第29話 作られた幽霊部員、そして結末
「この演劇部における『佐藤進』というのはね。部長のための部内の意見調整装置とでもいえばいいのかな」と彼女は僕らに「佐藤進」にまつわる話を語り始める。
始まりは十年ほど前の演劇部で起こったある出来事だったらしい。そのころの演劇部は今より殺伐としていて、一年生たちが上級生たちと対立し、部長の指示にも従わない状況だったそうだ。
だがある時、演劇部の一年生の一人、最も反抗的だった一人が劇の後片付けの最中に演劇部室で、電気ストーブの前に衣装を置いていたために
当事者はばれないうちにどうにか消火して、その場から逃げ出した。しかし生徒が喫煙していたのではないかと勘ぐった当時の顧問の教師はこの部室内の不審火事件を重く見て、後片付けを担当している一年生から犯人捜しをしようとした。
このままでは部員が何らかの処分を受けることになる。いや演劇部そのものが無期限の活動休止になるかもしれない。そう考えた当時の部長は犯人役として「架空の部員」をでっちあげることにした。
「でっちあげるって、どうやって?」
「実はね、この時演劇部の一人に『佐藤進』という部員がいたの。もっともほとんど参加しない幽霊部員だったけれど。そして、それとは別にちょうど事件と同じ時期に、うちの学校から親の事情で遠くに転校した生徒がいた。たまたまの偶然なんだけど彼も同姓同名で『佐藤進』という名前だった」
「まあ苗字も名前も珍しくはないが、ちょっとした偶然だな。……あ、もしかして」
「ええ。当時の部長は事件を起こしたのは、『転校していった佐藤進だった』ということにした。幸運にも二人とも同じクラスで、入部届を改ざんする必要もなかったからね。元々、演劇部員の方の佐藤進は幽霊部員ということもあって、顧問の先生も顔を良く把握していなかったから誤魔化せたの。あとは部員に口裏を合わせるようにさせて、どうにか真実は隠し通した」
「ふむ。教師も犯人がすでに退部して転校した後ではわざわざ責めようとはしなかったわけか」
部長をはじめとする先輩たちに助けられた一年生たちは、それ以降態度を改めた。危うく不祥事になるところではあったが、結果的に部内の結束は高まったという。
その後の部活動では誰かが失敗してもあえて責めずに「また佐藤がやったか」と冗談として言うようになったり、逆に公開に間に合わないような過密スケジュールでもどうにか上手くいったときに「きっと佐藤くんも手伝ってくれたのね」と、存在しない「佐藤」を実際に部の一員であるかのように扱うのが習わしになった。
「それから、『佐藤くん』を作り出した部員たちは卒業してしまったのだけれど、代替わりした後も形を変えて継続したの。例えば、何代か前のある代の部長は部員用のチャット掲示板を作った時に『佐藤くん』の分のIDも作成した。それは遊び心でもあったけれど目安箱としての意味もあったの」
「目安箱?」
「つまり、部の運営に不満や是正点があった時に、気兼ねなく意見を出せるように部員なら誰でも使える匿名のフリーIDとして使っていたの」
「なるほど。……モデスタ・ヴァレンティ通りか」
「ん? 何ですって?」
「いや、なんでもない。続けてくれ」
「……その後も『佐藤くん』はいろいろな使われ方をした。ある代の部長は、……あ、男子生徒だったんだけど、メールグループを作るときに『佐藤』という部員がいる体でフリーメールアドレスを登録して、後輩の女子部員を口説こうとしたりしていたんだって。自分の評判を聞いてみたり、自分を褒める発言をさせたりね。その頃には『佐藤』が架空の部員だって知らない部員も多くなっていたから、セクハラみたいな質問をされた時に、つい答えてしまったりして、あとで発覚して大問題になったの」
僕は呆れたように呟く。
「おいおい。明彦みたいなやつだな」
「誰がだ。むしろそういう事を思いつくのはお前だろう」と明彦が毒づき返した。
「そういう事もあったから一時期使われなくなったこともあったけど、その後も部員の意見を誘導する時に、部長が一般部員『佐藤』に成りすますなんて使われ方もしていた。……まあ、さっき私が部内の意見調整装置といったのはそういうわけ」
「烏山さんは今までそういう使い方を?」
「いいえ。今回が初めて。ただ『佐藤』という存在そのものは部長から代々引き継がれていてね。今となってはこのあたりの事情を知っているのは部長の私だけだと思う。……ああ。協力してくれた高井戸くんと一部の二年生、それと飛田くんには話したけどね」
これでおしまい、と烏山さんは締めくくるように呟く。
ふと気が付くと、かすかなざわめきがあたりから響いてきている。演劇部員たちなのか、ホールの中に何人かの生徒が目立ち始めた。
僕は興味本位で最後に烏山さんに尋ねた。
「烏山さんは『佐藤くん』はこの部にとって良い部員だったと思う?」
僕としては「佐藤」という存在はこの演劇部にとって、いい影響を与えているのか、それとも害悪なのか、これからも引き継ぐつもりなのかという意味合いの質問だった。
