第36話 心理テストのもう一つの使い方
窓の外からは運動部のものとおぼしき掛け声が遠くから聞こえてくる。
あれからほぼ一日が経過して、今はちょうど太陽が西の方に近づいてきたころ合いだ。
いつものように僕は図書室の隣の空き部屋で星原との勉強会に参加していた。
ノルマにしている参考書のページを一通りこなす。一息ついたところでふと僕は前日の出来事を思い出して、息抜きついでに星原に話を振ってみた。
「そういえば、昨日の件はあの赤羽少年にとっては災難だったな。気になる女の子を誘って学校帰りに出かけたのに、保護者代わりの日野崎が現れるわ邪魔はされるわ、あげくに巴ちゃんは何とも思っていない様子だったしな」
「そうとも言い切れないけどね」
星原は何やら含みのありそうな悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ん? 赤羽くんは何か得になることでもあったのか?」
「……月ノ下くん、あなたは見落としていることがある」
「何のことだ?」
「一つは傘の話」
「ええっと。……ああ。巴ちゃんが一昨日の雨が降った時に、赤羽くんを入れてあげたっていう話か」
「そう、日野崎さんの推察では『朝も雨が降っていたのに、帰りに傘を持っていないわけがない。嘘をついて巴ちゃんに入れてもらった』ということだったでしょう」
「うん。日野崎の、その見立て自体は筋が通っていると思うが」
「でも私はもしかして前提が間違っているんじゃないかと思ったの」
「どういう事だ?」
「だから、『朝から雨が降っていたのに傘を持っていなかった』イコール『傘を持っていない振りをしていた』という考えは短絡的なんじゃないかという事よ」
星原は勿体つけるように指を立てて説明を始めた。
「可能性としては低いけれど、もしかしたら何かのアクシデントで傘が壊れたのかもしれないし、自分の傘を誰かに持っていかれたということもあり得る。思い込みで決めつけるより一度事実確認した方がいいんじゃないかと考えていたの」
僕の脳裏に昨日、喫茶店で去り際に星原が巴ちゃんと赤羽くんに話しかけていた光景が甦った。
「ああ。それで昨日帰るときに赤羽くんたちに訊いていたわけか。……それで何て答えたんだ?」
「結論から言うと、赤羽くんは朝は傘を持たずに学校に登校していたの」
「雨が降っていたのに? あ、ひょっとしてたまたま親に学校まで車で送ってもらったとかか? いやそうだとしても帰りもまだ降るかもしれないのに傘を持って行かないのはおかしいな」
「実はね、赤羽くんの家は中学校のすぐ目の前にあるらしいの。だから傘を持っていかなくとも走れば済むからというので、いつも持たなかったらしいの」
星原の言葉を聞いてから僕は思わず手をパタパタと横に振る。
「いやいやいや。待ってくれ。……確か巴ちゃんは日野崎に訊かれて『帰る方向が同じで、傘がないっていうから入れてあげた』と答えたはずだ」
学校が家の前にあるのに電車で通学する巴ちゃんと帰る方向が同じなんてことがあるだろうか。
「そこよ。私たちが勘違いしていたのは。一昨日は昼から夕方にかけて一度雨が止んでいた。だから彼はもう降らないものと思って学校が終わった後、傘を持たずに学習塾に行ったらしいの。ちょうど巴ちゃんの家がある駅を下りたところにある学習塾にね」
