を減らして一定の割合で黒人の入学枠を設ける制度が『逆差別』なんじゃないかという問題があるらしいわ」

「ああ。僕もそんな話を聞いたことがあるな。……つまり、あれだな。社会的弱者が弱者だからこそ攻撃や批判がしづらいという雰囲気ができてしまうということなのか」

「公的に弱者認定されたものが一番強い、という理論かしら。道を歩くときにぶつかりそうになっても譲らないような傍若無人な人も、車いすに乗った子供相手だと流石に気を遣ったりするもの」


 彼女はここで「ところで」と僕を見た。


「『負けたら何でもいう事を聞く』という話だったのよね? 虹村さんはあなたに何をお願いしたの?」

「えっ」


 僕は一瞬、言葉に詰まる。


 彼女と目を合わせたまま思わず数秒の間、沈黙してしまった。


 実は虹村が僕に言ったのは「今度のクリスマス、星原さんをデートに誘ってきなさい」という命令だった。何ヶ月も一緒にいて未だに友達以上の関係でしかない状況を見かねていたらしい。


 彼女なりの親切かもしれないが、しかし今星原にこういう形でそれを伝えるのはどうにも格好がつかない。


 何とか話を別の方向に持っていこう。


「あー、いや。ちょっとしたお願い事だよ。大したことじゃないんだ。……ところでさ。トランプといえば、この間面白い話を聞いたんだよ」

「面白い話?」


 よし、どうにか食いついてきた。


「トランプって四種類のマークがあって、それぞれが十三枚あるだろ」

「……ええ」

「あれは実は一年間の四季を現しているらしいんだ。つまり、一年間は『五十二週』で成り立っている。トランプも十三枚が四セットで『五十二枚』だろう? ……さらに一週間が五十二週だから三百六十四日になる。これにジョーカーの一枚を加えて三百六十五日になるってわけ」


 星原は僕の言葉にきょとんとした顔をして黙り込んでから、おずおずと口を開く。


「……月ノ下くん。その話って誤った俗説だと思うわ」

「え? そうなのか?」

「ええ。そもそも、トランプは十三枚が四種類というのが常識になっているけれど、これって日本以外では英米とフランスだけなの。イタリアだと四十枚だったり、他の地域では三十六枚だったり国によって枚数が違うことが多いみたい。ただ、日本ではトランプから派生して花札が作られたでしょう。花札の方は十二ヵ月の暦と絡めているし、そのイメージも相まってたまたま一年の週の数と一致するから作られたこじつけだと思う」

「なんだ。……そういやトランプのマークそのものは貴族や僧侶とかの職業を象徴するもので季節とは直接関係ないものな」


 だが、とりあえず話題をそらすこと自体には成功したな。


 僕は内心胸をなでおろしつつ、本校舎の階段を登っていく。


 三階の踊り場の角を曲がると、図書室と空き部屋の扉が並んだ廊下が目に入る。だが、その空き部屋の入り口の前には一人の少女が立っていた。


「あれ? 日野崎。どうしたんだ、こんなところで」


 そう。そこに立っていたのはクラスメイトの日野崎勇美だった。


 いつものようにセーラー服を着こなして、後ろで結い上げた髪をかすかに揺らしながら「やあ。邪魔して悪いね」と手を挙げる。


「邪魔ってこともないが。……何かあったのか?」


 僕の問いかけに彼女は珍しく物憂げな表情になる。


「ちょっと。……相談したいことがあるんだ」


 僕はどうするか、と隣の星原と一瞬目線を交わした。


 彼女も興味を感じたらしく小さく頷く。


「とりあえず話を聞きましょうか。今、空き部屋の鍵を開けるから待っていて」

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