第16話 裏山の秘密

 草の中にへたりこんだ平井は力なく笑いながら僕を見上げる。


「もしかして、まんまとおびき出されたということかな?」

「少し違う。別に僕らが探索にきたその場に『クロヒトさん』がタイミングよく現れる、なんて期待したわけじゃあない。ただ仮に遭遇できなくとも何かの手掛かりは確実にこの裏山にあると考えていた」

「ほう。僕が姿を現せばそれでよし。そうでなくともここに何かがあると踏んでいたわけか」

「ああ。……ただ明彦が教室で裏山に行くことを虹村に話したと聞いて、もし平井がそのことを何らかの形で耳にしていたら、やってくるかなとは少し思っていたよ」


 明彦が僕に目をやって、思い出したように口を開く。


「そういえば、あの鈴の音は結局何だったんだ?」

「あれは鳴子だよ」


「鳴子?」と日野崎が目をぱちくりとさせる。


「あー、つまり一種の警報器。ほら。そこの道、やたら蜘蛛の巣が多かっただろ? それに紛れるように糸が張られていたんだ。釣りに使うやつみたいだけど」


 山道のところどころに木の枝などにひっかけた糸が張られ、その先には鈴がつるしてあったのだ。糸そのものはちょっと引っ張れば外れる程度の緩い張られ方だが、だからこそ存在を気づかれにくい。


 僕が気づくことができたのは、木の棒で蜘蛛の巣を払って前に進むときのタイミングと鈴の音が鳴る間隔が一致していたからである。


「つまり、自分がこの裏山にいるときに誰かが来たら鈴の音で位置を判断して、山道から草むらの中に迂回して逃げ去ることができたわけか」

「それで? そんなにまでして隠したかったことって何?」


 明彦と日野崎は糾弾するような目で左右から平井をにらみつける。


「そんなに怒らないでくれ。この間、日野崎を怖がらせたことは悪かったと思っている。まさか蜘蛛のおもちゃを投げつけたくらいで、悲鳴を上げて逃げ出すとは思わなかったんだ」

「日野崎が悲鳴を上げた?」

「蜘蛛のおもちゃで?」


 何かさっき聞いた話と少し違うようだが。


 平井の言葉を受けて、日野崎が僕の背後でポキポキと拳を鳴らし始めた。


「黙れ。それ以上口にしたら、お前を笑ったり泣いたりできなくしてやる」


 彼女からは激しい怒気がピリピリと伝わってくる。その目は完全に据わっていた。


「落ち着けって。まず事情を聴いてからにしようよ」

「その通りだ。口を封じて山に埋めるのはいつでもできるだろ?」と明彦がフォローにならないフォローをする。


「仕方ナイ。アナタタチ、トモダチ。コイツノ首ヒネルノ、モウ少シ、我慢スル」


 大丈夫かな、こいつ。


「なぜ片言なんだろ」と僕。


「怒りで野生化しかかっているんだろ。おら、命が惜しいならさっさと話せ」

「わ、わかった」


 明彦の恫喝に若干怯えながらも平井はぽつりぽつりと語り始めた。


「僕も別に悪意があってこんなことをしたんじゃあないんだ。僕にも僕なりの事情があるということはわかってほしい」

「事情?」

「ああ。……実は僕は十年位前、ここのすぐ近くに住んでいたんだ」




 平井が言うには、彼は小学生時代、この天道館高校から目と鼻の先の場所に家があったのだという。当時から成績は悪くなかったようだが、どうも周りにうまくなじめず友達もほとんどいなかったそうだ。


「でもそんな時、僕は彼らに出会ったんだ」

「彼ら?」

「近くの業者から逃げてきたらしい二羽の黒い鳥の雛さ。どういうわけかうちの家の庭に居つくようになったんだ。最初は驚いたが、餌をやるとついばんでくる姿が愛おしくてね。気が付いたら彼らの世話をするのが楽しくなっていた。生きることがつらかったけれど、彼らのおかげで学校から逃げ出さずに頑張ろうと思えたんだ。でもその生活は長く続かなかった」

