第3話
西浦梨菜子さん、西浦さん。
梨菜子ちゃん、りなちゃん?
あの後、梨菜子と美里は連絡先を交換した。
美里はいま自室のベッドに横になり携帯電話に登録した梨菜子の連絡先を眺めている。
さすがにいきなり「梨菜ちゃん」呼びは不自然だろうか。
一人だけ調子に乗ったみたいに思われたら周りの女子からの目が怖い。そして明日彼女は私の事を「矢畑さん」と呼ぶのだろうか。
もし「美里ちゃん」とか「みさと」とか言ってくれたら私も「梨菜ちゃん」て呼んでもいいよね?
とても明るくていい子だった。他の子から遠巻きに話題にされてた美里に対してでも声をかけてくれた。
純粋に、あの子と友達になりたい。
でもなあ、と大きくため息をつく。
実際に話したときにツンケンしてしまう自分の性格はどうしたものか。慣れるまでの時間さえくれれば、あとは楽しくできるのに。
美里は携帯電話の画面を閉じる。
そして問題はもう一人だ。あの石森さん、ことブチ丸。
あの様子から察するに彼女はブチ丸の記憶を取り戻している。そうでなければ初対面の相手にあんな動揺はしないだろう。
美里はつい旧友に会ったつもりで声をかけたが、石森さんがブチ丸の過去を受け入れなかったとしたら?
現代で、人間として生きている彼女にとって美里からのコンタクトは迷惑そのものでしかない。
「せっかく会えたんだけどな」
寂しい、反面かつての同士の気持ちも尊重したい。
これは少し様子見かな。
その夜、美里は夢を見た。
トラジの自分は他の猫達と一緒にいていつもの寺の庭で、いつものしわくちゃな坊さんからニボシをもらっていた。
一番最初にニボシをもらえるのは一番小さい子猫だ。これから先を生きてゆくのに一番栄養をつけなければならない。まだ柔らかい毛並みにキラキラした瞳。嬉しそうに小さな口でかじり付く。
皆がニボシをもらったことを確認して、ようやくトラジがニボシをもらう。
この坊さんはちゃんと全員に行き渡るだけのニボシを用意してくれている事を知っているのでトラジも安心して待てる。
寺の庭にもう一人の人間がやってきた。
背の高いそいつは坊さんの隣に立ってトラジ達を見下ろしてこう言った。
「あなたこんなところでまだ猫してるの?」
冷たい空気を飲んで目が覚めた。
窓を見るとまだ薄暗い明け方だった。遠くから新聞屋のバイクの音が聞こえる。
あの透き通るような声が耳から離れない。
「なんでだよ、なんで私達だけ覚えてるんだよ」
美里は布団に顔をうずめる。でも決して再び眠れることは無かった。
「眠い、頭が痛い」
変な時間に起きてしまったせいで、美里は登校時間が一番眠く大変な目にあった。気がつくと瞼が下がってしまうので堪えようとすると白目をむいてしまう。
母親があまりにうつらうつらする美里を見かねてコーヒーを入れてくれたくらいだ。
これも全部あいつのせいだ。石森、いや。ブチ丸!
美里はイライラした状態で学校に着き、そのままのテンションで教室に入る。
ドアを開けた音がそもそも荒々しい。
教室にいたクラスメイトは一瞬だけ美里の方を見たが、何かを察して何事も無かったように会話へ戻っていった。
しまった、と思ったがそもそも美里は眠いだけで決して睨んでいるわけではないのだ。でも事情を知らない周囲はそうは思わないだろう。
かといって、美里から話しかける余裕も度胸もない。
そのまま鞄を机に放るように置いてブレザーを脱いだ。今日も若干暑い。
っていうか、眠い!お母さんありがとうでもコーヒー効かない。
美里が目頭を押さえて固まっていると教室に元気な声が入ってきた。
「おはよー!」
梨菜子だ。
教室内の何人かがそれに答える。梨菜子はにこにこの笑顔で部屋中を見渡すと美里を見つけた所で表情を変えて近づいてきた。
「え?美里ちゃん、どうしたの?え?目の下ちょっとクマできてるよ?」
とてもナチュラルに美里を名前で呼んで、且つこの状況を説明できるとはなんだこの子は。というのが美里の感想だった。
だがもちろん、それは表に出さずに美里は答える。
「そうなの、ちょっと寝不足でね。クマできてる?」
「うん。少しだけどね、いかにも眠そう」
梨菜子は自分の顔の目の下を両手の人差し指でなぞる動作をした。それはそれは眠そうな顔をして。
「もしかして、宿題やってたの?美里ちゃんて実は勉強家?」
「え?」
宿題という言葉と勉強家という二つの言葉に美里が固まる。
「宿題?」
美里が険しい顔で聞き返すと梨菜子はきょとんとしてさらに聞き返す。
「昨日に提出しなかった分の春休み中の宿題、今日提出予定のあるからそれやってたのかなって」
しばらくの間をおいて美里はわざとらしく目をそらして席に着いた。
「宿題なんてあった?私のクラスは無かったけどなー」
「えー!あれ学年共通だよ?あったよね?あったよね?」
周りにも聞いてゆく梨菜子に対して、他の生徒は頷いたり笑ったりしている。
すごいな、こんなに周りを巻き込んで。でも自然で嫌みがなくて。いいなあ。
始業のベルが鳴って、担任が教室へ入ってきた。
案の定、宿題は回収された。
もちろん美里が提出できる物など持っているはずはないのだ。
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