第31章 ── 第23話

 俺たちはオニール女史が乗ってきたらしい大学のワゴン車に載せられてストロード大学の研究室へと連れてこられた。

 オニール女史の研究室らしく、アーサー王関連の書籍が大量にあった。


「猊下はどのような研究活動をされておられるのでしょう」


 待ちきれなかったようで、オニール女史からローゼン閣下へ早速質問が飛んでくる。


「私は……」


 俺はパーティ・チャットを使って、質疑応答に必要な事をローゼン閣下に伝える方法でオニール女史との会話を試みる。


「私はアーサー王と聖杯について研究しています」


 この二つの関連性については数々の研究がなされている代表的なものだろう。


「猊下はアーサー王の騎士たちが聖杯を求めた物語を真実だとお思いでしょうか?」

「真実かどうかは重要ではありません。

 物語自体は架空かもしれませんが、その背景にある事件、事象に真実性があるかどうかですな。

 今は失われているかもしれませんが、聖杯は確実に存在したものなのは間違いない事実ですのでな」


 オニール女史は目をパチクリさせる。


「聖杯は実在すると……」

「ええ。

 ただ現在、この世界に存在しているかどうかは謎です」

「この世界?」


 言い方に疑問を持ったのか、オニール女史は聞き返してくる。


「そもそも、聖杯がどこから来たのか。

 そこから謎ですな。

 聖杯に不思議な力が宿っているというのは、どの伝説、伝承でも語られている。

 この世界上で考えればありえない代物ではないですかな?」

「確かにそうですが。

 神が実在しているならありえない話でもないのでしょうが……」


 歴史や考古学的な観点から現在と過去を照らし合わせても、神の実在を証明することはできない。


 ローゼン閣下は少し笑いを漏らす。

 神の実在を知らない異世界人に可笑しさが込み上げているのだろう。


「神は実在しますよ。

 その神が与える加護も祝福もまた存在します。

 それを貴女たちが観測、あるいは感知できないだけでね」


 パーティ・チャットでローゼン閣下が俺に聞いてくる。


『少しだけ彼女に神の存在を見せることは可能でしょうか?』

『え? 何か見せたいの?』

『深夜から朝に掛けて辺境伯殿から伺った話や情報を考えるに、この方にはそういった神の奇跡や魔法といった者の実在性を匂わせる事が重要かと』

『ふむ……確かに、色々と協力を取り付けるなら、アリではあるね』


 グラストンベリーだけでなく、他のイギリス国内で信仰を集める地を見て回る必要が出てきた場合に助けになるかもしれない。


「では、少し神の奇跡をお見せしましょう。

 よろしいですかな?」


 ローゼン閣下は俺に手を差し出す。


 俺はインベントリ・バッグから魔法の蛇口がついた水差しを取り出してローゼン閣下に渡す。

 これは食事の時に水がすぐに飲めるようにと以前作った魔法道具である。


「それは?」


 変な蛇口の付いた水差しを見て怪訝な顔をするオニール女史にローゼン閣下は柔和に笑う。


「これは、神の奇跡を与えられた物品の一つ。

 我が国のとある場所から発掘された聖遺物の一つです」

「聖遺物……」

「このカップをお借りしますよ」


 閣下は出されたお茶を飲み干してから空のカップを水差しについた蛇口に持っていく。

 蛇口の取手を捻ると水が出てカップを満たす。


「と、これだけのモノですが、これは神の奇跡という事になりますかな」


 オニール女史は「手品では?」と疑って掛かる。

 学者としては正しい判断である。


「手に取っても?」

「どうぞ。ただし、扱いは気をつけて頂きたい」

「心得ております」


 オニール女史は常備してあるらしい白手袋をして、水差しを持ち上げた。


「重くはありませんね……

 陶器としてはありふれた素材のようですね。

 製造年代は……解らない……

 この形状はどこかで見た気がするんですが……」


 考古学者を名乗るだけあり、製造年代とかを形や素材で見極めるらしい。

 放射性炭素年代測定とかやるのが普通かと思ってた。


「中身は空……

 濡れた痕跡はないわね。

 ではさっきの水はどこから……?」


 自分の紅茶のカップを飲み干して、ローゼン閣下がやったように蛇口の取手を捻る。