「何があったんだ?」

「親の転勤の都合で引っ越すことになったのさ。引っ越し先は集合住宅でペットが禁止だった。子供なりに家族のように大切にしていた彼らと離れるのがつらくてな。『今日でお前たちとはお別れなんだ』と泣きながら僕なりに挨拶をした。それが伝わったのかどうか知らないが、引っ越す前に彼らは自ら僕の前から姿を消した」


 平井の語る思い出話に、日野崎が涙ぐみながら鼻をすする。


「そんなことがあったんだねえ! 切ないなあ!」


 僕と明彦は、若干困惑しながらそんな彼女を横目で見る。


「ええ……。泣く要素そこまであるか?」

「時々思うんだが、日野崎って悪徳商法とかに騙されるタイプじゃないか?」


 コホンと咳払いをして平井が改めて口を開いた。


「それから何年かたって、僕はたまたま昔住んでいた家の近くにあるこの天道館高校に通うことになった。そして入学して間もない時に耳にしたのが『さまよえる黒い怪物』という怪談だ。僕はそれを聞いてすぐに思い当たった」

「あ。もしかしてそれが、平井が飼っていたっていう鳥たちなのか?」

「ああ。僕が当時暮らしていた家の最も近くにある山林はここだった。だからもしかしてこの中に逃げ込んで生き延びているんじゃないか。そう思った僕はこの山道に入って彼らの名を呼んで回ったんだ。何時間も何時間も歩き回った。すると信じられないことだが、彼らが姿を現したんだよ。僕のことを覚えていたのか、近寄ってきてくれた」


「良かったねえ!」と日野崎が自分のことのように嬉しそうに言う。


「だが、僕の家族が当時住んでいた家はもう手放してしまったし、今住んでいるのもマンションだ。連れて帰るわけにもいかなかった。それで、時々この裏山にきてこっそり面倒を見ていたんだ」


「それならそうと言えばいいだろ。そんなフード付きの黒コートなんて羽織ってコソコソするほどのことかよ? 」と明彦が首をひねる。


「そのことなんだ。……当時はよくわからずに世話をしていたが、実は僕が飼っていた鳥たちについて改めて後から調べたら、それなりに価値がある品種だとわかった」

「え。結構高価なのか?」

「ああ。ものすごい値段がつくというほどでもないが天然記念物のようだった」


 確かにオウムなんかでも種類によっては数百万円すると聞いたことがある。


「マジか。じゃあ、他のやつに知られたら……」

「うん。勝手に連れて行って自分のものにするか、金に換えてしまうという可能性もあるんじゃあないかと危惧していた。だから人に知られたくなかったんだ」


「じゃあ肝試しに反対したのも、この辺りで鳥たちの世話をしているから、あまり人に知られたくなかったということか」と僕が訊くと平井は無言で頷いた。


「でも僕たちにだけでも話してくれればよかったのに。……そこまでは信用できなかったかな?」

「いや。君たちの普段の行動を見る限り悪人でないことくらいはわかるさ。だが一応、このあたりは学校の土地と私有地の境目だ。まあ、特に価値のない山林だからあまり出入りしても文句を言われないがな。そして僕は一応『他所の土地に出入りするのは良くない』という大義名分で肝試しの中止を訴えた。その本人が、実は昔の自分のペットの面倒を見るために他所の山林に入り込んでいたというのでは道理が通らないだろう?」

「そういうわけか。……それで、その鳥たちはどこに?」


 平井は立ち上がって、コートについた土を手で払った。


「まあ、ここまできたら隠しても仕方がないな。ついてきてくれ。山道の奥だ」





 平井は僕らが進もうとしていた山道のさらに深くまで先導し、木々が少ない開けた場所に連れてきた。


「ここは?」


 小さな小屋が立てられていて、もう少し先には何か大きな建物が見える。


「あの大きな建物はゴミ処理場だ。そしてこの小屋は元々そこの職員が外で作業をするときの物置として使っていたらしいんだ。……しかし今ではもう使っていないし、もぬけの空なのでね。僕が彼らを隠すのに使用しているわけだ」

