第31話  疑似相関

「心理テストねえ?」


 目の前の少女は双眸をぼんやりと輝かせながら、小さく呟いた。


 翌日の放課後、二年B組の教室である。


「そういうのって、縁起担ぎとか占いと似ているところがある気がするのよね」


 僕と明彦が帰り際に昨日の心理テストの話の続きで、盛り上がっていたところに非常に珍しいことだが星原も入ってきた。


「占い? 例えば?」

「例えば血液型占いとか星座占いよ。よくあるでしょう。A型は几帳面。B型はマイペース。O型はおおらか。AB型は気分屋だとか」


「ああ。そういうやつか」と明彦も横で頷いた。


「確かにな。星座占いとか言ったってさ。種類が血液型より多いから何となく信じたくなるが、人間の運命が十二種類に分類されるわけでもないだろうからな」

「ただし、そういう類のものが全くのインチキかというとそうとも言い切れない。例えば、四月から六月あたりに生まれた人は一月から三月に生まれた人と比べて、同じ学年でも半年以上早く成長するわけでしょう。小学生くらいだったら、体格にそれなりに差が出てスポーツで有利だったりする。それで子供のころから運動で活躍した経験が人間性に影響を及ぼすなんてこともあるわ」

「そうか? しかし、冬に生まれたけど運動が得意な奴だっているだろう」


 明彦の言葉に星原は肩をすくめつつ答える。


「そうね。……だから『絶対』ではなく、あくまでもそういう傾向があるという話。それとラベリング効果というのもあるのかもね」

「ああ。相手に対して褒めたりけなしたりすると、その影響を受けて本当にそうだと思い込んじゃうってやつか」

「ええ。血液型占いに性格が影響されて、A型だから自分は真面目なんだと周りに言われて本当に真面目になったり。他にも例えばある桜の木が満開になった時に、男女が一緒に見に行くと結ばれるというジンクスがあったとする。そのジンクスを前もって知っていた二人が偶然一緒になったら意識してその気になる、なんてことはあるかもしれないでしょう」


 横で星原の考察を聞いていた僕は「それじゃあ」と口を出す。


「つまり、占いとか心理テストの類は一種の統計学と心理的な効果の組み合わせで必ずしもインチキとは言い切れないってことかな」

「うん。ただ問題は、この手の話は疑似相関が入り込んでくることがあるということなの」

「疑似相関?」


 聞いたことはあるが、ぴんと来ない言葉だ。


「相関っていうのはあれだよな。喫煙者の人口と肺がんになる人間の数が相関関係にあるとかいうな」

「そう。要はある物事が他の物事に影響を与える関係なんだけど。疑似相関っていうのはそう見えるだけで実際には相関関係や因果関係がないものをいうの」


「よくわからんな」と明彦が首をひねる。


「例えば、ある研究所が赤ワインを飲んでいる人の健康状態を調べたら、総じて体脂肪率やガンになる確率が低いという結果が出たの」

「ああ。ワインはポリフェノールが含まれていて体にいいとか言う話か」

「でも、そもそも赤ワインって今でこそ一般化しているけど元々はちょっとした高級品でしょう。……つまりね、赤ワインを定期的に飲むような人たちってそもそもある程度財産に余裕がある富裕層だったのよ」

「それは、食べるものにも困っていなくて、毎日規則正しい生活を送れるだけの余裕もある人種ってことか」

「そういうこと。つまり『赤ワインを飲む』から『健康的』なのではなく、『赤ワインを定期的に飲むくらいに生活レベルが高い』から『健康』な人たちが多かったわけ」


 明彦はあらら、とぼやくように呟いた。


「因果関係が逆転していたわけだ。そりゃあワインの販売会社もがっかりしただろうな」


 僕も横で頷いた。


「なるほどね。天気とかでも『鳥が低く飛ぶと雨が降る』なんていうけど、雨が降りそうなくらいに気圧が低いから鳥が低く飛ぶんであって、鳥が低く飛ぶから雨が降るわけではないということか」


