第31章 ── 第26話

 通路を奥へと慎重に進む。

 異臭は相変わらずしている。

 まだ地下迷宮へ続く通路なので敵の姿はない。


 しかし、この通路をゴブリンが行き来しているのは間違いないだろう。

 そこかしこにゴブリンが汚物やら何やらを塗りたくっているような跡があるからだ。


 この不快な匂いの原因ではないかと思う。


 大マップ画面を開き、先の方の状況を確認。

 現在地点から二〇メートルほど先が丁字路になっている。


 まずはあそこまで行こう。

 丁字路の左右の先も少し行ってから丁字路だ。


 ゆっくりと進んで丁字路まで来て左右の状況を再び確認する。

 今のところ生物がいそうな気配は確認できない。


 大マップを少し縮小表示して赤い光点を探す。

 右の通路を行くと数匹分の光点があった。

 左は下方に傾斜があり下層へ向かっている事が解る。


「まずは、右へ向かって、上層を制圧しよう」


 エマと閣下はコクリと頷いた。


 右へ進み、分岐をいくつか越えて数百メートル。

 前方の暗がりから、アギャアギャとゴブリンっぽい声が聞こえてくる。


 耳を澄ましてみれば、「ガリャル、今日の晩飯は美味かったな!」とか「明日はモゴーんところの息子だな」などという内容だ。


 あまり想像したい内容ではなさそうだ。


この地下迷宮は完全に外と隔絶されている事を考えれば、奴らが食料をどこから調達しているのかは明白であろう。

 話の内容もそれを意味している。


 この閉ざされた世界だけが彼らが認識している世界なのだ。

 それは不幸な事でもあるが、彼ら以外には幸運な事である。


 その時、ゴブリンが不穏な事を言い出す。


「なあ、変な匂いがしないか?」

「ん? 変な匂い?」

「ああ、こんな匂いは嗅いだことがない」


 大マップ画面を確認すると、ゆっくりだが光点はこちらに動いている。


 そうか……盲目ゴブリンは、長い暗闇での生活で聴覚と嗅覚が飛躍的に発達しているとか何とかダイアログの情報にあったな……


『俺たちの存在がバレたぞ。戦闘準備』

『え? 何でバレるの!?』

『匂いみたいだな』


 俺の言葉にエマが嫌そうな顔をする。

 だが、匂いを防ぐなんて事は生きている以上なかなか難しい。

 それは現代の地球でもね。


「やはり、こっちからだ」


 ゴブリンは確実に近付いてきている。

 光点から判断するに道筋などは把握できているようで、動きに全く迷いがない。


 俺はスラリと剣を抜き放つ。

 エマは魔法の発動媒体として指輪を付けた右手を前に突き出した。

 ローゼン閣下は小さい声で呪文の詠唱を始めている。

 唱えられている呪文のセンテンスから、どうやら皮膚硬化アーマースキンを使ってくれるようだ。


 相手のレベルから考えてもあまり万が一があるとは思いたくないが、何があるか解らないし用心に越したことはない。


 それでなくても、この地下迷宮がイギリス人に知られていない段階で下手をすれば何千年も隔絶された空間である。

 どんな危険なモノがあるか知れたものではないのだ。

 さすがはローゼン閣下といえようか。


 俺たちはじっとゴブリンを待ち構える。

 眼の前一五メートル先の角から何かが顔を覗かせた。


 暗視ナイト・ビジョンを掛けた目で見ている為、正確な色とは言えないが、従来のゴブリンとは肌の色が違う。

 本来なら緑色っぽい色なのだが、このゴブリンたちは灰色の肌である。

 まるで岩のような色なので、岩場で遭遇したら不意打ちを食らいそうである。


「やっぱり何かいるな」

「ああ、嗅いだこともない匂いだ」

「食えるのか?」

「動くモノなら食えるだろう」


 どうもゴブリンたちは俺たちを敵というよりも食い物として捉えているようだ。

 手に持った何かの骨をブンブンと振り回してゲラゲラ笑い始めた。


 それはそうか。

 この外界から隔絶された空間では、彼らを脅かす存在はいないのだ。

 彼らこそが食物連鎖の頂点にいるのである。


 俺はレベル一〇程度のゴブリンに食料扱いされている事を少し不快に思う。


「お前らに食われるほど弱くないぞ?」


 不快そうに言った為か、ゴブリンたちの動きが止まる。

 手に持った何かの骨もピタリと動かなくなった。


「どこのヤツだ?

