心理テストと疑似相関

第30話 雨の日の憂鬱と心理テスト

 ある男が酒場で論理学の教授と出会い、こんな質問をする。


「論理学ってのはどういったもんですか?」


 教授は答える。


「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」

「ありますよ」

「ということは、広い庭があるわけですね?」

「その通り! うちには広い庭があります」

「ということは一戸建てですね?」

「その通り! 一戸建てです」

「ということは、ご家族がいますね?」

「その通り! 妻と二人の子供がいます」

「ということは、あなたはゲイではないですね?」

「その通り! ゲイじゃありません」

「つまりこれが論理学ですよ」

「なるほど」


 深く感心した男は、翌日友人に会った時に言った。


「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」

「いや。ないよ」

「ということは、君はゲイだな!」


 これは有名なアメリカンジョークの一つだ。


 冗談の笑いどころを解説するのは無粋の極みではあるが、あえて説明するなら、この教授は芝刈り機があるという事実から因果関係を積み重ねて、同性愛者ではないという結論を出したのに、主人公の男は「芝刈り機がない」という事実だけで短絡的に「同性愛者だ」と結論を出してしまう滑稽さが笑いどころである。


 このジョークの主人公を愚かと笑い飛ばすのは簡単だが、しかし時に人は日常の中でこういう因果関係を無視した発想を気づかずにしているのではないだろうか。


 例えば一時、「長い財布を使うと人生で成功する」という説が流行り、長財布の売れ行きが好調だったことがある。


 これは大会社の社長などはお金を尊重しているので札が折れ曲がることを嫌うから長財布を好んで使用していたという理屈、つまりは経済観念の高さの表れという事らしい。


 つまり経済観念の高さから長い財布を使っていたのに、いつしか「『成功者はみんな長財布を使っている』つまり『長財布を使えば成功する』」というふうに因果関係が逆転して、買う人間が増えたということのようである。


 こういう考え方を重視しすぎて振り回されるのはどうかとは思うが、しかし理解したうえで雑談のネタにして日常のスパイスとするのは悪いことではないと思うのだ。


「なあ、明彦は腕時計を買うとしたら、どんなタイプのやつが欲しい?」


 空にはどんよりとした鉛を薄めたような色の雲が広がり、秋雨が少し冷たい空気の中を貫くかのように僕らの上に降り注ぐ。


 晩秋のある平日の朝。傘を差した僕は隣を歩く明彦に話しかけた。


 時間は八時を過ぎたところで僕らの他にも登校中の生徒がちらほらと周りに見えている。


「唐突だな。俺は腕時計なら、もう持っているぜ?」

「だから、もし新しいのを買うとしてってことさ。どういう基準で選ぶ?」


 僕の質問に明彦はそうだな、と首をひねりつつ口を開いた。


「俺なら耐久性が高くて壊れにくい、デザインは男らしいやつがいいかな」


 僕はその明彦の言葉を吟味して、しばし沈黙してから応えた。


「……つまり、明彦の好みのタイプって日野崎なのか?」


 僕は眉をひそめながらボーイッシュで元気いっぱいな女友達の名を挙げた。


「何故そうなる」

「いや、この間聞いた心理テストなんだけどさ。腕時計の選び方は、恋人を選ぶ基準なんだって」

「ほほう。つまりお前は日野崎を壊れにくくて、男らしいと認識しているという事か? あいつに聞かれたらお前の身体の耐久性を試されることになりそうだな」

「あ、うん。それはあるね。……日野崎、怒ると結構怖いもんね」

「まったく、心理テストだあ? ただでさえ雨で憂鬱になっているときによくもまあ、そんなくだらない話題を振る気になるな。いや、そのセンスに脱帽だね」

「そこまで嫌みな言い方をすることないだろ。憂鬱な気分だからこそ何か気晴らしになりそうな会話をと思ったのにさ。それだけ言うなら、さぞ明彦は雨の日でも明るい気持ちになるようなウィットとセンスに富んだ話題をもっているんだろうね?」


 僕が半眼になりながら睨むと、明彦は「むう」と数秒間、宙を見つめてから口を開いた。


「心理テストというかはわからんが」

「何?」

「女の子の傘の色は下着の色と同じという話を聞いたことがある。身に着ける装飾品は当然自分の好みのものを選択するからな。そうすると下着と傘の色が似てくる、なんてこともありえるというわけだ」

「何かと思えば、そんな話? 僕以上にくだらない話題じゃないか」

「バッカ、お前。男にとって、これ以上に雨の日に元気が出る話題があるか。いやない。そこを歩いているあのOLさんのスカートの下も、向こうを歩いていた女子大生のブラウスの向こう側も見通すことが可能かもしれんのだ。そう、雨の日ならね」


 いくら何でもこじつけすぎる。


 僕が反論を口にしようとしたその時。「騒がしいね」と背後から声がかけられた。


「何か面白いことでもあったの?」


 そこに立っていたのは眼鏡をかけて、髪をポニーテールにして結んだ清楚な雰囲気の少女。クラス委員の虹村志純だった。


 成績優秀にして明眸皓歯。生真面目で規律に厳しいところがあるので、近寄りがたく感じている者もいるが、その体つきは結構女性らしく丸みを帯びていて、肉感的な風情がある。


 ベージュの上に白いレース模様の傘を差した彼女はきょとんとした顔で僕らを見ている。


 ベージュに白いレース、か。僕はしばし黙り込んで彼女を凝視した。


「……いや、何でもないんだ。雨の日は憂鬱だよなって話していたところ」

「ああ。そうだよね。電車とか混んでいるとなお嫌になるもの」


 一瞬顔をしかめて空を見上げた彼女は傘と腰をかすかに揺らしながら優雅に歩き去っていった。


「意外と当たっているのかもね」

「そうだな」


 僕と明彦は何とも言えない顔を見合わせながら小さく呟いた。

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