 星原はそんな僕らに同調するように微笑すると「でもね」と話を続けた。


「全部が全部インチキという訳でもないし、お遊びの範疇でならそういうのに乗ってみてもいいと思うわ。……例えば雲仙くん。右手を月ノ下くんに差し出してみて」

「こうか?」


 明彦は怪訝な顔をしながら、星原の言葉に従う。


「月ノ下くんはどれでもいいから、好きな指を一つ選んで引っ張ってみて」

「好きな指、ねえ」


 何となくだが端っこの親指や小指は選びづらい。といって人差し指もなんだかなあ。


 素直に選ぶなら中指だ。


 だが、つい天邪鬼な心持が芽生えて、僕は結局薬指を選んでいた。


「……えーと」


 星原は困ったような顔をしてからおずおずと口を開く。


「これは相手をどう思っているのかを現していて、親指は『尊敬』、人差し指は『好意』、中指は『友達』、小指は『何とも思っていない』なんだけど」

「薬指は?」

「『嫌い』」

「すごいな。当たっているよ!」

「何だと。待て、てめこの」


 ほっぺたをつねりあう僕と明彦を見て、星原は「あ、あくまでお遊びだから、ね?」とフォローを入れようとする。


 まあ、こんな風に臆面もなくじゃれつくことができる時点で、明彦と僕の関係がどんなものかなんて心理テストを使うまでもなさそうではあるが。


 と、僕らが教室の片隅でひと騒ぎしていたそのさなか。ガラッと音を立てて教室の扉から一人の少女がゆらりと這入ってきた。


 セーラー服に髪を結いあげた活発そうな髪形。僕らの愛すべき女友達、日野崎勇美だ。


 だが、今はその表情は幽鬼のように青ざめ、全身に暗い空気を纏っている。


 彼女はさながら生ける屍のようにフラフラとした足取りで僕らの席に近づいてきた。


 僕らは思わず静まり返って、彼女を凝視する。


「ど、どうした日野崎」


 いつも元気はつらつを絵にかいて額縁に入れて飾ったかのような有様なのに、まるで別人だ。どろりとした目つきで彼女は僕を見やると小さく呟いた。


「……きた」

「え、何?」

「巴に男ができたんだよ!」


 日野崎はその場に崩れ落ちるように僕らのたむろしていた机にしなだれかかる。


「え。巴ちゃんに?」


 日野崎には巴ちゃんという中学生の妹がいる。日野崎と雰囲気は似ているが、姉の日野崎に比べると巴ちゃんの方は目がぱっちりして少し幼げな印象の可憐な少女だ。綺麗というよりも可愛らしいという形容がよく似合う。


 そして日野崎はその巴ちゃんを溺愛しており、危害を加える者、下心を持って近づく者には容赦しないという習性があるのだ。


 明彦も僕の横で呆然と呟く。


「バカな。あの巴ちゃんが俺以外の男に汚されるなど。この世に神はいないのか」

「あんたに汚させるつもりもないよ。あの世で神に会わせたろか」


 死にかけていた日野崎が一瞬目を鋭くさせて毒づいた。


「えっとさ。日野崎」


 僕は不発弾を解体する爆発物処理班のような気分で恐る恐る口を挟む。


「巴ちゃんに彼氏っていうか、その親しい男友達ができたって何で判ったの」


 日野崎は僕の言葉に「はあ」とため息をついてから話し始めた。


「昨日の学校帰りなんだけどね。いつものように最寄り駅から家に帰る途中で、巴が前を歩いていることに気が付いたんだよ」

「うん」

「けどね。雨の中、巴が差している傘にもう一人男が入っていたんだ。多分制服からして巴と同じ中学校の男子だろうけどね」


「つまり相合傘ってか」と明彦がぼそりと声を漏らすと、日野崎は異を唱えるかのように明彦を睨みつけた。


「……まあ、形だけならそうなるね。形だけならね。それで、そいつとは商店街のところで別れたんだけどさ。巴にその後さりげなく追いついて聞いてみたら『同じクラスの男子だ』『帰る方向が同じで、傘がないっていうから入れてあげた』っていうんだよ」


「へえ」と僕が相槌を打つと日野崎は「それだけ?」と詰問するように僕に詰め寄る。


「え? それだけって?」

「もうこのニブチン!」


 ニブチン?


