第32章 ── 第36話
翌日の陽が昇る前にアラクネイアとフラウロスがやってきた。
もちろん宿の従業員にも知られないようにコッソリとだ。
とは言っても、この二人とハリス以外でできるヤツを見たことないけどね。
「おはようございます、主様」
ニコやかな笑顔で俺のベッドに潜り込んでくるのは止めていただきたい。
はしたないですし、心臓に悪いので。
俺はムクリと起き上がった。
決してアッチのアレがが起きあがったワケではない。
そこにガチャリと扉を開けて淹れたてのお茶を持ってアモンが入ってきた。
「いたずらもそのくらいにしておきなさい、アラネア。
主様を困らせるものではない」
「お困りでしたか?」
アラクネイアは何か懇願するようなウルウルした瞳で見つめてくる。
「困るほどではないけど、これ以上は困るな」
「左様でございますか……以後気をつけます……」
彼女が残念そうにそういうとベッドから降りたので、俺もベッドから降りてアモンの淹れてきたお茶をグイッと一気に
「さて、話を変えよう。
今日からシュトーネンに向かう。
飛んでいけば簡単に行けちゃうワケだけど……」
「目立つのは控えたい……ということでございますな」
寝巻きから着替えつつ話していると、フラウロスがやってきた。
「フラ、その通り。
さすがに目立つと魔族の総攻撃なんて話になりかねないしね」
アモンとアラクネイアが俺の着替えを無言で手伝ってくれる。
着替え終わり、扉へと近づくとフラウロスが開けてくれる。
俺はそのまま寝室を出てスイートの居間へと向かう。
すでにアロケルが起きていて待っていた。
魔族、みんな早起きだなぁ……
「おはよう」
「おはようございます!」
アロケルはソファから立ち上がると深々と頭を下げて挨拶を返してきた。
「今日から首都に向かうけど、移動手段は……歩きかな」
「馬車は使わないのですか?」
アロケルが不思議そうに首を傾げている。
「馬車はあるんだよ。
でも俺の馬車は……」
「馬がミスリルですからな」
「は?」
フラウロスが牙をむき出しにして笑い、その言葉にアロケルがポカーンとした顔をしている。
「ああ、俺の馬車を引かせてる馬ってミスリル・ゴーレムなんだよ。
そんなモノで旅をしたら目立つどころの話じゃない」
「そんなモノが実在するのですか?
マルバス閣下ですら作ったなんて話が聞こえてきませんが」
確かにティエルローゼではゴーレム作成自体が
よって人や馬など他の生物の形状をしたゴーレム、は非常に珍しいのだそうだ。
俺がレリオンで捕まえたのは、神々が作ったヤツの一つだったからこそ人の形をしていたっていうオチだからね。
「最近、マルバスってヤツの話をよく聞くけど、魔族の魔法道具を一手に作ってるヤツだとしたら、そいつから籠絡するべきかもしれないな」
「では、そのように致しましょう」
アモンは、すでにお茶道具などの品を
「忘れ物もなさそうだし行くとするか」
「承知しました」
アラクネイアとフラウロスが影に沈んでいく。
俺とアモン、アロケルは部屋を出て階段を降りて宿のカウンターへと向かう。
従業員が半分寝た状態で椅子に座っている。
「おはよう」
「……」
「おはよう!」
大きな声で呼ばわると、従業員が目を覚ました。
「お、おはようございます、お客様!!」
飛び起きた従業員は立ち上がり、俺を見てペコペコと頭を下げた。
「チェックアウトを頼むよ」
「畏まりました」
従業員は宿帳をひっくり返し、俺たちの記入を見つけると、素早く宿代を計算し請求してきた。
俺はチップを足して余分に払った。
払われた金額を見て従業員は満面の笑みを浮かべた。
さすがに金貨一枚チップにしたのは出しすぎたかな?
