第2話
おまえ、ブチ丸だよな?
目の前にいる凛とした女子生徒に、美里は考えなしに聞いてしまった。
彼女は美里のことを変な生き物を見るような目で見ている。
「あなた、誰?」
「わた、俺だよ!トラジ!よく境内で一緒ににぼしを坊さんにもらってた」
美里はつい猫だった時の事を思い出してまくし立てた。
なぜなら彼女がブチ丸なことに確信を持っていたからだ。
だがよく考えてみると、周囲で自分以外に前世の記憶を持っている人間はいない。おそらくはほとんどの人間が覚えていないだろう。
むしろ美里が例外なのだ。
それを思うと例え彼女がブチ丸だったとしても、覚えている可能性の方が低い。
だめか。
なんだろう、この喪失感は。
クラス替えで友達と離れたとか、仲のいい子ができないとか、そういう次元の話じゃない。
空の胃でフリーフォールに乗った時のような、急に胸が冷えていく感じ。
美里は目を伏せて言った。
「ごめん、何でもないや」
このままではただの変な人だ。諦めてかえろう。
そう思って反対方向へ歩き出そうとした。
「にぼし…坊主」
さっきの彼女が足下の廊下を見つめたままつぶやいたのだ。
長い黒髪の頭を片手で抱えるようにしたので、少しばかりホラー映画のように見える。
下を見たまま視線の定まらなかった彼女の目が、徐々に美里の方を向いてきた。
驚いて振り返った美里の視線と彼女のそれが重なる。
ただでさえ色白な彼女の顔が蒼白になっていく。
そして手で顔を覆ったままつぶやいた。
「ト、ラジ?」
戻った!
美里には覚えがある感覚だった。
彼女はおそらく今、あのときの美里と同じ体験をしているだろう。
美里は嬉しくなって「ブチ丸」と声を掛けようとした。だが彼女は美里がアクションを起こす寸前で、それはすごい形相で廊下を駆けて行ってしまったのだ。スカートが、とか人の目が、などはお構いなし。それくらいに速かった。
声すら上げず、無言で全力疾走で去っていった彼女。美里はその場に取り残されてしまった。ぽかん、と口で言ってしまいそうになっていると先ほど美里が出てきた教室から、声を掛けてくれたあの子が出てきた。
「あれ?矢畑さん、石森さんと知り合いなの?」
不思議そうな顔で美里と廊下の先を見比べている。
「石森さんていうの?隣から出てきたんだけど」
二人で隣の教室の札を見上げた。
「へー、石森さん五組なんだ。やっぱり綺麗だよねえ」
あの子はまるで憧れているかのような口振りで石森さんについて話してくれた。
「石森さん、読者モデルとかやってて芸能界入るとか入らないとかの話しもあるみたいよ。うちの学年じゃ割と有名な子だけど、矢畑さん知らなかったんだね」
モデル、芸能界と遠い世界の言葉に美里は驚いた。仲の良かったボス猫が、今はモデル活動をしているらしい。
そうか、あいつは今を生きているんだな。
美里はちょっと寂しい気持ちになる。
それなら、私がとやかく昔のことを掘り返すのは野暮ってものだなあ。なんて考えているとあの子がじっと美里をのぞき込んでいた。
「何?」
思わずでた言葉だった。
のぞきこんだまま、あの子は言う。
「矢畑さんて、あんまり他人に興味ないでしょ」
「え?」
「だって去年一年間学校に来てたのに石森さんの事知らないし」
まるで言い当てられているようでドキリとした。
「そりゃ八クラスもあるんだから、全員は知らないよ」
美里が言い訳をするように言うと、あの子はにっこり笑ってその名前を教えてくれた。
「じゃあ、私の名前も覚えてね。私、西浦梨菜子。よろしく」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます