第35話 心理テストと方便

 ズズーッと日野崎がストローで音を立てて不機嫌そうにアイスコーヒーをすすった。


 その向かいには赤羽くんと巴ちゃんが座っている。


 巴ちゃんはどういう事かという困惑した表情で実の姉と僕らの表情を窺い、赤羽くんは何が起きたのかわからず落ち着かない様子で日野崎と巴ちゃんの間で目線を行ったり来たりさせている。


 無理もない。クラスメイトの女子と一緒に学校帰りに寄り道をして楽しい青春の一ページを作るつもりでいただろうに、唐突にその女子の姉と同級生たちに取り囲まれて、連行も同然の流れで同じ席に着くことになってしまったのだから。


 あれから、僕らは「巴ちゃんと他の男子が一緒にいるところにたまたま通りがかり、声をかけようとしていた」という苦しい言い訳をしながらも、詳しい話を聞かせてほしいからと話し合う席を設けることに成功した。


 もっとも途中からは日野崎がやや力づくで赤羽少年を引きずりこんだ形だが。


 そういうわけで先ほどのカフェの六人掛けのテーブルに、日野崎と僕と星原の向かいに巴ちゃんと赤羽くんと明彦が座るという席順で着席しているわけである。


 しかし何と話を進めたものかわからず、先ほどから気まずい沈黙が続いていた。


 だが流石に沈黙に耐えかねたのだろう。赤羽くんが恐る恐る口を開く。


「あ、あのう。お姉さん」

「君にお姉さんなんて呼ばれる筋合いはないよ」


 ぴしゃりと日野崎が第一声をはねのける。


 娘がたちの悪そうな彼氏を連れてきたときの父親かな。


「ひっ」と赤羽くんが小さく怯えたような声を漏らす。


 そこでサングラスをつけてスタジャンを着こんだ明彦がガシッと肩に腕を回してくる。


「まあまあ。落ち着いて話をしようや。俺たちもできれば事を荒立てたくはないんだよ。だから聞かれたことに正直に答えてくれるよな? 兄ちゃんよ」


 こういってはなんだが明彦が完全に一般人に絡んでいるチンピラだ。


 かぶせるように、相も変わらず不機嫌そうな日野崎が話を切り出す。


「それで、君はうちの巴のことを」

「はい、ストップ」


 僕は思わず横槍を入れる。


「何だい」

「いいから。ちょっとこっちに来て。……巴ちゃん。すまないけど、ほんの少しだけその子とここで待っていてくれ。星原、明彦」


 僕はどうにか日野崎を一度テーブル席から引きはがすと、巴ちゃんたちから少し離れた喫茶店の入り口横まで連れ出した。


「いきなり核心に触れる奴があるか」

「だって、さっきあんたが巴に対してどういうつもりで近づいているのか直接確かめろって」

「だからって巴ちゃんの前で訊くのはまずいだろ。本人を前にしたら正直に言えるものも言えなくなる。下手したら巴ちゃんのクラス内での人間関係に悪影響が出かねないだろうが」

