第28話 真相
烏山さんは仏頂面の仙川さんをとりなすような、子供に言い聞かせるような調子で言葉を紡ぐ。
「別に、あなたを傷つけたり貶めようと思ったわけではないの。ただ、こんなことは言いたくないけれど仙川さんは演劇に真剣に向かい合うあまり、物事を固く考えすぎているきらいがあると思うの。そしてあなたのその態度が部の雰囲気を悪くしているところがあったのよ」
仙川さんはその言葉にますます眉を吊り上げる。
「私が、部の雰囲気を悪くしている? いったい何のことだ? 私はいつだって演技に真摯に向かい合ってきたつもりだが」
「ほら、そういうところよ」
「何がだ。意味が解らない」
「あー。ちょっといいかしら?」
無表情におずおずと手を挙げたのは星原だった。
「確認したいんだけど、演劇部って部活に真剣に打ち込むためとか、演技に影響が出ないようにとかで『部内恋愛禁止令』が出ていたって話だったのよね? 日野崎さん?」
「あ、うん。そういう風に主張している人もいたって話」
「それは、誰の意見だったのかわかる?」
日野崎は記憶を探るように記憶を探るように宙を見上げていたが、やがて言いにくそうに言葉を続けた。
「えっと、確か。……人から聞いたはなしだけれど、仙川さんだって」
僕らの目線は仙川さんに集中した後、すぐに烏山さんと高井戸に移行した。
僕は、今回の動機についてすぐに思い当たるものがあった。おそらくこの場の他の人間たちも同様に察しただろう。
僕らの内心を代弁するかのように星原がさらに話を続ける。
「つまりこういう事? 烏山さんと高井戸くんは少し前から恋仲になっていた。けれど、同じ演劇部の仙川さんは以前から部内で恋愛をすることに否定的だった。そしてそれなりに実力もあったから、正面からその意見を否定することもできなかった。そこで架空の新入部員『佐藤進』をでっちあげて、メッセージアプリでやり取りしながら彼女の心を掴み、男女交際についての反発心を軟化させようとした」
仙川さんは烏山さんと高井戸を交互に見やる。その内心ではどんな感情が渦巻いているのかははっきり判らないが、彼女が瞳に黒い炎のような何かを宿らせて唇をかみしめているのが見て取れた。
「そうなのか?」
絞り出すような仙川さんの声音に対し、烏山さんは反論せずにただこう続けた。
「仙川さん。あなたは誰よりも演劇に一心に打ち込んでいたし、身の回りのどんな娯楽にも目をくれずに、部活での練習を優先させていた。そこは賞賛するべきところだと思うよ。でもみんながみんな、あなたみたいにやれるわけじゃあない。ううん、むしろもっと気楽に演劇を楽しみたくて部活に入ってきた人もいるの。でもそういう人たちは、あなたのそういうストイックすぎる考え方に委縮していたんだよ」
「だからって、こんな私をよってたかって騙すようなやり方が正しいと思っているのか? 私は、私はな。本当に心配していたんだ。親しくやり取りをしていた相手が急に連絡が取れなくなって、行方を探そうにもこの学校にいたのかさえはっきりしない。私がどんな思いでいたのか、わかっているのか!」
怒りをあらわにした仙川さんに飛田くんはいたたまれない気持ちになったようで、その大きな体を縮こまらせていた。
そういえば彼は仙川さんを特別尊敬しているようだったな。
しかし、そうだとすると彼はなぜ仙川さんを騙すようなこの計画に協力したのか。
僕の頭をかすめた疑問をよそに、明彦が「それぐらいにしておけよ。仙川」と呟いた。
「何だい? 君には直接関係のないことだろう」
「ああ。それはその通りだ。……だがな、横で聞く限りお前さんの主張が絶対的に正しいとも思えない。恋愛よりも部活に集中するべき? なるほど。良い演劇を作るのには、内部で馴れ合うよりストイックに脚本に向き合うべきかもしれないな。……でもよ。それを他人に押し付ける権利はどこにもないだろ」
仙川さんはふんと鼻を鳴らす。
「それならそれで、私に直接そういってくれればいいじゃあないか。逆に聞くが、こんな私を騙して気持ちを弄ぶやり方を肯定するのか?」
