第20話


紗希があんなに穏やかに微笑むものだから美里は完全に油断をしていた。

昼休みになり、さあ今日はどこで食べようかとなると紗希は「こっちの教室に来ないか?」と誘ってきた。

これまでの昼食場所といえばお互いの教室のベランダか屋上だった。梨菜子の件で紗希が四組に来たことはあったが美里は五組へ行ったことはない。

「教室って教室の中?いいけど珍しいな」

「これから夏で暑くなるからな。今のうちにお互いの教室で食べる場所を確保しておこうかと思ってさ」

もっともらしい言い方で紗希は答える。美里はその妙な優しさが気になったが、それ以上を考える頭は持っていなかったので「まあいいか」と快諾した。


紗希の机は教室の一番後ろ、窓際から二番目の席だ。そこと隣の窓際の席を使って二人は弁当を広げる。

「俺ここの席使って平気?」

弁当の蓋を開けながら美里がきく。

「そこの奴は昼休みは大抵いないんだ。すぐには戻らないだろうし、来たらどけばいいよ」

紗希は小さな紙パックの野菜ジュースにストローを刺した。

「ならいいけど」

美里は早速ミニトマトをつまみ口に放り込む。そしてふと周りを見たときに数名の女子グループがこちらを見ていることに気がついた。

不思議に思っていると美里と目が合った彼女たちはわざとらしく目線をそらす。

いつもは外で昼食をとっていた紗希が教室にいるから珍しいのだろうか?

心なしか彼女たち以外からも視線を感じた。


「どうした?気になるか?」

美里の様子に気づいた紗希が声をかける。少しだが口元に笑みがみえた。

「気のせいかな。なんか落ち着かないっていうか、見られてる気がするんだけど」

声をおさえて少し姿勢を低くする美里。周囲を気にはするが食べるのはやめずに口におかずを運ぶ様はとても素早く、その様子に紗希は笑い出しそうになった。


「実際見られているよ。今朝あの女子らに『ギャル崩れのお前よりも自分達とお昼を食べよう』って言われて、その誘いをすっぱり断ったからな」

「は?」

美里は思わず大声で聞き返してしまった。

「だってそうだろ?大切な親友を、事実とはいえ『ギャル崩れ』なんて悪く言われたら誰だっていい気はしないだろ?

本当、私って友達思いよねぇ」

最後の言葉に黒い念と含みが込められた。

美里はため息をついて頭を抱える。

「お前その流れで俺をこの教室に誘うか?馬鹿なのか?鬼なのか?俺このクラスの女子ほぼ敵に回したようなもんだろ」


してやられた。こいつ、わざと見せつけるために俺をこっちに呼びやがった。

「お前はこのクラスの女子と俺、どちらを敵に回したいと思う?」

紗希は意地悪な瞳を美里に向けると満足したようにサンドイッチを頬張り最後にその指を舐めた。

美里は納得のいかない表情で紗希を睨みつける。しかし、ふと思う。


もしかして今朝それがあったから紗希はあんなにも取り乱していたのだろうか。

わずかな時間だったがそう考えて動きを止めた美里の足を紗希は容赦なく蹴った。

「何?急に止まるな。気持ち悪い。お前そもそも交友関係とか気にするタイプじゃないだろ。ましてや隣のクラスなんて」

「俺そんなに友達いないように見える?」

「友達いないというより一匹狼だろ」

昔は

という言葉がその後に聞こえた気がした。


いつも間にか周囲からの視線も気にならなくなっていたし、実際周囲もずっと睨みをきかせているわけではない。一時的な話題にはなってもそう長くは続かないものだ。


一通り食事を終え弁当箱を片付けている時、美里は壁に立てかけてある一本のギターを見つけた。

「何それ、ギター?本物?」

美里に言われて紗希もそこに目を向ける。

「ああ、ここの席の奴のだろう。たまに放課後弾いているらしいな」

美里は近づいてその細部をまじまじと眺めた。

「ギターってこんな無造作にほっぽっておいていいものなんだな。意外」

「さあ、それが正しいかは知らないよ。後で本人にでも聞いてみたらどうだ?」

「多分本当はちゃんとケースにしまわなきゃダメかもね。でも出したままで置いてる人も多いんだよねー」

すっと自然に会話に入られたので、その存在に気がついたとき二人は条件反射で身構えてしまった。

飄々とした笑顔の男子生徒が二人の後ろから声をかけたのだ。


「え、そんな顔する?石森ちゃん顔怖いよ?」

瞬時に紗希が営業用の笑顔になる。

「だって峰くんが急に声かけるんだもん。びっくりしちゃった」

「石森ちゃん変わり身すごいね。さっきまでの様子と全然違うじゃん。やっぱり気の許せる相手だと違うのかな?」

紗希の目に厳しさが戻る。

だがこの峰と呼ばれた男子はお構いなしに美里に近づいてきた。


「ギター興味ある?触ってみる?」

美里は急に現れたこの男と明らかにイラついている紗希を見比べた。

「悪いけどギターに興味はないんだ。こういうの間近で見た事なかったからさ」

美里の言葉に峰は「なるほどねー」と何度も頷いた。そこで美里はハッと気づく。

「あ!ここお前の席だよな?悪い、すぐにどくから」

このギターの持ち主が峰ということなら、この席は彼の席なのだ。美里は片付け途中にしていた弁当箱を急いでまとめ始めた。

「まだいいよ。俺友達に返すノート取りに来ただけだし。それもってこれから行かなきゃだから」

そう言うと峰は机の横にかけてあった鞄からノートを取り出し、それを持ってまたドアへと歩いていった。

去り際に「じゃあね」と笑顔を向けられたが、それは純粋で無邪気なものではなく、どいらかといえば紗希がブチ丸として笑う時のそれによく似ていた。


峰が教室から出て行ったのを確認してから美里は紗希に向き直る。

「あれ、誰」

面白くない、という風の紗希が答える。

「そこの席とギターの持ち主。峰って奴。下の名前は忘れた。正直何考えてるかわからないし面倒くさい絡み方してくる。本当に面倒くさい」

紗希が「面倒くさい」と二回言うからには一筋縄ではいかないのだろう。

「明日は俺の教室で食べようか」

確かに関わりたくないと思ったが、紗希がここまで言う相手もなかなかいないだろう。

美里は少しおかしくて笑ってしまった。


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