まあ、こんな早い時間に手続きをさせたお詫びも含めてってことなので、無駄遣いじゃないと思うよ。
宿を出ると、東の空がだんだんと明るくなって来ているのが見えた。
「首都に向かうとしたら西門でいいのか?」
「はい。シュトーネンは西の国境から二〇キロほどのところにありますので、西門でございます」
徒歩だと一ヶ月以上も掛かるそうだけど、まあ間に合うよね。
いざとなったら走るとしましょう。
西門までくると、警備兵たちが、巨大な門を開けたり、受付のための書類を用意したりと走り回っていた。
その中の一人が俺たちに気付いて近寄ってきた。
「随分早いな、急ぎか?」
「ええ、首都まで行かなきゃならない旅なんで」
フラウロスとアラクネイアは既に影から出てきて俺たちの後ろに立っていたので、警備兵はアラクネイアに視線を奪われている。
「貴族様の護衛にしては……馬車じゃないのか?」
警備兵はアラクネイアを見て俺の耳元に口を近づけて囁くように質問してくる。
「それが……
どうやら野営というモノに興味があるとかで……」
「あー……そういう令嬢時々いるよな……
護衛は二人で大丈夫なのか?」
「あの執事が相当な使い手なんですよ……
俺らいらないんじゃないかって思うほどですよ」
「そうなのか……?」
「この前、オークの集団二〇匹を一人でを殲滅してました……」
「一人でか……!
それは凄い……」
俺たちがヒソヒソとしていると、アラクネイアがパンッと扇を開いて口元を隠すと「何をしているの?」と冷たい声を出す。
「あ、いや、何でもありません……」
俺がアラクネイアのアドリブに合わせてそう答えると、警備兵はサッと身を翻すと「何でもございません。どうぞお通り下さい」と丁寧に答えた。
警備兵の目には同情の色が見える。
俺が後で怒られると思ったんだろう。
結構優しい警備兵である。
街から出る時は基本的に持ち物検査があるものだが、貴族らしい人物への検査はおざなりになるモノで、大した検査もされずに通された。
これだからご禁制の品が貴族の手によって横行することになるんだよ。
まあ、治安が安定した国だと汚職やら腐敗が蔓延るもんだからね。
これはウチのオーファンラントも例外じゃないに違いない。
トリエンはマニュアル化が進んでいるので、貴族だろうが必ずチェックされるんだが、これは強い領主が治めているからこそ出来る力技ではあるね。
俺は一応辺境伯だから侯爵くらいの影響力を持つので、王家やら公爵家が出てこなければ何とかなるんだ。
でも、ミンスター公爵とは仲良しなので、彼もちゃんと持ち物検査をさせてくれるんだ。
有力者と仲良くなっておくというのは大きいんだなと思うよね。
西門を通り過ぎ、道の先を眺める。
まっすぐに西に向かう街道は、それほど太くないし土が剥き出しである。
まだ、この辺りは辺境なので街道整備はこんなもんなのだろう。
俺がこの世界に来た頃のトリエンの街道はこんな感じだったからな。
五キロほど歩くと、街道の横に少し開けた部分があって馬車が幾つか停まっている。
焚き火も散見され、火にあたって暖を取る夜番らしい人々が見えた。
俺が「おはよう」の意味を込めて手を挙げると、あちらも目に警戒の色を見せつつも返礼の挨拶をしてくれる。
俺たちが通り過ぎると、夜番の一人が走って追いかけてきた。
「おーい」
立ち止まって、走ってきた夜番を待つ。
「歩きでこの先に行くのか?」
革鎧姿の男は斥候系の職業らしい。
アラクネイアとアモンの格好を見て、何か不安を感じたのかもしれない。
「そうする予定だけど、何かあるの?」
「この先はダイア・ウルフが出るぞ。
群れとしてはそれほど大きくないと思うが……
護衛が二人だと……」
「ああ、危ないと思ったら戻るとするよ。
情報ありがとう」
俺は銀貨を一枚、革鎧の彼に握らせた。
情報は力なので金を惜しまないのが俺の心意気ってやつだよ。
「まあ、大丈夫ならいいが、気をつけろよ」
そう言って革鎧の男は焚き火の方に帰っていった。
「ダイア・ウルフですか、旅の護衛になりますね」
ダイア・ウルフの神であるアラクネイアがいる以上、彼らが脅威になる事はない。
逆に言えば、彼女がいるならダイア・ウルフの生息域は、安全地帯になるってことだ。
更に五キロほど歩くと、件のダイア・ウルフがやってきた。
最初は獲物の様子を見に来たといった感じだった。
丘の上に数匹の巨大狼が見えたんだが、すぐに姿が見えなくなった。
そして数分後、二〇匹以上のダイア・ウルフが同じように丘の上に姿を現す。
しばらくこちらを見ていたが、その内の五匹ほどが素早く丘を降りてくると、俺たちの近くまで来て、伏せの姿勢を取ったのである。
「我らが創造主よ!