「さあな。俺はそもそも演劇部員でもないし、彼女もいない。だから烏山や高井戸の立場に立ったときに他に取るべき選択肢があったかどうかなんてわからん。でも、お前さんが月ノ下や星原に協力を頼んでまでして『佐藤進』に会いたいと思ったのは何故だ? 顔も知らないそいつのことを好きになったからじゃあねえのか?」
仙川さんは明彦に対し、言い返したそうな顔をしていたが何といえばいいのかわからない様子だった。
「今なら、恋愛ってやつが必ずしも否定したものでもないってこと、仙川はもうわかっているんじゃあないか? 遠回しで褒められたやり方でないにしても烏山たちは烏山たちなりに仙川に自分たちの価値観を理解させようとしたんじゃないか?」
仙川さんは明彦の言葉を否定するでもなく息を詰まらせるようにうつむいてから、烏山さんに向き直った。
「部長。佐藤くんが私とやり取りしていたときのメッセージ、あの文面は部長や高井戸が考えたものなのか?」
烏山さんは仙川さんの質問に少し沈黙してから静かに「いいえ」と応えた。
「確かに私たちは、最初のうちは飛田くんに仙川さんが好きそうな話題とかどんな文面を送ればいいか、ある程度のアドバイスはしたよ。……その、仙川さんが好意を持つくらいの理想の男の子を演じてもらわないといけなかったから。でも途中からは飛田くん自身に任せていた」
「じゃあ、あのやり取りは飛田くんの本心なのか? それとも……」
仙川さんは飛田くんを見やった。自然と皆の視線も飛田くんに引き寄せられる。
飛田くんは急に自分に注目が集まって、おどおど落ち着きなく周りを見回した。
「あ、あの僕は。本当のこと言うと、最初仙川先輩のことがちょっと怖かったんです。演技はすごいけど周りに求めることも厳しくて、きつい人なのかと思っていました」
「私は、そんなに強硬的な人間に見えたかな」
仙川さんは飛田くんにおどけるように笑って見せた。僕はこの場にきて初めて仙川さんの態度が緩むのを見た。
「だから、僕が一年生で仙川先輩からの目が届きにくくて、アカウントを作れるタブレットを持っているって理由で、烏山部長に仙川先輩に他人のふりをしてメッセージアプリでやり取りをするように頼まれた時も最初は困惑していて。……いや無理だと思っていました。自分なんかが仙川先輩と親しくなるなんて」
飛田くんは人に注目されながら話すのに慣れていないのか、つっかえつっかえそれでも必死に彼が抱え込んでいた心情を語ってみせる。
「だけど、部長の頼みだったので断るに断れなくて。それでやり取りを始めたら、仙川先輩は内面ではいろいろ演技に悩んでいたり、演技の勉強もかねてアニメとかも見ていたり、意外と親しみやすい人なんだってわかって。それで、それで僕は先輩のことを見る目が変わってきたっていうか。だから、送っていたメッセージも途中からは本当に思っていたことを書いただけで」
「もういい。わかった」
仙川さんは、はあっとため息をついた。先ほどまでの激情はとりあえず収まったらしい。
なるほど。尊敬する先輩なのに、どうして騙すことに協力したのかと思ったが、事実はその逆で、騙してやり取りをしているうちに尊敬するようになったのか。
だが、まだ疑問がある。
僕は「ちょっと横やり入れるようで悪いけど」と前置きをして口を開く。
「飛田くんに訊きたいんだが、仙川さんが『佐藤くんに会いたい』って言いだした時に、何で連絡を取るのを止めたんだ?」
「えっ」
「いや、会うことはできないってのはわかるけど、それにしたって何もいきなりやり取りをストップすることないだろう。元々、家庭の事情で部活になかなか顔を出せないって設定だったんだからさ。『遠くに引っ越すことになった』とか適当に理由つけて断ればよかったんじゃあないか?」
「それは、その。……びっくりして。だって、困るじゃあないですか」
「困る? だって、そもそも佐藤という架空の人間に成りすまして、仙川さんの気を引くのが目的だったんだろう? それを達成できたのに何が困るんだ?」
その時、さっきまで黙って会話を聞いていた日野崎が「いや流石にそれはあたしでもわかるよ」と僕を制するように言う。
