第31章 ── 第30話
予想に反してイギリスで一日以上潰してしまったので、世界中を一気に見て回った。
イタリア、ギリシャ、インドに中国。
もちろん、生まれ故郷の日本にも立ち寄る。
前に住んでいたアパート近くの公園に転移した。
「ここが、ケントの生まれた国……?」
「うん。
そこに見えるボロアパートの二階の一番端っこの部屋に住んでいたんだよ」
既に引き払っているので入って休むことはできない。
「なんだか貧民街の建物みたい」
エマが随分な言いようだが、言われても当然かもしれない。
二階へ登る階段や手すりは錆びまくっており、塗装も剥げまくっているし、築三〇年以上の木造アパートなので、全体的にくすんだ色だしな。
「貧乏だったの?」
「いや、人並み以上の蓄えはあったよ」
それを自分の生活の質を向上させる為に使っていなかっただけで。
「引きこもってたからな。
無駄な金を使う考えはなかったんだよ」
「ふーん……」
ティエルローゼにいる時の生活パターンしか見ていないエマには信じられないようだが、あっちはゲームの延長みたいな感じなので、現実だったこっちの生活とは基本的に違うパターンで行動しているに過ぎないのだ。
「クサナギ殿、周囲の者たちが騒ぎ始めております」
「ああ、申し訳ない。
そろそろ昼だしね」
いかに人通りが少ないベッドタウン地域といえど東京である。
公園の外はそれなりに人はいるし、中には子供連れのママたちも何人もいる。
突然、光る鏡面的な何かが現れたと思ったら、そこから人間がぞろぞろ出てきたんだ。
ビックリするのは当然だろう。
ただ、「え? 映画の撮影!?」とか「見間違い!?」とか声が聞こえているので数人が話しているが大騒ぎになっているワケではない。
「んじゃ、行こうか。
まずは昼ご飯にしようか。
行きつけのラーメン屋が近くにあるんだ」
ラーメンと聞いてエマの顔がほころぶ。
「マリスたちから聞いてるわ!
あの麺とかいうヤツのでしょう!?」
「そういや、一度刀削麺的なラーメンを作ったっきりだったっけな……」
あの時は色々と材料が揃ってなかったのでなんちゃってラーメンだったんだよな。
「あんな出来損ないのラーメンより断然美味いよ」
「それは楽しみですな」
ローゼン閣下も破顔して期待感丸出しである。
「期待してもらっていい」
俺はニヤリと笑って二人を案内して公園を出た。
後ろの方で子供やそれのママたちの声が聞こえるが完全に無視だ。
「やはり、転移する度に町並みが変わって目に楽しいですな」
研究目的としてゆっくりと見て回りたいのだろうが、急ぎ足で転々としているので不満に思っているんじゃないかと心配していたが、ローゼン閣下はそれなりに楽しんでいるようである。
「この町は石造りの家屋が少ないように思えます」
「ここらは住宅街ですからね。
もっと都市部にいけば、殆どが石とか……で出来てます」
コンクリートとか説明するのが面倒なので端折ってしまう。
五分ほど歩くと小さい商店街に出る。
目的のラーメン屋はこの通りにある。
「ここはお店が並んでいるのね……
貴族が使うお店なの?」
エマは正面がガラス張りだったり、店前が凝ったデザインで飾られているのを見て貴族たちが使う店だと判断したようだ。
あっちでは板ガラスは高価だからな。
「いや、金持ちはいるがこの国に貴族はいないんだよ。
ここは比較的庶民たちが使っている商店街だよ」
「ほえ~」
エマが驚き目を丸くする。
「そうなのね。
庶民たちが使う店が並んでいるのに乞食がいないわ」
あっちでは庶民用の商業地区には乞食が結構な数ウロウロしているのだ。
「この日本という国は、乞食という言葉は今は殆ど使われてない。
差別用語だとかでね。
だからそういう人たちはホームレスと言われているんだ。
ホームレスはこういう住宅街の近くにはいないね。
行政によって立ち退かされるから」
ホームレスはどちらかというと都市部の繁華街とかに多い。
新宿とかな。
住宅街付近だと住民が騒ぐから行政が動くんだよ。
エマは、乞食という言葉が差別用語だと聞いて顔を顰める。
「どこが差別なの?」
俺は苦笑する。
ある時期から世界中でポリティカル・コネクトネスが行き過ぎ始めた。
乞食とか色々な言葉を差別的だとして排除していった。
だから様々な日本語が消えたんだ。
乞食もその一つだろう。
メディアが使わなくなると一〇年もしない内に人々のボキャブラリーから消えていくのである。
それでも辞書には乗っているし、時代劇などでは時々出てくるので知っている者も多いからあまり問題にならないんじゃないだろうか。
俺としては言葉狩りとしか思えないが。
俺は足を止めて会話を切り上げた。
「途中で申し訳ないが、到着だ」
俺は懐かしい看板を見上げる。
俺の主観では何年もここに来ていないのでそう感じるだけだ。
こっちの俺が死んだのはそんなに前ではないけどね。
「赤いですな」
「赤いわ」
ローゼン閣下たちの第一印象は「赤い」だった。
看板や店先のカラーリングが赤を基調としているのでそう感じたのだろうか。
「赤いけど辛くはないから安心してくれ」
「え? 赤は辛いの?」
こっちでは赤っていうと唐辛子っぽい印象なのか、大抵辛い食べ物は赤いパッケージなので……
「いや、こっちの世界だとそう思われがちなんでね」
「不思議な話ね」
ティエルローゼで赤は、貴族の服に多い色合いとなる。
基本的に赤や青、緑といった鮮やかな色合いは染料が高い為、高級な衣服を着ることができる貴族の色なのだ。
逆に、茶色、黄色、その他の淡い色全般は庶民的な色合いと思われている。
俺のくすんだ緑色のブレスト・プレートがアダマンチウム製だと気づかれないのもその為だ。
「でも、いい香りがするわ」
「よし、では入ってみるか」
「そうしましょう」
ローゼン閣下も待ちきれないようなので、早速入り口の引き戸を開ける。
「らっしゃっませーっ!」
いつもの店員の威勢のいい声が飛んでくる。
頭の悪そうな感じだが、接客は丁寧なヤンキー兄ちゃんである。
名前は何だったかな?