 その匂いは何なんだ?」


 どうやら俺の言葉が理解できたようで、仲間のゴブリンだと思ったのだろう。

 俺は日本語を話しているつもりだが、地球においても知らない言語を喋る相手と不思議と意思疎通できる。


「勘違いするな。

 俺たちはゴブリンじゃない。

 人間だ」

「人間……人間て何だ?」


 自分たちを「人間」と言ったところ、彼らには「人間」という単語や概念が存在しないようだった。


 困惑しつつも、自分たちとは違う道の存在が自分たちの言葉を喋っていると考えたようで、ゴブリンたちは距離を取りながら骨の棍棒を握りしめた。


「何者かは知らないが、俺たちの腹に収まるつもりがないなら、逃げ出した方がいいぞ!」


 ギャイギャイと吠えるような声で喋っているのを見てエマが肩を竦めた。


「何言ってるか解らないけど、随分と腰が引けているわ」

「そりゃ未知の言葉が通じる存在が現れたんだ。

 正体不明過ぎて恐れを感じるのも当然だろうね」

「目がないように見えます。

 辺境伯殿の事前情報通り、盲目なのは間違いなさそうですな」


 ローゼン閣下はゴブリンの変種を見て研究者の視線で奴らを観察している。


「後ろの二匹は意味の分からない事をしゃべっている……

 ますます解らない……

 こいつら、何なんだ……」

「お前らに知る必要がない。

 エマ、眠らせてやれ」

「了解よ!」


「眠れ!」


 エマは腕輪に付与してある「集団催眠マス・スリープのコマンド・ワードを使った。

 眼の前にいたゴブリンたちが何の抵抗もできずにバタバタと地面に転がった。


「おお、辺境伯殿が作られた魔法道具ですかな!?」

「初めて使ってみたけど、結構強力ね」

「使用者のレベルに左右されるのでは?」


 ローゼン閣下の言う通り。

 あの腕輪はレベルが高い者が使うと効果が増す。

 その分MP消費が激しくなる副作用があるのだが、イルシスの加護を持つエマにはあまり関係がない。

 現在、エマのレベルは六七。

 もう人間を超えている段階であり、ゴブリンなどがエマの魔法に抵抗できるワケもない。


 俺はインベントリ・バッグからロープを取り出して、ゴブリンたちの手足を縛った。


「殺さないので?」


 ローゼン閣下の質問は当然で、ゴブリンは即座に殺すのが秩序勢に所属する人間の考え方である。


「閣下、ケントは無闇に殺さないの。

 トリエンの南西の丘陵地帯にいるゴブリンもケントは殺さずに配下にしたのよ」

「そういえば、そんな話を聞きましたな。

 辺境伯配下のゴブリンたちとはお会いした事がありませんでしたので、ただの噂かと思っておりましたが」


 まあ、 ティエルローゼではゴブリンは混沌勢だと認識されていますので、一応安全保障的に秘密にしておきたい話ですからねぇ……


「一応、俺とは言葉が通じるみたいなんで、まずは情報を手に入れようと思いましてね……

 殺すとしても、その後の事でしょう」


 以前から言っているが、情報は力である。

 大マップ画面があるとはいえ、ここは前人未到の地下迷宮なのだ。

 ここの地形や情報を熟知している者から色々と聞き出しておく事は重要になってくると思う。


 ゴブリンの人数。

 この地下迷宮での注意点。

 ゴブリン以外の生物はいるのか。


 この辺りは喋らせておかないとな。

 それと、他にも聞きたい事は山とある。


 これは純粋な興味からだけど、何故ここにゴブリンがいるのか。

 彼らの歩んできた歴史なんかも知りたい。

 知的生命体であれば、自分たちのルーツに繋がる神話などを持ち合わせている可能性もある。


 この地下迷宮はこのゴブリンたちが作ったとは思えないし、何者が作ったのかなんてのも聞きたいところだな。


 何にせよ、地球における人間たちの歴史からは想像もできない話が飛び出してくる可能性が高い。

 そういった彼らの事情くらいは知っておかないとね。


 彼らを全滅させるのは容易いが、後で後悔するような事がないようにしっかり判断を下せるだけの情報が必要なんだよ。


 地球の生物学界から見たら、コイツらはどうみても絶滅危惧種だろうしな……

 もし全滅させるにしろ、話を聞いたりして情報を集めてからにしたい。

 人類に対して害となるのかならないのか。


 どちらにせよ、面倒この上ない事ではある。


 俺はこっちの世界の行く末とか、そんな重荷は背負ったつもりはないんだけどなぁ……

 それでも放っておけないのは、苦労性てヤツなんですかね?

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