「ゴミ処理場? じゃあ途中の山道に立っていた看板って、もしかしてそれに関係しているのか?」

「ああ。確か一時期、勝手に山にゴミを不法投棄するやからがいたらしい。近くにゴミ処理場があるなら何とかしてくれるとでも思ったのかもしれんな。それで注意の看板が立てられた。『注意! 許可なく処理場内に入ってくる人がいますが危険なので絶対に入らないでください』みたいな感じだったかな?」


 僕は平井の発言を頭の中で並べて、さっきの看板を思い出して思わず吹き出した。


「どうかしたか?」

「いいや。別に」


『注意』『くろ人』『危険』


 さっきの看板に書かれていた文字は、「入ってくる人」という単語の前半と「る」の字の一部がかすれて「くろ人」という単語になったのだ。


 星原の言っていた『何かしら最初に声を上げて、雰囲気を周りに伝染させる人間がいる』という言葉が脳裏に思い出される。


 おそらく『裏山のクロヒトさん』を最初に広めた人間は、あの看板を見て「クロヒト」という危険な何かがいると思い込んだのだ。そして黒いコートを着て山道を徘徊する平井を目撃して、そのイメージと結びつけてしまったのだろう。


 その結果、作り出された『裏山に何かがいる』という噂話が独り歩きして怪談になった。


 星原の言っていた分類を引用するなら、見間違いで発生する『誤怪』にあたることになるのだろうか。


 しかしそもそも平井も裏山から人を遠ざけるために『クロヒトさん』という噂を利用していた節がある。黒いレインコートを身にまとっていたのもそれっぽい雰囲気を出して、万が一通りがかりの生徒に目撃されたら、逃げ出してくれることを期待したのかもしれない。


 思わず黙り込んで思索にふける僕をよそに、日野崎が平井になにやら尋ねていた。


「あの中に平井が飼っていた子たちがいるんだね? あんなところに閉じ込めて鳥がおとなしくしているの?」

「ああ。だがずっと閉じ込めっぱなしでは可哀そうだから、早朝に放してやって、人目の付かない夕暮れにまたこの中に隠している」

「へえ」


 平井は僕らをしり目にツカツカと小屋に近づいて横開きの扉を開けた。


 すると扉の奥の暗闇の中で何かが蠢いている気配がある。


 一瞬間をおいた後、バサバサッと音を立てて現れたのは羽を生やした二羽の真っ黒い塊だった。


「ええっ!」

「あれは?」


 夕暮れの微かな光の中に現れた黒い羽を生やしている「それ」は、確かに鳥だ。鳥ではあるのだが、どうみても空を飛べそうには見えない。


 ふわりとしたあまり長くない羽にずんぐりしたユーモラスなシルエット。頭にはトサカ、胴体から突き出ているのは歩くのに適した二本の足。


 これは……どうみてもニワトリである。


「よしよし、元気みたいだな。テバサキ! カラアゲ!」


 僕と明彦はその場で崩れ落ちるように倒れた。


 平井がそんな僕らを不思議そうに振り返る。


「どうかしたか?」

「……お前のネーミングからは愛情を感じない」

「そんな名前をつけて『今日でお前たちとはお別れ』とかいうから、そいつらも危機を感じて逃げ出したんと違うか?」


 僕らの指摘に平井は悪びれることもなく答える。


「子供の時の僕が『食べちゃいたいくらい好き』という気持ちを端的に表現しただけだ。犬や猫にだって食べ物の名前を付けたりするだろう? クッキーちゃんとかマロンちゃんとか」


 そう言われると説得力があるようなないような。


 しかしよく見ると、この鶏には奇妙なところがある。羽毛が黒っぽい鶏なら見たことがあるがこの鶏は全身が黒いのだ。羽だけでなく『くちばし』も全てが黒い。羽毛も普通の鶏と比べてフワフワしていてなんだかぬいぐるみのようだ。


 ふと隣で日野崎がはしゃいでいた。


「へえ。驚いた。あれ烏骨鶏うこっけいだよ! 本物は初めて見たよ!」


 ウコッケイ? 烏骨鶏?