「おかしいとは思わないの? 昨日は『朝も雨が降っていた』じゃないか。その後一度止んだけど夕方からまた降り出した。朝も降っていて帰りも降っていたのに傘を持ってきていないなんてありえないだろ!」

「ああ。確かに登校の時にはどうしたのかって話になるもんな」

「きっと、適当な理由をつけて巴と同じ傘に入ろうとしたんだよ。巴は優しい子だから傘がなくて困っていると言われたら断れるはずがない。つまりあいつは本当は傘を持っていたのに巴の優しさに付け込んで、わざと持っていない振りをしたんだ」

「そ、そうなのかなー」

「そして雨に濡れないようにという大義名分のもと、巴との物理的距離を縮めて、あわよくば肉体的接触を図ろうとしていたに違いないんだ」


 星原も「へ、へえ」と呟きながら横で目を見開いて日野崎の言葉に聞き入っていた。口元がひきつっているところから見て、日野崎の意外な一面に驚いているか、あるいは引いているのかもしれない。


 僕は日野崎をとりなすように穏やかに声をかける。


「しかし、たまたま困っていたから同じ傘に入れてあげたというだけであって、それで巴ちゃんがその男子と付き合っているということにはならないんじゃないか?」

「話はまだ続きがあるんだ」


 日野崎は陰鬱な表情で机の上に両肘をついて、手の上に顎を乗せた。


「その後、家に帰ってから巴の部屋の前でたまたま聞き耳を立てていたら、電話で話していたんだよ」

「なんか気になるワードをぶっこんできたな」

「聞き耳ってたまたま立てるものなんだ……」


 明彦と僕は微妙な表情で顔を見合わせる。


「そしたら、『今日の傘のことなら気にしないで』『お礼にお店で奢ってくれるの? ありがとう』みたいな会話が聞こえてきたんだ」

「ふうん。『傘のこと』という話からして電話の相手はその男子ってわけか」


 日野崎は僕の言葉に頷いて話を続ける。


「それで巴がお風呂に入った隙に、携帯電話の四桁ロックを解除してメッセージのやり取りを確認したんだ」

「今、さらっとすごいことを言ったよ?」

「常日頃からパスコードを確認済みってことか?」

「そしたら、どうもその男子、赤羽ってやつらしいけど、今日の学校帰りに待ち合わせして、一緒に人気のカフェに寄り道しようってつもりらしいんだよ」

「な、なるほど。確かに、傘に親切に入れてあげるのみならず、一緒に帰りにどこかに出かけるとなるとそれなりに親しい間柄ということなのかもしれないな」


 僕はふんふんと頷いた。


「そういうわけだから行くよ。あんたたち」

「えっ?」

「どういうわけ?」


 唐突に宣言して立ち上がる日野崎に明彦と僕は困惑した。


「あんたたちも『巴ちゃんを見守り隊』の一員でしょうが。このまま見過ごしていいの? いいっていうの?」

「そんなアイドル親衛隊のようなものに入隊した覚えはないが」

「つまり僕らにどうしろと」

「だから、巴とその赤羽とかいう男子を尾行するんだよ。それで不埒な真似をするようならそのまま現場を取り押さえて、二度と巴に近づかないようにギッタンギッタンにしてやるの!」


 日野崎は顔を真っ赤にして僕ら二人に言いつのる。


「ああ、なるほど。そういうこと」とそれまで無言で聞いていた星原が立ちあがる。


「そういうことなら心配だから、私も付いていくわ」

「いいのかい? ありがとう! 星原も心配してくれているんだね」

「勿論よ」


 星原は日野崎に答えながらも僕に「安心して」と言いたげに目配せしてウインクして見せた。


 多分、星原も日野崎が無茶をすることを心配してくれているのだろう。何か問題を引き起こす前にブレーキ役を買って出るつもりでいるのかもしれない。


「よし。準備は良いね。それじゃあ、行くよ!」


 日野崎は僕らを先導するかのように、教室の扉から足を踏み出して僕らを急き立てたのだった。

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