「じゃあ、どうしろってのさ」

「とにかく、聞き出すにしても自分の行動がどんな影響を与えるのか、先を読んで話をしてくれ。たとえるなら将棋を指すときのように、二手くらいは予想するつもりでだな」


 日野崎は僕の言葉にふくれっ面になったが、とりあえずは納得したらしくフンと鼻を鳴らしてしぶしぶ頷いた。


「わかったよ。あたしなりに穏便にあいつから話を聞き出せるように頑張ってみる」

「そうか。……それで、まず日野崎は何から訊くつもりだ?」

「まず、あいつの指を問答無用でへし折って」

「ほう」


 四行前の『穏便』とは一体。


「後ろから腕をひねりあげたまま『聞かれたことにだけ、速やかに答えろ。それ以外の行動は敵対行為とみなして腕を折る』と尋問するつもりだけど」

「ええ……」


 初手からとんでもない一手を指す気だった。


「それで、何て聞くんだ?」

「もちろん『巴のことをどう思っているのか』だよ」

「……もし、彼が巴ちゃんのことを好きだと答えたら?」

「あたしの大事な妹に発情しやがるとはとんでもない不届き者だからね。人間の首がどこまで回転するか試してやる」

「……じゃあ、巴ちゃんのことを嫌いだと答えたら?」

「世界一可愛いあたしの妹を嫌悪するなどとてつもない重罪だからね。三年殺しの刑だよ」

「赤羽くんの人生、完全に詰んでるじゃねえか」


 ちなみに三年殺しというのは空手の秘技である。内臓を一定の強さで叩き外部から破壊し、受けた者は三年以内に死ぬと言われている技だ。


 僕が何とかして目の前の女友達が新聞の三面記事に掲載されるのを避ける方法はないだろうかと頭を悩ませた、その瞬間。


「あーっ! ああ、ああ。そっか」


 明彦が急にポカンと口を開けた後で、ふむふむと納得したような顔になった。


「何だ? どうかしたのか?」

「今日一日見ていて、あいつの物腰が何か気になっていたんだが。あの赤羽ってやつ、巴ちゃんと一度もスキンシップを取ってないんだ。指どころか手も触れあってない」


「そりゃ、もしあいつが巴の手を握るようなことがあったら、あたしが即座に三途の川の渡し賃も握らせてやっているだろうからね」と日野崎が憎々しげに口を挟む。


「そういう事じゃあなくてだな。外見に自信のあるチャラ男くんが女の子を口説こうと思ったら、相手が喜びそうな場所に連れて行って警戒心がなくなったところで、さりげなく体に触れて、親近感をもたせるなんて、基本テクなんだよ」

「そ、そんなもんか?」

「ああ。例えばさっきのゲームでハイスコア出したときなんてハイタッチの一つもできただろうし、カフェに行く途中の隘路なんかも狭いことを理由にさりげなく腰に手を回したりするのなんか常套手段だぜ? だがあいつはそういう場面で妙に固くなって、体が多少触れる方が自然な場面でさえ、巴ちゃんの身体に触れないように気を遣っているような感じだった」

「つまり?」

「ありゃ、典型的な女の子慣れしてないやつの反応だ」


「ふうん。なるほどねえ」と横で話を聞いていた星原は揶揄するように、ちらりと意味ありげな目で僕を見やってきた。


 そんな彼女の反応を黙殺するようにコホンと咳払いをして僕も明彦に見解を告げる。


「僕も実は気になっていたことがある」

「ん?」

「赤羽くんのファッションだよ」

「ファッション?」

「うん。学生服の下に派手な英字の入ったシャツを着て、シルバーアクセサリー付けているだろ?」

「ああ。そうだな」

「しかも、チェーンウォレットまでつけて、学生服だけど精いっぱいストリート系を気取ってみたって感じが伝わってくるよな?」

「ファッション雑誌とかにありそうなステレオタイプな雰囲気の格好をそのまま持ってきたような感じではあるな」

「然りだ。まさに典型的なファッション初心者、今まで地味な恰好しかしてなかった中学生が一生懸命お洒落を頑張っているときにやりがちな奴なんだ」


 横で話を黙って聞いていた星原が小首をかしげながら疑問の声をあげる。


「でも、それをもってあの男の子が巴ちゃんに不埒な行為をするには至らないと判断できるの?」

「もう一つある。あの赤羽くんが持っているカバンに小さなストラップが付いていたんだが」

「ストラップ?」

「あれ、少し前に流行ったアニメキャラのやつだった。それも相当アニメに詳しいやつじゃないと知らないマニアックなヤツ」

「何で月ノ下くんはそんなマニアックなアニメキャラを知っていたの」

「そんな細かいことはどうでもいいだろう。……大事なことは赤羽くんはちょい悪な遊び人を気取っているけれど。実際はギークで女子に声をかけるのも苦手なキャラなのに無理をして、そうふるまっているだけかもしれないってことだ」


 僕の言葉に星原は興味深そうに目を見開く。


「つまり雲仙くんと月ノ下くんの判断では、あの赤羽くんという少年は実は見た目ほど軽薄ではなくて、むしろ女の子と碌に付き合ったこともないと。あの派手な格好も、好きな女の子と出かけるために精いっぱいお洒落した結果だと。そういうこと?」