「えっ!? これがあの烏骨鶏なのか。本で読んだことはあるけど」


「何だそれ。有名なのか?」と明彦がちんぷんかんぷんな顔になる。


 明彦は知らないようだった。まあかくいう僕もたまたま子供の時読んだ図鑑で知っていただけだ。


「ああ。何でも羽ばかりか『内臓』も『骨』も『肉』も真っ黒な不思議な鶏なんだよ。天然記念物という話も聞いたことがある」


 日野崎も少し興奮しながら僕に続く。


「昔、都内の小さな農場で飼育されていて、うちのスーパーでもおいてみようかって話はあったんだ。産卵数が少ないから、卵も高級品で肉も栄養価が高いんだって」


 そういえば日野崎の家はスーパーだったな。彼女にこういう知識があるのは意外に思ったが、お店の商品知識として記憶していたわけか。


「本当か? それじゃあ、結構高価なのか?」


 明彦はまじまじと平井と戯れる二羽の黒い羽の塊を見やる。


「いや、確かに愛玩用としても人気があって商品としてはそこそこ価値があるけど、一羽五千円もしなかったと思うよ?」

「ふうん。そんなものなのか」

「よーし。よーし。いい子だ」


 平井は彼らを愛おしそうに両肩に抱き上げていた。


 その少しかがんだシルエットは日野崎が言っていたように、遠目には首が三つあるようにも見えたし、立ちあがった大きなカエルのようでもあった。


 きっと小屋から出して遊ばせる時にもああやって両肩に担ぎあげて山道の草原の方に運んでいたのだろう。


 日野崎はそんな彼らを微笑ましい目で見ていた。


「あたしはもしクラスの間で知られても、あの子たちを盗もうなんて考える奴はそうそういないと思うんだけど」


「それは甘い」と僕は応える。


「たとえ高価なものでなくとも。ちょっとした価値のあるものが手の届くところにあったら、自分のものにしようと考える奴は意外といるんだ」


「そのとおりだ。いやむしろ値段が高すぎない方が、罪悪感を覚えないからかえって狙われやすい」と明彦も続けた。


「そうそう。コンビニの傘立てに置いた傘とか、家の外に置いた鉢植えとかさ」

「ひどいと、盗んでおいて発覚した時には『これくらい良いだろう。ケチケチするな』って開き直る輩もいるくらいだと思うぜ」


 日野崎は僕らの発言に悲しそうに目を伏せる。


「あたしはそんなに悪いやつらばかりだとは思いたくないけどなあ」


 やっぱりこの子は根っからのお人好しのようだ。


「じゃあ、やっぱりなるべくならここのことを知られないようにした方がいいんだろうね」

「そうだな。ひいてはこの裏山での肝試しも何とか中止にした方がいいだろうな」


 裏山の山道に興味を持ったクラスの男子たちが、くまなく探検したらこの小屋が見つかってしまう危険はある。


 その時、僕の目の前に黒い毛に包まれた愛嬌のある小さな顔がぬっと突き出された。


「わ」


 気が付くと鶏たちを抱えた平井が僕らのすぐ近くに立っていたのだった。


「どうかしたのか」と彼は不思議そうな顔で僕らを見る。


「ふふ。可愛い」と日野崎が鶏たちの頭を撫でまわしていた。


「いや。どうにかして裏山の肝試しを中止にする方法を考えなきゃいけないと思ったところさ」

「本当のことを黙って、君たちを利用しようとした僕を許してくれるのか」


 明彦もチッチッと人差し指を振りつつ片目をつぶって応える。


「勘違いするなよ? お前のためじゃあなくそこにいるお前の友人のためさ」

「すまない。ありがとう」


 平井は深々と頭を下げたのだった。

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