「じゃあ彼は学校帰りじゃなく、塾から家に帰る途中で雨に降られて巴ちゃんの傘に入れてもらったわけか。……つまり、嘘をついて巴ちゃんの傘に入れてもらったわけじゃなかったということなのか」
「ついでにもう一つ話してくれたんだけど。喫茶店に来たのも理由があってね」
「理由?」
彼女は僕に頷いて話を続ける。
「巴ちゃんとあの赤羽くんは、学校の文化祭で企画の担当をしていて、クラスの出し物でカフェをするつもりなんですって。だから参考にするためにあの人気のスープカフェに来たらしいの」
「じゃあ、別にデートとかそういう下心ではなくて元々一緒に行く理由の方が先にあったということなのか」
「ええ」
うーんと僕は小さくうなって一瞬黙り込んだ。
『朝、雨が降っていたのに、傘を持っていない』のは『傘を忘れたふりをしている』。
『男子が女子に一緒に出掛けるよう誘った』のは『口説くつもり』。
僕はそんな先入観にとらわれていたようだ。
ふと思い出したのは中学の時の出来事だった。
学校に『ノートを見れば学力が判る』といってノートを確認する教師がいたのだが、それを逆手にとって、要領よく他のクラスメイトからノートを写させてもらった奴がいて、高評価されていた。
類似的なことをいうなら『書いた文字を見れば人間性が判断できる』とか、『食後の箸の汚れ方でマナーがわかる』とか似たような話はいくらでも転がっているのだろう。
星原がこの間教室で語った疑似相関の話もしかりだ。
「なるほどな。何かを判断する時に端的な情報だけを基準にすると、思わぬ落とし穴にはまるということか」
星原は僕の言葉に少し黙ってから、ふと口を開く。
「……そうね。そういえば私も『ハイルブロンの怪人』という話を思い出したわ」
「『ハイルブロンの怪人』?」
「ヨーロッパの各地で何件もの殺人事件が起こったのだけれど、その全ての現場で同一のDNAが検出されたの。国境を越えて長期にわたり連続殺人事件が起こったということで大騒ぎになった。ドイツのハイルブロンで起こった事件がきっかけだったのでその事件を引き起こした犯人がそう呼ばれたの」
「大事件じゃないか」
「でもね」
「ん?」
「後になって発覚したのだけど、この検出されたDNAは、そのDNAの採取に使われた綿棒の納入業者の従業員のものだった」
「ええ……。それで全く同じDNAが検出されたのか。人騒がせな」
まさに目先の基準にとらわれて本質を見失っていた典型例だ。
「……じゃあ、結局あれかな。赤羽くんというあの少年はたまたま巴ちゃんの傘に入れてもらっただけで、一緒にカフェに行ったのも文化祭の用事があってこそで、別にお互いに特別な感情はなかったわけか」
だが星原はここで再度、意味ありげに微笑して見せる。
「そのことだけどね。もう一つあなたが見落としていること、というより勘違いしていることがあるの」
「……何のことだ?」
「あの例の指を選ぶ心理テストのことよ。あの時、あなたは日野崎さんに指の心理テストについて教えたでしょう」
「ああ」
相手に指を選ばせて、選んだ指で相手が自分をどう思っているかを調べる心理テスト、 確か、親指は『尊敬』、人差し指は『好意』、中指は『友達』、薬指は「『嫌い』、小指は『何とも思っていない』だったはずだ。
「あの、元々私があなたに教えたあれなんだけど。あの心理テストは実は『同性同士』の場合なの」
え? 同性同士?