一応、他の演劇部員に聞かれても問題ないように言い回しに気を付けたつもりだ。だが烏山さんは僕の意図を知ってか知らずか、ただこう答えるだけだった。
「『佐藤くん』は、良いところもあるけど、悪いところもある。どこにでもいて、どこにもいない。そんなごく普通の部員よ」
例えば、他人が自分の知らない単語を話題に出したとき。
あるいは、物語の核心が明らかにされないリドルストーリーにふれたとき。
人は隠された対象に対し、様々な想像を掻き立てられる。
それが明らかにされないうちはそれがなんであるのかとは関係なく、自分の中で独り歩きする虚像こそが観測者にとっての真実なのかもしれない。それはまるで心を映す姿見だ。
部長の烏山さんが最後に返した答えもそういう意味合いを示唆していたのだろうか。
ある人にとっては『佐藤くん』とは優しい部員で、別の人にとっては部内の意見を反映させる道具であり、またある人にとっては部内の人心掌握のための手段。
それはその時々の演劇部長たちの人間性を投影しているかのように僕には思えた。
烏山さんたちから話を聞かせてもらった後、僕と星原、それに明彦と日野崎はイベントホールを後にして教室へ戻るべく廊下を歩いていた。
「なあ。星原」
「どうしたの?」
「……いや、リドルストーリーとかってさ。結末や設定の一部が明らかにならないまま終わるからこそ、想像力を掻き立てられて、魅力的に思えるものなんだよな?」
「そうね。そういう一面もあるかもしれないけど。それがどうかした?」
「仙川さんはさっき飛田くんを追いかけて、どんな言葉を伝えに行ったのかなと思ってさ。……もしかしたら仙川さんが『佐藤くん』に惹かれていたのは、自分の前に姿を現さないからこそミステリアスで魅力的に映ったんじゃあないか、って思ったんだ」
少し前を歩いていた明彦も僕の言葉を聞きとがめて振り返る。
「あー。そりゃ有り得るね。『自分の努力を認めてくれて、陰ながら支えてくれる謎の後輩。もしかしてすごい美少年なのかしら』なーんて期待していて、その正体があの飛田だったわけだろ? 幻滅したかもなあ。……やっぱ振られたか、ありゃ」
日野崎が眉をひそめながら反駁する。
「それはわからないでしょう。むしろその逆かもよ。顔も知らないままメッセージのやり取りで好きになったってことは、仙川さんは外見じゃあなく内面で飛田くんが演じる『佐藤くん』を好きになったのかもしれないじゃない」
「どうかね。女子なんて、一度好きになった男でも自分の理想と違う一面が見えたらあっさり切り捨てるんじゃあないのか?」
「ほーう。女の子と付き合ったこともないのに、女性を語っちゃいますか」
「付き合ったことはないが、振られたことならたくさんある」
「なぜそこで胸を張るのかな」
僕は星原はどう思っているのかと目を向けると、彼女は小さく鼻を鳴らしてこう答えた。
「どちらでも良いじゃあないの。私たちが頼まれたのは幽霊部員『佐藤くん』の所在を突き止めることであって、それは果たしたわ。それ以上のことを勘ぐるのは野暮ってものでしょう」
「まあ。そうかな」
いずれ仙川さんが飛田くんとどういう関係になったのか、噂が耳に入ってくることもあるかもしれない。だが今のところは、僕らにとって知るべきでない仙川さんたちのプライベートだ。
「それにしても、仙川は結構スタイル良かったなあ。飛田と付き合うにはちょっともったいないぜ」
明彦のぼやきに僕も同意する。
「確かにボディラインもメリハリがあって、綺麗系女子って感じだったかな」
そんな風につぶやく僕を、日野崎が目を丸くして見ていた。
「……? どうかしたのか、日野崎」
「いや。あたしは今、地雷原の上でタップダンスしている奴を見た思いだよ」
どういう意味だろう。
次の瞬間。がしっと誰かが僕の肩を掴んだ。
ぎくりとして振り返ると星原がにこやかな笑顔で僕を見ている。
「月ノ下くん。ちなみに最も有名にして最初期に書かれたリドルストーリーはストックトンという作家の『女か虎か?』という短編なの。女心をテーマにした傑作だから今度貸してあげるわ。是非読んでちょうだい」
どちらかというと星原自身が虎なのではないかと一瞬思うほどに彼女の双眸はギラギラと鋭く僕をにらみつけている。
「は、はい」
「それじゃあ、日野崎さん。協力してくれたお礼よ。二人で報酬にもらった焼きティラミスをいただきましょう」
「あれ? 僕の分は?」
「貴様に食わせる焼きティラミスはない」
ドスのきいた声が返ってきた。
「ちょっと待ってくれ。いや、星原も勿論可愛いなと常日頃から僕は思っているから。……待ってくれってば」
「知らない」と星原は取り付く島もない様子だ。
「お前も苦労するなあ」と横で明彦が呟く。
初めて耳にする単語の意味よりも、どんなリドルストーリーの結末よりも、とりあえず今は彼女の機嫌をなおす言葉を知りたいと僕は心から思ったのだった。
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