「ああ」

「多分ね」


 だが、日野崎の方は僕らの意見が気に食わないと言いたげにケッと小さく吐き捨てる。


「そんな、些細な状況証拠で人間の内面を推し量れるものなのかねえ? あんたたちの思い込みと決めつけなんじゃあないの?」

「お前にだけは言われとうないわ!」


 僕と明彦は声をそろえて言い返す。


「それじゃあ、あえて見方を変えてみたらどうかしら?」


 星原は額に手を当てて考え込むような仕草をしながら日野崎の方を向いて提案した。


「私たちはあの赤羽という男の子がどんな子なのかという事ばかり気にしていたけれど、でももう一つ考えるべきことがあるんじゃあないの?」

「何のことさ?」

「巴ちゃん自身の気持ちよ。巴ちゃんはあの男の子のことをどう考えているのかという事」


 日野崎は考えたくなくて目をそらしていたところを突かれたという表情でムムムとうなりながら顔をしかめた。


「ほ、星原は、巴があいつのことを憎からず思っているとでも言いたいの?」

「それは判らない。でも、それでも」


 星原は日野崎を正面から見つめた。その黒目がちの瞳は日野崎に自分の気持ちを見つめなおせとでも言わんばかりに、真摯に彼女に迫る。


「巴ちゃんは姉のあなたがどんな相手と付き合っていても、月ノ下くんや雲仙くんや私と関わっていてもその人間関係に不満や文句を言ったりしなかったわ。そうでしょう?」

「それは、そうだけど」

「それなのに、姉のあなたは巴ちゃん自身の気持ちを無視して人間関係に干渉しようとしている。それはフェアではないんじゃないかしら」

「でも。だけど!」


 日野崎はモゴモゴと口の中で呟いていたが、なんとか星原の言葉に対して反論を紡ぎだそうとする。


「じゃあどうすればいいのさ。巴の気持ちを無視しているっていうけど。巴自身があいつのことをどう思っているか、まだわからないじゃあないか。どう確かめればいいっていうの」

「それは……」


 星原も彼女の反駁はんばくにどう返したものかと、戸惑った表情を浮かべた。


「あいつの目の前で訊けばいいの? どう思っているのかって」


 日野崎が更に星原に詰め寄る。


「待ってくれ。日野崎」

「何だよ」


 彼女は横やりを入れた僕を一瞥いちべつした。


「要は、巴ちゃんの気持ちを確認できればいいんだよな? それも直接的じゃなく遠回しな形で」

「そうだけど」


 それならば。その場しのぎの単純な思い付きではあるが、日野崎の気持ちを納得させるだけならば、あの方法が使えるかもしれない。


「それじゃあ、こんな手でどうだ?」






「待たせたね」


 僕ら四人は、再度巴ちゃんと赤羽くんが待つテーブル席に戻ってきて席に着いた。


「いったい何なんですか? さっきから妙な雰囲気ですけど」


 巴ちゃんが目をぱちくりとさせながら僕らを睥睨した。


「なに、大したことじゃあないよ」


 僕は巴ちゃんをとりなす。一方日野崎は真剣な目をして口を開いた。


「ねえ。赤羽くんといったね。ちょっと右手をだしてもらえるかな」

「え? 何ですか、急に」

「いいから」


 日野崎の有無を言わせない迫力に押されて、赤羽くんは右手を見せる。


「よし、巴。あの中で好きな指を一本だけ取るとしたらどれにする?」

「ええ?」

「深く考えなくていいから。ね? ちょっとしたゲームみたいなものだよ」

「……うん」


 親指は『尊敬』。

 人差し指は『好意』。

 中指は『友達』。

 薬指は『嫌い』。

 小指は『何とも思っていない』。


 僕らがやろうとしているのは、星原がつい先刻教えてくれた指を使った心理テストだ。実のところ、この心理テストにどの程度の信ぴょう性があるのかはわからない。だが要は日野崎を納得させられればそれでいい。方便として機能してくれればそれで十分なのだ。


 肯定的な結果なら、日野崎に巴ちゃんは彼を悪く思っていないのだから手を引こうと言い聞かせられる。逆に否定的な結果ならそういうことなら巴ちゃん自身がいずれ彼を振るだろうということで日野崎を納得させるつもりだ。


 もっとも後者の場合、日野崎が先走って力づくで赤羽くんを排除する恐れもあるから、上手く日野崎の行動を誘導する必要があるのだが……。


 果たしてどうなる?


 僕も巴ちゃんの手の動きを黙って見守った。巴ちゃんは戸惑いながらも彼の指を一本選んで手に取る。


 彼女が選んだのは…………。


 小指だった。


「いやあ。残念だったねえ。赤羽くんとやら?」

「へ? はあ……」

「そうかあ。小指かあ。そうだと思ったよ、うん」


 日野崎は顔に『やったぜ』と書いてあるかの如く満面の笑みを浮かべていた。


 赤羽くんは日野崎の態度が急変したので、何が起こったのか理解できない様子で呆然と彼女を見る。


 だが日野崎の方はもう彼への興味をほとんど失ったようで「さて」と立ちあがる。


「それじゃあ、巴。あまり遅くならないようにね。……しつこいようだったらズバッと断って帰ってくるんだよ」


 彼女は母親が子供に言い聞かせるような調子で巴ちゃんにそう言い放った。


「まあ。そんなところか」と明彦も小さく呟いて席を立つ。


「お邪魔して悪かったね。……二人ともどうぞごゆっくり。行こうか、星原」

「……ええ」


 そのまま鼻歌交じりに席を離れていく日野崎の後を追うように僕も歩き始めた。


 が、ふと振り返ると星原がまだテーブルの所に残っている。何やら巴ちゃんたちと二言三言、話しているようだった。


「どうかしたのか?」


 僕の呼びかけに彼女は無表情で振り返る。


「いいえ。……何でもないわ」


 彼女は小走りに僕に近づいてきて、そのまま一緒に店を出た。

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