第13話 七不思議と井上円了
僕が数分後に二年B組の教室の扉を開くと、そこに待ち構えていたのは一風変わった面子だった。
天然パーマでやせ形、長身の我が悪友。呼び出した本人の明彦である。
そしてポニーテールに眼鏡をかけた凛とした雰囲気の少女。クラス委員の虹村志純。
さらに、容姿端麗で均整の取れたスタイルながら、髪を後ろで結い上げたボーイッシュな雰囲気を醸し出している少女。トラブル体質の日野崎勇美だ。
そして最後の四人目の人物。後ろに撫でつけた髪、メタルフレームの眼鏡。うちのクラスで成績一位の平井紳志である。
「何があったんだ?」
状況が全く見えない。
「虹村さんに日野崎さんまでいるの?」と僕についてきた星原が疑問の声を上げる。
「お。星原も一緒にいたのか?」と明彦が僕を見て意味ありげに笑う。
「……たまたまだよ。それで、緊急の案件ってなんだよ。大仰な呼び出しかたして」
「ああ。その件なんだがな。実は虹村と平井から頼まれごとがあってさ」
虹村と平井から?
僕は交互に二人を見やる。平井のほうがコホンと咳払いをして口を開いた。
「なに他でもない。例の肝試しの話だ。あれをどうにかして中止にする方法はないかということなのだよ」
「中止に?」
「そうだ。あの場では反論できずについ同意してしまったが、正直に言って夜遅くに学校に残って他所の土地に入り込むなど褒められたことではない。虹村も言っていたとおりケガ人が出るかもわからない。だから何とかして中止にしてほしいということだ。もちろん僕も陰ながら協力はする」
僕が虹村の方をうかがうと、彼女も眼鏡を押し上げてため息交じりに応える。
「私も同じように考えているわ。正直男子グループが山道に立ち入って肝試しをするというのは、やっぱりまずい気がするの。確かにめったに人は来ないけど、それでも一応人の土地でしょう? 何とかして止める方法はないかと思った矢先に、平井くんも私と同意見だから一緒に阻止しようという話になったの」
「何とかしようといってもさ。僕らが住吉と言い合いになったのが今回のきっかけだからな。むしろ反対をしづらい立場なんだけど」
「そこはわかっている。だが、それでもあえて頼んでいるのだ。君らとて本音は肝試しに行きたいわけではないのだろう?」
それはそうだ。僕だって肝試しが中止になればありがたいし、ある意味で僕らと平井の利害は一致している。
しかし三鷹たちクラスの中心グループが乗り気になっているのだ。僕らだけで彼らの考えを覆すのは容易ではない。
そういえば、と僕はいぶかしむ。
「ちなみに、日野崎はどういう経緯でここにいるんだ?」
「あたしは部活終わって帰ろうと思ったら、なんか面白そうな話になったから野次馬根性でここにいるだけ」と軽く手を振りながら日野崎が答えた。
「さいですか。……なあ平井。確かに僕も正直行きたくはないけどさ。ただ僕も一年の時にあの辺り歩いたことあるけど、迷うほど複雑な道じゃあなかったし、心配するほど危険なところというわけでもないと思うよ?」
「そうはいっても七不思議とかいう心霊スポットの一つになるくらいなのだろう? あまりいい雰囲気の場所ではないのは確かなのではないか?」
「それも住吉みたいにオカルト好きの奴らが面白がって広めている感があるからなあ。どこまで本当なんだか」
そこで明彦が額に手を当てて記憶を探るような仕草をしながらつぶやく。
「その七不思議とかいうやつ? 何だっけそれ。どこかで聞いたような気はするんだが……」
「天道館高校七不思議。……うちの学校に伝わる怪談だよ。その一つが裏山に出没するという黒い怪人『裏山のクロヒトさん』。いつだったか、住吉が思わせぶりに、話していたことがあったんだ。一応明彦もその場にいたと思うよ」
「ああ。そんなことがあったっけ」
「へえ。ちなみに他には何があるの?」と星原が興味深げに話に水を向けてきた。
僕の知る限りでは、『裏山のクロヒトさん』『呪われた十三階段』『憑りつかれたピアノ』『幽霊の足跡』『幻の第二生物実験室』といった学園内の施設や場所にまつわる怪談話を寄せ集めたようなものだったはずだ。
おぼろげな記憶の糸を手繰りながら、僕は怪談を一つずつ思い出そうとする。
「えーと。確か二つ目は『呪われた十三階段』だったかな。本校舎の三階から屋上に続く階段が、夜遅くに数えると一段増えて十三段になっているとかいうやつだ」
「それ小学校の時にも似たようなの聞いたことあるよ、あたし。どこにでもある怪談なのかな?」と自分の席に座っていた日野崎が頬杖を突きながら口を挟む。
一方、星原は日野崎の言葉に軽く肩をすくめて「そうね」と相槌を打った。
「まあ、十三階段というのは、死刑が執行されるときの絞首台の段数という俗説があるから、不吉なエピソードとして引用されやすいのかもしれないわ。他には?」
「三つ目は『憑りつかれたピアノ』。放課後、誰もいないはずの音楽室でピアノが奏でられる音がすることがある。なんでも昔ピアニストを目指していたけれど挫折して自殺した生徒がいた。その死んだ生徒が幽霊になって、ピアノに憑りついて音を奏でているんだって」
「あ。それ俺かも」と明彦がぽろっと呟いた。
「は?」
「一年のときジャズにはまっていて、試しに自分でも弾いてみたくなったんだよ。でも家にピアノとかキーボードがなかったから、吹奏楽部が練習していないときにこっそり忍び込んで弾いていたことがあった」
「何してんだ、お前」
「いや、別に減るもんじゃないだろ。悪いことしていたわけじゃないし」