「飛田くんにとって、仙川さんが存在しない『佐藤』を好きになられたら困る理由。そしてそれでいて『佐藤』を演じながら仙川さんと親しくなろうとした理由。簡単なことじゃない」
僕は一瞬黙り込んで「ま、そういうことか」と呟いた。
つまり飛田くんは口では仙川さんを尊敬するようになったと言っているが、もう既に「それ以上」の気持ちを彼女に抱いていたのだろう。
その先は彼の立場に立ってみれば想像がつく。
もしも僕だったら。僕が好きになった女の子と親しくやり取りができる友人というポジションを手に入れたなら、こう尋ねるだろう。
『今、好きな男の子はいるのか』
『どんなタイプの男の子が好きなのか』と。
だがその矢先に仙川さんから「自分」ではない、存在しない人間「佐藤」に対する好意を示された。
あくまで「佐藤」は架空の人間であって、自分が演じていたとはいえ自分ではない。実は「佐藤」は自分だと名乗り出ることはできないし、「会いたい」といわれても会いに行くことはできないのだ。
しかし「佐藤」としての関係を終わらせたら、仙川さんとの繋がりが絶たれてしまう。
どうすればいいのかわからずに連絡を絶ってしまったのではないだろうか。
だがなんにせよ、飛田くんにとって仙川さんの前で自分の心情を語らされたあげく、その内容を複数の人間に吟味されるというのは、羞恥心の限界だったらしい。
「……もう。もう勘弁してください」
そう声を漏らすと、仙川さんの方に「騙すようなことをして、本当にすみませんでした」と一言謝罪した。
仙川さんも彼に何か言いかけるが、彼はそれを待たずに踵を返してホールから飛び出すように去って行ってしまった。
「なるほど。確かに私は気づかずに周りの人間を委縮させていたのかもしれないな」
自らを省みるように彼女は呟き、烏山さんと高井戸に向き直る。
「部長。それに高井戸。私は恋愛なんて演劇に打ち込むのは邪魔でしかないと部内恋愛禁止を声高らかに叫んで、それを欠片も悪いことと思わなかった。自分が正しいと思い込んでいたんだ。でも飛田くんとやり取りして、他人と関わって付き合い理解することも大切だと教えてもらった気がする。もし、私が皆に嫌な思いをさせていたのだとしたら、……私は」
「いや、別に謝るほどのことじゃねえんだよ。……俺たちも悪かったよ」と高井戸も頭を掻きながら謝罪した。
烏山さんもそれに頷く。
「そうだよ。私たちだって仙川さんを騙すようなことをしちゃったんだし。それにね。自分じゃあ気づいていないかもしれないけど、あなた最近変わったよ」
「え?」
「部員の皆も、前はちょっと厳格な雰囲気だったけれど、今は少し柔らかくなったって。親しみやすいところもある先輩なんじゃないかって。……ちょうど飛田くんとやり取りをするようになったころから」
「そうか。自分では気づかなかったが。……そうなのか?」
仙川さんは戸惑いながらも優しげに微笑んだ。
「そうだな」と僕はふと思い出す。
「一年生たちから『佐藤』の話をときに仙川さんの話も聞いたけれど、『前は近寄りづらいけれど最近は柔らかい雰囲気になった』『今までは厳しい感じだったけれど、優しいところもあると気が付いた』って話を聞いたよ」
「……そうか。すまないがちょっと用事ができた。私のことを気に病んで必要以上に落ち込んでいる後輩がいるようなのでな。ちょっと一声かけてくる」
そういうと仙川さんは「星原さん、ありがとう。これは約束の報酬だ」と包装されたお菓子の箱をステージ裏から持ってきて星原に手渡し、急ぎ足でホールを出て行った。
これで一応、一件落着か。……いや、まだ一つ気になることがあったな。
「烏山さん」
僕に声をかけられた彼女は「何?」ときょとんとした表情で振り返る。
「結局、演劇部の『佐藤進』っていうのは何だったんだ? 今回の件で急に思いついたわけではないよね」
「ああ。……そのこと」
彼女は小さくため息をついて口を開いた。
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