 やはり水がどこからともなく出てくる。


 オニール女史はそれに驚き、手のカップを取り落としそうになった。

 バシャリとカップに入った水がテーブルを濡らす。


「気をつけて」


 ローゼン閣下の警告にオニール女史はカップを持つ手に力を入れなおした。


「失礼しました」


 蛇口を下通り捻り直して水を止めて手のカップを置くと、タオルを持ってきた丁寧に拭き取っている。

 そのタオルをきれいに畳んで執務机の方に持っていったのを見ると、ビニールか何かに入れて保存し、後で蛇口から出てきた水の成分でも調べるつもりかもしれない。

 ただの水なんだが。

 混じりっけのない水なので産地とかは解らんと思いますけどね。


 戻ってきたオニール女史は、再び水差しの中を覗いたり、ひっくり返して底の方をみたりと忙しい。


 ローゼン閣下は何食わぬ顔で、さきほど注いだ水を飲む。

 オニール女史はそれを見て再び少し驚いた顔をする。


 生水をそのまま飲むのは、日本以外では中々難しい行為ですからね。

 飲める水が水差しから出てきたという事を端的に表しているので驚いたんでしょうなぁ。

 オニール女史もカップに半分残っていた水を恐る恐る飲んで……舐めてみていると言った方がいいか。

 味もしないし、臭いもしないと思っているようだ。


「これは神の奇跡なのでしょうか?」

「不思議でしょう?」

「教会はこのような聖遺物を他にも……」

「私は他のモノを知りませんが、あるのではないですかね?」


 微笑むローゼンが少し首を傾げるような仕草でそういうと、オニール女史は肩の力を抜く。


「素晴らしいモノを拝見させて頂きました。

 ありがとうございます」

「神の力は偉大です。

 貴女にその一端をお見せ出来た事は神の采配でございましょう。

 奇跡とは信仰を深める切っ掛けとして現れるのですよ」


 その言葉にオニール女史は十字を切った。


「これは聖杯ではないのですか?

 ワインではありませんが、教会の教えに出てくるような聖杯に似た能力を持ったモノのようですが……」

「科学全盛の時代に、このような摩訶不思議なモノがある事実は、中々説明できるものではありません。

 私は、この聖遺物は、聖杯同様に神がこの世界にもたらしたモノだと考えています。

 アーサー王がこの地で死んだという事になっていますが、元となった人物がいたのでしょうな。

 その者が病気なり怪我で死にかけていた。

 配下の騎士たちは何を求めたのでしょう」


 ローゼン閣下は少し言葉を切ってから続ける。


「それは奇跡を起こす聖杯だったのかもしれません。

 騎士たちは聖杯を求め世界を旅して、それに似たモノを手に入れて戻ってきた。

 聖杯の騎士が誰だったにせよ。

 そういう元になった話があったのではないかと私は考えています」


 オニール女史は「なるほど」と頷き水差しを再び見る。


「そういったモノの一つがこの水差しである可能性は否定できませんね」

「このグラストンベリーには、そういった聖遺物が未だにどこかに隠されている可能性もあるのではないでしょうか?」


 オニール女史は目に見えるほどに興奮した表情になる。


「それを発見できれば……!」

「アーサー王伝説の背景に流れる本来の話も見えてくる……」

「そ、そうかもしれませんね!」

「我々はグラストンベリーの修道院と、あの丘の教会跡あたりを見て回りたいのですが」

「ご一緒してもよろしいですか?」

「構いませんよ」


 オニール女史は嬉しげに立ち上がる。


「では、少し準備を……」


 オニール女史はさっさと隣の部屋に行く。

 考古学用の七つ道具でも用意するのですかな。


「こんなものでよろしいでしょうか?」

「ええ、完璧です」


 俺とローゼン閣下はニヤリと笑いあう。


「私の出番はあるのかしら?」

「ない方がいいと思うけど」

「そうね。異世界じゃ大人しくしておくべきね……」


 エマは少し残念そうだが、紅茶を飲んで「このお茶、持って帰れないかしら……」と囁いた。


 俺は苦笑しつつ、後でお土産を買いに行くことを考えた。

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