第15話 クロヒトさんの正体
かくして翌日の放課後。
僕らは、四〇〇メートルトラックとサッカーゴールが設置されたグラウンドの脇に立っていた。そこにはパッと見では目立たないが、森の中に続いていく小さな獣道があるのだ。
「それじゃあ、行こうぜ。もうすぐ日が暮れる。急がないとただでさえ薄暗いのにますます視界が悪くなる」
「ああ。僕は前に何回か行ったことあるし、先導するよ」
「よっし。それじゃあしんがりはあたしが引き受けた!」
元気のいい声が返ってくる。
「それじゃあ、出発しましょうか!」
「待て」
「何?」
「何で日野崎がいるんだ?」
「いちゃダメ?」
そう。僕と明彦の二人で裏山を探索するはずだったが、何故か明彦の隣には愛すべきトラブルメーカー、元気で活発なクラスメイト日野崎勇美が立っていた。
動きやすそうなスポーツウエアを着こんだ彼女は、きょとんした顔で小首をかしげる。可愛らしい仕草と言えなくもないが、僕の疑問の答えにはなっていない。
「まあ、聞いてくれ」と明彦が片手をあげた。
「俺たちが裏山を探検することを話したら『ぜひ同行したい』と申し出てくれたんだ」
「あたしも前にここで黒い人影を目撃したからさ。気になっていたんだよ。できれば正体を確認したいと思っていたから」
「それに荒事だったら、日野崎は絶対頼りになるだろ?」
「それはそうだけど……」
日野崎は女の子ながら空手をやっていたことがあり、実際かなり喧嘩慣れしているという一面がある。ただ今回の一件に関しては僕と明彦の問題なのに巻き込んでもいいものか、と僕は考えていた。
そんな僕の心情を読み取ったのか、彼女は僕を見てニカッと笑って見せる。
「あんたたちには何度か助けてもらっているからさ。たまには借りを返しておきたいんだよ。それに何か危険なことがあるんじゃあないかって心配しているんなら大丈夫だよ。あたしが守ってあげるから」
相変わらずびっくりするほど男前だな。この体育会系美少女は。
「でも、明彦はいつの間に日野崎に裏山を探検することを話したんだ? 行くと決めたのは昨日の帰りだろ?」
「今朝のホームルーム前の教室でな。お前は今日日直の作業で遅れて教室に来たから気づかなかったかもな」
「なるほど。……それじゃあ日野崎、改めて僕からも頼むよ。もしかするとこの山に潜む何かを捕まえなくてはいけなくなるかもしれない。すまないが力を貸してくれないか?」
僕が小さく頭を下げると「うんうん! このあたしに任せなさい!」と彼女はサムズアップして返してみせた。
かくして、木の間を縫うように続く緩い上り坂を僕らは歩きだす。
広葉樹と雑草が入り混じって生えている森の中。
人一人がやっと通れるほどの薄暗い獣道。
鬱蒼とした木々の中で、途中で目に入る蜘蛛の巣や毛虫がまた気分を滅入らせる。
僕は拾った木の枝で、途中にある蜘蛛の巣をかき分けながら先頭を進んでいた。
ちなみに僕とは対照的に明彦の方は楽しんでいるようだった。
「ふふん。『スタンド・バイ・ミー』の登場人物になった気分だぜ」
「……ずいぶん軽薄なリバー・フェニックスもいたもんだ」
明彦が言っている『スタンド・バイ・ミー』は数十年前の映画で、四人の少年たちが行方不明になった少年の死体を探しに、森の中をキャンプしながら歩き続ける数日間の冒険を描いた名作映画だ。リバー・フェニックスは主人公の親友を演じた二枚目俳優である。
「ところでさ。日野崎」
「んー?」
「日野崎が目撃したその『クロヒトさん』ってどんな感じだったんだよ」
「……うーん。はっきりとは見えなかったんだ。見たのはちょっと前の話なんだけど。たまたまサッカー部の練習の最中にボールが山の中に飛び込んじゃったことがあってね。それで、あの辺りにあるのかなーって、あたし一人で山道に入っていったわけ」
「それから?」
「今みたいに、あたしがボールを探しながら山道を歩いていたらさ。チリンって鈴みたいな音がしたんだ。最初は空耳かと思ったんだけど歩いていたら、またチリンってなるんだよ」
「……」
「気味が悪くなって思わず足早になったんだ。すると、チリンチリンって鈴の音も追いかけるみたいに鳴り続けた。でもその時ちょうどボールを見つけてね。拾い上げたら後ろからガサガサ音がした。びっくりして振り返るとそいつがいたんだ」
「それが、つまり?」
「うん。黒いコートみたいなのを着ていて、何ていうか異様だった。頭が三つあるみたいに肩が盛り上がっていて、かがむように立っていたんだ。遠くからシルエットだけ見たらでっかいカエルみたいだったかもね」
