第10話 正しい使い方
「はあ? 二人きりになって直接口頭で断ればいいっていうの? それだけ?」
星原の部屋で話をした翌日の昼休み。
僕は明彦と日野崎、そして井荻さんは「井荻さんのクラスメイトが宿題を写すのを止める方法」について話すべく、人目が少ない校舎の裏に集まった。
僕は日野崎に井荻さんの件についての解決策を説明した……のだが、日野崎は信じられないとでも言いたげな声をもらした。
「真守、お前なあ。何かいい方法を考えるって言って、一週間以上も待たせて出た案がそれなのか? これなら俺の案の方がまだマシだった」
明彦までも不満そうな顔でそんなことを言い出す。
「大丈夫だ。とにかく井荻さんが感じていることを素直に伝えればいいはずなんだ。『宿題を毎回写しに来られるのは迷惑だし、もうやめてほしい』とね」
「そんなことしたら、私嫌われたり陰口たたかれたりしませんか? 一度は写してもいいと言ってしまっているのに。後から前言を翻すような形になってしまいますし」
「その心配はないよ」
「どうしてですか?」
井荻さんは不思議そうな顔をする。日野崎も明彦も困惑していた。
よかった。どうやら鈍いのは僕だけじゃなかったようだ。
「彼の本当の目的は宿題を写すことじゃあない」
「え?」
「彼は井荻さんと話すきっかけが欲しくて、宿題をやってこないふりをしていたんだ」
「私と話すきっかけが欲しくて? …………あ。あの。それってもしかして」
「ああ。彼は井荻さんに恋慕しているんだ。だから井荻さんに迷惑だってはっきり言われたらおとなしく引き下がるしかないんだよ」
その日の放課後、僕はいつものように図書室の隣の空き部屋を訪ねた。
「星原。いるか?」
これまたいつものようにソファーに寝そべっていた星原が起き上がる。
「あら。月ノ下くん。……勉強会の約束は明日じゃなかった?」
「ほら。この間の件がおかげさまで無事解決したんでね。一応報告に来たんだ」
「へえ?」
あの後井荻さんは僕の助言に従い、
それに対して井荻さんは「宿題をやってこないようなだらしない人は好みじゃあないけど。次からちゃんと自分で宿題をしてくるのなら、友達からならお付き合いしてもいいですよ」と答えたらしい。
日野崎は一応事態は解決したということで満足したものの「それにしても話すきっかけを作るために宿題をしないで、お金を払ってまで写させてもらうなんて、さもしい心がけだね」と彼のふるまいを一刀両断した。
その言葉に僕は何とも複雑な気持ちになる。
確かに迷惑な話と言えばそれまでなのだが、星原という例外を除くと女子と気軽に話せるわけではない僕としては、好きな女の子と話す口実が欲しくて、つまらない嘘までつく彼の気持ちがわかる気がしたのだ。
明彦も日野崎の反応に苦笑いをしていたのでたぶん僕と同じことを考えていたのだと思う。
「ま。良かったじゃない。一応丸く収まって」
「そうだね。しかし僕らは最初から勘違いをしていたんだな。てっきり問題の男子クラスメイトは金を払うことで宿題を免れようとしていたのかと思っていた。でも彼の本当の目的は宿題をやらずに楽をすることじゃなく、好きな女の子と話すことが目的だったんだ」
星原は僕の言葉を聞いてふふんと笑った。
「金銭的価値にとらわれて、自分の志を見失う人間もいることを思うとなんだか微笑ましいじゃあないの」
星原はあの石神井という青年を揶揄しているのだろう。
あの落書きをしていた石神井とかいう青年もその行いは褒められたことではないが、ただ純粋に壁にグラフィックを描くことを楽しんでいた、その情熱は本物だったと思うのだ。
しかし、やがて自分のやったことを形になるもので評価してほしくなった。そして最後には金銭的に評価されることそれ自体が目的になってしまった。
星原はふと物思いにふけって黙り込む僕を静かに見つめていたが、諭すような口調で話しかけてきた。
「ねえ。月ノ下くんは
「いいや? どんな人なんだ?」
「鎌倉時代の執権、北条時宗に仕えていた侍なのだけれど。彼の残した逸話にこういうのがあるの」
「……?」
* * *
青砥藤綱はある夜に川を歩いていたが、銭十文を落としてしまった。そこで、従者に命じて銭五十文で松明を買って人を雇って探させた。
けれど後になってそれを聞いたある人がこう言って笑った。
「落とした十文を探すのに五十文かけたのでは損をしているじゃないか」
彼はその嘲笑にこう答えた。
「確かに十文は少ないけれど、これを失えば天下の貨幣を永久に失うことになる。五十文は自分にとっては損になるが、他人を益することにはなる。合わせて六十文の利は大であるとは言えまいか」
* * *
「へえ。つまり青砥藤綱という人は目先の損得じゃあなく、もっと大きな目線で金を生かすことが大切だと考えていたわけか」
金銭そのものに心をとらわれずに、何のためにお金があるべきなのかを考えていた人なのだろう。
「ちなみに、かの太宰治はその故事に着想を受けて、短編小説を書いているくらいよ?」
「ほほう」
「『意識の高い侍が、寒空の下で人足たちに小銭を川の中で無理やり探させて、苦労をさせる』という『裸川』という社会風刺的な短編だけどね」
「いろいろ台無しだ!」
しかもそういう上司が部下に理想を押し付けて、困難な目的を達成させようとするのって、いかにも実際にありそうで余計に嫌だな。
星原はくっくっとアイロニカルな笑いを浮かべながら「そうはいっても、やはりお金は使う目的あってこそのものであって、お金そのものを目的とするべきじゃないというのはそのとおりよね」とうそぶいた。
「というわけで」
「?」
黒髪の少女は唐突にかばんの中に手を突っ込んで、ごそごそとまさぐってから「はい」と僕に一枚の紙幣を手渡した。
「ああ。この間貸していた千円か」
「ええ。それと……」
星原はもう一枚の千円札を右手の人差し指と中指に挟んで、ちょっと気取るように見せびらかした。しわ一つないきれいな千円札だ。
「その千円札は? 僕は貸したのは千円だけだったと思うけど」
「うちのお母さんに、あなたにこの間材料費のために千円貸してもらったことを説明したら、『そういうことなら、落書きの件で助けてもらったお礼もかねて、このお金で一緒にお茶でもしてきなさい』って言われたの。だから、まあ、その。お金は使うことこそ大事だって学んだところだし? ……もしあなたさえ良ければ、今日の帰りに一緒に」
星原の声がだんだん小さくなってもごもごと呟くような声に変わっていく。
要は星原のほうから僕を誘ってくれているということなのだろうか。
「そ、そうだな。それじゃあお言葉に甘えてご馳走になるよ」
星原は顔にぱっと花が咲いたように笑うと「うん。あなたがそういうのなら仕方がないわね。じゃあ今日は勉強会はやめて、寄り道しましょうか」と立ち上がった。
少なくとも彼女は僕と過ごす時間をお金には換えられないものと感じてくれていて、千円をそれに使うのなら惜しくはないと思っているということなのだろう。
……僕もまたいつも助けてくれる彼女の気遣いを金に換えられないと思っているのだが、そのことはとりあえず黙っておくことにしよう。
何でも言葉にすればいいというわけではなく、むしろ遠回しに態度で伝えるべき時もあると思うのだ。
口に出すとかえって空々しく聞こえてしまうかもしれないし。
いわゆる『沈黙は金』というやつである。
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