そりゃそうだけど。……つまり自殺した生徒の話は後づけで作られたということか。
「まあまあ。気にすんな。それで他には? どんな怪談があったんだっけ?」
「……四つ目は『幽霊の足跡』。本校舎の三階の外壁の少し下あたりに、何故か靴の跡がついているんだ。とても人間が到達できるようなところではないのに」
「ああ、それなら俺も見かけたことがあるな」
「数年前に屋上から転落した生徒がいて、彼の無念の思いが足跡になって、ある日突然校舎の壁に現れたんだそうだ」
「あ。……その靴跡ならあたしだ」と日野崎が軽く手を上げた。
「え? どういうこと?」
「去年、部活でサッカーの練習をしてたときなんだけどさ。部員の一人が外して置いておいた腕時計をカラスが加えて持って行こうとしたんだよ」
「それで?」
「動物といえど盗みは許せないからね。たまたまはいていたスパイクを脱いで『そりゃ!』って飛んでいるカラスめがけて投げつけた。そしたら流石にカラスもびっくりして、腕時計を落として逃げ帰っていったよ」
日野崎はどうよ、とばかりに胸を張って武勇伝を語ってみせる。
「じゃ、じゃあ、その時に……」
「うん。カラスをかすめた靴が校舎の三階あたりに当たって、跡になっちゃったみたいで。たまたま雨風も吹きつけにくいところらしくて、いまだに残っているんだよねえ」
「どういうレベルの強肩だ……」
サッカーより野球をやるべきなのでは。
「他には?」と星原が話を促した。
「五つ目は『幻の第二生物実験室』。今ではうちの学校には生物実験室はひとつしかないが、昔はもう一つ『第二生物実験室』が存在した時期があった。そして、その当時学校にいた生物教師が陰気で不気味な風貌だったんだと。しかも授業で生き物の解剖ばかりやらせるので生徒たちに気持ち悪がられて、とうとう学校から追い出されてしまう。その怨念が今でも学校に残っていて、放課後になると廃止になったはずの第二生物実験室が校舎のどこかに現れて、中に入り込んだ生徒はその生物教師に捕まって、実験材料にされるんだとか」
「あー。……それ」と声を上げたのは虹村だった。
「虹村? どうかしたのか」
「うん。今年の春くらいに、体育の時に使う女子更衣室の表示プレートが壊れちゃったことがあってね。飯田橋先生に新しいプレートが届くまでクラス委員が何とかするように言われたの」
「女子更衣室の表示プレートが? それで?」
「それで、知らずに一年生男子とかが間違って入ってきても困るから、表示プレートが直るまで一時的な処置として私が使っていないプレートを適当にはめ込んでおいたの。ほんの数日間だけ。そのとき使っていたのが第二生物実験室だったと思う」
虹村が『いやあ、まいった』と言いたげに頭を掻きつつ説明した。
「ああ。つまりそのときに表示プレートを見た事情を知らない生徒が、今は存在しないはずの部屋があることを気味悪がって、噂に尾ひれがついたと。……つまり、ほとんどあなた方の仕業ということです?」
反応に困って語尾が変な風になってしまった。なんだ、このトラブルメーカー集団。
「やれやれ。とんだ人騒がせね」と星原もあきれ顔で髪をかき上げた。
「ちなみに六つ目は『内容が変わる油絵』。美術室の展示部屋にある馬の油絵がいつの間にかカエルの絵になっていた、というものなんだがな」
「……へえ。きっと誰かが悪戯したのね」と星原はそっぽを向いて呟いた。
自分の時だけすっとぼけている。
確か、誰かさんが持ち物検査の時に絵の裏側に私物を隠していて、それがきっかけでちょっとした事件が起こったはずなのだが。
「そういえば、明治時代に井上円了という妖怪や怪異を研究した学者がいたのだけれど、彼曰く怪奇現象や妖怪というのは四つに分けられるそうよ」
星原は唐突に雑学を披露し始めた。
「見間違いや恐怖など心理的要因によって生まれる妖怪を『誤怪』、人が人為的に引き起こした妖怪を『偽怪』、自然現象によって実際に発生する妖怪を『仮怪』、そして現在の科学でも解明できないものを『真怪』というの」
「へーっ。博学じゃん」と明彦が感嘆して見せる。
こんな風に星原が雄弁になるのは今まで僕の前でだけだったから、星原のことをただの物静かな女の子としか思っていなかった明彦からすると、多少意外なものを見る気分なんだろう。
もっとも今回に関して言うなら「周りを騒がせた他人を揶揄していたが、実は自分もやらかしていたこと」についての照れ隠しだろうけど。
「なかなかの博覧強記ぶりだな。……今の七不思議の話に当てはめるならほぼすべてが『誤怪』か『偽怪』の類のようだが」と平井が感想を述べつつ僕を見る。
「だが、今はいるかいないかわからない幽霊よりも、確実に存在する人間が引き起こすトラブルの方が怖いんだ。わかるだろう?」
「んー。ま、確かに僕らも肝試しに気が進まないというのはある。だから何かしら方法はないか今日一日考えてみるってところでどうかな? 明彦もいいか?」
「俺も、まあ異存はないぜ」
「そうか。一応は前向きに考えてくれるということかな。それでは頼むよ。うまくいけば礼は何らかの形でさせてもらう」と平井が眼鏡を押し上げながら言う。
「……あまり期待されても困るけどね。可能な限り策を練ってみてうまい方法が出てこないようなら諦めてくれ」
了解した、と答えて平井は教室を出て行った。
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