僕は思わず星原の言葉に思わず目を見開く。
「つまりね。異性の場合には別の意味合いになる」
「別の意味合い……」
「ええ。相手が異性の場合に指を選んだ時には、親指は『頼れる相談相手』。人差し指は『仕事や学校でのいいパートナー』。中指は『単なる友達』 薬指は『結婚してもいいなと思える人』、小指は『理想の恋人』」
僕は昨日の記憶を頭の中に呼び起こす。
あのカフェで巴ちゃんが選んだのは小指だったはずだ。
「じゃあ、巴ちゃんは赤羽くんを理想の恋人だと?」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。まあ心理テストだもの。そういう可能性があるという程度の話」
星原ははぐらかすように答えたが、僕は頭の中では引っかかるものがあった。
そもそもこの指を使った心理テストだが、他人の指に触れあうという時点でこの心理テストを行える二人は、既にある程度心理的な距離が近しい間柄にあるといえる。
いわんや、異性の指に躊躇なく触れ合えるくらいの仲となると、一定以上の好意は持っているという理屈は通るのではないだろうか。
つまり巴ちゃんも赤羽くんに対して……。
そして、赤羽くんはゲームセンターで遊ぶことを提案したわけだが、赤羽くんがガンシューティングゲームで遊んでいるのを見た時、僕はこう考えていた。
『赤羽くんは今回半分デートのようなつもりで巴ちゃんを誘っていた』
『つまりあのガンシューティングゲームで遊ぶのは、そういうゲームを好む巴ちゃんに合わせてあれを選んだのだ』と。
しかし、単純に文化祭の出店の参考にするために二人で寄り道をしたということであったなら、二人の趣味は偶然一致していたということになるのだ。
まあ、とはいっても。
「ただの憶測でしかないか。……心理テストで人の内心が判るなんて、本気で考えてはいけないな」
だが星原は僕の言葉に対し、真顔になって見つめ返してきた。
「いやいや。使い方次第かもよ?」
彼女は僕に「例えば、ほら」と手を突き出した。
「好きな指を選んでよ。月ノ下くん」
「好きな指を、って……」
何を言っているんだ、この
「僕は既にどの指を選ぶとどういう意味になるのか、全部聞いちゃっているんだが」
だが彼女はここで「やあねえ。月ノ下くん」とカラカラと笑って見せて、再度真顔になる。
「『だからこそ』じゃない。さあ、どの指を選ぶの」
「えっ」
……な、なるほど。心理テストにはこういう使い方もあったのか。
だが、どうすればいい?
僕は星原のさっきの説明を軽く聞き流してしまった。どの指がどういう意味だったか、一応覚えているつもりだったが自信がなくなってきた。
確か、小指は『理想の恋人』で、中指は『友達』。親指は『頼れる相談相手』だったか?
変に機嫌を悪くするような選択をしてはいけない。
しかし、はっきり覚えているのは、小指が『理想の恋人』ということだが、ここでそれを選んだら、星原はどんな態度になるのだろう。
彼女の表情を窺う。
彼女は口の端をかすかに持ち上げたアルカイックスマイルで僕を見ている。だがその悪戯っぽい瞳は何をするかわからない凄みを僕に感じさせた。
下手な選択をしたら許さないぞ、とでもいうような。
これはもしかして、僕は星原に「自分に対する気持ちをはっきり伝えてほしい」と迫られているのだろうか?
いや。しかしもしも僕の勘違いだったら。単に星原は僕のことをからかっているだけかもしれない。
それに仮に僕の気持ちを告白したとして、その後僕と星原の関係はどうなるのだろう。今の関係に変化が生じるとして、それはどういう形のものだ?
本当にここで一歩踏み出していいのか。
しかし、これ以上躊躇している時間もなかった。
一番まずいのは何も選ぼうとしないことだ。それならば!
「……わかった」
僕はおもむろに星原の右手に僕の左手を伸ばし、指と指が交互に組み合うように重ねて握手した。星原はむ、と小さくうなった。
どうだ。下手にどれかを選んでまずい結果を引き起こすのならば、いっそ全部選択してしまえばいい。
「なるほどね。そうきますか」
彼女はしてやられたというように呟いた。
「別にどれか一つの指を選べとは言わなかっただろう?」
僕は一瞬降りてきた緊張感をとりなすように小さく笑ってみせた。
これなら『友達』とも『相談相手』とも『恋人』とも、いろんな意味に解釈できる。
星原は「それはいいのだけれど」と小さく僕に囁いた。彼女は少し顔を赤らめながら目を伏せていた。
「今日はこのまま帰るの?」
困ったような顔で、手のほうに目線を移す。
そういえば、このつなぎ方って恋人つなぎというやつではないか。
「……あ、ええっと」
思わず僕の声は裏返っていた。
「そうだな。せっかくだからそうするか」
今更ここで手を離すのもおかしい気がして、ついそんな言葉が口をついて出る。
「うん」と彼女も横で小さく答えた。
結果的にどんな心理テストよりもわかりやすく気持ちを伝えることになってしまったような気がする。もしかしてこれも彼女の計算のうちだっただろうか。
僕は横目で彼女を窺うが、鈍感な僕にはその横顔からは何も見て取れなかった。
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