「おっ! お客さん久しぶりだなー?
就職して忙しくしてたんか?」
俺は常連なので、この店員の兄ちゃんに顔を覚えられているのである。
「そうですね。中々来れなくて申し訳ない」
俺が困ったような笑顔で答えると、俺の後ろにいるエマとローゼン閣下に店員の兄ちゃんは気づいた。
「何だ?
連れが一緒なんだな……って外人さんかよ!」
どう見ても欧米系のローゼン閣下を基準にしてそう言っているのだろう。
エマはハーフエルフだけに少し耳が尖っているが、エルフほど耳の形状は特異ではないので誤魔化せる。
「ああ、この方は俺のお得意様の偉い人。
こっちは、俺の雇ってる従業員の子だよ」
「雇ってる?
兄ちゃん会社起こしたんかあ!
そりゃ忙しいわな!」
まだギリギリ昼前で暇だったのか、店員の兄ちゃんの世間話が止まらない。
すると、でかい怒鳴り声が兄ちゃんを叱り飛ばす。
「泰時!! 無駄口叩いてねぇでお客さんを席に案内せいや!!」
一瞬で店員の兄ちゃんはビクッとして「すんませーん!」とカウンターの中の老人に頭を下げた。
「ささ、こちらっす!」
身振りで俺たちを座敷席に誘導する。
ここの店長さんは無口な爺さんだが、腕はピカイチである。
何でこの店に行列が出来ないのかは俺の中で謎である。
「兄ちゃんはいつものでいいとして……
お連れさんたちは何がいいかな……?」
メニューを二人に渡す店員の兄ちゃんだが、言葉が通じているのか不安なのか語尾が尻切れトンボになる。
一応、仕事は忘れていないようで、冷たいおしぼりもちゃんとテーブルに持ってきた。
感心感心。
ま、エマも欧米系の美少女ですからな。
エマが見た目は一〇歳程度なので普通なら「従業員」と紹介したら不審に思われるんだが、店員の兄ちゃんはあまり頭が良くないみたいで不思議にも思っていないようだ。
渡されたメニューをエマたちは恐る恐る開く。
そこには写真つきの料理の一覧が並んでいて目の色を輝かせた。
セット・メニューにも大きい写真が付いているので解りやすい。
「美味しそう!」
「そうだろ?」
このメニュー表は店員の兄ちゃんが作ったモノである。
学もないヤンキー兄ちゃんだが、パソコンは何故か使えるらしいんだよね。
ゲームも好きらしく、そっち系の話題で話すようになった経緯がある。
「どれがいいのかしら?」
「どれも美味いけど、悩むならラーメン餃子セットにするといい」
「では、私もそれを」
俺が勧めるとエマが頷き、ローゼン閣下も同じものを所望する。
「では、ラーメン・餃子セット二つ。
俺はいつもの通りラーメン・餃子・チャーハンで。
チャーハンはいつもと違って大盛りでね」
俺のいつものってのは、半チャーハン付きのセットのことである。
今日は団体なのでチャーハンだけ大盛りの特性セットである。
「あいよー」
店員の兄ちゃんは注文表に書き込むとカウンターの中に入っていった。
彼はチャーハン担当なのだ。
「チャーハン?」
「ご飯を味付けして炒めた料理だよ。
量が結構あるから、みんなで取り分けて食べるから大丈夫だよ」
エマはテーブルの端に置かれている調味料の列を珍しそうに見ながら「そう」とだけ言った。
人の注文に興味を示すのは、はしたないとでも思ったのだろうか。
ちょっと油ギッシュな屋内に落ち着いて久々のラーメン。
何となくだけど、ちょっとワクワクしてきた気がします。
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