頭が三つ? カエルみたい? 予想以上に怪しげな風貌だな。
「それで、どうなったんだ?」
「あたしも流石に怖かったから思わず大声あげちゃったよ。『何さらしとんねん。張り倒したろか!』って」
それは怯えた女の子がとるリアクションとして正しいのでしょうか。
「そしたら、むこうもびっくりしたみたいで草むらの中に消えていった。あたしも走ってその場を去ったわけ」
「何事もなくてなによりだけど。……どう思う? 明彦」
明彦もむう、とうなり声をあげながら考え込んだ。
「正体をつかもうにもそれだけじゃあ何も解らんが。……おい? なんかあるぞ。あの辺」
明彦が唐突にいぶかしげな声をあげて、僕の前方数メートルの辺りを指さす。
僕も何事かと目を凝らすとそこにあるのは何か板切れのようなものだった。
「何これ?」
「看板、かな?」
白い板が山林の獣道を半分ふさぐように立てられている。薄汚れているのと風化のため文字のほとんどは判読ができないが、辛うじて断片的な単語がいくつか読み取れる。
「ええと、『注意』『くろ人』。それに『危険』?」
「何の看板なんだろ?」
「さあ。そもそもこんな小さな山道に看板なんて作る意味があるのかな?」
「もしかして、クロヒトさんが出るから気を付けろってことじゃあないだろうな」
「や、やめてくれよ……」
看板は金属の板にペンキで字を書いたもので、白地に赤い文字が入っている。人が通らない山道には甚だ不釣り合いに思われた。
そもそも立てられた目的が分からないのが嫌な感覚にさせられる。文字も風化しかかっているのがまたかえっておどろおどろしい。
「この先に……何かあるのかもね」
僕は意を決して山道の奥をにらむと一歩前へ進む。その時。
チリン。
僕は思わず振り返って明彦たちを見た。
「今、何か鳴った?」
「鳴ったな」
僕らは思わず固まって、一瞬沈黙した。
そのまま十秒ほど経過するが、それきり何も起きない。
「? ……何だったんだろ?」
僕は改めて奥に進むとまたもチリンと音がする。
ぎくりとして後ろを見る。
二人ともこわばった顔をして動きを止めていた。
その時、少し離れた草むらの中でガサゴソと何かが動き回るような音がする。大きさからして決して野良猫やタヌキなどではない何かだ。
(やばい、やばいって。おい)
(どうする? 何かいるよ!?)
明彦と日野崎の目が露骨に内心の動揺を語っていた。
僕は唇の前に人差し指を当てて静かにするように合図すると、二人とも頷き返してきた。続けて辛うじて聞こえる程度のささやき声で二人に呼びかける。
「二人とも聞いてくれ。とりあえず鈴の音の正体は判った」
「え?」
「何だって?」
「今はとりあえず言うとおりにしてくれないか?」
「何をしろって?」
「僕は道の奥に向かって全力で走る。二人はさっき音がした方の草むらに入って僕とは『反対方向』に向かって進んでみてくれ。なるべく静かにね」
「それで?」
「おそらく明彦たちのいる方に奴が現れるだろうから見つけて捕まえてほしい」
「……わかった」
「やってみる」
「よし。それじゃあ秒読み行くよ? 三、二、一、ゼロ!」
僕は宣言通りに道の奥に向かって、駆け足で進む。といっても夕暮れの山道なのでジョギングペースをさらに遅くしたような有様だ。
そして、僕が走るとチリンチリンと鈴の音も僕を追いかけてきた。
同時に後方では明彦たちが草むらの中に息を殺すようにそっと入りこんでいった。
僕はほんの数十メートル走ったところで足を止めて振り返る。
一瞬遅れてさっきの場所でガサガサと何かが動いているのが見えた。
「おい! 何かいるぞ!」
「あたしが行く! 逃がすもんですか!」
ヒッという吐息交じりのかすかな悲鳴を僕の耳がとらえる。その声は何となく聞き覚えのあるような気がした。振り返ると日野崎が山林の中を駆けずっていた何かに飛びかかる。『そいつ』がよろめいたところに明彦も上から覆いかぶさる。
僕が急いで明彦たちのいるところまで駆け寄ると、黒いコートを羽織った男を背後から日野崎が羽交い絞めにしていたところだった。
「さあ。覚悟しなさい」
「わかった。……もう逃げないから。とりあえず放してくれないか」
コートのフードが外れて、その素顔を月明りが照らし出した。
「お前は……やっぱりそうだったのか」
「……」
そこにいたのはメタルフレームの眼鏡の少年、平井紳志だった。
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