第21話

21

その日の五限六限と、美里は食後の眠気に耐えながらもなんとかやり過ごした。

正直なところ教師が話をしていても「ふーん」とは思うが理解はしていないのでそのまま頭には入らず素通りしてゆく。

自分が何をわかっていないのかがわからないし、でもそれを分かろうという気にもならなかった。


とりあえず赤点取らなきゃいいよな。


復習をするつもりなんてさらさらないので美里は使った教科書をそのまま机へとしまう。入りきらない分はロッカーへ。家へ持ち帰る選択肢はない。


今日ブチ丸は事務所に行くって言ってたよな。


昼間に紗希はモデル業で呼ばれていると話していた。


大人しく帰るかな。


「あれ美里ちゃん、今日はもう帰り?」

席を立とうとした美里に由美が声をかけてきた。

あの一件から梨菜子だけでなく由美と舞香ともよく話すようになっていた。

「石森さんと帰るの?」

由美の後ろから舞香が顔を出す。

「いや、あいつは今日事務所行くっていうから別だよ」

机の中、横と美里は忘れ物がないか確認をする。とはいえ忘れ物とは携帯電話か財布のどちらかしかない。

「平日も仕事は大変だね」

「そっちも帰り?」

「うーん、帰ろうと思ってたんだけど」

舞香がちら、と後ろへと目をやる。視線の先には難しそうな顔をした梨菜子がまだ机に向かっていた。

机の上には先ほどまで授業を受けていた数学の教科書とノートがある。

「梨菜ちゃんって授業でちゃんと理解するタイプでね、だから今も延長戦みたいなの」

「助けてあげたいけど、私の頭じゃ役に立たないんだよね」

やれやれと舞香が首をすくめた。悪びれもなく由美は笑う。

「私も舞香ちゃんもわからなかったら速攻で諦めるもんね」

「俺も力にはなれないなぁ」

美里はこんな時に紗希がいたら、と思った。

「まあ私達別に用事があるわけじゃないし?このまま梨奈を待ちつつダラダラしようかなーって。美里もどう?」


美里のことを由美は「美里ちゃん」と呼ぶし、舞香は「美里」と呼ぶ。まだ少しむず痒い気持ちもあるが、最近起きているこの変化が地味に嬉しかった。

「そうだな。俺も用事ないし付き合おうかな。そんで試験前に梨菜子に教えてもらえるようにしとく」

「美里ちゃんちゃっかりものー!」

「そこは石森さんに教えてもらうんじゃないんだ?」

舞香の指摘に美里は目を細める。

「この前のあいつの俺への態度見ただろ?そう簡単に教えてくれるわけがない」

悟りきったようにいう美里に二人は「確かに!」と遠慮なく笑ってのけた。

その笑い声が聞こえたのか梨菜子がこちらに気がついた。

「え!みんなもう帰る?」

慌てるその様子はまるで小動物のようで可愛らしい。

「帰らないよ。だからゆっくり考えて。それで一緒に帰ろう」

三人は梨菜子の机に集まった。

「今日は美里ちゃんも一緒なんだ、頼もしいね」

にっこりと梨菜子が言う。

「石森さん今日はお仕事なんだって」

「へー、そうなんだ。…ってみんなさっきの数学わかった?最後のところ教えて欲しいんだけど」

助けを求める梨菜子に対して三人は掌を前に向ける。拒否の姿勢。


「俺がわかるわけないだろ」

「梨菜、私達はもう諦めたんだ」

「だから梨菜ちゃんが後で私達に教えて欲しいの。試験前に!」

揃いも揃って梨菜子頼みの三人に、頼られた本人は思わず吹き出す。

「何それ!教えるのは別にいいけどね?」

そしてすぐに「でもどうしようかな」と少し考えこんだ。


「待っててもらうのは悪いし、いっそのこと数学の先生に質問に行ったほうがいいのかなあ」

舞香が少しぎょっとした反応を見せた。そしてすぐに止めに入る。

「ややこしくなりそうだから、そこまでしなくてもいいんじゃない?私達は待つのは平気だよ」

舞香は質問に行ったらもっと時間がかかると予想したのだ。

と、いうのも数学の教師は少々面倒な相手で、熱心なのはいいのだが良かれと思って周囲を大きく巻き込むタイプなのだ。最悪の場合、指導がこちらに飛び火する可能性がある。

由美もその意図に気づいたようだ。

「ほら、職員会議ある日じゃん?多分先生捕まらないと思うよ?」


今日職員会議なんてあったっけか?なんでその日程知ってるんだろう?

と美里は考えた。聞きそうになった所でそれより早く舞香が制止する。

その目が言う。「今は余計なこと言わないで」

美里が察していないことにも気づいていた。


「先生よりも、まずは他にわかる人に聞くのもいいんじゃないかな?」

由美が提案をした。

他に、と聞いて舞香と梨菜子が周りを見渡す。

すると梨菜子の隣に座っていた男子生徒が視線が合うなり「げぇっ」という表情で顔を引きつらせた。黒縁メガネをかけたその男子生徒はサッと顔をそむける。

だが時すでに遅し。


「山川じゃん。ねぇ、そういえば数学得意だったよね?」

そう言って舞香が山川と呼ばれた彼の机に両手をついた。山川は「ああ、もう」と嫌そうにため息をつく。

「さっきの話聞いて教えたいと思う奴いると思う?理解しようとしてるの西浦さんだけじゃん」

「え、山川君。さっきまでの話聞こえてたのに声かけてくれなかったの?冷たくない?」

追いうちをかける由美。山川の顔に苛立ちが見えた。

「山川君、さっきの最後の問題わかるの?」

梨菜子は聞いた。隣に座る山川を控えめに、でも真っ直ぐ見つめた。

教えてもらえるかもしれないという期待の眼差し。山川は折れた。


「俺は理解する気のない奴には教えないからな!西浦さんのために教えんの!試験前に同じことはしないからな!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トラジとブチ丸 八代 智 @yashiro_satoru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