拝謁の恩恵を賜りたく参上致しました!!」
俺にはそう聞こえるが、アラクネイアは小首を傾げつつニコニコしていた。
「挨拶したいってよ」
俺が通訳してやると、アラクネイアは嬉しげに頷いた。
「我が子たちよ。
よう妾に会いに来た。
これからも息災に過ごすと良い」
アラクネイアの言葉にダイア・ウルフたちは感動したらしい。
ゴロンと転がると腹を見せてハッハッハッと荒い息を吐き続ける。
まあ、忠誠を誓っての行動なんだろうけど、俺には腹を撫でろと要求するシベリアンハスキーにしか見えん。
シベリアンハスキーに比べると二倍以上あるので、ちょっと巨大過ぎるけどね。
アラクネイアは、リーダーらしいダイア・ウルフの側まで行くとしゃがんで、そのフサフサのお腹を楽しげに撫で回している。
ワシャワシャと撫で回すとダイア・ウルフのブンブン振られている尻尾の速度が加速した。
俺も撫で回したいけど、大丈夫かな?
俺は恐る恐る近くのダイア・ウルフの隣に座り込んで、ワシャワシャした。
さっきまで振っていた尻尾が股の間にクルリと丸まったが、一応撫でさせてくれた。
「おー、もふもふだな!」
俺とアラクネイアが笑顔で見つめ合いワシャワシャするもんで、ほのぼの空間が形成されたのは言うまでもない。
ひとしきりワシャワシャタイムを楽しんだ後、ダイア・ウルフたちを開放した。
リーダー格らしい、ダイア・ウルフは至高の存在に触られた所為か、物凄く嬉しそうだったが、俺が触っていたヤツは意気消沈したようになっている。
なぜかは判らんけど……
「護衛を何匹かお連れ下さい」
ダイア・ウルフのリーダーはそう言って、体格の良い五匹のダイア・ウルフを置いて丘の方へと戻っていく。
「よろしくお願いいたします!!」
護衛として置いていかれたダイア・ウルフは全員オスのようで、全てレベルが一五を越えている。
中堅冒険者でもかなりの脅威になる軍勢だ。
「こちらこそ、よろしく」
俺がそう返すと、一瞬だけ不思議そうに俺の顔を見上げたが、伏せの状態になった。
「ああ、俺は君たちの言葉を理解できるんだよ。
何か気付いたら俺に言ってくれ」
「畏まりました!!
では、我々は少し先行して危険を知らせる役を受け持ちます!」
「そうしてくれると助かる」
俺がそう言うと五匹は西の街道方向へ走り去った。
まあ、大マップ画面を開いておけば、斥候なんて必要ないけど、彼らの好意を無駄にするのもアレなので、任せてみよう。
西のダイア・ウルフ軍団と比べて、彼らの働きが劣るとは思えないし、結構優秀な斥候になりそうな気はする。
それにしても久々にダイア・ウルフと戯れたね。
やはり人生には、時々モフモフ分が必要だと思います。
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